作:幻影
皆川海気(みながわかいき)。
オレの親友だった男だ。
彼には1つ年下の妹、マミがいた。2人はとても優しく、放浪して疲れ果てていたオレを介抱してくれた。
彼らの願いもあって、それからオレは2人の家に居候することになった。
ブラッドとしての力を与えられ、血塗られた運命を背負わされたオレにとって、かけがえのない心のより所となった。
大企業の会計係をしていた海気。すでに両親は亡くなっていたが、街では知らない人がいないほどの財産を所有していたが、それで調子に乗ったりせず、いつも笑顔を絶やさなかった。
海気たちの住むこの街では、ブラッドは忌み嫌われ恐れられている存在と認識されていた。
海気もマミもオレがブラッドであることにはすぐに気付いたが、そのことを気に留めず、優しい対応をしてくれた。
街の人がオレを迫害したときも、彼らはオレを必死にかばってくれたのは、とても嬉しかった。
オレたちに、家族のような絆が芽生えていた。しかし、あの出来事を境に、その絆は断ち切られてしまった。
マミが強盗事件に巻き込まれ、撃たれてしまったのだ。
たまたま近くを通りがかっていたオレは、血みどろになったマミを見つめると、すぐに駆け寄って呼びかけた。
オレはマミが、たとえ手術しても助からないことはすぐに分かった。
マミは必死に呼びかけるオレに、血を吸ってほしいと言い出した。血を吸われてブラッドになれば、人間をはるかに越えた能力を得ることができ、その自然治癒力ならこのような重傷でも完治できるからだった。
しかし、オレは彼女の願いを拒んだ。ブラッドになれば超人的な力を手に入れられるが、その破壊本能で無意識に他人に危害を加えてしまう危険が伴ってしまう。
マミをそんな血に飢えた悪魔にさせることはできない。
そう告げたオレに抱えながら、マミは息を引き取った。
悲しみと後悔の涙が、永遠の眠りについた彼女の頬に落ちた。
やるせない気持ちに打ちひしがれているオレに、海気は怒りをぶつけた。
海気はオレを責めた。普段、温厚である彼が、今まで見せたことのない剣幕でオレに殴りかかってきた。
マミの願いを聞き入れず助けなかったオレは、彼女を見殺しにしたのと同じだ。妹を奪われた海気の怒りと悲しみが、オレの顔や体に叩き込まれた。同時に、後悔の念がオレの心に、叩き込まれる拳の1発1発で痛烈に刻まれていった。
しばらくオレを殴り続けた後、海気は大の字になって倒れた。顔が傷だらけになったオレと一緒に大きく息を吐く。
痛い。太陽の光が痛い。ブラッドは太陽の光が苦手というわけではないが、叩きのめされた今のオレには、日の眩しさは辛かった。
オレと海気の友情は、この出来事をきっかけに崩壊したと思っていた。
次の日、オレは街を出て行くことにした。
たくさんの人が見送りに来てくれたが、海気は姿を見せてくれたものの、声をかけてきてくれなかった。
オレも声をかけない代わりに、彼に深く一礼した。それを見つめる彼が、納得してくれたとオレは思うことにして、振り返って立ち去った。
「そうか。この近くでね。相変わらず居候の身か。」
「失敬な言い方するなぁ。」
海気との久々の会話に苦笑いするワタル。横にいたあゆみとめぐみからも笑みがこぼれる。
「そういうお前も、相変わらず会計士の仕事、頑張ってるのか?」
「ああ。ちょっと大きな仕事があるんで、この近くに引っ越してきたんだ。海の見せる屋敷だ。」
「や、屋敷ですか!?海気さん、お金持ちなんですね!」
あゆみが驚きの声を上げる。
「失礼だな。街で知らないヤツはいないとさえ言われたんだぞ。」
ワタルがあゆみに弁解して、海気が苦笑いする。
「大げさだなぁ。それにしても、まさかワタルがこの近くにいたなんて思わなかったぞ。」
ワタルと海気の会話は弾む。その姿をまじまじと見つめるあゆみ。
「どうしたの、あゆみお姉ちゃん?」
その様子を気にして、めぐみが聞いてきた。呼びかけられて我に返るあゆみ。
「ううん、何でもないよ。」
笑顔を見せるあゆみに対し、めぐみは疑問符を浮かべる。
「ダメだよ、あゆみちゃん。海気は家族以外の女の子を見ると、とっても緊張してだらしがなくなっちゃうんだよ。」
「お、おい、ワタル、そのことは言うなよ!」
海気が顔を赤らめ、ワタルが笑を浮かべる。彼が言ったことを聞いて、あゆみは赤面してしまった。
家に戻ってきたワタルたちを迎えてくれたのは、店をほったらかしにしたワタルを叱り付けてきたいちごだった。
海気とめぐみの自己紹介の後は、両親を失っためぐみが問題にされた。
「海気、何とかお前の家で住まわせてもらえないかな?」
「いや、オレ1人暮らしでお手伝いとかいないし、最近仕事が忙しくなってきたから、預かっても寂しい思いをさせるだけだよ。」
海気に断られ、ため息をつくワタル。妙案が思い浮かばず、部屋は静かになって時計の動く音が響いていた。
「何とか、ここにいられないかな?」
その沈黙を破ったのはあゆみだった。それに対し、いちごは沈痛な面持ちで答える。
「私もそうしたいんだけど・・」
めぐみをいちごの家に住まわせるには問題が1つあった。それは寝る場所である。
現在、ベットのある部屋は2つ。1つはワタルが使い、もう1つはいちごとあゆみが兼用している。4人が安心して寝られるところは、この家にはないのだ。
「何とかなるかもしれないぞ。」
ワタルの言葉に全員が振り向く。
「まず、あゆみちゃんとめぐみちゃんが一緒のベット。」
「で、私とワタルは・・まさか・・」
大方の想像がつき、いちごは赤面する。
「いいの?私なんかのために・・」
沈痛な面持ちのめぐみに、いちごが椅子から立ち上がって優しく手を差し伸べる。
「いいんだよ。私もあゆみちゃんもめぐみちゃんも、両親がいない。だから、みんなで力を合わせれば、どんなことだって乗り切れる。私たちがちゃんとするから、気にしないでね。」
いちごの言葉、ワタルとあゆみの笑みで、めぐみから笑みがこぼれた。両親を亡くしてひとりぼっちになってしまった彼女だが、ワタルたちの協力に支えられ、彼らを家族として頼ることができる。そのことはめぐみにとって嬉しいこの上ないことだった。
「決まりだね。これからもよろしくね、めぐみちゃん!」
その夜、めぐみはいちごの部屋であゆみと一緒に寝ることになった。あゆみに寄り添って眠っためぐみを見送ってから、ワタルもいちごを連れて自分の部屋に戻った。
ベットの中で、衣服を全て脱いだ2人は、互いの体を抱き寄せる。
「あゆみちゃん、めぐみちゃんを襲ったりしないかな・・?」
いちごが不安になってワタルに訊ねた。
「大丈夫だと思うよ。あゆみちゃんはめぐみちゃんの気持ちを人一倍理解してる。ブラッドの本能に突き動かされても、絶対に彼女に危害は加えないだろう。」
ワタルは安堵の吐息をついて答える。
「力を合わせれば、どんなことだって乗り切れるって言ったのはいちごだろ?だったら、信じてやらなくちゃ、2人に悪いだろ。」
「うん、そうだね。ゴメンね、つまらないこと聞いちゃって。」
照れ笑いするいちご。
「じゃ、今日もやっちゃおうか。」
いちごに促されて、ワタルはこの夜も彼女の胸に手をかけた。
快楽の海に身を委ねながら、2人は眠りについていった。
「ハァ・・この素肌が心地よくさせてくれるんだよね・・」
暗闇の中で、男が快楽の吐息を漏らしていた。
周囲には裸の女性の石像がいくつも置かれていて、その1体の頬に男は触れていた。
彼の頭に、女性の震える声が響いていた。
(やめて・・もうこれ以上は・・)
その声の主は快感に溺れて抗議の声を上げるが、男は聞く耳を持たず自分の欲望に忠実になっていた。
「その胸、その唇、そのくびれ。そして触れられた女性が感じて発せられる反応と声。僕の心を限りなく満たしてくれる・・ぁぁ・・」
男はさらに石像の体にすがりついて、肌に手を滑らせていった。
次に日から、めぐみはワタルが店長代理を務めているパン屋を手伝うことになった。
そのためか、店はさらに賑わい、ワタルからも笑みがよくこぼれていた。
一方、その日からあゆみはよく海気の屋敷に電話を入れるようになった。
電話での会話を聞いていると、彼女の話はよく弾み、次第に2人は互いになくてはならない仲になったとワタルは思った。
海気にはいちごたちが自分がブラッドであることを明かしていないと話した。ブラッドの悪夢がここでも起こっていて、彼らの辛い過去を思い起こさせるのは本望ではなかったからである。
今の幸せに浸りながら、ワタルは人として生きることを改めて決意したのだった。
めぐみがいちごの家に住み始めてから2日後の午後、あゆみは用事があると言って、めぐみを連れて出かけていった。その日もパン屋の仕事を努めていたワタルは、あゆみが次第に笑顔が戻ってきていることもあって、彼女の自由にさせてやることにした。
そして仕事を終えた夕暮れ時、家に戻ったワタルの前に、そわそわしたいちごが現れた。
「いちご、どうしたんだ?」
ワタルが何事かといちごに訊ねる。
「ワタル、あゆみちゃんとめぐみちゃんが、まだ帰ってこないのよ。」
「帰ってこない?一緒なんだろ?」
「うん。でも、誘拐事件に巻き込まれてるかも。」
「誘拐事件?」
疑問符を浮かべるワタルに、いちごは新聞紙の一面を見せた。
そこには、最近この近くで多発している女性誘拐事件が載っていた。いずれも夜の街の中で突然消え去るというもので、目撃者の証言では銀髪の長身だということらしい。
「誘拐か・・イヤなことを思い出してしまったな。」
ワタルの沈痛な呟きに、いちごも思い出した。
最強のディアスとして覚醒してしまった彼女の親友のあかり。力を得るために女性をさらって石像に変えていった。
結局、あかりの空間をも操る力で、被害者はそれぞれの自宅に戻された。
しかし彼女はワタルたちの手にかかって命を落としていて、あの事件の二の舞が起こるなどありえないと思われていた。
「けど、ブラッドの高いレベルの力なら、周りに石化なんかの変化を与えることも不可能じゃない。それに・・」
「それに?」
「ディアスと契約を交わした人間が、そんな変化に対する欲望や何かがあったとしたら・・」
思考を巡らせているワタルといちご。そのとき、リビングにある電話が鳴り出した。
いちごが慌てて電話の受話器を手に取った。
「はい、もしもし・・あっ、海気さん!」
かけてきた相手は海気だった。ワタルも振り返って会話に耳を傾ける。
“もしもし、いちごちゃん?実は僕の家に、あゆみちゃんとめぐみちゃんがやってきちゃって、僕この前も言ったけど、1人暮らしだから他に寝る部屋がなくて・・だから、これから君の家に送りに行くよ。”
「えっ!?2人ともそこにいるんですか!?」
“あ、ああ。今から行くから。”
「でも、海気さんに迷惑では・・」
“大丈夫、大丈夫。君も聞いてるだろ?あの女性誘拐事件のこと。だから、僕がついていったほうがいいと思うんだ。”
「すいません、海気さん。じゃ、よろしくお願いします。」
こうして、いちごは受話器を置いて電話を切った。
「警察は、この辺りにいるのか?」
安堵するいちごに、ワタルが訊ねてきた。
「うん。でも、警察なら安心できるよ。事件防止のための警備だから。」
「いや、警察だから、安心できないんだよ。」
「どういうこと・・?」
ワタルの言葉を意味深に感じて、いちごが聞き返す。
「こないだ、警察が店を訪ねてきたんだ。あの飛行機の消失事件で、あゆみちゃんを重要参考人として捜している。もしもその警戒網に入ったら、警察は事件の犯人じゃなく、あゆみちゃんに狙いをつけてくるぞ。」
「たいへん!だったら、急がなくちゃ!」
慌てるいちごと一緒に、ワタルは血相を変えて家を飛び出した。
いちごの家に向けて、夜の街を歩いていたあゆみとめぐみ、そして海気。
ときどき周囲に注意を向ける海気と、会話を弾ませているあゆみとめぐみ。
その姿を、誘拐事件に対する警備に当たっていた警官の1人が目撃して連絡を入れていた。
「何!?本当か!?よしっ!すぐに呼び止めろ!」
警官との通信に、声を張り上げる石田。署内の本部から周囲の警官に指示を送る。
「高瀬、私たちも急ぐぞ!」
「はい、石田さん!」
続いて石田と高瀬も現場へと向かって駆け出した。
「水島あゆみさんですね?」
「えっ?あ、はい・・」
あゆみたちの周りに、数人の警官が取り囲んでいた。この事態に困惑するあゆみ。
「飛行機消失事件に関して、お話をうかがいたいのですが、一緒に来てもらえませんでしょうか?」
そう言って警官の1人が、あゆみに手を伸ばす。
そのとき、そんな彼を横から突き飛ばしたのは、いきり立った海気だった。
「な、何を・・!?」
「こっちだ!」
驚く警官の呟きにも気にせず、海気はあゆみとめぐみを連れて、その場を駆け出した。
人一倍人情が強い彼は、拘束されようとしていた彼女を見逃すことができなかったのだ。
「逃がすな!追え!」
指示が飛ぶと同時に、警官たちがいっせいにあゆみたちを追う。
「ど、どうしたんですか、海気さん!?」
困惑が消えないあゆみに、海気は振り返らずに答える。
「ワタルから話は聞いた!君はあの消失した飛行機に乗ってたんだろ!?だからあの警官は、君から情報を得ようとしている!だけど最悪の場合、君はあの事件の犯人に仕立てられることもあり得るんだ!そんな不条理な思いをさせたら、今度はワタルから僕に大目玉をくらってしまうよ!」
「とにかく、ワタルお兄ちゃんたちに電話しようよ!心配してるはずだから!」
海気に抱えられためぐみに声をかけられ、海気はズボンのポケットに入れている携帯電話を取り出した。
「ワタル、ワタル!」
“海気、どうしたんだ!?”
慌しい海気の声を悟って、ワタルの荒げた声が返ってきた。
「ワタル、今、警察に追われてる!あゆみちゃんを飛行機消失事件の重要人物として認識してるみたいだ!とにかく合流しよう!」
“分かった!今どこにいるんだ!?”
「街の8番地!今雑貨屋の前を通ったわ!」
ワタルの問いに答えたのはあゆみだった。
“分かった!絶対にムチャはしないでくれよ!”
海気たちに言い聞かせて、ワタルは電話を切った。
しばらく街を走った後、追っ手がいないことを見計らって、海気たちは裏路地で休憩をとることにした。
大きく息をつきながら、呼吸を整える3人。
「ここまで来れば、少しは大丈夫そうね。」
安堵の吐息をつきながら、あゆみが通りを覗き込む。
「そうだな。とにかく、もう1度ワタルに連絡を入れて、ここにいることを・・うっ!」
携帯電話を取り出した直後、海気は突然悶え始めた。
「か、海気さん!?」
突然の異変に、あゆみとめぐみが彼に近寄る。
「そ、そうだった・・今夜は月が・・」
苦しみながら、海気が夜空を見上げた。半月が星とともに夜の闇を照らしていた。
「あゆみちゃん、めぐみちゃん、すぐに僕から離れるんだ!」
体を震わせる海気があゆみたちを振り払う。それでも彼女たちは海気に寄ってくる。
「何言ってるんですか!?こんな状態の海気さんを、放っておけませんよ!」
「頼む!早くここから逃げないと・・君たちは・・!」
「とにかく、ワタルたちのところに行きましょ!ワタルといちごなら、力になってくれるから!・・キャッ!」
海気を連れて行こうとしたあゆみとめぐみは、海気から発せられた衝撃波に弾き飛ばされた。
体を起こした2人の目の前で、海気から不気味なオーラが煙のようにあふれ出ていた。
「ぐっ!ぐああぁぁーーーー!!!」
「か、海気さん・・・!?」
自分の体を押さえて絶叫する海気。その姿に困惑するあゆみとめぐみ。
やがてオーラの発生が治まり、海気の体から力が抜ける。
落ち着いたように思われる彼の眼は、不気味なまでの輝きを秘めていた。