作:牧師
西崎綾芽、二十四歳、輸入食材を扱う会社の女社長である。
近年の状況で、業績が悪化し、今日も一人オフィスで、残務処理に追われていた。
「そろそろ切り上げようかしら、あら、もうこんな時間」
綾芽が時計を見ると、針は十一時を大きく回っていた。
「大切な時期だから仕方ないか、鍵と防犯を作動させて・・・。完了」
事務所の戸締りを終え、綾芽はエレベーターに乗り、オフィスビルの前に出た。
ベージュのスーツを着こなし、長い黒髪を靡かせ、耳にはダイヤのイヤリングを付け、
唇には薄いピンクのルージュを引いていた。
女性らしく、どんなに忙しくても、身嗜みには気を配っていた。
「こんな時間だと、タクシーも余り走ってないわね」
綾芽の会社が入っているビルは、大通りから少し離れている為、車通りも少なく、
タクシーもこの時間になると、走っているのを、見かける事は少なかった。
「今日も大通りまで歩かないと駄目ね」
綾芽は疲れた体で、百メートルほど離れた大通りのタクシー乗り場に向かい始めた。
なんとなく道路に目を向けると、偶然、一台のタクシーが走っていた。
天井灯には個人タクシーと記されていた。フロントの表示は青く空車を示している。
「あっ、タクシー!」
手を上げた綾香の前に、個人タクシーが速度を落とし近づいて来る。
「良かった、今日は歩かないで済みそうね」
偶然通り掛ったタクシーを呼び止めることが出来、綾芽は嬉しそうに呟いた。
「どちらまでですか?」
タクシーの運転手が綾芽に行き先を尋ねる。
「二丁目のマンション環名崎までお願い」
綾芽が行き先を告げると、運転手はナビを操作して地図を表示させる、
日誌のような物に何かを記入すると、フロントの表示を賃走にして、車を発進させた。
「このタクシー変わってるわね、まるで外国のタクシーみたい」
綾芽が乗ったタクシーの内装は、客席と運転席が厚いガラスで完全に区切られており、
日本のタクシーとは思えない程に、完全な防犯体制を備えていた。
「近頃物騒ですから、私もここまでやるのは気が引けたんですが」
日本でも運転手に暴行する事件や、売り上げを狙う犯罪が多くなっている、
タクシー会社が運転手の安全の為、こういった行為に出てもおかしくは無かった。
「確かに嫌な世の中よね、運転手さんはどうしてこんな仕事をしてるの?」
危険な目に遭うかもしれないのに、個人タクシーを運営している運転手に、
苦労して社長になり、苦労して会社を維持している綾芽は、なんとなく訊いて見た。
「半分は趣味みたいな物ですよ、他にやることが無くて・・・」
運転手は少し答え難そうに、綾芽に話し始めた。
「お客さんも苦労されてるんですね」
車を走らせている間、綾芽の愚痴を聞き続けた運転手は、しみじみと答えた。
「ええ、時々考えるわ、ここから逃げ出したい、って」
恋人を作る暇さえなく、会社の運営に忙殺される毎日。
好きで始めた仕事だったが、綾芽は少し疲れてきていた。
「そう・・・ですか」
綾芽には、運転手の声のトーンが少し変わった気がした。
「あれ?運転手さん、道が違わない?二丁目は向うの通りよ」
タクシーが曲がった瞬間、綾芽は運転手に話しかけた。
このまま行けば郊外に出るのは、疲れていた綾芽でも解っていた。
「いえ、こちらですよ。お客さんの望みをかなえて差し上げますよ」
そう言うと、運転手はナビの画面を切り替える、地図が消えボタン表示される。
現われた幾つかのボタンの中から、青いボタンを押した。
「ちょっと、何をする気?あああぁっ」
男がボタンを押した瞬間、客席に真っ白い霧状の物が充満する。
白い霧に包まれた綾芽の体は、冷たく透き通って行く。
氷結しているのでは無く、氷そのものに変化していた。
『こ・・・・氷に変えられて行く、この人何をしたの』
髪も霜を噴いたかと思うと、次の瞬間には透明な氷の結晶に変わり透き通って行く。
ピンクのルージュを引いた唇も、ベージュのスーツも色を失い、氷化して行く。
パキッ、カキカキッ、と完全に体が固まる音が聞こえ、客席から霧が晴れると、
そこには氷の結晶像と変わり果てた綾香が、驚いた顔でガラスを叩く格好をしていた。
「少し冷房が効きすぎでしたか」
タクシーの運転手は笑いながら、氷の結晶像に変わった綾芽に話しかけた。
タクシーは郊外にある大きな車庫に入っていくと、その奥で車を止めた。
「お客さん着きましたよ、代金はサービスしておきます」
氷の結晶に変わった髪や体を壊さない様、慎重に綾香をガレージの一室に運び込んだ。
「さあ、これで苦しい仕事から逃げ出せますよ」
吐く息も白くなる程に室温の下がった部屋に、綾香の氷の結晶像は丁寧に飾られた。
「貴方は此処で、コレクションに加わるんです、氷の結晶像の記念すべき第一号ですよ」
隣の石造りの部屋には石像にされた少女が飾られていた。
受験に来たのか、冬服の制服姿に首にマフラーを巻き、カバンを大事そうに持っている。
顔は楽しそうに微笑んで、行儀良くイスに腰掛けたまま、灰色の石像になっていた。
辺りには驚く表情の小さな女の子の石像や、酔い潰れて寝ている女性の石像、
他にも嬉しそうにぬいぐるみを抱えた少女の石像も飾ってある。
更に奥の部屋には蝋人形に変えられた無数の少女達の飾られた部屋や、
銀の像に変えられた少女達の立ち並ぶ部屋があった。
ゴミ捨て場には一緒に石に変えた、父親などの石像や蝋人形が無造作に棄てられていた。
「半分趣味でやってる事ですからね、天井灯にも書いてあるんですが」
良く見ると天井灯には固人タクシーと記されていた。
数日後、固人タクシーは新たなコレクションを求め、街で客を乗せていた。
「お客さん、どちらまで?」