遙か昔からの災厄

作:牧師


 木々の生い茂る森にある朽ち果てた遺跡。
遠い昔、この場所では様々な魔法や秘薬の研究が行われていた。
 しかし、様々な事故や、支援をしていた王国の滅亡等の理由で、一人、また一人と魔術師達がこの地を離れ、
今では誰もこの遺跡の事を覚えてはいなかった。

 魔法、特に魔獣や天使等、高位の存在を召喚する術や、天候、地脈を制御する術等の研究は、
星の位置、地脈の状態、幾重にも張り巡らせた高度な魔方陣や、呪文の効果など複雑な条件が必要となる。
故に、術を施した者が、その結果を見る事無く、この世を去る事も珍しくない。
 ある夜、およそ千年前に、ある魔術師がその半生を懸けて準備していた魔方陣から一体の魔獣が呼び出された。
その魔獣は一見、巨大なライオンのようにも見えたが、その胴体からは、真ん中に蛇で出来た髪を持つ女性の顔、
右側には牛、左側にはトカゲの頭と三つの首が生え、背中には蝙蝠の翼を持ち、尻尾は透明な蛇で出来ていた。
 魔獣は四メートル程の身体をゆっくりと魔方陣の外に出し、辺りに召喚した人が居ない事を確認すると、
遺跡の出口を目指して進み始めた。

 翌朝、遺跡のある森は、異様な雰囲気に包まれていた。
いつもは森中で聞こえている鳥の鳴き声も、獣の咆哮も聞こえず、草木のざわめく音だけが辺りに響いていた。
 その静寂に満ちた森の中を、魔獣がゆっくりと進んでる。
その周りには、サファイヤやトパーズ、ルビーに姿を変えた森の動物が無数に転がり、木漏れ日を反射させて輝いていた。

「今日はなんだか森の様子が変だな…」
 近くの村に住む猟師のフェイフは、まるで獣の気配の無い森のなかで首を傾げていた。
いつもならこの辺りまでくれば、獲物となる猪や鹿、ホロホロ鳥などに遭遇していてもおかしくない。
にも拘らず、この日はただの一匹すら森の獣に出会っていなかった。
 その時、フェイフは森の中を歩く、獣の腹部を見つけた、長年猟師を続けているフェイフもはじめてみる獣だった。
手に持った弓を射掛けるか、フェイフが迷っていた時、獣の数メートル先で何かが枝から落ちた。
 フェイフが獣の後ろを見ると、そこには宝石の鳥や獣が無数に転がっていた。
「これは…、本物か?」
 フェイフが枝から落ちた物に近づき、サファイヤで出来た鳩を手に取った時、魔獣の頭の一つがフェイフの姿を捉え、
次の瞬間にはサファイヤの鳩を持つ猟師のトパーズ像が出来上がっていた。

 翌日の夕方、フェイフの住んでいた村ではちょっとした騒ぎが起きていた。
フェイフだけでなく、薪拾いや山菜を取りに昨日森に入った十五人もの村人が、この日の夕方になっても、
誰一人として戻ってこなかったからだ。
 ちょうどこの時、魔獣の向う数十メートル先に、この村があった。
魔獣は別段村を目指していた訳でなく、魔獣の進む方向に偶然村があっただけであったが、
村に脅威が迫っている事に変わりは無かった。
 最初に犠牲になったのは偶然、魔獣の蛇で出来た髪を持つ女性の顔を見た少女だった。
続いて、その少女と一緒に遊んでいた三人の少女がその姿をサファイヤの宝石像へと変えた。
 魔獣の襲来により村は騒然となり、家に隠れる者、勇敢にも弓や槍、斧を手に魔獣に立ち向かおうとする者、
森の中に逃げ込む者と、人により大きく対応が分かれた。
 魔獣に勇敢にも立ち向かおうとした者は、正面に立った者からサファイヤの宝石像に変えられ、
運良く側面に回り込み、一撃を食らわした者も、透明な蛇で出来た尻尾に噛まれて、クリスタル像に変えられたり、
牛の頭が吐く真紅の霧に包まれ、真っ赤なルビーにその姿を変えていった。
「い…家の中にまで…」
 赤い霧は扉や戸板の隙間から屋内に侵入し、家に隠れていた人をじわじわとルビーの宝石像へと変えていった。
殆どの村人を宝石像へ変え、魔獣が村から立ち去った後には、
家の中で幼い娘を抱かかえた姿でルビー像へと変わった若い母親の姿や、
部屋の隅で身を寄せ合いながらルビー像へと変わった子供達の姿があった。

 数日後、魔獣は交易都市デルティンの数十メートル先まで迫っていた。
交易都市デルティンは港を持ち、陸路と海路での交易により、非常に栄えた街だ。
 ここに来るまでに、4つの村を宝石像で埋め尽くし、その代償として胴体に付き去った槍や、無数の矢など、
村人のささやかな反撃の後が魔獣の身体に刻まれていた。
「ついに来たか。報告の通りの能力があるとすればこの街とて危ない、気を引き締めて掛かれ」
 デルティンの警備兵を指揮しているのは、カトリーンという名の女性だった。
この地方を治める領主の孫娘で、小さい頃から武芸を好んでいた事により、領主がこの街の警備兵を任せていた。
カトリーンの命を受け、身を潜めていた百人の兵士が、左右から一斉に矢を射た。
 放たれた無数の矢は魔獣の体に突き刺さり、一時的に魔獣を怯ませ街への進撃を止めたかと思われた。
「今だ!!突撃っ!!」
 カトリーンは兵士に長槍を持たせ、魔獣を左右から突き崩そうとした。
あと数歩で魔獣の体に長槍が届くと思われたとき、魔獣が一瞬のうちに後方に飛びのき、その凶眼で兵士達の姿を捉えた。
兵士達は長槍を構えた姿で、その身を黄色く輝くトパーズへと変え、バランスを崩した兵士は地面に身体を横たわらせた。
「そんな…、あれだけの矢を射掛けたのに…」
 カトリーンは顔を蒼白にし、数歩下がった所で魔獣の蛇で出来た髪を持つ女性の顔と目があった。
魔獣は怯えながら青いサファイヤへとその身を変えるカトリーンの心情を察していたのか、その顔に冷笑を浮かべていた。

 警備兵の居なくなった街を、魔獣は容赦なく蹂躙した。
逃げ惑う人を、命乞いをする人を、物陰で息を潜める人を三つの首が持つ宝石化能力を使い、美しい宝石へと変えていった。
 意を決し、剣や棒で魔獣に反撃した者もいたが、手にした武器が魔獣の身体に届く前にその身を宝石へと変えていた。
人を宝石に変える度に魔獣が受けていた傷は癒え、デルティンを色とりどりの宝石像で埋め尽くす頃には、
身体を二回り以上大きくしていた。

 デルティンの住人が一人残らず宝石像に変えられた訳ではなく、早舟で街を逃れた者、馬で街を逃れた者等、
結構な数の住人が命からがら脱出する事に成功していた。
 デルティンから数十キロ離れた城塞都市ゼーフェンタッハに、逃げ延びた住人が駆け込んだのは翌日の事だった。
ゼーフェンタッハは過去に二度、巨大な地竜と蟲の襲撃にあっていた。
 それだけに攻守の設備は整っており、戦争などの有事においても難攻不落の街として、その名を轟かせていた。
「人を宝石に変える魔獣か…、一昔前なら狂喜する者も居っただろうがな…」
 市場に魔法で作り上げた紛い物の宝石が大量に出回るようになり、天然物かどうかを見分ける装置を宝石商が持ち歩いている。
近年では天然物の宝石の値が跳ね上がり、魔法で生み出された宝石は路傍の石より価値が無い物とされていた。
ただし、石化した少女や、宝石像に変えられた美女等は、裏では高額で取引されている事もあった。


 その日の夜、ゼーフェンタッハの魔術師が集められた。明日にもこの町に来るであろう魔獣を倒す策を練るためだ。
幾つかの案が上げられ、その中で確実に魔獣を倒す事が出来る、ある案が採用される事となった。
しかし危険も大きく、その策を完全な物にするにはかなりの犠牲が出る事を覚悟しなくてはならなかった。
「他に方法が無い。作戦が失敗すれば、この街だけではなく、この国にすむ全ての人が魔獣に宝石ぞに変えられてしまう」
 集められた魔術師は息を呑み、事の重大さを改めて実感した。

 翌日、魔術師達の予想通り、魔獣はゼーフェンタッハの数百メートル先の街道に現れた。
運悪く魔獣に遭遇した、街の近くに住む花売りの娘が、サファイヤの宝石像に変えられ、日の光りを反射させて輝いていた。
 魔獣がゼーフェンタッハとの距離、百メートルほどに迫った時、地面から生えた植物の蔓が魔獣の体を絡め取った。
魔獣がもがけばもがくほど、蔓はその数を増し、まるで蜘蛛の巣に掛かった蟲の様に、蔓に包み込まれていた。
「今だ!!竜撃砲発射!!」
 竜撃砲。百年程前、巨大な地竜がこの地に現れた時、ゼーフェンタッハの魔術師がその命をかけて開発した装置である。
魔術で作り上げた直径五メートル程の水晶球から、魔力の篭った光の矢が放たれる。
光の矢は魔獣を貫き、その後ろに広がる森を真っ赤に燃え上がらせた。
「倒したのか?」
 直径一メートル程の水晶球が六個並ぶ制御室で、生命力を使い果たし、石像に変わり果てた若い魔術師の姿があった。
街に住む人の為、志願した六人の少女達。生命力の全てを使い果たして石になっているにも拘らず、その瞳は輝いていた。
 魔獣を覆っていた蔓が崩れ落ち、その中から身体に大きな穴を開けた魔獣が姿を現した。
よろよろと身体を左右に揺らしながら、一歩、また一歩とゼーフェンタッハへ傷付いた身体で近づいていた。
「竜撃砲発射用意…」
 再び六人の少女達が水晶球の前に立ち、生命力の全てを水晶球に注ぎ込んだ。
「撃てっ!!」
 ゆっくりとゼーフェンタッハへ近づく魔獣の体を、魔力の篭った光の矢が貫いた。
二度目の竜撃砲を受けた魔獣はその場で立ち止まり、体を黒い灰の様に変えて、跡形も無く消え去った。

 数ヵ月後。
魔獣により宝石像に変えられた人々は、デルティンの倉庫に集められ、厳重に管理される事になった。
しかし、数年後再び倉庫を調べた時、美しい女性や可憐な少女の宝石像が、一つ残らず運び出されている事が判明した。
 街を再建する為の資金にした。恋人が持ち去ったなど様々な憶測が流れたが、その真実を知る術も無かった。

 ある魔術師がその半生を懸け、呼び出そうとした魔獣は書物には、無限に宝石を生み出す魔獣と記されていた。


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