Blood -double black- File.5 甘い毒

作:幻影


 押され気味のアヤの眼に、ふとトモの姿が映った。彼女は自分の姿を見て恐怖と混乱に満ちた顔をしていた。
「トモ・・・」
 アヤの脳裏にも困惑がよぎる。彼女の視線が自分に向けられていることを感じたトモは、彼女から逃げるようにその場から飛び出していった。
「トモ!」
 サエの呼び止めにも答えず、トモはそのまま草原を駆け下りていった。
「トモ!・・ぬっ!?」
 トモを追おうとしたアヤに、レイの容赦ない攻撃が繰り出される。
「お前の相手は、この私だ!」
 アヤはウラヌスでレイの刃を受け止め、力を込めて弾き飛ばす。舌打ちしながらアヤがレイに詰め寄る。
 不敵に笑うレイが、刃を鞭に変えてこれを迎え撃つ。しかしアヤはこの迎撃をかいくぐり、ウラヌスでレイを一閃する。
 ウラヌスはレイの左わき腹をなぎ、痛みにうめきながらレイが顔を歪めて、間合いを取る。
「お、おのれ!」
 出血する腰を押さえて、レイは光の刃を消す。
「今回はこの辺にしておいてやる。だが、次はこうはいかないからな!」
 レイは右手に力を込め、アヤに向けて閃光を放った。アヤはそれをウラヌスで打ち払うが、レイの姿はすでに消えていた。
 ウラヌスの刃を消したアヤが、うなだれるようにその場にしゃがみ込む。
「アヤちゃん!」
 サエが慌しくアヤに近づき、体を支える。
「アヤちゃん、大丈夫!?」
「ああ。心配はいらない。それよりも・・」
 サエを振り払い、アヤは立ち上がり周囲を見回した。
「トモ・・・」
「アヤちゃん!」
 トモのことが気がかりになり、アヤはサエの呼びかけにも答えずに歩き始めた。草原の奥の林のほうに向かったトモを追って、アヤは傷ついた体に鞭を入れた。
「トモーーー!!」
 トモを求めるアヤの叫びが、夜の闇にこだました。

 会場内に湧き上がる大歓声。熱気が漂う観客席。
 会場の中央には、紳士服に身を包んだ男と私服の少女がいた。彼女の服はボロボロになり、さらけ出された胸や肌は白みがかった灰色に変わっていた。
「さぁ、次はその足を石に変えてみせましょう。」
 観客に不敵な笑みを見せるその男は、石化の能力を持ったブラッドである。ここは彼が主催するストリップ劇場であり、各地から美しい、または可愛い女性を連れてきては石のオブジェに変えて、客を楽しませているのである。
 しかも彼は、裸を見せるのを恥らう女性を選別して連れてきているのである。
「お願い、助けて!この鎖をほどいて!」
 少女が泣きながら男に助けを請う。しかし彼は笑みを漏らすだけだった。
 少女の立っている土台には鎖がくくり付けてあり、少女の両手両足を縛っていた。
「鎖ならすぐに外れますよ。私の石化は、対象と密着しているものを全て破壊してしまう力も備わっているんです。オブジェになって動かなくなったのをわざわざ縛っておく必要もないわけですから、別にかまわないんですけどね。」
  ピキッ ピキッ
 男の予告どおり、少女の靴が壊され石になった素足がさらけ出される。彼女にさらなる恐怖と困惑が植えつけられる。
 彼女のこの反応とは裏腹に、観客から大歓声が沸き起こる。少女の素肌を見るのを待ちわびた人たちばかりである。
「イヤァ!このまま裸になりたくない!今すぐやめて!」
 少女の悲痛の叫びも、会場の歓声にかき消される。
 男が妖しく彼女の足に触れてみる。石化されても感覚は残っているため、男の接触に敏感になる少女があえぎ声を漏らす。その姿を目撃した観客から歓喜の叫びが上がる。
「そう、この手触り、それに反応する声、そしてそれを見て上げる歓喜の声。私の心を満たす協奏曲となるんだ。」
 悠然とした男が少女の石の足を撫で回し、彼女の反応と高まる鼓動に優越感を覚える。
「みなさん、これからがメインイベントです。いよいよ禁断への介入を行いますよ。」
 男の言葉に、歓声が最高潮に達した。男の視線が混乱して言葉が出なくなっていた少女の下腹部に向いたそのとき、
  パキッ ピキッ
 少女のスカートが破れ、尻と秘所が現れる。石の体をさらけ出した彼女は、一糸まとわぬ姿になって棒立ちになっていた。
 興奮する観客たちの声を悠然と受け入れる男。
「これで全てのストリップは終了です。あとはこの少女が、私の石化に魂を沈めていく様を見届けてください。」
 首から下が固く冷たい石になっている少女の胸を優しく撫でる男。その行為に顔をさらに赤らめる少女。
  ピキッ パキッ
 同時に石化が進行し、震える唇までも犯されていく。にも関わらず、少女の眼から次第に恐怖が消えていこうとしていた。
「そう、その眼です。石にされて辛いと思う恐怖が、次第にオブジェになって気持ちがよくなっていくという快楽に変わる心の変化。それで私が君をオブジェに変えてよかったと実感できるというものだ。」
  ピキッ ピキッ
 少女の眼に映る男の妖しく笑う姿が、石化の進行によって薄らいでいく。
   フッ
 そしてその瞳さえも石に変わり、少女はオブジェとなって会場の中央に立ち尽くすことになった。
 同時に会場が大歓声に満ちた。力の媒体となる血に飢えることもあるブラッドは、欲望に駆られることも少なくなかった。
 男が少女の石の胸から手を離し、観客席に視線を向ける。
「さぁ、これからは別イベントとなります。オブジェとなったこの少女をめぐって、競りを行うことにします。鑑賞に浸るのもよし、触れてみるのもよし。本日、この美しき栄光を手に入れるのは果たして誰なのでしょうか。」
 この会場の次のイベント、それは男が石化させた女性を競売にかけるものだった。
 全く身動きをしない裸の女性を狙って、金持ちからも大金を手に入れる。一石二鳥を目論んだ、男の不敵なる策略だった。

 ブラックカオスの自室に、彼とレイは帰還していた。数分前まで、レイはアヤにやられた傷に痛みを感じていたが、人間をはるかに越えた自然治癒力によってそれも和らいできていた。
「申し訳ありません。カオス様に無様な姿をさらしてしまい・・」
「いいんだよ、これで。」
「これで、とは?」
 カオスの言葉をレイは疑問に感じた。
「トモという少女は我々ブラッドにひどい憎しみを抱いている。ナイトもその同族だと知ったことで、その刃が彼女にも向けられることになるだろう。ナイトはトモを傷つけることはできない。死を受け入れるしかなくなる、ということだ。」
 カオスの不敵な笑いに、レイはなぜか腑に落ちなかった。
「お前が手を出さなくても、ナイトは彼女が倒してくれる。そして、彼女も・・」
 現状はカオスの思惑通りになっていた。
 トモはアヤが、憎しみを抱いているブラッドであることを知ってしまった。近いうちにその矛先をアヤに向けることになる。カオスはそう憶測していた。

 静まり返った夜の森。その中の大木で、トモはすがりつくように泣き崩れていた。
 アヤの正体が自分の憎んでいたブラッドだったという事実に、彼女は打ちひしがれる思いだった。
「どうして・・どうして・・・!」
 トモは何度も涙ながらに叫んでいた。そして自分に降りかかっている非情さで、彼女は自分を責めるようになった。
「あたしって、バカだよね・・・なんであんなの信じてたんだろ・・」
 トモは不意に物悲しい笑みを浮かべる。
「敵のはずのブラッドを救世主とかいって信じて、今まで築いてきたものみんな放り捨てて、そこまでして追い求めたものがこれだったなんて・・・」
 トモはいつしか自分の手のひらを見つめていた。この手でつちかってきたものが崩れ去っていこうとしていた。
「あたし、これからどうしたらいいの・・・どうしたら・・・」
 何を信じたらいいのか分からず、トモはその場にうずくまることしかできなくなっていた。
 彼女が全てを投げ打って信じてきた偽りの救世主。何もかも信じられず、トモは暗い夜の闇の中で孤立していた。

 陽の落ちた草原。大講堂の外壁にもたれかけ、アヤとサエは軽食をとっていた。
 彼女たちはトモを見つけ出すことができず、またアヤはトモを追い詰めた責任を感じていた。
「まさか、アヤちゃんがブラッドだったなんて・・トモもとんでもない人を救世主だと思ってたんだね。」
 あまり気にした様子の見えないサエの笑みに、アヤは少し違和感を感じた。
「怖くないのか?私がブラッドなのに・・」
「でも、あなたは人を襲わずブラッドに敵対してる。悪い人じゃないと思うの。」
 サエは立ち上がり、星空を見上げた。星たちを集めるように両手を大きく広げた。
「たとえアヤちゃんの体がブラッドでも、心は人間だよ。トモの想いに心が揺らいでたのを、私は何となく分かってたよ。」
 満面の笑顔で、サエはアヤの頭にある猫のような耳をつまんだ。アヤが思わず顔を赤らめる。
「それに、こういう猫耳、けっこう可愛いと思うよ。」
「かわいい?・・かわいいのか・・・」
 サエの屈託のない言動に、アヤは照れ笑いを浮かべる。
「とにかく、少し休んでからトモを探そう。さぁ、これ飲んで。」
 サエが暖めたココアを紙コップに移し、その1つをアヤに手渡した。アヤはすぐにココアに口をつけず、息を吹きかけた。
「アヤちゃんって、もしかして・・猫舌?」
 サエの問いかけに、アヤは返事ができず黙り込んでしまった。するとサエは笑いを漏らした。
「アヤちゃんってまるで猫みたいだね。猫耳に猫舌なんて。」
 アヤはすっかり赤面してしまった。温めたココアをすする彼女を見て、サエは笑をやめた。
「アヤちゃんは猫、好きだったの?」
「うん。まあ・・」
 曖昧な返事をするアヤがコップから口を離した。
「猫って、自由で気ままで、そんな生き方に憧れを持ったことがあったんだ。ブラッドになってからもそれはしばらく続いて、そしたら突然この耳が生えてきて、消そうとも考えたけど、どうやっても消えなかった。で、結局そのままにしてしまったわけだ。」
「なるほどね。」
 サエもココアの入った紙コップを口に移す。
 苦悩していたアヤだったが、サエの優しさに励まされ、少しだけ安らぎを感じることができた。
「でも、どうしてブラッドに敵対してるの?同じブラッドなのに・・・」
 サエのこの問いにアヤから笑みが消えた。
「私の全てを奪った、ブラックカオスを倒すためだ。」
「アヤちゃんの、全て・・?」
「私も昔は人間だったんだ。だがヤツは私の血を吸ってブラッドにし、それによって私の周りにいた人々は私を恐れ、私は次第に孤立していったんだ。だから、私の居場所を奪ったブラックカオスを倒すために、私は戦う。もちろん復讐のためじゃない。生きる希望を見出すための戦いだ。」
「居場所・・楽園・・」
「楽園・・そうだな。そういう言い方もする。」
 サエの呟きにアヤは笑みを見せる。ココアを飲みきった紙コップを置き、アヤは立ち上がった。
「さぁ、急いでトモのところに行こう。」
「えっ!?でも、どこにいるのかも分からないのに・・」
「分かるよ。」
 そういってアヤは森のほうに耳を傾けた。
 ブラッドとなったアヤの聴覚は、普通の人間の能力をはるかに超えている。その鋭い耳が、かすかに聞こえてくるトモの泣き声を捉えたのだ。
「こっちだ。」
 アヤに促され、サエは飲みかけのココアを置いて駆け出した。

 夜の闇が支配する森の中に入り込んだアヤとサエ。光の乏しい道を歩きながら、トモの姿を追い求めた。
 アヤの視力は鋭く、夜目の利いた視界は徐々にトモの姿を捉えていった。
「トモ!」
 アヤが大木に寄りかかっているトモに呼びかけた。するとトモはうつむいたまま、アヤたちに体を向けた。
「トモ・・・」
 サエが不安混じりの呟きを漏らした後、トモが鋭い視線をアヤにぶつけた。
「あたしは、アンタを許せない・・」
 トモがネプチューンのスティックを引き抜いて左手に持ち、右手に携帯電話を握る。
「ブラッドはあたしたちの楽園を奪った仇。やっぱりあたしの手で倒す。アンタも!」
 トモは携帯電話をスティックにセットし、ネプチューンの刃を出現させる。その敵対心にアヤはもちろん、サエも動揺を隠せなかった。
「ちょっと、トモ!?」
 サエの言葉も聞かず、トモはネプチューンを構えてアヤに向かって飛び込んだ。
「トモ!」
 アヤはとっさにウラヌスの刃を出現させ、トモの攻撃を受け止める。
「トモ、やめるんだ!私たちの倒す敵は・・!」
「うるさい!」
 トモの強引な攻めにアヤは押され、そのまま弾き飛ばされる。トモがさらに追い撃ちをかけるが、アヤはそれらを耐え忍んだ。
「やめてくれ、トモ!私は、お前とは戦いたくない!」
「あたしはブラッドを許せない!アンタはもちろん、アンタを救世主だと信じてきたあたし自身もね!」
 トモの憎しみのこもった攻撃が次々とアヤに向けて繰り出される。しかしアヤは反撃に転じないでいた。
 今まで自分を救世主だと言って慕ってくれたトモに、アヤは次第に共感して心を許すようになり、敵対することができなくなっていた。彼女を傷つけることを恐れ、アヤは防戦を強いられていた。
 そして再びトモに突飛ばされ、後退したアヤはウラヌスを地面に突き刺して、呼吸を整えようとしていた。怒りの治まらないトモが、ネプチューンの切っ先をアヤに向ける。
「どうしたの!?なんで反撃しないの!?あたしに同情でもしてるの!?そんなことしてもらっても、あたしの心は晴れない!アンタを倒して、初めて安らぎが戻るのよ!」
「ダメだ、トモ!そんなことしたって、お前の心は絶対に晴れない!凍結されたみんなも喜ばない!こんなの、こんなのトモじゃない!怒りのために手を血で汚すようなのは・・!」
「アンタに、あたしの何が分かるの!?人間じゃない、ブラッドのアンタなんかに!」
 トモの激情は高まるばかりだった。彼女の楽園を奪ったブラッドによって、アヤとの対決を迫ったのである。
「どうしても戦わないなら、すぐに斬る!」
「ダメ!」
 ネプチューンを大きく振り上げたトモに、サエが涙ながらに飛び込んできていた。
「サエ!」
 アヤとトモが同時に叫ぶ。サエはトモの腰にすがり付いて、離れようとしない。
「サエ、放して!あたしは、あたしは!」
「ダメだよ、トモ!こんなことしたって、辛くなるだけだよ!トモには、みんなを幸せにするために戦ってほしい!私の憧れてたトモは、どんなことにも負けない強い人なのに・・」
「サエ、もういいんだ。」
 アヤの言葉に、トモを押さえるサエ腕から力が抜ける。
「アヤちゃん・・?」
 サエが愕然としながら振り返ると、アヤは笑みを浮かべて、携帯電話を外してウラヌスの刃を消した。
「もう、いいんだ・・・トモ、私はお前を傷つけることはできない。だから私は戦わない。好きにしてくれ。」
「アヤちゃん!」
「サエ、これを。」
 声を荒げるサエに、アヤはウラヌスのスティックと携帯電話を放り投げた。サエがそれらを受け取ったのを確認して、アヤはトモに視線を戻した。
「さぁ、これで私は丸腰だ。ブラッドの力も使わない。私のこの胸を突き刺せば、お前は私を殺せる。」
「アヤちゃん、ダメだよ!」
 叫ぶサエを退けて、トモが腑に落ちない面持ちで前に出る。
「何考えてるの?アンタはあたしに殺されようとでもいうの!?」
 トモは苛立ち、ネプチューンを構える。
「アンタ、バカ!?あたしなんかのために命投げ出そうとでもいうの!?ふざけるのもいい加減にしないと、後悔することになるよ!」
「ああ。確かに私は馬鹿げた行為をしようとしているのかもしれない。たった1人の人間のために、命を捨てようとしてるんだからね。でも、そんな私にも、夢ってものがあったんだ。」
「夢!?」
「夢と呼べるほどのことでもないけどさ。サエには話したけど、私はブラックカオスに血を吸われてブラッドにされ、周囲から孤立した。孤独を痛いほどに感じたよ。だから私は、人間とブラッドの共存を望んでる。」
「人間とブラッドの共存!?」
 アヤの告白にトモは呆れ果て、鼻で笑った。
「何から何までバカね、アンタ!カオスはこの世界を支配し、ブラッドに虐げられてきた人間たちは、あたしのように憎しみや悲しみを抱いて生きているのよ!そんなすさんだ状況下で、共存なんて絶対にありえないわ!」
 憤慨するトモに対し、アヤは肩を落として吐息を漏らす。
「確かにな。今のこの世界でそんな考えはあまりに馬鹿げてる。自分でもくだらない妄想だと感じることもあった。少なくても、お前1人救えないで、共存なんて到底ありえない。」
 そう言ってアヤは両手を広げ、ゆっくりと眼を閉じた。
「おしゃべりはここまでだ。気の済むようにしてくれ。」
「ダメだよ、トモ、アヤちゃん!どうして2人が傷つけあわなくちゃいけないの!?」
 必死に呼びかけるサエ。しかしアヤはそれを否定し、トモも聞く耳を持ってはいない。
「後悔することになるよ、絶対!」
「しないさ。なぜなら私が望んで選んだことなんだから。」
 アヤは覚悟を決めていた。このまま自分や周囲に不幸を振りまくくらいなら、自分の命と引き換えにしても救いたいもののために尽くしたい。それが、不本意とはいえ忌まわしき力を宿した自分の償いなのだと、アヤは思っていた。
 そんな死を受け入れた彼女に剣を振るうことに、トモは戸惑いを感じていた。
(なに迷ってるの!?ブラッドを倒さなくちゃ、みんな元に戻らない!世界に光は訪れないのよ!)
 トモは世界に光をもたらすため、時間を止められた大講堂の仲間のために戦ってきた。しかし、倒すべきブラッドであるアヤを殺めることを拒んでいた。
(迷うな・・迷うな・・迷うな!)
「ああぁぁーーーー!!!」
 絶叫を上げながら、トモはネプチューンを強く握りしめて無防備のアヤに向かって突っ込んだ。ネプチューンの刃はアヤを捉え、鮮血がトモの体に降りかかった。

つづく


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