作:幻影
一面の闇が漂う空間。
黒神に取り込まれた天乃は、その空間の中で彷徨っていた。
「さ、寒い・・」
周囲から冷たい風が流れ、天乃の裸の体に突き刺さる。
自分が今どういう状況に置かれているのか、何をすべきなのか、彼女は辺りを見回しながら思考を巡らし、暗黒の空間を進んでいった。
しばらくすると夜目が利くようになり、天乃は周囲を注意深く見回す。すると奥に何かが点在しているのが眼に入る。
その方向に進んでいくと、彼女はその姿に驚愕する。
そこには裸の女性が、両手と下半身を壁に埋め込まれて眠っていた。
「もしかして・・!」
天乃は確信した。そこにいる女性は、黒神に魂を取り込まれた被害者であることを。
天乃が周囲を見回すと、同じように壁に埋め込まれた女性たちがいた。
黒神に取り込まれたことを考え、彼女はこの女性たちは黒神の力として利用されていると思った。
「お願い、眼を覚まして!」
天乃が声をかけ体を揺するが、女性は全く眼を覚まさない。黒神に力を利用されている影響なのだろうか。
さらに周囲を見回っていくと、彼女は見覚えのある姿を捉えた。
「み、みなみ!」
そこにはみなみの姿があった。彼女も同じように壁に埋め込まれ、霊力を利用されながら眠っていた。
「みなみ、起きて!みなみ!」
天乃が呼びかけるが、みなみは眼を覚まさない。
近くにひなた、紅葉、ゆかりもいたが、同じように眠っていて、天乃が呼びかけても眼を覚まさなかった。
(もしかして・・)
天乃は1つの疑問を抱いた。
黒神の力として利用されているこれらの魂は、黒神の呪術によって眠らされているとしたら。
「やってみるしかないようね。」
海奈の姿を発見した天乃は、彼女の両肩に手をかけ、持てる霊気を注ぎ込んだ。すると壁と肉体を隔てている部分が淡い光を放ち、徐々に彼女が壁から抜け出てくる。
壁から脱出した海奈を、天乃は抱えこむ。
「お姉さま!お姉さま、しっかりして!」
再び声をかける天乃。すると海奈がゆっくりとまぶたを開けた。
「・・こ、ここは・・・?」
自分の置かれた状況が分からず、海奈が辺りを見回す。すると、涙を浮かべながら笑顔を作る妹の姿が眼に映った。
「お姉さま、気が付いたのね・・!」
「あ、天乃・・!?」
天乃が海奈に寄り添って泣きじゃくる。
「私は黒神に魂を抜かれて取り込まれたはず・・あなたが助けてくれたの、天乃?」
海奈の問いに、天乃は笑みを浮かべて頷いた。
「でもどうして?あなたも黒神に取り込まれたはずでしょ?」
「私にもよく分からないの。ただあのとき、何とか自分の身を守ろうと霊気を放出してたの。」
その言葉を聞いて、海奈は気付いた。天乃は霊気を体に放出して結界を張り、黒神に完全に取り込まれるのを逃れたことを。
そして彼女は空間を彷徨い、意識を取り戻したのであった。
「とにかく、今はみんなを助けましょう!お姉さま、むこうをお願い!」
「えっ!?ええ・・」
天乃に促され、海奈も行動を開始する。
2人はそれぞれ反対の方向に進み、霊力を送り込んで壁から引き出し、魂を解放していく。
みなみたちも天乃の力によって救われ、彼女たちも天乃と海奈に協力する。
やがて空間に捕らわれていた全ての人の魂の救出に成功した。
「これで全員だね!」
ゆかりが活気のある声を上げて、周囲を確認する。
「さあ、早くみなさんを避難させましょう!」
海奈の指揮のもと、天乃たちは魂の脱出を促した。
魂は黒神の体から抜け出て、それぞれ石と化した体へと戻っていった。
しかし、その事態に気付かない黒神ではなかった。
「これでみんな脱出したようだね。」
魂が黒神の体から脱出し、空間には海奈と天乃だけとなっていた。
「天乃、私たちも脱出しましょう。魂が戻れば、石にされた体も元に戻るはずです。今、魂を逃がした黒神の瘴気は不安定になっています。おそらく、世界も元通りになっているはずです。」
「分かったわ、お姉さま。」
海奈が先に空間を進み、天乃も続いて脱出を図る。
「キャッ!」
そのとき、天乃は痛烈な衝撃に襲われ、空間の奥底に吹き飛ばされた。その事態に海奈は気付かず、そのまま空間を脱出してしまった。
何とか体勢を立て直した天乃が辺りを見回すが、姉の姿はどこにもなかった。
「今の力はいったい・・」
天乃は周囲を警戒した。この中でこれほどの力を放ってくるのは、1人しかいない。
「黒神・・気付かれた!」
危機感を覚えて身構えた瞬間、天乃は何者かに首を掴まれ、そのまま押し付けられた。
天乃がその姿を見ると、それは涼平だった。涼平は不気味な笑みを浮かべながら、天乃の首を掴んだまま、彼女を空間の壁に叩きつける。
「まさか君が黒神の力を崩壊させてしまうとはね。」
天乃の眼前にいる男は、黒神ではなく涼平であることは間違いなかった。彼はあざけるような哄笑を上げながら、首を掴んでいた手を滑らせ、天乃の胸元で止める。
そしてそのまま涼平が力を込めると、天乃の体が壁に入り込んでいく。
「ち、ちょっと、なに!?」
あまりの出来事に、天乃が驚愕の声を上げる。
涼平の力によって、彼女は溶け込むように空間の壁に埋め込まれ、両手と下半身がめり込んでしまった。
天乃が抜け出ようと体を動かすが、完全に壁に埋め込まれて固定されているため、身動きがとれない。
「これで君は黒神の力となり、持てる霊力は黒神のために活かされるんだよ。そして・・」
もがく天乃をあざ笑いながら、涼平は右手を伸ばし、霊力を放出する。
すると、壁にめり込んだ部分から、天乃は自分の体が固く冷たくなっていくのを感じた。
振り向くと、自分の体が石に変わっていくのを目撃する。困惑する彼女の姿を見つめて、涼平は不敵な笑みを漏らす。
「これで君は黒神の完全な体の一部となる。今、君はこの空間の壁と一体となっているんだよ。」
涼平は、まだ石に変わっていない天乃の胸に手をあて、揉み始めた。
「ち、ちょっと、アンタ!」
天乃が困惑しながら、涼平に抗議する。しかし、体が壁に埋め込まれているため抵抗できず、涼平も聞こうとはしない。
涼平はさらに天乃の胸を揉み解し、彼女は抗議の言葉さえ出なくなり、ただあえぎ声を漏らすだけだった。
「ここまで黒神を追い込んだ君への、僕からのせめてもの計らいだよ。君はこれから心地よい状態のまま固まり、黒神の力の核として存在していくだ。」
涼平は天乃の胸を撫でながら、彼女へと寄り添った。抵抗できない彼女を、彼は優しく抱きしめた。
「いやっ!放して!」
天乃が涼平との接触による不快感で、抗いの声を上げる。その間にも、彼女の体を浸食する石化が、二の腕と胸の下部にまで及んでいた。
涼平は嫌がる彼女の肌を頬で滑らせ、さらに舌で舐める。黒神復活の際に感じた不快感が、再び彼女を混乱させる。
「やめてったらやめてよ!!」
そのとき、石になりかけていた天乃の体がまばゆいばかりに輝き、驚愕する涼平を吹き飛ばした。
彼女は無意識のうちに霊力を放出し、涼平がかけた石化をも解いてしまった。しかし依然と体は壁に埋め込まれたままで、霊力を消費したために息が荒くなっている。
膨大な霊力の放出に、涼平は驚きを隠せないでいた。
「ハァ・・ハァ・・いい加減に、しなさいよ・・ハァ・・」
天乃の必死の言葉に、涼平は思わず不敵に笑って見せた。
「黒神と白神の力を併せ持つ彼女の力が、ここにきて覚醒するなんて。」
一方、黒神は自らの体内に邪気を送り込んでいた。
元々の肉体の宿主である涼平の思念を具現化して送り込み、体内の異変を駆逐しようと考えたのである。
周りからは自らの体に力を注ぎ込んでいるようにしか見えなかった。
しかし大地は気付いていた。黒神が体内にいる天乃に、何らかの行動を起こしているのだと。
「おのれ!お前の好きにはさせんぞ!」
大地は黒神の行動を止めようと、気を放出して飛び出した。そこに黒神が押さえていた手を振り払い、向かってくる大地を迎え撃った。
大地は体勢を立て直し、悠然と構える黒神を見据えた。
「もう遅い!天乃の魂は我が肉体と同調しつつある。この体の宿主がもうじき、天乃を完全に取り込むことだろう。」
黒神の言葉に、大地は苛立った。
取り込んだいくつもの魂は解放されてしまっているものの、黒神の力は完全に鎮圧されてはいない。
「力は格段に落ちてしまったが、手負いの貴様を葬り去るには十分だ。」
いきり立つ黒神が、ゆっくりと大地に近づいてくる。
「ふざけるな!お前などに決して負けん!天乃をお前の忌まわしい体から引きずり出してくれる!」
「残念だがそれは不可能だ。貴様が我が肉体に刺激を与えれば、中に入る天乃の魂をも傷つけることになる。自力で出る以外に無事に助かる術はない。」
「お、おのれ・・・!!」
憮然と言い放つ黒神に大地は歯軋りする。
黒神の企てを腑に落ちないでいたからか、天乃を救えない自分の無力さを呪っているからなのか。大地自身そのことは分からないでいた。
「今度こそ終わりだ!」
黒神が右手を伸ばし、霊気を練りこんで大地に狙いを定める。
涼平は、天乃が呼吸を整えるまで、その様子をうかがっていた。
彼女の眼には今、懸命に戦っている大地の姿が映っていた。霊力を解放させた彼女には、空間の外の様子を気配でうかがうことができるようになっていた。
「お、お兄さま・・」
天乃は小さな声で大地の名を呟いた。彼に届かないと思っていながらも、呼ばずにはいられなかった。
(天乃!)
そのとき、彼女の耳に大地の声が届いた。
「お、お兄さま!?」
「バ、バカな・・」
天乃は再び大地を呼び、涼平が驚愕の声を上げる。
「天乃!すぐに黒神から出て来い!」
大地は必死に呼びかけ、天乃に脱出を促す。
(お兄さま、私、黒神の体に取り込まれて。何とか抑え込んではいるけど、抜け出ることができないの!」
「何だとっ!?」
天乃の言葉に、大地は声を荒げる。
(お兄さま、私に構わないで、黒神を攻撃して!)
天乃の言葉に、大地は憤慨を感じる。
「ふざけたことを言うな!貴様は黒神とともに果てるつもりか!?」
(違うよ!お兄さまが攻撃すれば、黒神の力が弱まる。私はその間に抜け出すから、とどめを刺して。)
「だが、誤ればお前も道連れになるんだぞ!」
(お兄さまなら、きっと何とかしてくれる。私はそう信じてる。)
天乃の言葉に悩み、大地は霊力の収束を終えた黒神を見据えながら、少し時間を置いてから再び口を開いた。
「いいだろう。お前の覚悟、確かめさせてもらうぞ、天乃!」
大地は両手に気を集中させて構える。その気迫を感じ取ったのか、天乃の安堵の吐息が聞こえたように彼は感じていた。
「愚かな。貴様にはもはや、なす術はない!天乃とともに滅べ!」
黒神が右手から閃光を放つ。大地はそれをかわして飛び込み、黒神の腹部に拳を叩き込んだ。
「ぐおあっ!」
強烈な打撃にあえぎ、吐血する黒神。大地はさらに攻撃を続けていく。殺さない程度に。
「うぐっ!」
伝わってくる激痛に、天乃はうめいて顔を歪める。
黒神が受けた衝撃は、その体内に取り込まれている天乃にも伝わっていた。
(すごい霊気と力。それだけじゃない。お兄さまの想いが、私にもひしひしと伝わってくるよ。)
天乃は胸中で、大地の強さを感じて安堵していた。
黒神に叩き込められる一撃一撃が、自分への想いだと彼女は感じていた。
(そ、そうだ!感嘆してる場合じゃないわ!今のうちに早く抜け出ないと!)
天乃は体全体に力を込め、めり込まれた壁からの脱出を決め込んだ。困惑していた涼平がその様子に気付き、彼女の両肩を掴んで脱出を阻む。
「イヤッ!放して!私はここから出るのよ!」
何とか壁から抜け出ることには成功したものの、天乃が力の入った涼平の両手に押さえられもがく。
涼平が不気味な笑みを浮かべて、天乃に言い放つ。
「君はここから出ることは許さない!私とともに黒神の一部となり、黒神と運命をともにするんだ!」
「そんなのイヤよ!私はここから出て帰るのよ!お兄さまの、みんなのところに!」
天乃は持てる霊力を放出して、押さえ込んでいる涼平を振り払った。そしてそこから、彼女は伸ばした右手から霊力を再び放ち、彼を吹き飛ばした。
「ぐっ!何という力だ。」
体勢を立て直した涼平が、彼女を見据えて焦りを見せる。
「お兄さま、聞いて!」
霊気を集中させながら、天乃は大地に呼びかけた。
(お兄さま、聞いて!)
天乃の声が大地の耳に届いた。
黒神への攻撃を中断し、後退して間合いをとった。
(今から私は、黒神の宿主である男の魂を攻撃してみる!)
「何っ!?やめろ、天乃!そんなことをすれば、お前の魂までもが・・!」
大地は涼平に攻撃を仕掛けようとする天乃を呼び止めた。
黒神に体を貸している涼平を倒せば、力をうまく扱えていない黒神は崩壊し消滅する。しかし、その体内にいる天乃も、その余波に巻き込まれることになる。涼平を倒して素早く脱出しなければ、天乃の魂は黒神とともに消滅する。
彼女を想う考えが、大地に彼女の制止を呼びかけたのである。
(大丈夫!私は死なない!必ず帰るから!だから、お兄さまも黒神を攻撃して!)
天乃の必死の願いであるが、大地は攻撃をためらっていた。
しかし、彼女の願いを踏みにじることはできず、彼女の願いを聞き入れ小さく頷いた。
大地は右手をかざして霊力を集中させた。
(天乃、オレはお前を信じるぞ。オレの持てる力、黒神に全て叩き込む!)
一方、天乃たちによって黒神から解放された海奈たち。魂の戻った石の体は元に戻り、意識を取り戻した。
全員別れて石化されていたゆかりたちだったが、無事に合流し、気配を感じながら海奈のところへ向かっていた。
「天乃ちゃんたち、大丈夫かな?」
「平気だよ、ゆかり。天乃の力はあたしにも伝わってきたよ。黒神の取り込まれてたときもずっとな。」
「ですが、今も天乃さんの霊気は感じられませんし、弱まってはいますが黒神の力はまだ残っています。」
紅葉が表情を曇らせる。
「だ、大丈夫だよ。天乃ちゃんはきっと無事でいるし、黒神の近くに、別のものすごい気を感じるよ。」
ひなたが困惑した様子を見せながら、3人に割って入る。
「きっとこの力は、あの大地って人だよ。どういうわけか知らないけど、天乃を何度も助けてくれたみたいだよ。」
「あたしには理解できないね。アイツはあたしたちを殺そうとしてたんだよ。でも、行ってみるしかないね。海奈さんもすぐ近くにいるみたいだし。」
ゆかりに呼びかけるみなみ。
4人は激しい気のぶつかる決戦の地へと駆け出した。
「海奈さん。」
海奈を発見したゆかりは、聞こえる程度の小声で呼びかけた。
「ゆかりちゃん・・!」
「海奈さん、みなみたちもみんな来てるよ。」
そう言ってゆかりは、近づいてくるみなみたちを指差した。
「海奈さん、天乃さんはどうしたのですか?」
紅葉の問いに、海奈は少し沈黙してから答えた。
「まだ、黒神の中にいます。おそらく・・」
「えっ!?まだって・・!?」
ゆかりが驚愕の声を上げる。みなみが慌ててゆかりの口を押さえ、気付かれていないかどうか辺りを見回した。
安堵の吐息をついて胸を撫で下ろした後、みなみはゆかりを睨み付けた。
「気付かれなかったからよかったものを・・!」
「ゴ、ゴメン・・」
謝って肩を落とすゆかり。海奈が話を続ける。
「でも大丈夫だと思いますよ。大地が命がけで戦っています。」
「アイツを信用していいんですか、海奈さん!?」
みなみは海奈に食ってかかった。海奈と血のつながった兄とはいえ、みなみは白神家をはじめ白神の巫女を手にかけようとした大地に心を開けずにいた。
しかし、海奈は笑みを消さなかった。
「彼はもう修羅ではありません。私たちの、白神の戦士です。」