作:幻影
人々を蝋に変えていたのは恵雛だった。そのことに、童夢は動揺を隠せなかった。
「恵雛・・お前が・・どうして・・・!?」
「実は私、蝋が好きなんだよ。」
恵雛が微笑をもらして、蝋人形と化した隊員に触れる。
「詳しく言うと、ろうそくが好きなんだよね。小さく揺れる炎、熱を受けて溶ける蝋。その白い輝きが、私の心を満たしてくれるのよね。」
恵雛が触れていた手を離す。その指先から白い液体がこぼれ落ちてきていた。町の人々を固めた白い蝋であった。
それは、恵雛が10歳のときに突然起こった。
彼女の両親が怪事件に巻き込まれて、帰らぬ人となった。
彼女は親しかった人を失って、悲しみのどん底に落とされていた。時折、自分の部屋に閉じこもって泣いていることもあった。
葬式のときには、その悲壮が一気に込み上げて、どうにかなりそうだった。
そのとき、恵雛は火の揺らめくろうそくに眼が留まった。
そよ風にたなびく炎。その熱に溶けて、光を溜めているかのように輝いて見える蝋。
混乱で考えがつかなくなっていた恵雛は、その蝋に魅入られていた。その溶解が、彼女の心にあった悲しみを和らいでくれていた。
それ以来、彼女は炎の灯ったろうそくを見るたび、立ち止まってじっと見つめるようになった。冷え切った心を暖めるように、その炎は彼女の瞳の中で燃え続けていた。
あれから3年がたった。
恵雛は親戚の導きと兼ねて決めた1人暮らしにすっかり慣れていた。
しかし両親を亡くしたその悲しみは癒えたわけではなく、物悲しい笑みを浮かべることもあった。
しかし、TVのあるニュースが、彼女の悲しみを憎悪に変えた。
それは、最近出没するようになったアスファーという能力者と、それに関連した事件の多発化である。
それらを耳にした恵雛は、抑えきれないほどの憤慨を感じた。
両親までも犠牲にあったその事件は、被害者全員の体が砂のようになって、衣服や装飾品だけが現場に残っていた。
人が砂にされるという目撃も確認されているため、調査団もこう断定した。
恵雛の脳裏に、両親の葬式の最中がよみがえる。悲しみを表現するかのように降り注ぐ雨。参列する人々。
そしてろうそくの火。
魅了された白い物質が、今度は恵雛の心をかき立てた。憎んでいるものをこの手にかけたいという呼び起こさせた。
それが、彼女に闇の力を植え付ける火種となった。憎き敵と同じ力が、彼女に芽生えたのだった。
その力は、魅了された蝋に基づくものだった。
体で蝋を分泌し、それをかけたものを同じ蝋に変えてしまうのが彼女の能力だった。しかしその蝋は紫外線を浴びるとその効果を発揮しなくなる。
最初は慣れずに力を暴走させることもあった。しかし慣れていくに連れて、人を蝋に変えてそれを見つめることに気分をよくしていった。
蝋の力を得た恵雛。しかし彼女は蝋の魅了とその能力に次第に囚われていった。
「私にとって蝋は力であり、私の心を暖めるものでもあるのよ。」
蝋に対する魅力を悠然と語る恵雛。童夢の困惑は依然として隠し切れずにいた。
「残念だよ、童夢。こんなことがなかったら、ずっと一緒にいられたかもしれなかったのに・・・仕方ないよね・・童夢も白く固めてあげるよ。」
恵雛が笑みを消さずに右手を向ける。その直後、童夢が動揺をかき消して身構える。
先読みしたとおり、恵雛の指から白い液状の粒が飛び出した。童夢は横に飛びのいてそれをかわす。
地面に付着した蝋は、その周囲のコンクリートを白く染め上げる。
(あれが恵雛のアスファー能力か!少しでもあの蝋に触れれば、同じ蝋になって蝋人形にされてしまう!)
白く染まった地面を見つめて、童夢が毒づく。そしてすぐに、なおも右手を向けてくる恵雛に視線を向ける。
「へぇ、よくよけたね。こんなすぐに反応できるなんてね。」
「私の身体能力は、普通の人間のそれを超えている。そのくらいならかわせるさ。」
妖しく微笑む恵雛に、何とか冷静を装う童夢。しかし、その必死さを物語るように頬筋から冷や汗が流れていた。
「私はアスファーを許さない。私の姉さんを奪ったヤツと同じ連中なんか・・・」
憎しみを込めて言い放つ童夢。しかし親しくなっていた恵雛に銃を向けることは不本意なことだった。
「ねぇ、前から聞こうと思ってたんだけど・・?」
恵雛が上げていた右手を下ろし、童夢に問いかけた。
「童夢はどうして、そんなにアスファーを憎んでるの?」
その問いかけに童夢は眉をひそめた。同じアスファーでありながら、同族に憎しみを抱いていた恵雛。彼女のこの問いかけは、童夢に逆に疑念を植えつけることになった。
しかしそのことには深く考えようとせず、童夢は恵雛の問いかけに答えた。
「姉さんが・・いたんだ・・・けど、あるアスファーによって、石にされて、連れて行かれたんだ・・・」
怒りのこもった童夢の瞳に悲しみが宿る。
「優しい姉さんだった。私のことを心配してくれて、いつも相談にのってくれた。それを、アイツは・・・!」
冷徹な表情を普段見せている童夢からは想像できないような悲痛さが浮かび上がる。それを眼にした恵雛も悲しい顔をする。
自分と同じ境遇に会っている彼女。親しい人を失った悲しみを共有しているような気分を恵雛は感じていたのだ。
「お前の両親を殺したアスファーは、まだどこかにいるのか?」
童夢は不意に恵雛に問いを返した。
「ううん。もう調査団に処分されたって聞いた。」
「私の憎んでいるアスファーは、この前見つけた。けど、一般人に邪魔されて、倒すことができなかった・・」
童夢は悔しさを表していた。倒すべき敵を見つけながら、その行動を完膚なきまでにつぶされたのだった。
どうしようもなくなっていたところで、恵雛に出会ったのだった。
「それで、出会ったお前もアスファーだったなんてな・・・」
悲しみ暮れていた童夢が、皮肉を込めた笑みをこぼす。
「まるで、はめられたような気分だ・・・」
笑みを消さずに、銃を恵雛に向けて構える。その姿に恵雛も動揺する。
「私も殺すの、童夢?私がアスファーだから?」
恵雛が動揺を秘めながら、童夢に問いかける。
「アスファーだから・・・確かにそうだな。姉さんを奪ったアスファー。ヤツらは同じようにその能力を発揮して人々を固めている。そうなれば悲しむ人も必ず出てくる。私のように・・」
「童夢・・・」
「だから、私と同じになってほしくないと思っているから、私はアスファーを倒しているんだ・・」
「立派な正義感だね。感心しちゃう。私なんかじゃマネできないね。」
「いや、そんなつもりじゃ・・」
「それで、その正義感で私も殺すんだ?」
「恵雛!」
童夢はたまらず、銃を持った右手を振りぬいた。敵意を示していると思っている恵雛に対し、どうにもならなくなっていた。
「私はただ、お前にこんなことをやめてほしいだけなんだ!私は・・お前を殺したくない・・」
童夢は知らず知らずのうちに願っていた。恵雛の無事を。友を救い出せることを。
アスファーに対しては非情に物事を進め、彼らを抹殺してきた。そんな自分が変わっていくような気が彼女はしていた。
しかし、その一途な願いは、欲情に囚われた友の言葉によって引き裂かれた。
「・・悪いんだけど、私はやめるつもりはないよ。」
「恵雛・・!」
「言ったでしょ?蝋が私の心を満たすって。もしやめたら、私は何もできなくなるよ。」
恵雛は悲しい笑みを見せて、右手を童夢に向ける。
互いに右手を上げ、狙いを定める2人。そこにはもう友の絆もその願いさえもなかった。
恵雛の指から白い液体があふれると、童夢はすぐに横に飛びのいた。
その場にいた場所に白い蝋がこぼれ、白く染め上げていく。コンクリートを同じ蝋に変えていた。
「童夢!」
恵雛は叫びながら、再び蝋を童夢に向けて飛ばした。童夢は跳躍し、間合いを一気に詰めて銃を突きつける。
「恵雛・・アスファーは、誰もがこんな身勝手な連中なのか・・!?」
「それはあなたも同じでしょ?お姉さんのために戦うっていう考えを、今私に押し付けてる。それとアスファーたちの欲と大して変わらないじゃない。」
訴えかける恵雛に、童夢は歯ぎしりして押し黙るしかなかった。
「人もアスファーも結局は同じ。自分のしたいことをやってる。ただそのための力があるかないかの違いだけよ。」
「いや・・」
恵雛の言葉に、童夢が混乱しながらも否定する。
「私とお前たちには、決定的な違いがある。」
「えっ・・?」
「それは、そのしたいことが間違っているかどうかだ!」
童夢は力を振り絞って、銃の引き金を引いた。しかし、狙いの定まっていない状態の銃から放たれた弾丸は、恵雛の顔を大きくそれた。
「正しいか間違ってるかなんて、あなた1人が決めることじゃない!」
恵雛はたまらず腕を振り抜いた。蝋の雫が飛び散り、感情的になっている童夢の体に付着する。
しかし童夢は、固めの火種を植え付けられたことよりも、思いの通らないような気分に陥っていることのほうが辛かった。復讐に身を捧げた自分が消えてしまいそうになると感じたからだった。
蝋が付着したのは、首から上と右腕以外の体全体。白い雫が散々にかけられていた。
「正しいと思ったとき、そこから間違いが始まってるものなんだよ。それでも、私はみんなを蝋にして固めたい。それが間違ったことでも。自分が正しいんだって信じて・・」
恵雛が物悲しい笑みを再び見せる。自分と同じ境遇の人と出会い、今はこんな感じに敵対していることを辛く感じていた。
蝋は童夢の体を白く染め始めた。その体質を徐々に同じ蝋に変えていった。
「これで終わりだね。童夢、あなたはそのまま蝋になって固まる。あなたの復讐もこれで終わるのよ。」
蝋の侵食をじっと見つめる恵雛。童夢は棒立ちのままうつむき、固まっていくのを待っている様子を見せていた。
(姉さん・・・わたし、間違ってるのか・・・?)
しかし彼女は、胸中で姉に対して思いをかけていた。
(私は姉さんのために全てを捨てた。姉さんを奪ったあのアスファーを倒すために・・)
自分のしていることが間違っていないと信じたかった童夢。もしもそうしなければ、自分が壊れてしまいそうだったからである。
もうろうとした彼女の瞳に、姉の面影が映る。
「童夢・・私はあなたに幸せになってもらいたいの・・・」
(姉さん・・・)
「私の願いは、ただそれだけ・・あなたの手を汚したくないのよ・・・」
妹に向けて願われる姉の思い。童夢の中にある彼女さえも、童夢の無事と平穏を願っていた。
しかし童夢は沈痛な面持ちで、
(すまない、姉さん・・私は、もう戻れないよ・・・)
童夢はすまなそうに姉に語りかける。
(この復讐をやめたら、私はずっとひとりだ・・・)
童夢はおぼろげに、銃を持ったままの手を持ち上げた。銃口が微笑を浮かべている恵雛に向けられる。
「どうして・・・こんなかたちで出会っちまったんだろうな・・・」
皮肉を込めた悲しい笑みをもらす童夢。彼女の体は銃を持つ右手と頭部を残してほとんど蝋に変わってしまっていた。
恵雛から笑みが消える。困惑しきっていた童夢が、自分を撃てるとは彼女は思っていなかったのだ。
しかし童夢は迷わなかった。ためらいを消して引き金を引いた。
細胞破壊の効果をもたらす弾丸が、恵雛の胸を貫いた。呆然となる彼女の体から鮮血が飛び散る。
恵雛は自分の身に起こったことに眼を疑った。手の指から白い雫がこぼれ出す。
(童夢・・・どうして・・・)
眼からも涙を流す恵雛。その涙も蝋の白い雫のように見えて美しく思えるほどだった。
(き、きれい・・・蝋にもこんなかたちがあったんだ・・・)
蝋の別のかたちに、恵雛は喜びを感じていた。脱力していく中で、うっすらと笑みを浮かべた。
その瞳には、流した涙の雫さえ白い蝋の珠に映っていた。
(きれい・・・きれいだよ・・・パパ・・ママ・・・)
恵雛は白い雫に魅入られていた。血塗られた頬をした顔に、満面の笑みが浮かび上がる。
至福を感じながら、蝋を操っていた少女はその命を閉じた。最後まで彼女は、蝋に対する魅力にひかれていた。
その姿をじっと見つめていた童夢。彼女を包んでいた白い蝋は、卵の殻のように剥がれ落ちていた。
そしてゆっくりと前に進み出ると、その蝋の殻は割れたガラス細工のように地面を叩いていた。
「恵雛、お前は・・・」
童夢は沈痛の面持ちで恵雛を見下ろした。命の尽きた少女は、満足そうに微笑んでいた。
なぜこんな結末を迎えてしまったのだろうか。別の選択肢を選んでいれば、恵雛は助かったのではないだろうか。
その答えを確かめようとしても、もう恵雛を救う術はなかった。
その後、アスファー対策部隊が駆けつけ、事件の処理を始めていた。蝋人形にされていた人々も、無事に元に戻っていた。
童夢は真紀に呼ばれるまではあの場から動こうとはしなかった。恵雛の笑顔が彼女の脳裏から離れなかった。
こうして路地に追いやられても、童夢は悲しみに暮れていた。そこへ仕事を一区切りしてきた真紀が声をかけてきた。
「悲しんでいるのか?」
真紀の言葉に童夢が振り返る。
「いや、私は・・」
「言うな。感情的になることは悪いことではない。」
否定しようとした童夢を真紀は制した。
「だが、それで敵を倒すことにためらいを持ってはいけない。今回は何とか切り抜けたが、次は命を落としかねないぞ。」
「分かってる・・・分かっている!」
自覚していると必死に訴えかける童夢。そんな彼女の気持ちを察しながらも、真紀は真剣な顔をする。
「今回の件に関してはお前の手柄だ。だが、お前は今謹慎中だ。それを続行するんだ。体と心の休息をかねてな。」
そういって真紀は振り返り、右手をわずかに上げて振って、その場を立ち去った。
再び路地に取り残される童夢。夜が明けて昇ってくる太陽にかき消されていく闇が、彼女の中にある悲しみと混じっていく。
この出来事が引き金となり、童夢の心はさらに凍てついた。
(もう、誰も信じることができないよ・・・」
信じれば裏切られる。再び辛い思いをすることになる。
姉を思う少女は、人を信じることを捨てた。