作:幻影
刀麒を倒した翌朝、天乃は風邪を引いてしまった。
刀麒によって着ていた服を引き裂かれ、夜の寒さに体温が下がったためである。
海奈に看病されて、天乃は布団の中でぐっすりと寝ていた。
彼女の額を冷やす布巾を濡らす水を運んできた海奈が、ふすまを開けて天乃を見つめる。
(やはり、風邪は引いてしまったようね。でも、無事で何よりだったわ。)
胸中で安堵して、海奈は絞った布巾を天乃の額に置いた。海奈は静かに立ち上がり、部屋を後にした。
そよ風の流れる家の庭で、海奈は青空を見上げていた。
彼女は天乃と出会った日のことを思い出していた。
2人は血のつながった本当の姉妹ではない。血まみれで泣きじゃくっていた赤ん坊を、幼い海奈が拾って介抱したのである。
そのとき赤ん坊は、胸に刺されたような傷が付けられていたが、握っていたお守りがかばったことで、傷が浅く済んだと海奈は推測した。
以来、赤ん坊は天乃と名付けられ、白神家の巫女として修行に励み、海奈を姉として慕いながら今まで生きてきたのである。
白神家は数年、天乃の身元を調べたのだが、全く成果は出なかった。
よって、白神家は天乃を正式に一族の1人として認め、迎え入れたのである。
そして海奈は二十歳となり、白神家は彼女を正当継承者としたのである。天乃もそんな彼女を見習って必死に巫女の修行に打ち込んだのだが、失敗と騒動の日々が絶えることはなかった。しかし、それが逆に、一族の内乱で重い空気が立ち込めていた雰囲気を和ませる結果をもたらしたのも事実だった。
天乃に付けられていた傷は塞がり、命に別状はなかったが、2つの胸を分けるように刻まれた傷痕は残り、今でも彼女の悩みのひとつとなっていた。
海奈は白神家の跡継ぎとして身を置きながら、天乃を守り抜くことを密かに決意していた。
自分の手で助けた子だから。たったひとつの命だから。
自分を姉として尊敬し慕ってくれる少女が、逆に海奈の心のより所になっていた。
一夜を明け、天乃の体調はほとんど回復した。
その日は日曜日だったため、彼女はもう少し体を休めた。
着替えのため、汗で汚れた服を脱いで、下着姿になった途端ふと思い出したように自分の胸元を見た。
ブラを外した彼女の胸元には、赤ん坊のときに付けられていた傷が刻まれていた。
天乃は憂鬱な気分な気分に陥った。こんな傷の付いた体では、家族や友達と泳ぎに行けない。
痛々しい傷を見られたくないと、天乃は悩んでいたのである。
「何で、こんな傷があるんだろう・・・」
天乃は物悲しく傷を手で触る。
赤ん坊のときの記憶は彼女にはほとんどないため、彼女も海奈もどういう経由で付けられたものなのか分からなかった。
しばらく沈黙した後、天乃は新しい服に着替え、再び布団で横になった。
海奈は冷たく鋭い霊気を感じ取り、身構えて周囲を見回した。
(なんて気なの。姿を見せてないはずなのに、夜の寒さの中にいるみたい・・)
胸中で畏怖しながら、海奈は霊気の元の気配を探る。
「はぁっ!」
霊気を察知して、海奈は気を練った球を放ち、狙った林が球に揺さぶられ、そこから人影が現れた。
彼女の眼前に着地した男は一見、人の姿をしていた。しかしその肌は蒼く、凍えるような雰囲気をかもし出していた。
「私の気配を探って先手を打ってくるとは。さすが白神の巫女というだけのことはあるな。」
男は悠然とした態度で海奈を見つめていた。
「あなたは、氷牙!?」
「覚えていてくれたか。私は氷牙。かつてお前たち白神家に滅ぼされた氷の妖魔の一族を統治する者だ。」
氷牙の見せる笑みの中に、徐々に憎しみが込められていく。
1年前、氷の力を操る彼の一族は、白神家によって壊滅されたが、彼だけが一命を取り留めていた。
そして仲間を滅ぼされた恨みを抱えながら、氷牙は力を蓄え、そして今、白神家への復讐のため現継承者である海奈の前に姿を現したのである。
「お前たちに滅ぼされた同士たちの恨み、今こそ晴らしてくれるぞ。」
「私たちは、人々を脅かすあなたたち妖魔を撃退しただけ。あなたたちはその氷の力で、罪も無い人々を次々と凍死させた。」
「それがいいのではないか。生きとし生けるものの命を凍らせる。なんと心地のいいことだ。」
自らの歓喜に酔いしれる氷牙が、海奈に向けて右手を突き出す。
「すぐには凍らせん。じわりじわりと生き地獄を与えてやるぞ。」
氷牙の右手から冷気が取り巻き、海奈は身構える。
「凍れ!」
氷牙の右手から寒風が放たれ、海奈に向かって伸びていく。海奈は跳躍して吹き付けてくる寒風をかわす。
「甘いぞ!凍てつけ!」
氷牙が伸ばした右手を引くと、寒風は再び海奈に向かって迫ってきた。
「何っ!?」
驚愕の声を上げる海奈の右腕を寒風が包み込む。
「捉えた!氷呪、発動!」
「がぁっ!」
氷牙が右手を握り締めた瞬間、海奈の右腕が氷に包まれた。何本もの針が突き刺さるような激痛が彼女の右腕を襲う。
「ま、まさか、放った冷気を自由に操作できるなんて・・」
凍りついた右腕を押さえ、海奈がうずくまってうめく。彼女の姿を氷牙はあざ笑う。
「かつての私だと思った報いだ。その氷はお前の腕は細胞を破壊され、最後には腐り落ちる。それだけではない。氷は体全体を食い荒らし、お前を殺す。」
氷牙の氷の呪いが、海奈に重みと激痛を与える。
(このままでは戦えない!けど、何とかしないと!)
顔を歪めながら、海奈が胸中で毒づく。
凍りつく腕の痛みで集中力が散漫になり、霊気を思うように使えなくなってしまった。
彼女の死が刻一刻と近づいていた。
「さ、寒い・・」
あまりの肌寒さで、天乃はすっかり眼が覚めてしまった。
部屋の中は冷たい空気で満たされ、病み上がりの彼女にはひどく応えていた。
近くに畳んでおいた上着を羽織り、外に出てみようとふすまを開けた。
すると庭先で、蒼い肌の色をした男とうずくまった海奈の姿が眼に映った。
「お、お姉さま!?」
尋常でない姉の様子に、天乃が驚愕の声を上げる。その声を聞いて、氷牙が振り向く。
「そこにも白神の巫女がいたか。お前の眼の前で凍らせてやるとするか。」
彼のその言葉に、海奈の顔が強張る。
「天乃、逃げなさい!早く!」
「で、でも、お姉さま・・」
叫ぶ海奈に、天乃が困惑してその場を動かない。彼女に視線を向けて、氷牙が言葉を続ける。
「この女は私の氷の呪縛で体を蝕まれている。秘められている霊力を考慮しても、あと3分で腕が腐り落ちるだろう。助けたければ来い。そうすれば女を解放してやる。」
「天乃、騙されないで!氷牙はあなたを凍死させて、私にさらなる苦しみを与えようと考えてるのよ!私に構わず、早く逃げなさい!」
誘う氷牙。必死に促す海奈。動揺する天乃。
苦悩の末、天乃は鋭い視線を氷牙に向け、構えをとった。その行為に、海奈は不安を抱いた。
「天乃、やめなさい!あなたに勝てる相手ではないわ!」
必死に叫んで逃げるよう促すが、天乃は構えを解かない。
氷牙がそれを見て笑いを漏らす。
「勇ましい娘だ。だが、それがお前の命取りとなるのだ。お姉さまの言うとおり、早く逃げてしまえばよかったものの。」
右手を突き出した氷牙を、天乃はじっと見つめた。
姉が苦しい思いをして今にも死にそうになっている。だから、自分の手で助けたい。
満身創痍の彼女の決意は、揺るぎないものになっていた。
(さっきと構えが違う!)
「後悔しながら凍てつけ!」
海奈が指摘したとおり、伸ばした右手の人差し指と中指から無数の氷の刃が天乃に向かって飛んでいく。
「白神防壁!」
天乃は両手を伸ばして霊気を込めた光の壁を出現させた。氷の刃の群れが次々と弾き飛ばされていく。
しかし、その中の数本が壁を突き破り、天乃の腕をかすめた。
「ぐっ!」
「天乃!」
「バカめ!」
氷牙が腕を振り払うと、天乃の両足が一瞬にして凍りついた。
足を取られ、天乃は体勢を崩してよろめく。
「これでもう逃げることもできんな。さて、その足の氷を徐々に広げていくか。」
「やめて!」
海奈が悲痛の叫びを上げながら、思い体を必死に起こす。凍てついた右腕にはすでに痛みさえ感じられなくなっていた。
「妹を葬った後、次はお前の番だ。あの世で感動の再会でもするんだな。」
不敵な笑みを海奈に見せ、氷牙が苦悶の表情を浮かべている天乃の頬に触れようと手を伸ばす。
「いや・・いや・・」
天乃が抵抗しようと首を振るが、無駄な抗いにしかならなかった。
「イヤァァーーーー!!!」
恐怖に満ちた叫びを上げた瞬間、彼女から凄まじい閃光が放出された。
「何っ!?」
驚愕する氷牙が閃光に包まれ、ものすごい勢いで吹き飛ばされた。
巨木に叩きつけられた氷牙は、うめきながらゆっくりと立ち上がった。
「なんという力だ。このまま放置していたら、あまりにも危険だ。早く始末しなければ!」
氷牙がいきり立って、霊力を使いすぎたため意識がもうろうとしている天乃に向けて、再び冷気を放出する。海奈は体力の消耗によって未だにその場を動けないでいた。
「死ね!」
「白神封魔陣(はくしんふうまじん)!」
冷気が天乃に向かって放たれようとした瞬間、氷牙を取り巻くように陣が出現した。
「これは!?」
陣の力によって氷牙は身動きがとれなくなり、放出しようとしていた冷気が消失する。
振り返った先には、林の影から力を放出していたひなたの姿があった。
「ひ、ひなたさん・・」
呆然と見つめる海奈。
ひなたが氷牙を見据えながら、霊力を込める。
「今よ、紅葉!」
「はいっ!」
ひなたが呼ぶと、紅葉が光の矢を具現化して弓を引く構えをとっていた。
「お、おのれっ!お前たちも白神の・・!」
氷牙がもがくが、陣は完全に彼の動きを封じている。
「白神矢光刃!」
紅葉が放った光の矢が、必死に抗う氷牙の体を貫通した。
「ぐおぁぁぁーーー!!!」
矢を撃たれた衝撃で氷牙の体が吹き飛ばされ、ひなたの陣から弾き飛ばされる。
数回昏倒して、氷牙は断末魔の叫びを上げながら消滅した。
「私たちだって、ちゃんと戦えますよ。」
氷牙が絶命し氷が消えて九死に一生を得た海奈に、ひなたと紅葉が笑顔を見せる。
「助かったわ、2人とも。でも、なぜここに?今日は稽古はないはずですけど。」
笑みを作る海奈とその場に倒れこんだ天乃に駆け寄って、ひなたと紅葉がそれぞれ介抱する。
「今日も天乃さんの見舞いに来たんです。でも、これだけ強い霊気を扱えるんですから、もう心配はいらないですね。」
冷え切った海奈の体を支える紅葉。しかし、すぐに彼女から笑みが消え、背後に振り返った。
「ちょっと2人とも、こっちも大変なんだから。」
ひなたたちが現れた林から、ゆかりが慌てて飛び出してきた。
「あっ!そうです!海奈さん、みなみさんが大変なんです!」
思い出したように紅葉が海奈を連れてゆかりのところに近寄った。彼女の近くで、傷だらけのみなみが横になっていた。
「みなみさん、いったいどうしたの!?」
海奈が驚愕の声を上げ、みなみの体を抱き起こした。
その日もみなみは、天乃の見舞いに向かおうとしていた。
「まさかあいつが風邪を引くとはね。でも、いい加減元気になってるだろうなぁ。」
1人で呟くみなみ。無邪気な性格の天乃が風邪を引くことなど考えもしていなかったので、不安と同時に落胆も感じていたのである。
そして、川沿いの道を通っていたときである。
みなみは今まで感じたことのないほどの強大な気を感じた。
彼女がとてつもない威圧感を覚えた直後、川の反対岸から光の球が飛んできた。
「うわっ!」
みなみは慌てて飛びのいて、それをかわした。光の球が地面に激突して爆発を引き起こす。
「ちょっと、何なんだよ!」
みなみが振り返った先には、黒煙を上げて焼け焦げていた地面がそこにあった。
「その気・・お前も白神の一族か。」
どこからともなく、声が響き渡る。
「いったい何なんだよ!?姿を見せなさい!」
声の主に向かって叫ぶみなみの前に、1人の男が姿を現した。白い胴着を黒帯で締め、体には無数の傷があった、白い長髪の青年である。
彼から放たれる威圧感に圧され、みなみは言葉が出なくなってしまった。
「白神の者は全てオレの敵。おめおめと殺されるのを待っているオレだと思うな!」
男が鋭い口調で言い放ち、拳を振り上げてみなみに飛びかかってきた。みなみはすぐさま立ち上がり、男の攻撃を何とかかわす。
「何言ってるんだよ、アンタ!?あたしはアンタの命なんて・・!」
「問答無用!その手はくわんぞ!」
困惑しながら訴えるみなみ。しかし、男は全く聞く耳を持たない。
その鋭い拳や蹴りに翻弄されながら、みなみは次第に憤りを感じてきた。
「しつこいなぁ!頭に来ちゃったよ!」
みなみは間合いを置き、霊気を両手に集中する。
「白神気光弾(はくしんきこうだん)!」
みなみは気を凝縮した球を、男に向けて撃ち込んだ。しかし、男はそれを片手だけで弾き飛ばした。
「そんなっ!?」
「とうとう本性を現したな!くらえ!瞬鬼連殺(しゅんきれんさつ!」
驚愕するみなみを掴む男。眼にも止まらない攻撃に、みなみは悲鳴さえ上げられないまま意識を失った。