彫刻家セリアの製作記その2:カトリーヌ、純白の花嫁 「お花、いかがですか?」  カトリーヌは今日も篭を片手に街角で花を売る。モデルを夢見て都会に出たものの、世間の風は冷たく、彼女も花を売ってようやく日々の糧を得る始末、夢と現実の間の溝は簡単に越えられないことに気づいたのは少々遅すぎたかもしれない。  そんな毎日だったのだが、今日は少し違った。突然彼女の前に車が停まり、そこから一人の女性が現れてカトリーヌに近づいてきたのだ。 「お花、いかがですか?」 「そうね、全部いただくわ」 「あ・・・ありがとうございます!」  カトリーヌが篭を差し出すとその女性は篭を受け取り、かわりにカトリーヌの薬指に金の指輪をはめる。 「あ、こんな物を頂いては・・・」   花の対価としてはあまりに過ぎた品に驚いてその指輪を返そうとすると、その女性はカトリーヌの手をつかんで自分の車へと引き寄せ、カトリーヌの耳元にこうささやいた。 「私、あなたを頂きたいの。確かに「全部いただく」と言ったでしょ」  前にも何度かこんな風に彼女自身を売れと迫られる事はあった、いつもなら彼女は指輪をつかんだまま逃げ出していたはずだが、今日はついその女に手を引かれるまま車に乗り込んでいた。相手が女性なら変な真似はするまいとの考えもあったかもしれないし、それ以上に彼女についていけばきっと何かがあるという予感もしたからだ。  その女性も車に乗り、ハンドルを握るとカトリーヌに尋ねた。 「あなた、名前はなんて言うの?」 「カトリーヌ、・・・そういうあなたは?」 「私?私の名前はセリア、それじゃ行きましょう」  それから三日間、カトリーヌはセリアに連れて行かれた人里離れた館で、奇妙な軟禁生活を送っていた。  一日目、セリアはカトリーヌの傷んだ髪を何時間もかけてきれいに整え、二日目にはすさんだ生活で汚れた体をまた何時間もかけて隅々まできれいに洗った、たったそれだけの事でカトリーヌは自分でも信じられないほど綺麗になっていた。  そして三日目にはセリアはカトリーヌの体の丈をこれまた何時間もかけてまるで仕立屋のように取っていく。  幸いなことにそれ以上の事はまだされてないが、訳も分からず人里離れた館に閉じこめられているのは余り気分のいいものではない。セリアに何故こんな事をするのか聞いてみても、いつの間にか話をはぐらかされてしまい全く分からない。試しに2、3度抜け出そうとしてみたが、そうしようとすると、いつもまるでそれをあらかじめ知ってたかのようにセリアが現れるので、結局逃げ出す事もできなかった。  そして四日目。カトリーヌが目を覚ますと、セリアが衣装箱を持って機嫌良さげな様子で部屋に入ってきた。 「カトリーヌさん。あなた、モデルになりたいんでしょう?」 「え、どうしてそれを?」 「だって私はそのためにここに連れて来たのですから」 「それじゃ本当に私をモデルに!?」 「そうよ、好きなだけ撮ってあげるわ。それじゃ早速着替えましょう」  そう言うとセリアは衣装箱から白い衣装を取り出した。 「ひょっとしてこれ、ウエディングドレスなの?」 「そうよ、あなたはこれから私の作品”純白の花嫁”になるのよ」  カトリーヌはセリアに手伝われながら、ウエディングドレスを身につけていく。さすがに時間をかけて丈を測っただけあって、体に完璧にフィットする。その合間にもセリアはカメラを構えてフラッシュをカトリーヌに浴びせていく。そしてカトリーヌがドレスを全て身につけると、セリアはカトリーヌの髪を丁寧に整えた後、その頭にベールを載せて大きな鏡の前に案内した。 「え、これが私なの!?」  鏡に映った姿を見たカトリーヌは思わず口に出した。 「そうよ、あなたのその本当の姿を引き出すためにいままであなたを磨いて、さらに一番似合うようなドレスを作ったのよ。本当に綺麗よ、カトリーヌさん」  その驚いた表情もすかさずカメラに収めたセリアはこう答えて、さらに一言付け加えた 「でも”純白の花嫁”と言うにはまだ白さが足りないわね」  フィルムを交換しながらセリアは呟く。本当はまだ「白く」する手段は用意しているのだが、わざわざ教えるつもりはなかった 「え、こんな真っ白なドレスでも?」 「まあいいわ。・・・それじゃこのブーケを持って」 「あら?このブーケ!?」 「そう、あなたが売っていた花よ、それじゃ両手でこう持ってそのまま目をつむって」 「これでいいの?」 「ええ、それじゃ息を整えて撮りましょうね。はい。吸って、吐いて、吸って、吐いて〜」  セリアはそう言いながら新しいフィルムを入れたカメラを手に取ってカトリーヌに向けると、本来のスイッチとは別のもう一つのスイッチに指を滑らせた。すると、フラッシュはいつものような一瞬の輝きの後に、鈍く白い光をカトリーヌに浴びせる。しかし目を閉じているカトリーヌは全く気づかない。 「吸って、吐いて、」  その光を浴びたカトリーヌの肌は次第に白くなっていき、呼吸もセリアに誘導されるまま遅くなってゆく。 「・・吸って、・・吐いて、・・」  その間にもセリアは本来のシャッターを動かし、カトリーヌの変化を逐一フィルムに焼き付けていく。 「・・・吸って。・・・吐いて。・・・」  カトリーヌの髪も、肌と同じように磨かれたような艶のある白い塊へと変わっていく。 「・・・・吸って。・・・・吐いて。・・・・」  手の中のブーケは綴られた石の薄片と化していったが、その重さの違いも今やカトリーヌは知ることは無い。 「・・・・・吐いて。もういいわね」  スイッチを切ってカメラを台の上に降ろしたセリアの目の前でカトリーヌは、白いウエディングドレスをまとった、息をしていない真っ白な石像と化していた。 「カトリーヌさん。私の作品のモデルありがとうね。今のあなた、今までで一番綺麗よ」  もはや聞こえていないであろう言葉をかけていきながら、セリアは白い固まりと化したカトリーヌの顔に手を近づけていく。顎先からわずかに微笑んだ形で閉じられた唇、形の良い鼻、そして閉じられた瞼へと、白い針と化した睫毛を折ってしまわないよう、慎重に指を運ぶ。  もう一方の手は、ひとたび触れれば崩れ落ちてしまいかねないブーケを避けて、柔らかさを失った胸元からドレスの上を滑り、ドレスの上からでも尖った手触りの分かる乳首の感触を楽しんでから、一つの塊になった髪へ添えられる。その感触は肌と同じ完全な滑らかさで、それが元は髪の毛であった事など全く感じられない。 「あなたのその胸の手触りとかは少々勿体ないけど、作品はにしっかり完成させないとね。その衣装もまた花嫁の一部なのだから」  そう言いながら部屋の窓を開け放つと、そよ風がカトリーヌのまとっている衣装を優雅に泳がせる。その様を眺めていたセリアは、その衣装がもっとも美しい形を取ったその一瞬に、短い、どのような言葉でも表し得ない声を放った、その瞬間、ウエディングドレスは、衣装ではなく純白の像の一部となり、永遠にその形を留めることとなった。  そしてセリアはその作品”純白の花嫁”を完成させたのだった。 「さて、花嫁と言うからには花婿もいるわね」  しみ一つ無く真っ白で磨かれたように滑らかで艶のある”純白の花嫁”を眺めながらセリアは一人呟いた。 「それじゃ私が花婿になってあげるわ。何か言いたいことは無い?」  「花嫁」が沈黙したままなのをいいことに、繊細なブーケやベールに触れて壊してしまわないように慎重に顔を近づけると、目を閉じて、軽く唇を重ねる。まだ温もりの残った唇との接吻を楽しんでから、ふとブーケを持った手に視線を動かすと、手とともに石になった指輪が目に入った。 「ちょっと指輪を渡すのは早すぎたかしら?・・・でもいいわね、「あなたを頂きたい」とちゃんと言ったから。それじゃ私の家に案内するわ、私の花嫁さん。」  そしてセリアは変化していくカトリーヌを納めたカメラを拾い上げてから呪文を唱えると、空間に裂け目が現れ「二人」を飲み込んでいく。そして後に残ったのは空の衣装箱とカトリーヌのかつての姿を納めた方のフィルムだけであった。