作:幻影
漆黒とも思えるほどの暗い部屋。多くの機械が起動しているその部屋の中央には、淡い緑色に光るものがあった。
それは緑の液体の入ったカプセルだった。そしてその中には1人の少女の姿があった。
少女は何の衣服もまとわずに、カプセルの液体の中に漂っていた。流されるように浮かび、眼を閉じて深い眠りについていた。
長い髪は液体の中で広がり揺らめいていた。外見から見て15歳というところか。
その液体の緑の淡い光だけが、この部屋を照らし出していた。
その部屋に1人の青年が入ってきた。黒髪をした彼は、カプセルの中の少女を見つめ、そして近くの機械のキーボードに指を走らせた。
「まさか勝流(まさる)さんまで退けてしまうとは・・・でも結果として、彼女の力を発揮させるいい機会ができた。」
小さく笑みをこぼす青年。機械が通常と違った振動を発し、少女を入れていたカプセルの液体が、下部の数個の小さな穴から流れていく。
「彼女の力は、ランガさえも超える。この乱れた世界を、僕らが変えるんだ。全てはタオの導きのままに。」
微笑をもらす青年の視線の先で、カプセルが開け放たれる。その中の少女が、ゆっくりと眼を開いた。
商店街の連なる下町、武蔵野。そこでは屈託のない日常が繰り広げられていると思われていた。
「おはよう、うしおっち。」
ふわりとした栗色の髪をしたみづきが、赤髪の少女に声をかける。
「おはよう、みづき。」
赤髪の少女が振り向き、元気よく挨拶を交わす。
島原海潮(しまばらうしお)。島原家の次女。
正義感が強く、悪いことが嫌いな15歳の高校1年生である。
この高校に入学してから1ヶ月ほどがたち、新たな学校生活にも慣れ始めてきた。
昇降口に入ると、青髪の少女が手を振って待っていた。海潮たちの同級生、絢(あや)である。
「ねぇねぇ、今日転校生が来るらしいよ。」
「え?転校生?」
絢の言葉に海潮が生返事をする。
「もしかして、うちのクラスに来たりしないかな?」
みづきが期待を込めて言い寄る。
「可能性がないとはいえないわね。」
「でも、私のこと、どう思うのかな・・・?」
笑みをこぼしていたみづきと絢に、海潮が沈痛な面持ちで言いかける。
現在、武蔵野は独立領として日本から隔離されていた。その住人である海潮は、日本領土内では留学生扱いされていた。
「だ、大丈夫だって。心が通い合ってれば、国境なんて関係ない。」
「そうよ、そうよ。転校生、きっといい子だと思うわ。うん。」
みづきと絢が少し慌てた様子で弁解する。海潮は物悲しい笑みを浮かべて小さく頷いた。
ざわつきの治まらない教室。そこへ担任が入ってくると、生徒は皆慌しく自分たちの席に着く。
その様子を見回しながら、担任は教卓に着く。
「さて、みんなもう知ってると思うが、今日このクラスに転校生が加わることになった。」
担任の知らせに教室内が歓喜に湧く。海潮の心にはその喜びと、一抹の不安がよぎっていた。
「きみ、入って。」
担任が呼びかけると、扉がゆっくりと開く。この学校の女子制服に身を包んだ、大人しそうな表情をしている青髪の少女である。
「青葉深潮(あおばみしお)さんだ。みんな、仲良くしてやってくれ。」
「青葉深潮です。よろしくお願いします。」
深潮は自己紹介をし、一礼する。生徒たちが拍手で彼女を迎える。
「では青葉さん、その列の後ろの席に。」
担任に言われ、深潮は海潮の1つ後ろの席に座った。
「あなたが島原海潮さんね。よろしく。」
「えっ?・・う、うん、よろしく。」
笑みを見せて声をかけてきた深潮に、海潮は曖昧な返事をする。
これが、悪夢のような日々の始まりだった。
島原魅波(しまばらみなみ)。
島原家の長女である彼女は、家の家計を必死に支えていた。主な仕事は赤字芸能プロの社長であるが、朝は新聞配達、夜はウォーターフロントでも働いている。
その日も、芸能の仕事に力を注いでいた魅波。
「はあい。頑張ってるようねぇ。」
そこへ1人の女性が仕事場に入ってきた。魅波と同じ茶色がかった色の髪を、リボンで結んでポニーテールにしている。
大森茗(おおもりめい)。ニイタカテレビのプロデューサーである。仕事上、魅波とは一緒になることが多い。
からかわれるように声をかけられ、整理に水を差された魅波が不機嫌そうに視線を移す。
「アンタは私に協力を求めに来たの?それとも私の邪魔をしに来たの?」
「まぁまぁ、そんなにカリカリしない・・」
睨んでくる魅波に、茗は苦笑してなだめる。
「実はアンタに紹介したい子がいるのよ。」
「紹介したい子?」
魅波が眉をひそめると、茗は扉に向かって手招きをする。すると黒髪の青年が部屋に入ってきた。
「あ、あなた・・!」
青年の顔を見て、魅波は驚き立ち上がった。
「お久しぶりです、魅波先輩。」
青年は笑顔を見せて一礼する。
「ご存知だけど一応紹介しとくわね。彼は鹿島英次(かしまえいじ)。カメラを担当する新人よ。」
「驚いたわ。まさか鹿島くんがテレビ局に勤めるようになるなんてねぇ。」
英次の登場に魅波は感心の声を上げる。
英次は魅波の中学の後輩である。努力家であったがいつも失敗がかさみ、魅波はいつも呆れていた。
ところが魅波の卒業間際になって、英次は父親の仕事の都合で引越ししてしまった。詳しい連絡先を聞いていなかったため、魅波はそれ以来彼と連絡を取っていなかった。
「僕も驚きましたよ。まさか魅波先輩と大森さんが親しい間柄だと聞いたときには。」
「英次くん、そういうのは腐れ縁というものよ。」
英次の優しい言葉を、魅波が微笑みながらあしらう。茗はただ苦笑を浮かべるしかなかった。
「それにしても、魅波先輩にまた会えてよかったです。勝流さんは元気ですか?あの人にもいろいろ世話と迷惑をかけてしまいましたから。」
苦笑いしながら喜びに湧く英次。しかし魅波が沈痛な面持ちになったことに気付く。
「どうかしたんですか?・・・まさか、勝流さん・・・!?」
英次の顔から笑みが消える。
「勝流さん、1度は帰ってきたんだけど・・・また出て行っちゃったの・・・もう、2度と帰ってこない世界へ・・・」
魅波の悲しみは深かった。兄である勝流に対する悲しみが再びこみ上げてきた。
茗も英次も彼女の表情からその気持ちを察していた。
「本当に・・お気の毒なことです・・・」
「ううん、ゴメンね。いろいろ気を遣わせちゃって・・これから改めてよろしくね、英次くん。」
「いえ、こちらこそ・・」
互いに笑顔を取り繕う魅波と英次。先輩と後輩の物語が再び始まった。
島原夕姫。島原家の三女。中学生でありながら、少し大人びて見られていた。
この日も夕姫は1人帰路に着いていた。性格上、彼女に声をかけようとする生徒はなかなかいなかった。
彼女は世間に対して反感を抱いていた。政治、流行、行事といった様々なことに対して拒絶していた。
クリスマスが近づくと、周囲に敵意を示すことも少なくなる。
しかし彼女は今、その考えが次第に揺らいでいることに感づいていた。自分に心を寄せていた人がいたが、その人と自分の求めていたものは違った。彼はそれから重傷を負い、今でも入院生活を続けている。
(今日もお見舞いに行ってみるか。)
そんなことを考えて、夕姫は帰路を外れ、病院を目指した。
いつもは家に向かっている曲がり角をそのまま直進し、突き当りのT字路で左折する。そのとき、
「うわっ!」
何かが夕姫にぶつかってきた。しりもちをついた彼女が、眼前に視線を向ける。
犬か何かだと思ったそれは、人間の少年だった。少年も頭を抱えて痛がっていた。
「イタタタ・・あぶねぇじゃねぇか!ちゃんと前見て歩けってんだ!」
少年のこの言葉に夕姫の眉がつり上がった。彼女のげんこつが少年の頭に叩き込まれた。
「イタッ!何すんだ、いきなり!?」
「それはこっちのセリフよ?それにぶつかってきておいてその態度は何よ?」
さらに痛がる少年と不機嫌になる夕姫。少年に視線を巡らせる夕姫がふと呟く。
「それにしても小さいわね。アンタ、いくつ?」
夕姫のこの一言に、今度は少年の眉がつり上がった。
「誰が気付かないくらいにドチビだぁ!?」
叫ぶ少年が突っかかってくるが、夕姫はため息をつきながら彼の頭を押さえて止める。
「そこまで言ってないでしょ?」
むきになる少年の言動に呆れる夕姫。少年は押さえられながらも、腕をジタバタさせて必死に抵抗していた。
その直後、少年は思い出したような声を上げる。
「あっ!お前、この独立領の王様!」
少年が大声を上げて、夕姫を指差す。夕姫は少しムッとなるが、少年の話に耳を傾けることにする。
「お前の・・・お前のアニキたちのせいで・・オレの父さんは・・!」
再び憤慨する少年。しかし先程の怒り方とは違っていた。恨みと悲しみのこもった苛立ちだった。
彼の話と感情を受けて、夕姫はため息をついた。
「確かに勝流お兄さんはいい人とはいえないわね。でも、どういうことかしら?」
夕姫の問いかけに、少年の憤慨が一瞬和らぐ。
「まず、アンタの名前は?」
「・・和真、藤崎和真(ふじさきかずま)。オレの父さんは・・クーデター部隊の隊長だった人だよ。」
かつて独立領の解放のためにクーデター部隊として多数の軍人が行動を起こしたことがある。といっても、独立領に反発していた組織、“虚神会”の指示を受けていた。
しかし、キュリオテスと名乗る人々の企みによって、虚神会は全滅。クーデター部隊もその罪を着せられて、キュリオテスの操る“バンガ”という巨大物体によって全滅させられている。
島原3姉妹の兄、勝流もキュリオテスとなっていた。その考えの違いから、勝流は3姉妹と対立。結果、彼は昇天した。
それ以後も、武蔵野は独立を保っていた。
「確かにキュリオテスは、クーデター部隊を罠にかけ、滅ぼした。でもこちらからは、残念というしかないわね。」
「何だとっ!?」
ため息混じりにいう夕姫の言葉に、和真が苛立つ。しかし夕姫は顔色を変えずに、
「でも結局は、あいつらの思惑に振り回されてただけでしょ?アンタの父さんも、最後にはそのことを悔いたはずよ。」
真剣な眼差しで怒る和真を見つめる夕姫。
(そして、あの人も・・・)
夕姫は自分を思ってくれていた人のことを思い出し、沈痛の面持ちになる。彼は彼女のために全てを捧げてきた。しかし彼女と彼の考えは食い違っていた。
そのまま無言で歩き出していく。その彼が入院している病院を目指して。
「お、おいっ!どこへ行くんだ!?」
和真は慌しく、夕姫の後を追いかけた。
とある大きな病院。そこは最良の設備と管理の整った大病棟である。
その一棟の廊下を夕姫は進んでいた。彼女の後を追いかけてきた和真も、その廊下を駆けていた。
「病院では走らないで。」
女性看護士が注意をするが、和真は気にも留めなかった。
しばらく廊下を進み、1つの部屋の前で止まる夕姫。閉じていたドアをノックし、ゆっくりと開ける。
「あ、夕姫ちゃん、こんにちは。」
病室にいたナースが挨拶をしてくる。夕姫は小さくお辞儀をした。
ナースの奥のベットには、1人の青年が横たわっていた。顔にまで包帯を巻かれた姿は痛々しく感じられた。
「体の傷はもう少しで治って、包帯も取れるんだけど・・まだ心の傷のほうが・・・」
悲しい顔をするナースの説明に、夕姫も沈痛の面持ちになる。
ベットで安静にしている青年の名は、藤原和王(ふじわらかずお)。夕姫の小学校の臨時教諭であり、勝流の後輩でもある。
彼は虚神会の中枢的存在であったが、会の全滅の際に瀕死の重傷を負ってしまい、この病院での生活を余儀なくされた。
夕姫は哀れみの気持ちを秘めて、そんな彼の見舞いに訪れていた。
「こいつは・・・虚神会員・・・!?」
和真も彼のことは知っていた。驚愕しながら彼を、夕姫を見つめる。
「この人も、アンタの父さんと同じ被害者なのよ。私のお兄さんたちに利用されて、ショックを受けてるのよ。」
夕姫がまっすぐな気持ちで、和真の顔を見つめる。和真は動揺して、返す言葉が出なかった。
「誰もまだ、“楽園”にはたどり着いてはいない。私でさえも・・」
夕姫のもらした悲痛の呟き。父親を亡くした和真は、彼女の気持ちがなんとなく分かった気がしていた。
ほの暗い地下の研究室。かすかな明かりに照らされた机で、1人の青年が作業をしていた。
パソコンのキーボードを軽々と叩きながら、情報の整理を進めていく。彼の笑みが次第に強まっていく。
キーボードを叩く音しかしない静かなこの部屋に、突然足音が響きだした。青年は作業を中断し、その足音が近づいてくるほうへと振り向く。
「やぁ。学校はどうだった?」
青年が笑顔で声をかける。部屋に入ってきた1人の少女に向かって。
「うん。楽しかったよ。」
少女も満面の笑顔で答える。その返事に青年は頷いた。
「それで、彼女には会えたかい?バロウの王様、島原海潮さんに。」
「うん。けっこうな正義感を持ってるみたいだよ。明日も楽しみ。」
「でも、もっと楽しいことが起きるから。そのためにも、今は少し休んでおいたほうがいいよ。」
「うん、分かったわ。」
少女は頷いて、そのまま部屋を飛び出した。その姿を見送る青年。
「さて、そろそろ上の方々から誘いが来る頃だね。彼女の力を是非、彼らの眼で直接見てもらいたいものだ。」
期待を胸に秘めて、青年は再びパソコンに顔を向けた。彼に向けての呼び出しの電話がかかってきたのは、それから数分後のことだった。