不思議な花の種

作:牧師


 まだ風の冷たい二月、運動公園に建つ体育館で大規模なフリーマーケットが開催されていた。
出展者は皿や小物入れといった生活雑貨から、少し前の変身ヒーローのベルトやカードゲームのレアカード、
少し前に流行した漫画の単行本など、様々な商品を色とりどりのシートの上に並べて訪れる客と値段交渉などをしていた。
 無論、商品には値札が付いていたが、そのままの値段で買わず、交渉をしたりするのもフリーマーケットの楽しさでもある。
「ねえねえお姉さん、これ何の種なの?」
 一人の少女がシートに並べられた商品の中の大きな種に興味を示し、出展していた若い女性に話し掛けていた。
少女の名前は小桜あんず。
 近くにある青百合高校に通う高校二年生の女の子で、園芸部に所属している。
あんずは今までどんな図鑑でも見た事の無い不思議な色をした種に、瞳をキラキラと輝かせて魅入っていた。
「これはアンバーフラワーって花の種よ、希少種であまり市場には出回っていないから知らない人も多いのよ」
 女性はその手入れの難しさ、栽培方法の特殊さをあんずに説明し、花をつける事が如何に困難か話した上で、
一緒に並べていたヒマワリの種やチューリップの球根を薦めてきた。
「これなら簡単に育てる事が出来るわ、チューリップの球根を買ってくれたらサービスでヒマワリの種も付けてあげるわ」
 女性のその言葉になけなしのプライドを刺激されたあんずは財布の中身を確認し、アンバーフラワーの種の値段交渉を始めた。
当然希少種と言っていただけあり、最初はフリーマーケットの品物とは思えない値段を提示されたが、
小一時間の交渉の末、なんとかあんずの手の届く価格まで引き下げる事が出来た。
「お嬢ちゃんには負けたわ。でも良い事、必ずこの本に書かれたとおりの育て方をするのよ。
でないとせっかくの貴重な種を無駄にする事になるわ」
 女性は何度もあんずに念を押し、その後姿を心配そうにみつめていた。

「えっと最初は鉢に植えて、十センチ程の大きさまで育った後で広い場所に植え替えるのか…」
 家に帰ったあんずは女性に手渡された本を読み、花の育て方を何度も確認していた。
本には鉢の中の砂や土、水遣りの頻度、肥料の種類、室温等細かい指示が書かれており、
その栽培の難しさはあんずの想像以上のものだった。
しかしあんずは懸命に育て、一月後には大きく育ったアンバーフラワーを植え替える所まで成長させていた。

「珍しい花ならみんなにも見て欲しいし、やっぱり植え替える場所はあそこだよね…」
 あんずが花の植え替えに選んだのは、青百合高校の園芸部が管理している大きな温室の中だった。
花の育成条件でどうしても温室が必要だったが、そんな大きな物を家の庭に作る訳にはいかず、
色々考えた末にあんずは最もそれらしい理由をつけ、春休みが終らないうちに通っている学校の温室に勝手に植え替えたのだった。

 新学期になって最上級生になったあんずは、自分だけでなくこの年に入った新入生にもアンバーフラワーの世話を割り当て、
強制的に当番制にして手間の掛かる花の手入れをさせていた。
 その甲斐もあり、アンバーフラワーはスクスクと大きく育ち、夏休み前には三メートル近い茎の先に大きな蕾をつけるまでになっていた。
「あんず先輩………、ず・い・ぶ・ん・大〜きく育ちましたよね〜。いったい何処まで大きくなるのかな〜?」
 後輩の小百合が楽しそうにあんずに尋ねていた、楽しそうにしているのには実は訳があった。

 その事件は十年前に卒業したある生徒が、卒業の思い出と称して温室に数本のサボテンを植えた事に端を発する。
そのサボテンは最初、僅か数十センチで、植えた生徒もせいぜい数メートルにまでしか育ちませんと言っていた。
しかしその後、サボテンは何処までも成長し、高さ五メートルの温室の屋根にぶつかり、それでも止まる事無く成長し続けた。
学校側は最終的に屋根の一部を突き破ったサボテンを根元から伐採し、以後温室内にサボテン及び四メートルを越える植物の持込を禁止した。
 既にアンバーフラワーは蕾も入れれば三メートル近くまで育っていた為、これ以上大きくなると学校側に伐採される可能性すらあった。
「だ…大丈夫、もう蕾もついたから。これ以上は大きくならないって本にも書いてあるし。あと一週間もすれば綺麗な花を咲かせるって」
 そう言い残してあんずは逃げる様に温室を後にした。一時間ほど前にも園芸部の顧問の先生にこの花の事で小言を言われたばかりだった。

 一週間後、夏休みになって生徒の少なくなった学校の温室でアンバーフラワーは美しい花を咲かせた。
チューリップを大きくした様なその花は、太陽の光を浴びて虹色に輝いていた。あんずや小百合達はその美しさに数ヶ月の苦労が報われた気がした。
「綺麗…、随分手が掛かったけど、私達でそれだけ育てるのが難しい花を咲かせたんだよね…」
 フリーマーケットで手に入れ、種から育てたあんずの喜びは、他の部員達より一段と大きかった。
暫くアンバーフラワーに魅入っていたあんずだったが、この場にいない数人の部員の事を思い出し、小百合のその事を尋ねた。
「…………、携帯に出ませんね。あんず先輩がさっき送ったメールも返ってきてないんですよね?」
 あんずは花を咲かせたアンバーフラワーを見る前に全員にメールを送っていたが、何人かはメールの返事が無かった為、
仕方ないのであんず達だけで温室に入っていた。
「そうだ、夏休みだからどこかにキャンプとかに行ったんじゃないんですか〜?好・き・な・男・子・と」
 小百合のこの一言で温室内の空気が一瞬で固まった。
偶然にも連絡がつかない部員は全員付き合ってる相手がいるか、最近急に仲が良いなどと噂になった相手がいる娘達ばかりだった。
 あんずも小百合も十分可愛い部類に入っていたが、積極性に欠ける為、未だに付き合っている相手はいなかった。
「そ…その事は次にあった時に、みんなで詳しく問い詰めるとして、今日はこのあたりで解散にしましょう」
 あんずのその言葉を合図に、部員達は次々と温室を後にし、十分後には誰一人温室に残っている者はいなかった。

 その日の夜、あんずの携帯電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。
「何だ…小百合か……、こんばんは、こんな時間に何か…」
「あんず先輩!!花が…花がっ!!多分みんなこの花に………、きゃあぁぁぁぁぁぁっ………」
「さ…小百合っ!!花って何?今何処に……。切れた…。花?……………学校の温室!!」
 携帯から小百合の切羽詰った声が聞こえた直後に通信が切れ、あんずが何度電話を掛け直してもメッセージが流れるだけで、繋がる事は無かった。
嫌な予感がしたあんずは急いで身支度を整え、学校の温室へ向って走り出した。

 あんずが学校の温室に辿り着いた時、温室の周りに小百合の姿は無く、カエルの鳴き声が不気味に辺りを包んでいた。
「小百合っ!!ここに居るの?」
 あんずが温室に入ると、そこには昼間と変わらずアンバーフラワーが美しい花を咲かせていた。
小百合の電話の内容から、あんずはアンバーフラワーに何かあると感じていたが、昼間と何一つ変わらないその姿にそっと胸をなでおろした。
「ここじゃ…なかったの?じゃあ小百合はいったい何処に………。……え?」
 あんずがアンバーフラワーに背を向けた瞬間、急に何かの影があんずを包み込んだ。
あんずが振り返ると、大きく開いたアンバーフラワーの花の中から不気味な色のおしべが無数に伸びていた。
おしべは次々とあんずの身体に巻きつき、あんずの身体を持ち上げて花弁の奥へと飲み込んだ。
「何この花?まさか小百合もっ!!離せっ!!このっ!!」
 あんずが抵抗しても、花びらに傷一つつけることも出来ず、それどころかあんずはめしべの奥から染み出した花の蜜に飲み込まれようとしていた。
「なにこれ?蜜?やだ……ねばねばす……」
 アンバーフラワーは蜜であんずを包み込むとまるで蛇の様に丸呑みし、あんずを地面の下へと送り込んだ。
琥珀のように固まった蜜と共に網の様な根に包まれたあんずの眼に、同じ運命を辿った連絡が就かなくなっていた部員達や小百合が映った。
あんずは自分が生きているのだから小百合達も同じ様に生きていると信じて、ただひたすら誰かに助け出されるのを待っていた。

 数日後、警察や学校の関係者が行方不明になったあんずたちを探したが、まさか花に飲み込まれているとは考える筈も無く、
当然、他を幾ら探してもあんずたちを見つける事は出来なかった。

 一週間後、アンバーフラワーは枯れて、小さな実を一つだけ付けた。
何故か学校の温室に、フリーマーケットであんずにアンバーフラワーの種を売った女性の姿があった。
女性が小さなその実を割るとその中にはあんずがフリーマーケットで買った物と少し違う種が、9つ収められていた。
「9つか……。……見かけによらず、あの子頑張って育ててくれたのね。今はこの下に居るのかしら?」
 女性が枯れて細くなったアンバーフラワーを引き抜くと、そこにはソフトボール程の大きさの琥珀の玉が9個あり、
その中にはフィギュアのように小さくなった、あんずや小百合たちが閉じ込められていた。
「アンバーフラワーは貴方達のように飲み込まれた者の精気を吸って種をつけるの…。この本の最後のページを読んで来た子も居るんでしょうね」
 女性があんずに手渡した本の最後のページには、胸が大きくなるおまじない、好きな人と両想いになるおまじない、身長が伸びるおまじないなど、
アンバーフラワーの蜜を使った様々なおまじないが書いてあった。
 最初にアンバーフラワーに飲み込まれた部員達は、それを信じてアンバーフラワーの蜜を求め、望み通り大量の蜜を手に入れることができた。
ただし、その大量の蜜に自らが包まれる形で………。
 女性は種と琥珀に閉じ込められたあんずたちを回収すると、姿を消した。

「あなたたちは此処に飾ってあげるわ。他の子も一緒なら寂しくないでしょう」
 女性の家には無数の琥珀が飾ってあり、その中にはあんずと同じ様にアンバーフラワーに飲み込まれた女性が閉じ込められていた。
琥珀の中には、花屋の女店長とその娘、ガーデニング好きの令嬢とメイド、あんずたちと同じ学生や、女性教師の姿もあった。
フィギュアほどの大きさにされて、琥珀に閉じ込められていても女性達は死んでいる訳ではなかった。
琥珀の中で歳を取る事もなく、永遠に醒める事のない深い眠りについているのだった。

 次の年、違う町のフリーマーケットに女性の姿はあった。
「え?コレはなんの種かって?これはアンバーフラワーって花の種よ。希少種であまり市場には出回っていないから知らない人も多いのよ」
 何も知らない一人の少女が、女性からアンバーフラワーの種を買おうとしていた……。


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