Asfre 第15話「決意」

作:幻影


 童夢と夕菜は、ほとんど同時に眼を覚ました。
 外はまだ日の光が差し込んでいない。時計を見ると、時刻は5時をわずかにすぎたぐらいだった。
「童夢も起きたんだね・・?」
「あ・・夕菜・・・」
 小さく語りかけてくる夕菜に、童夢は振り向く。夕菜は肩から下をシーツで隠しながら童夢を見つめていた。
「童夢、昨日はありがとうね。」
「え?」
 感謝の言葉をかける夕菜に、童夢は疑問符を浮かべる。
「もしも童夢がいなかったら、わたし、どうしたらいいのか分からなかった・・あなたが私に声をかけてくれたから・・」
「いや、感謝するのは私のほうだ。」
 童夢は自分の体を抱きしめる。ふくらみのある自分の胸、ぬくもりの残る肌を自分の腕で確かめる。
「お前が私に触れてくれたおかげで、私の中で重く沈んでいた何かが取り除かれた気がする。今は体が楽になった気分を感じてる・・」
 安堵を浮かべる童夢。復讐という戒めから彼女は解き放たれていた。
 彼女は人のあたたかさを感じていた。しかし、これが初めてということではなかった。
 忘れていただけである。メデュースへの復讐で、その優しさを心の奥にしまいこんでしまっていた。
“あなたは私以上に優しい子なんだから”
 自分を励ましてくれた姉の言葉が脳裏によみがえる。
 童夢には優しさがあった。しかしその優しさが強いあまり、苦しみも悲しみも全て自分の中に背負い込んでしまう。それらがその少女を、復讐者・芝童夢に変えてしまったのである。
 だが、夕菜の抱擁を受けて、童夢は優しさを取り戻すことができた。優しい少女に戻ることができた。
「夕菜、私はメデュースを倒す。今度は迷わず、確実に倒す。」
 改めて立てた決意を夕菜に述べる童夢。彼女は右手を強く握り締めていた。
「復讐とかそういうのではない。私が、“私”であるためにも、私は壁を越えなければ、ヤツを倒さなければならないんだ。」
「童夢・・」
 童夢の決意に夕菜が微笑む。童夢に寄り添い、その肌を彼女に触れさせる。
「私もメデュースと戦うわ。私が“私”になるために。」
「夕菜・・」
 夕菜も決意を伝え、童夢は安心感を覚えていた。この小さな少女の体を彼女は優しく抱きしめる。
 敵を倒すことだけが、勝つことだけが強さではない。どんなことにもあたたかさを与え、くじけない心が、本当の強さなのである。
 それが童夢のあるべき姿であり、彼女の姉の願いでもあった。
「私の予備の銃を1つ貸してやる。お前の決意を貫くために使い、戦うんだ。」
「うん。」
 童夢の真剣な言葉を受け、夕菜は頷く。すると2人はゆっくりと唇を重ねた。
(姉さん、私は戦う。“私”として、本当の芝童夢として・・)

 メデュースに指揮等の全権が移行されているアスファー対策部隊。彼女の手駒にされていることを知ることなく、偽りの任務に全身全霊を注いでいる。
 本部の前には2人の門番が、周囲を警戒しつつ立っていた。いついかなる事態に遭遇しても対処できるよう、臨戦態勢を構えたまま。
「おい、誰か来るぞ。」
「ん?」
 その1人が人影に気付き、もう1人も真正面を見据える。
 その眼前の道を通り、まっすぐこちらに近づいてくる2人の少女の姿があった。
 1人は鋭い眼つきをした黒髪の少女。もう1人は左頬に星と三日月の痕(タトゥー)を刻まれた白髪のしょうじょだった。
 2人は迷うことなく、まっすぐこの本部に歩を進めていた。
「お、お前たちは指名手配されている・・!」
 門番は気を張り詰めて、銃を構える。
「やめたほうがいいと思うよ。」
「ああ。今の私は容赦などできそうにない。」
 悲痛の言葉を投げつつ、夕菜と童夢も銃を構える。その強烈な覇気に、門番2人は息をのむ。
 しかし迷いを振り切り、銃の引き金を引く。
 童夢は放たれたその弾丸を、さらに弾丸を撃ち込んで弾き飛ばす。
「なっ!?」
「バカな・・弾丸に弾丸を当てるなど・・!?」
 驚異的な出来事に愕然となる門番。
「次はお前たちの体を狙うぞ。」
 童夢は顔色を変えずに、門番たちに銃口を向ける。門番たちがさらに脅威を感じてすくみ上がってしまう。
 彼女はただの脅しのつもりだったのだが、門番たちの戦意を奪うほどに至っていた。
 童夢は銃を下ろすことなく、このまま本部へと足を運んでいった。夕菜も彼女に続いていった。

「本部内に侵入者です!芝童夢と速水夕菜です!」
 管制室にいる隊員が声を張り上げる。これを期に、本部内に待機していた隊員たちが、慌しく行動を起こしていた。
 武装を整えた隊員たちが、童夢と夕菜が足を踏み入れた中央広場に集結する。
 いっせいに銃を構え、銃口が2人に集中する。しかし2人は全く動揺を見せない。
「1人でも発砲すれば戦争だぞ。私はお前たちの現司令官に用があるんだ。」
 手に持つ銃を周囲に向けながら、隊員たちを一瞥する童夢。しかし、彼らが簡単に彼女たちを通すはずもない。彼女たちもそれを予測していた。
 それでも、引き下がるわけにはいかない。自分が自分であるために、倒すべき敵を倒すために。
 隊員の1人が使命感に駆られて、指にかけていた引き金を引いた瞬間、激しい大紛争の火花が散った。

 童夢と夕菜の本部進入の知らせは、メデュースの耳にも届いていた。
「えっ!?童夢が!?」
「はい。現在中央広場において、第2、第3部隊と交戦中であります。」
 驚愕するメデュースに、1人の隊員が冷静沈着に報告する。
(どうして!?・・童夢は私にオブジェにされたはず・・私が解かない限り、ずっと石のまま動けないはずなのに・・!)
 信じられない面持ちで、メデュースが思考を巡らせる。
(まさか、夕菜が・・!?)
 メデュースの動揺がさらに広がる。夕菜が分離した際、自分のアスファー能力を分割され、その一方を手にしたとしたなら。
「すぐに私の前に連れてきて!」
「り、了解しました!」
 声を荒げるメデュースの命令に、隊員は慌しく承諾し、きびすを返して駆け出した。
 メデュースは、今までにない危機感と苛立ちを感じていた。

 荒々しい騒音と轟音を響かせていた中央広場にも静寂が訪れていた。
 周囲の隊員たちは童夢と夕菜の手によって、身動きができなくなったか、戦意を喪失していた。
「分かってたはずだ。私はここで死に物狂いの訓練を受け、科学的にも身体能力を向上されている。いくら束になっても、お前たちに勝機はない。」
 満身創痍の隊員たちを一瞥して、童夢は足を進めた。夕菜も彼らに振り返ることなく、メデュースを目指して歩き出した。
「よく生き残れたな。お前は私と違い、戦いにおける訓練は受けていないはずだ。」
 童夢が振り向かずに夕菜に声をかける。
「私が、アスファーだったからかな・・」
 小さくもらした夕菜の言葉に、童夢は眉をひそめる。しかしすぐに小さく微笑む。
「そうかもしれないな。仮にもメデュースは今、アスファー対策本部を指揮している。それだけの力量はある。その力を半分受け継いでるんだよな、お前は。」
 身体能力の高いアスファーの分身として世界に存在している夕菜。その能力を彼女は備えていた。
 才能の遺伝とも思える現象だった。それが童夢たちに優位をもたらす結果にもつながっていた。
 童夢と夕菜はさらに進んでいき、人気のない廊下に行き着く。
(張り詰めた空気だ。メデュースが近くにいる。)
 高まる緊張感に息をのみ、童夢が気配を探る。近くにメデュースが潜んでいるのは間違いない。
 数歩移動し、そばにあるドアのノブを握り締める。
「ここか!」
 ドアを押し開け、中に銃口を向けて警戒する。
 そこは司令官専用の個室で、どこの会社でも見かけるような上司の個別の場所だった。
 その部屋の真ん中に立つ1人の少女。夕菜と同じ姿をしたアスファー。
「見つけたぞ、メデュース。」
 童夢は銃口とともに、鋭い視線をメデュースに向ける。夕菜も同様に銃を構える。
「まさか私がかけた石化が解けてるなんてねぇ、芝童夢。あの石化はかけた私がどうにかしない限り解けないはずなのに。」
 メデュースが動揺を込めて愕然とした態度を取る。童夢は顔色を変えずに、夕菜を示す。
「コイツのおかげだ。」
「えっ・・?」
「石にされた私を助けてくれたのは夕菜だ。お前の力を使いこなせるようになったコイツが助けてくれたから、私は今ここにいる。」
 童夢のこの言葉に、メデュースは耳を疑い眼を見開いた。
「まさか・・私から分かれたとき、私のアスファー能力を使えるようになったってこと・・・!?」
「少し違うよ。」
 困惑するメデュースに答えたのは夕菜だった。
「今まで忘れていただけだったのよ。それが、あなたと一緒になってまた分かれたことで、思い出すことができたのよ。」
 自分の胸を優しく押さえる夕菜。
 自分の中に隠されていたアスファー能力。メデュースの影として世界に生まれた彼女のために、親しい人たちが傷つき石化され、命さえも奪われた人が多い。
 彼らの死と思いを背負って、今の速水夕菜が存在しているのだ。
「なるほどね。私がしようとしてたことが、逆にあなたに力を与え、私を追い込むことになるなんてね。」
 微笑をもらすメデュースが肩を落とす。そしてすぐに彼女の顔から笑みが消えた。
「私から分かれた“私”は邪魔なだけよ。私の手で消して、今度こそ童夢を手に入れるわ。」
 今まで出したことのないほどの低い声を発し、メデュースが童夢と夕菜を睨む。
 その直後、童夢は銃の引き金を引いた。放たれた弾丸が、メデュースが跳躍した床を弾く。
 回避したメデュースがドアを開き、奥の部屋に入っていく。
「待て!」
 童夢がいきり立って後を追う。
「童夢!」
 夕菜も慌てて童夢に続く。
 部屋は明かりがなく、暗闇が包み込んでいた。何とか部屋の明かりをつけようと、童夢は近くの壁を手探りする。
 そしてスイッチと思しきものに触れ、彼女はそれを押した。部屋にまばゆいばかりの光が照らし出す。
 そのまぶしさに童夢と夕菜は眼をつぶるが、すぐにゆっくりと眼を開ける。その部屋の光景に2人は眼を疑った。
 部屋には裸の女性の石像が何体も並べられていた。ここにいるのは、メデュースに石化されて連れ去られた人たちである。
「あっ!神楽さん!」
 夕菜はその中から、一糸まとわぬ姿の神楽を発見する。神楽は脱力して腕を下げたまま、その場に立ち尽くしていた。
(夕菜・・・?)
 薄らいでいる意識の中で、神楽が夕菜に心の声をもらす。アスファー能力を備えた夕菜は、彼女のその声を聞き逃さなかった。
「神楽さん!私だよ!」
(ああ・・・夕菜・・・あたし今・・とっても気分がいいんだ・・・)
「えっ・・?」
 微笑むように語りかける神楽に、夕菜が動揺する。普段の活気あふれる彼女の元気が感じられない。
(アイツに石にされたときはどうにかなっちゃいそうだったけど、今思うと心が安らぐよ・・・)
「そんな・・・」
「どうした?」
 愕然となる夕菜に童夢が問いかける。アスファーでない童夢に、神楽の快楽の声は聞こえていない。
「神楽さん、今とても気分がいいって・・・」
 その言葉に童夢は胸を締め付けられる思いに駆られた。
 メデュースに同様に石化されたとき、自分が徐々に気持ちよくなっていくことを覚えている。もしも夕菜が石化を解かなかったら、自分もそんな快楽に身を沈めたまま、生きながら死んでいただろう。
 困惑し、虚ろになっていく視線。その童夢の瞳に、忘れもしない姉の姿が飛び込んできた。
「ねえ・・さん・・・」
 童夢の困惑が最高潮に達する。裸の石像にされ、メデュースに連れ去られた姉。その白い肌に手を当てる。
 自分が幼いときに感じた姉のあたたかさを感じない。石の冷たく固い感触が伝わってくるだけだった。
「姉さん・・・姉さんも神楽やみんなと同じように・・・石にされて気分がよくなってるだろうな・・・」
 その堕落振りに、童夢は苦笑してため息をつく。希望さえ霞むような非情さを彼女は感じていた。
 夕菜には童夢の姉の心境が読み取れていた。彼女は石化という快楽に沈んで満足していた。そんな姿を、夕菜はとても口にすることはできなかった。
「そうだよ。みんなオブジェになってとっても気持ちよくなってるよ。」
 そこへ少女の声がかかる。石像の群れの中から、メデュースが姿を現した。
「メデュース・・・!」
 姉の体から手を離し、童夢がメデュースに鋭い視線を向ける。
「あなたも私に石化されてるとき、ずい分気持ちよくなってたじゃない。」
「くっ・・・!」
 妖しい笑みを見せるメデュースに、童夢は舌打ちする。
「もう1度私に石化されて、今度こそ私のところに来て。そうすればお姉さんと一緒にいられるんだよ。」
 メデュースが微笑んで、童夢に手を差し伸べる。
「でも夕菜、あなたはここで消すわ。私から完全に離れたあなたは、私自身が消してあげるわ。」
 夕菜に対しては鋭く睨みつける。
 その直後、童夢が微笑を浮かべる。メデュースと夕菜が眉をひそめると、その笑いが哄笑に変わる。
「確かに姉さんと一緒にいられるかもな。しかし、心は決して一緒にはならない。」
「心?」
「1度は復讐者に成り果てた私を、姉さんが受け入れると思うか?少なくとも、こんな堕落した姉さんを、私は姉さんとは認めない!」
 童夢は鋭い視線とともに、手に持った銃をメデュースに向ける。
 もう迷わない。もうためらったりしない。
 童夢は倒すべき敵に銃口を向けていた。
「そう・・・でも、私があなたを手に入れることに変わりはないよ。」
 メデュースは石像たちのいない扉の前まで進み、童夢たちに振り返る。
 力を解放しようとした瞬間、童夢がすかさず引き金を引いた。発動しようとしていた光の壁が、弾丸に弾かれて消失する。
 見せていたメデュースの笑みが再び消える。
「もう容赦しない。確実にお前を倒す!」
「・・・そう・・もう迷いはないみたいね・・・」
 童夢の鋭い言葉を受けて、メデュースが再び力を解放する。
 部屋の中がその衝動で振動するが、部屋に並べられた石像たちは、傷つくことはなかった。メデュースの力で完全に保護されているようだった。
「別に周りを気にする必要はないよ。オブジェたちは私に守られてるから。」
 メデュースは自分の髪の毛を数本抜き取った。
「でも、夕菜はともかく、童夢はそんなこと気にしないか・・・」
 その髪の毛を優しく吹く。
 風に揺られて宙を漂うその髪に光が宿り、大きくふくれ上がっていく。
「な、何だ・・?」
 童夢がその変貌に息をのむ。
 光を帯びた髪は肥大化し、やがて蛇へと変化する。
「ウフフ。魔女メデューサの使い魔が蛇であることは知ってるよね?私も自分の髪を蛇として命を吹き込むことができるんだよ。」
「もしや、その蛇たちにも石化の力が・・?」
「その通りよ。」
 童夢の問いかけにメデュースが頷く。
「でもこの石化は私の保護を受けない。ちょっとしたことで壊れちゃうかもね。壊れたら死んじゃうのと同じ。」
 メデュースが妖しく見つめる中、数匹の蛇が唸り声を上げていた。

つづくつづく


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