作:幻影
その夜、ハルカは章の家を訪れていた。
愛の抱擁をするのが目的なのだが、ハルカはもうひとつ、話題にしたいことがあった。美女行方不明事件についてである。
「オレもニュースでよく聞いてるよ。美女ばかりが姿を消してるんだって?」
「うん。それで、章はどう思う?」
「そうだなぁ・・オレもくるみちゃんと同じで、誰かが連れ去ってるんじゃないかな?警察もその方向で調べる意思が強くなってるみたいだし。」
ハルカに対して推理をしてみせる章。
衣服を脱ぎ捨て、裸でベットに入り込んでいる2人。
「心配するなよ。ハルカはオレが守って見せるから。って、ちょっとかっこつけすぎかな?」
苦笑する章にハルカが笑みをこぼす。
「じゃ、かっこつけすぎたお詫びとして、今夜は私が章を攻めちゃいます。」
「おいおい、あんまりきつくしないでくれよ。」
互いに笑みを向け合う2人。ハルカが章の頭に手を回し、優しく撫でる。
そして一気に自分の胸の谷間に頭を押し付ける。
「うぉっ!」
「今夜の章は、私のものだからね。」
ハルカと章の抱擁が始まった。
ハルカの胸にうずもれる章。彼のもらす吐息が、ハルカに刺激をもたらしていく。
「そうよ、章。もっとやって・・・」
章の息吹に快感を覚えるハルカ。彼女の抱擁を受けて、章も同様の快楽を感じていた。
このみなぎる力と愛は、互いが望めば叶わないことはない。
しかしその当たり前のことが、簡単に崩れ去ってしまうとは、誰も思ってはいなかった。
影の少女に連れ去られたポニーテールの少女。彼女は薄暗い部屋で棒立ちのまま動こうとしなかった。
いや、動かないのではない。動けないのである。
彼女の体は白い石になって蒸気を発し、衣服もボロボロになって、殻のように剥がれ落ち、ポニーテールをかたどっていた髪もだらりと下がっていた。。
石になりかかっている彼女は、体に力を入れることができなくなっていた。その場に立ち尽くしたまま、裸の石像になるのを待つしかなかった。
(どう?体にかかっていたものがみんな外れていい気分でしょ?)
虚ろな表情をしている少女を見つめていた1人の人物が微笑をもらす。彼女を連れ去った影の少女である。
漆黒の闇とも思える黒装束に身を包んだ影の少女は、石化していく少女に近づいた。そしてまだ人のぬくもりが残っている少女の胸に手を当てた。
「あ・・・ぁぁぁ・・・」
「そう、感じるのよ。人間と石の狭間で体感できるこの感触。やわらかく撫でられていても、ホントの石になったように動けない。」
何の抵抗のできない少女に、妖しい笑みを浮かべる影の少女。石の殻となった衣服が全て剥がれ落ちた。
「さぁ、受け入れなさい。あなたはもう私のもの。このまま私のコレクションとして、一生をこの快楽の中ですごすのよ。」
意識がもうろうとなっている少女を、影の少女は抱き寄せた。
「石になっても意識も感覚も残るから、十分実感できるわよ。」
石化の快楽に身を沈めていく少女に満面の笑みを見せる影の少女。
「終わることのない快楽を、ね。」
やがて体の質が人であることを失い、ポニーテールの少女はその髪をたらしたまま、一糸まとわぬ白い石像となった。
しばらく抱擁をしてから、影の少女はその石の体から離れた。
「これでまた1人、女の子が私のものになった。これを続けていれば、必ず振り向いてくれる。必ず・・」
影の少女が微笑をもらす。彼女の周囲には、部屋を満たすほどに、女性の石像が並べられていた。いずれも一糸まとわぬ姿で、腕をだらりと下げて立ち尽くしていた。
暗闇が満たすこの部屋で、影の少女の目論見が着々と進められていた。
翌日、ハルカと章は街路樹の並んでいる道を歩いていた。
一夜をすごした彼女たちは、それぞれ大学とバイトに向かおうとしていて、途中まで道が同じなため、2人はこの道を一緒に歩いていた。
「いくらなんでも、真昼間から人をさらいに来る人なんていないよ。」
ハルカがからかうように章にいうと、章は苦笑を浮かべた。
「そんなヤツがいたなら、その顔を見てみたいものだな。」
屈託も他愛もない会話で、笑みをこぼすハルカと章。
そして大学とバイト先の分岐点のT字路に差しかかり、2人は足を止めた。
「じゃ、オレはあっちだから、ここでお別れだな。」
「そうね。」
「くるみちゃんに、ちゃんとおとなしくするように言っておくんだぞ。彼女、正義感強いから、あの事件に首を突っ込んでくるぞ。」
「もう言っておいたわ。」
「そうか・・」
2人は小さく笑みを浮かべ、手を振って別れた。
「さて、今日も1日、がんばるといたしますか。」
大きく背伸びをしながら、ハルカは大学へと向かっていった。
この日の大学での授業を終え、ハルカとくるみは食堂で小休止をとっていた。空いている席に座り、ジュースを口にしていた。
「今日はホントにいい日ね。ハルカには昼ごはんおごってもらって、授業1つ休みだったし。」
くるみが満面の笑みを浮かべると、ハルカはひとつため息をついて見せた。
「でも、こうも幸運が続くと、後のほうになって不幸が来るかもね。」
「ちょっと、冗談でもそういうこと言わないでよ。せっかくのラッキーが逃げちゃうじゃない。」
ふくれっ面になるくるみと、苦笑するハルカ。幸運ほど嬉しいものはないのは、ハルカも同じだった。
「ここにいたのね、くるみ。」
「あ、七瀬。」
そこへハルカとくるみと同じゼミの、富樫七瀬(とがしななせ)が声をかけてきた。幼さの残るような体格で、茶髪をツインテールにしていた。
「くるみ、今日は一緒にレポート仕上げちゃおうって言ったじゃない。」
「あ、ゴメン!忘れてた!」
くるみが驚きの声を上げると、七瀬は頭に手を当てて呆れる。
「まぁいいわ。ひとつのことに夢中になると、他のことをみんな忘れちゃうっていうのは、私にもハルカにも分かってるんだけどね。」
七瀬が笑みを作るとハルカも笑みをこぼし、くるみはさらに不機嫌そうに振舞ってみせる。
「それじゃ、くるみをちょっと借りてくね、ハルカ。」
七瀬がくるみの腕をつかみながらハルカに語りかける。ハルカも頷いて椅子から立ち上がる。
「じゃ、わたし先に帰るね。」
「うん、今日はホントにごちそうさんね、ハルカ。じゃあね。」
互いに手を振り、くるみは七瀬と一緒に別教室に、ハルカは寮に向かって歩き出した。
これが、悲劇の拍車の始まりだった。
「ふう・・何とか今日中には終わったね。」
レポートを書き終え、大学から出てきたくるみと七瀬。安堵の吐息をついて大きく背伸びをする。
既に日は落ちて暗くなり、街灯が道を照らしていた。
「でも、すっかり遅くなっちゃったね。ご飯どうしよう・・・?」
「そうだ、七瀬。駅前のレストランで食べよう。そうすれば食べ終わってすぐに電車乗れるでしょ、アンタは。」
くるみの出した提案に七瀬も同意する。七瀬はハルカやくるみと違って、自宅からの通学である。彼女のことを考え、くるみは案を出したのである。
「最近は24時間営業が多くなってきたから助かるわね。」
「でも急がないと、満員で入れなくなるよ。」
2人は頷いて、慌てて駅に向かって駆け出した。
覚えている道順を辿り、暗い街道を進んでいく。そして駅前に出ようというところまで来ていた。
「えっ・・?」
2人はふと足を止めた。彼女たちの周囲に、突如黒い霧のようなものが立ち込めてきていた。
「ちょっと・・いったい、何が・・・!?」
くるみと七瀬の中に不安がよぎる。霧は夜の闇をさらに暗く塗りつぶしていき、街灯の明かりさえもさえぎってしまった。
「おかしいわね。こんな街中に霧が発生するなんて・・・」
周囲を漂う霧を警戒しながら身構えるくるみ。この霧に紛れて誰かが襲ってくることも考えられたからだ。
七瀬は怖さを隠し切れず、困惑した面持ちでくるみだけを見つめている。
そして人の気配を感じ、くるみは振り返った。
「く、くるみ・・?」
動揺したまま七瀬が小さく声をかけてくるが、くるみは彼女の声をあえて無視し、気配に意識を向ける。
くるみが眼を凝らすと、漂う黒い霧の中から、ひとつの人影が出現した。黒い衣服に黒い長髪。全身黒ずくめの影の少女だった。
影の少女はくるみと七瀬を見つめて、微笑をもらしていた。その様子にくるみは眉をひそめた。
(何なの、この人・・・全身全くの黒・・・)
妖しい笑みを見せる影の少女に、くるみが息をのんだ。
(まさか・・美女をさらっている犯人じゃ・・!?)
くるみが眼を見開いた直後、影の少女が微笑をやめて声をかけてきた。
「今夜も、かわいい子を見つけられたわね。」
影の少女の言葉に、くるみと七瀬にさらなる緊張が走る。
「しかも、今回は1度に2人も見つけるなんて。」
「な・・何なのよ、アンタは・・!?」
不安を押し殺して、くるみが影の少女に声をかける。
「ここで聞かなくても、あなたたちは知ることになるわ。」
「えっ!?」
「だから私と一緒に来てもらうわよ。」
くるみと七瀬に右手を差し伸べる。その手招きにくるみたちは追い詰められていた。
その日のバイトを終えていた章は自宅のベットで横になっていた。
時折彼は横たわって物思いにふけることがある。
思い出したように、章は机の引き出しを開けて、1枚の写真を取り出した。
その写真には、昔の頃の章と、長い黒髪を風になびかせていた少女が写っていた。2人とも笑顔を見せて写真に写っていた。
章はその写真の少女を見つめ、思いつめた表情になる。
「忘れようと思っても忘れられない。悲しいな・・・」
そしてふと物悲しい笑みを浮かべる。
「いや、忘れようとするから、余計に心に残ってしまうのかもしれないな・・」
そう呟きながらも、章は再び引き出しに写真をしまった。そして何か飲み物を取るため、冷蔵庫に向かった。
写真に写った黒髪の少女。彼女は章のかつての恋人だった。
影の少女から逃げ延びようと、夜の街道を駆け抜けていくくるみと七瀬。影の少女が女性たちを連れ去っている犯人であることは確信となった。
しかし周囲は黒い霧に覆われて、視界が悪くなっていた。従って迂闊に直進するわけにはいかず、くるみたちの足取りはおぼつかなくなっていた。
やがて人のあまり通らない街外れの広場にたどり着いた。だがそこも霧に包まれていた。
「どうなってるの・・・この辺りは霧が出るような場所じゃないのに・・・」
困惑を抑えて思考を巡らせるくるみ。七瀬は恐怖のあまりに取り乱し、言葉が出なくなっていた。
「とにかく、人のいる場所に出ないと。このままじゃ、いつまたアイツが出てくるか分からないし。」
「おいかけっこはおしまいかな?」
くるみのもらした独り言に答える声があった。くるみが驚愕して、恐る恐る振り返る。
そこには妖しい微笑を浮かべている影の少女が、再び霧に紛れて姿を現していた。くるみと七瀬の表情が凍りつく。
影の少女はゆっくりと歩を進めて、くるみたちに近づいていく。
「じゃ、そろそろ来てもらおうかしら。」
さらに微笑をもらす影の少女。
くるみはふと七瀬に視線を向けた。彼女は怯えて自力ではどうしようもない状態だった。
「七瀬、しっかりして!」
くるみの語気の強い声に、七瀬は我に返った。
「くるみ・・・」
「七瀬、私が何とかアイツを足止めするから、その間にアンタは逃げて!」
「でも、それじゃくるみが・・」
「いいから早く!」
七瀬に言い放ち、くるみは影の少女に向かって飛び出した。空手をベースにした彼女の格闘術なら足止めできると思っていた。
くるみが威嚇のつもりで右足を高く蹴り上げた。影の少女はそれを悠然とかわす。
さらにくるみは拳や突きを繰り出していくが、影の少女の流れるような動きにことごとくかわされていく。
ひとまず間合いを取ったくるみが、七瀬に視線を向ける。七瀬は何とか立ち上がって、この場から逃げ出そうとしていた。
それを確認したくるみは、胸中で微笑んだ。そして七瀬を逃がすために、再び影の少女にとびかかった。
七瀬もくるみの動きを見ていた。そして影の少女の注意がくるみに向くのを見計らって、霧の漂う広場を駆け出した。
「えっ!?」
そのとき、何かが七瀬の足に巻きついた。足をとられた七瀬が前のめりに倒れる。
「キャッ!」
倒れた七瀬が自分の足に視線を移す。すると足に黒い紐のようなものが巻きついていた。
辿ってみると、それは影の少女の髪だった。黒髪が伸びて、七瀬を捕らえていたのである。
「七瀬!」
その様子を眼に留めたくるみが思わず叫ぶ。彼女の注意が七瀬に向いたそのとき、
「うわっ!」
影の少女に腕をつかまれたくるみ。そして引き寄せられ、そのまま影の少女に抱きしめられる。
「ついに捕まえたわよ、おてんばちゃん。」
「ぐっ!し、しまった・・・!」
力強く抱きしめられ、振りほどくこともできないくるみがうめく。
「これであなたたちは私のものよ。」
「ふざけないで!」
くるみは叫びながら頭を突き出した。彼女の頭突きが影の少女の額に叩きつけられた。
「くっ・・!」
笑みを浮かべていた影の少女の表情が痛みに歪む。彼女の額から紅い血がにじむ。
「私はアンタなんかのものにならないわ!そして七瀬も!」
言い放つくるみ。たとえ危機的状況に陥ろうと、決して諦めないのが彼女である。
余裕に満ちていた影の少女の顔が苛立ちに歪む。
「なかなかの反抗ね。感心してしまうわ。でも、私の顔に傷をつけるのは、いただけないわね。」
影の少女がさらに力を込める。くるみはその痛みよりも、影の少女から伝わってくる威圧感に動揺を見せている。
「あなたはここでお仕置きを受けないとね。」
「な、何を・・!?」
くるみが疑問の声を上げた瞬間、影の少女の腕からまばゆい光が発せられた。くるみはその光に巻き込まれた。