血石妖虫・一章

作:幻影


血石妖虫。
暗黒宇宙に点在する惑星ゴルスに生息する大型の虫。
人間の生き血を吸い、石のように固めてしまうとさえ言われる恐ろしい生物でもある。
これは、そんな虫の地球への襲来によって引き起こされた、2人の男女の悲劇の物語である。

 20XX年。
 某国が、最終破壊兵器、ファントムアトムの実験を、地球から約2億Km離れた惑星ゴルスで行われた。
 放射能による地球汚染を恐れての宇宙実験であった。
 しかし、これが世界規模の大問題となり、国際政府はその国への強制調査を実施。科学者が独断で研究を行ったことが判明し彼らを拘束、兵器開発は完全排除で幕を閉じたと思われた。
 だが、この宇宙実験が、人類史上最悪の火種となったことは、誰一人予想だにしていなかった。

 天草武(あまくさたけし)。
 大宇宙に興味を示す非合法(モグリ)の研究員である。
 現在、彼は数々のバイトを重ねながら、惑星ゴルスの研究に没頭していた。
 研究室で調べ物をしている中、彼の携帯電話が鳴り響いた。
「はい、もしもし。」
「あ、もしもし、咲乃(さくの)だけど。」
 電話の相手に、武が気さくに笑う。
「なんだよ、咲乃。まだオレに恨みごとでも言いにかけてきたのか?」
 武と咲乃は同じ大学のゼミの生徒だった。
 そのゼミ合宿に、彼は女湯を覗き見し、先生にこっぴどく叱られたばかりか、そのゼミの女生徒たちを敵にまわすことになってしまった。
「アンタのムッツリスケベは折り紙付きだからね。普段イヤらしい顔なんで全然見せなかったんだから。それで、まだ役にも立たない研究を続けてるの?」
「役に立たないとは失礼な!オレはこの研究で、一気にトップクラスに上り詰めてやるぜ!」
「もうアンタ大人なんだから、もう少し現実を見なさいよ。」
 いきり立つ武に咲乃が呆れる。
「それで、用件は何だ?まさかオレに説教するつもりでかけてきたんなら、そんな暇はないぞ。」
「違うわよ。久しぶりにゼミのみんなを集めてカラオケにでも行こうかと思って。」
「カラオケ?大学通学中に、あの一件以来ゼミのコンパにもオレを全く誘わなかったくせに、卒業して1年たった今頃、一体どういう風の吹き回しだ?」
 武が疑り深く咲乃を訊ねる。
「いいじゃないのよ。アンタがあたしたちに誘われるなんて滅多にないんだから。」
「それもそうだな。で、いつなんだ?もしかして今日か?」
「うん。7時に商店街のカラオケボックスで。行けそうだったらちゃんと来なさいよ。」
「分かった、分かった!ちゃんと行きますよ、咲乃さん!それじゃ、後でな。」
 憮然とした態度でそう言って武は電話を切り、携帯電話をシャツのポケットに入れて、TVの電源を入れた。
“ただ今入りましたニュースをお伝えします。世界で問題視されていた最終破壊兵器、ファントムアトムの実験を惑星ゴルスで行った研究員5人に、死刑判決が下されました。”
「やっぱり死刑か。平和主義のこのご時世に、必要以上の兵器なんておよびじゃないんだよ。第一、ゴルスを攻撃するなんて甚だしいにも程があるぜ。」
 ニュースを聞く武がふてぶてしく愚痴をこぼす。
 自分の研究対象だった惑星を実験の攻撃目標にされたのだから、苛立つのも無理はなかった。

 柊音葉(ひいらぎおとは)。
 その日は姉の麻奈(まな)の同窓会に引っ張り出されてしまっていた。
 麻奈は武の幼馴染みでもある。
「もう。お姉ちゃんのわがままには呆れてばかりだよ。」
「いいじゃないの。音葉も暇だったんでしょ?」
 呆れる音葉に、麻奈は気さくに答える。
 同窓会が行われているこのレストランは、駅前にそびえ立つビルの最上階に位置していた。
 周囲はかつての級友との久々の再会を喜び、雑談や昔話、テーブルに並べられた料理の数々でにぎわっていた。
「まぁ、こういうのはもう慣れっこだけどね。その代わり、私の友達もここに呼んだからね。」
 音葉の言葉に麻奈が少し驚くが、すぐに気さくな笑顔に戻る。
 音葉が指差す方向を見ると、そこには彼女の親友らしき女性たちが4人、レストランの賑わいに驚いていた。
「こんなところでじっとしてても仕方ないよ。しゃべるなり食べるなりしてきなさい。せっかく来たんだから楽しまなくちゃ。」
 麻奈に促されて、音葉は手を振って迎えている親友たちの方へ、談話のために駆け寄っていった。
 そのとき、音葉は震えるような騒音を耳にして、ふと足を止める。
 周りは雑談や食事に夢中でそのことに気付いていない。
「何・・この音・・?」
 不審に感じて音葉は辺りを見回す。夜の街を見渡せる窓が震えている。
 音葉の中でただならぬ悪い予感が脳裏をよぎった。
「みんな!」
 不安のあまり思わず声を張り上げる。
 その瞬間、にぎわうレストランが激しい轟音に襲われる。
「キャッ!」
「うわっ!」
 荒々しい揺れに、中に入る人たちは声を上げパニックに陥る。
 テーブルが倒れ、皿の割れる音が鳴り響く。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
 音葉が麻奈を求めて駆け寄る。
 そのとき、周囲の窓ガラスが次々と割れていき、そこから鋭い爪のようなものが伸びて近くの天井に突き刺さった。
「キャアァァーーー!!!」
 悲鳴の響くレストランの天井の中央が壊れ、その穴から不気味で巨大な何かが入り込んできた。
「な、何、あれ!?」
 指し示すその物体は、巨大な生き物だった。開いた天井の穴からその頭部と思われるものが伸びてきていた。
 カマキリのような頭をした巨大生物は、口から何十本もの半透明の触手を伸ばしてきた。
 伸びていく触手は逃げ惑う人々を取り巻き、その先端が体に突き刺さる。
「は、ああぁぁ・・・・」
 触手に捕らわれた人々が何とか振りほどこうとするが、体から力が抜けていくため抵抗できなくなる。
 触手の刺さった部分から、体が徐々に固く冷たくなっていく。人々は変わりゆく自分の変化にかつてない恐怖を覚えたが、体の脱力でそれさえも忘れていくようだった。
 エレベーター前や非常階段は、逃げ惑う人々でごった返していた。
 そこに巨大生物の触手が容赦なく襲いかかり、人々を次々と石に変えていく。
「お姉ちゃん、みんな、どこ!?」
 混乱するレストランで、音葉が声を上げる。
「あっ!音葉!」
 振り返ると、親友たちが困惑しながら互いを助け合っている。
「晴子!由実!みんな!」
 音葉が駆け寄ろうとしたそのとき、生物の触手が親友4人にからみ付き、体に突き刺さる。
「みんな!」
 音葉が絶望に満ちた表情で見つめる中、4人が苦悶の表情になる。
「こ、こいつ、血を吸ってる・・」
 体に刺さった半透明の触手は、人の血を吸い取って紅く染まっていく。そして脱力していく体を、白みがかった灰色に変色させていく。
「音葉・・・逃げ・・て・・・」
 必死に伸ばす晴子の右手も灰色の石に変わり、4人は全ての血を吸われて石像になってしまった。
「みんなっ!」
 音葉が悲痛の叫び上げて変わり果てた親友のところへ駆け寄ろうとしたとき、麻奈が彼女の手を押さえてそれを制する。
「お、お姉ちゃん!みんなが・・」
「ここは危ないわ!早く逃げないと!」
 親友の安否を心残りにしながら、音葉は麻奈に引っ張られてレストランを飛び出す。
 連れてこられたのはレストランの奥の厨房。そのさらに奥で2人は止まった。
「ここなら何とか出られそうね。」
 そこにはゴミ袋を地下のゴミ回収場に一直線に落とすダストシュートの戸があった。
「お姉ちゃん・・まさかっ!」
 音葉がはっとして、麻奈の眼を見る。
「音葉、あなたはここから逃げなさい!ここは私が何とかするから!」
「ダメだよ、お姉ちゃん!お姉ちゃんも一緒に・・」
 音葉が悲痛の声を上げて麻奈の腕を引っ張る。
「このままじゃ、私たちみんな無事じゃすまなくなるわ!」
 音葉の両肩に手を置いて、麻奈が言いとがめる。
 すると厨房の戸から、生物の触手が侵入してきた。
「ここは私が食い止めるから、音葉は生き延びて!ただであなたに手を出させないから!どうか、無事で!」
 そう言って麻奈は、音葉を無理矢理ダストシュートに押し込んだ。
「お姉ちゃぁぁーーーん!!!」
 姉を想う音葉の叫びが、暗い筒の中で響き渡った。

 その頃、武は研究をきりのいいところで中断し、咲乃の誘いを受けて商店街をバイクで移動していた。
 滅多にない彼女からの誘いを断るのは腑に落ちなかったので、久々のゼミ仲間との再会を兼ねてカラオケに行くことにしたのである。
「ここしばらくストレスが溜まってるからな。とことん歌うとするぞ〜!歌えればの話だけど。」
 鬱憤を晴らすつもりの武だったが、自分を嫌っているゼミ仲間が独壇場を許すはずもないとも理解していた。
 そして、近くでバイクを止めてヘルメットを外したそのとき、轟音が地面を揺るがした。
「う、うわっ!な、何だ!?」
 足がおぼつかなくなり、武はその場でふらついた。
 周りもその揺れに立つのもままならない程だった。
 しばらくして揺れが治まり、武は下に向けていた視線を上げた。
 するとその視線の先には、商店街に立ち並ぶ建物に不気味な怪物が取り付いていた。
 その怪物は蜘蛛のような足にカブト虫のような胴体、カマキリのような頭部をしていた。
「あ、あれは・・血石妖虫・・!?」
 武は驚愕の声を上げる。
 惑星ゴルスに生息する血石妖虫が、この地球に姿を現したのだった。
 しかし、武は信じられないでいた。
 血石妖虫は、生息地である惑星ゴルスから滅多に出ることはない。例外があったとしても、かなりの距離があるこの地球まで来るはずがない。
 我流ながら研究で知識を得ている武には、そのことを痛烈に感じていた。
「あれは、カラオケボックスの方角だ!」
 武は焦りながらカラオケボックスに駆け出した。
 そこには、自分を待ちながら咲乃たちが友達とカラオケを楽しんでいるはずであった。
 武は血石妖虫の恐ろしさを知っていた。
 人間の血液を栄養分として、口からの触手についた毒素によって、吸い取った人の体を石のように固く変質させてして絶命させてしまうのである。
 惑星ゴルスには、人間の血液と同じ性質の液体が地中から湧き出ていたので、栄養の補給に困ることはなかった。
「咲乃!みんな!」
 混乱するカラオケボックスでは、すでに血石妖虫の被害を受け石化している人が数人いた。
 人の群れをかき分けて、武はそのカラオケの店員の1人を呼び止める。
「おいっ!須藤は、須藤咲乃ってのがここにいるはずだ!」
 慌てる店員に説明され、武は1階を駆け回り、咲乃がいると思われる部屋にたどり着いた。
 ドアを開けると、そこには灰色の石像へと変わり果てた、かつてのゼミ仲間たちの姿があった。
「み、みんな・・・」
 武がこの光景に絶望に顔を歪める。
 いろいろあった大学のゼミの仲間たちと、まさかこんな形で再会するなんて想像していなかった。
 そのとき、近くで物音が響き、武が警戒してズボンのポケットに手を伸ばす。
 彼は特殊な改造を施した小型のピストルを護身用に常備しており、弾丸も着弾した瞬間に爆発を起こす炸裂弾を使用している。
 音のした部屋に近づき、そっと中を覗き込む。
 するとそこには、棒立ちになっている咲乃がそこにあった。
「咲乃・・?」
 彼女の様子がおかしく、武は彼女の無事を素直に喜ぶことができなかった。
「武・・あたし・・・」
 咲乃が呆然と呟く。
 武は一瞬硬直した。彼女の背後には、不気味な怪物が顔をのぞかせていて、口から伸びる数本の触手が彼女の体に突き刺さっている。
「ああぁぁぁーーー!!!」
 武はわけも分からず咆哮を上げ、取り出したピストルを怪物の頭部目がけて発射した。
 怪物に着弾した弾が爆発を引き起こし、怪物の頭が吹き飛んだ。
「咲乃!」
 武が慌てて咲乃を取り巻く触手を振り払う。
「咲乃!大丈夫か、しっかりしろ!」
 彼女の身を案じて声をかけるが、彼女の体がところどころ変質していることに驚愕し、肩を掴む両手が振るわせた。
「さ、咲乃・・・」
「た・・け・・し・・・あたし・・どうなってる・・の・・・」
 脱力して言葉が途切れ途切れになっている咲乃は、困惑と恐怖のあまり眼から涙をこぼす。
 血石妖虫の触手の毒素にかかった人は石化し絶命する。その毒素の抗体も、石化を防ぐ方法も、今の人類は発見していなかった。惑星ゴルスを深く研究している武でさえ。
「夢なら・・さ・・め・・・て・・・」
 体を震わせながら、咲乃が必死に笑顔を作る。
 悲痛の面持ちの武の眼の前で、彼女は作り笑顔のまま完全に石化し、その命を閉じた。
「咲乃・・?」
 武は目を見開き、灰色の咲乃を見つめた。
「咲乃・・・さくのぉーーー!!!」
 彼女の肩を掴む手を震わせ、武は悲しみの叫びを上げた。
 眼からは大粒の涙を流し、悲痛に顔を歪めている。
 今日交わした1本の電話、それが最後の日常会話になってしまった。
 もっとしっかりした心構えで接していればよかったと、彼は後悔さえ感じていた。
 そんな悲しみに暮れる彼の前に、血石妖虫の頭部が3つ、建物の天井に開いた穴から伸びていた。
 武は咲乃の亡骸から手を離し、悲しみと怒りに震えた手でピストルの引き金を引いた。
「ちっくしょうがあぁぁーーーー!!!」
 喉が潰れるくらいに張り上げた声とともに放たれた弾丸が、怪物を次々と仕留めていった。
 そんなことをしても咲乃たちは帰ってこない。それでもこうせずにはいられなかった。
 怒りに駆られるまま、武はその矛先を血石妖虫に向けた。

つづく


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