おもかげ〜Love is heart〜 vol.5.「闇への誘い」

作:幻影


 千影の自宅は大学の寮からそれほど離れてはいなかった。ハルカに案内されて、章は彼女の自宅へとやってきた。
「へぇ、オレと同じ1人暮らし・・」
 ハルカの話を聞いた章が頷く。
 彼女の先輩、千影はもっとも信頼できると章は聞かされていた。その信頼度はハルカはもちろん、他の生徒からも厚かった。
 家のインターホンを押すハルカ。呼び出し音が鳴り響く。
 しかし出てこない。
 もう1度押してみるが、それでも出てこない。
「あれ?変だな。もう家にいてもいいはずなんだけど。急用ができたのかな?」
 勉強熱心でもある千影は、大きな休み以外は滅多にバイトをやらない。授業が終わればすぐに家に帰ってくるのがほとんどである。
「仕方がない。出直してくるしかないな。」
「うん、そうだね。」
 肩を落として、ハルカは振り返る。
「あら?ハルカさんじゃない?」
 そのとき、千影が笑みを浮かべて帰ってきた。
「あ、千影さん!」
 ハルカも笑みを見せて返す。
「どうしたの、こんなところで?私に何か用?」
「うん、ちょっと・・」
 ハルカの顔から笑みが消える。彼女の深刻な様子に、千影も真剣に話を聞こうとする。
 しかし章は戸惑った様子だった。その様子に千影は気付いた。
「どうしたのですか?何かそわそわして・・」
「章、どうしたの?」
「え?・・あ、いや、何でもないです。」
 ハルカと千影に心配され、章が弁解する。
「ちょっと・・昔、オレが付き合っていた彼女に似てたものだから・・」
「え?」
 章の照れ隠しに言った言葉に、ハルカは疑問を抱いた。
 かつて自分が死に追いやった女性と、眼の前にいる千影があまりにも酷似していると章は感じ取っていた。
「そ、そんなはずないですよね・・だってアイツは・・」
 章はこれ以上言わなかった。言えなかった。
「そう・・そうですか・・」
 千影も彼の心境を悟って、悲しい笑みを返した。
「失礼しました。オレは、東雲章、よろしく。」
「よろしく。私は真野千影。」
「不思議です。彼女と同じ名前ですよ。」
「それはいい偶然ね。」
 笑みを作り、握手を交わす章と千影。協力者の存在に、ハルカも笑みをこぼしていた。
「こんなところで立ち話もなんだから、家に上がって。あまりいい歓迎はできないけど。」
「そ、そんなとんでもない。お邪魔します。」
 ハルカは一礼して、千影に続いて家に入った。章も彼女たちに続いた。

「はい、どうぞ。」
 千影に促されて、リビングの椅子に腰かけるハルカと章。千影が麦茶の入ったコップを2人に運んできた。
「いえ、すいません。」
 照れ笑いするハルカ。千影も空いている椅子に座る。
「それで、いったい何があったの?まさか、私に結婚話でも持ってきたのかな?」
「そ、そんな・・!」
 からかうつもりで言った千影の言葉で、ハルカが赤面して慌てて弁解しようとする。千影、そして章が苦笑を浮かべる。
「実は、そんな明るい話じゃないんです。」
 ハルカは笑みを消して、真剣な眼差しで千影に話を持ちかける。
「驚かないでください。実はくるみが・・・石にされちゃったんです・・」
「え?石に?」
 突拍子もなく、千影が気の抜けた返事をする。ハルカの言ったことが理解できなかったのだ。
「実は昨日、くるみと七瀬が、レポートを終えて帰る途中、あの美女行方不明事件に巻き込まれたんです。」
「え!?その事件に!?」
「はい。それは美女を連れ去っているもので、くるみと七瀬もその犯人と会ったんです。それで、くるみが七瀬を逃がそうとしたんだけど、くるみも七瀬も捕まって・・」
「あ、あのくるみさんが!?」
「くるみも必死に抵抗したんです。けど傷つけられた犯人によって、くるみは石にされて、駅の近くの広場に放ってかれたんです。」
「石・・・」
「それで、帰ってこないことに心配して、探し回ってた私たちが、石像になったくるみを見つけたの。それで、章さんの家に運んだの。」
「それで、七瀬さんは?」
「分からない。多分、別の場所で石にされてると思う。」
 ハルカはふと章に視線を移す。そして話を続けた。
「それで、その犯人を何とかすれば、くるみたちを助けられると思って、私たち、これからその犯人を捜そうと思ってるんです。」
「なるほど・・分かったわ。私もできる限りのことはするわ。」
「ホントですか、千影さん!?」
「ええ、もちろんよ。」
「やったぁ!さすが千影さんね!」
 千影の笑顔の頷きに、ハルカが大喜びする。
「でも、どうやってそんなことを知ったの?誰か目撃者がいるの?」
 千影のその問いかけに、ハルカと章が戸惑いを見せる。
「石にされた人に触れると、その人の心が読めるみたいなんです。くるみの石の体に触れたら、くるみの声が聞こえてきたの。」
「そう・・それでいろいろ話を聞いたのね。とにかく、くるみさんにも話を聞かないとね。」
 千影は椅子から立ち上がり、ハルカも頷いて席を立つ。しかし出て行こうとする2人を、章は手で制した。
「もうすぐ日が暮れます。犯人は夜に現れるんでしょ?だったらオレだけで外に出たほうがいい。千影さんたちはここで待っててください。」
 そういって章は部屋を出て行った。結果、千影とハルカの2人だけが部屋に取り残されることになった。
「今夜は泊まっていく、ハルカさん?」
「え・・あ、はい。お手数おかけします。」
 照れ笑いを浮かべて、ハルカは笑みを向ける千影の言葉に甘えることにした。

 犯人と思える女性を探すと言っておきながら、章は困惑していた。
 かつて付き合っていた女性。名前はハルカの先輩と同じ千影だった。しかも同じ面影を感じていた。
 これは偶然なのか。それとも同一人物と考えていいのか。
 章は心の迷いを拭い去ることができなかった。
「ただの・・・偶然だよな・・・」
 そう割り切るしかなかった。そうしないと迷いに自分が押しつぶされると感じていたからだ。
 最悪の事態にならないことを、章は切実に願っていた。

 章に対して、ハルカは不安になっていた。犯人と接触して、危険にさらされるのではないかと心配していた。
 いや、不安になっていたのは、もっと別のことだったのかもしれない。
 章は昔付き合っていた女性にとらわれていた。今はハルカよりも、その女性に対する想いが強くなっていた。
 忘れてほしいとは思っていない。でも自分のほうを想っていてほしい。
 ハルカは一途に、章のことを想っていた。
「どうしたの、ハルカさん?」
 沈痛な面持ちになっているハルカに、千影が声をかけてきた。
「千影さん・・・」
「章さんのことが気になってるのね。」
 小さく笑みを見せて、ハルカの肩に手をかける千影。しかしハルカは赤面せず、うつむいたままだった。
「でも章さん、その彼女にばかり気が向いているようね、今は。」
 千影はそのまま背後からハルカを優しく抱きしめる。そして微笑みながら続けて語りかける。
「ハルカさんよりも、今はその彼女のことを想っている。あまりそういう状態が続くようなら、別れたほうがいいのかもしれない・・」
「別れる・・・?」
 千影の言葉は、ハルカを混乱させた。呆然となって動けずにいた。
「確かに、そんな状態でも、信じ続けるという考えもできる。でもそれには、その信頼を裏切られる危険も伴うのよ。」
「千影さん・・・わたし・・・」
「あなたには傷ついてほしくない。私はそう思ってるの。多分、くるみさんも七瀬さんも同じ気持ちのはずよ。」
 千影の言葉が、ハルカの揺らぐ心に突き刺さる。
 千影はハルカにとって、もっとも信頼できる先輩である。彼女の思いを踏みにじるマネはハルカにはできなかった。
 しかし、ハルカには章を諦めることはできなかった。たとえ千影の言葉でも、それを素直に受け止められるはずがなかった。
 ハルカの心はさらに揺らいだ。どうしたらいいのか分からなくなるほどに。
「できれば、このことはハルカさんに決めるのがいいんだけど。あなたたち2人の問題だからね。」
 抱きしめる腕をほどき、千影はハルカの両肩に両手を乗せる。
「これが青春ってものよ。好きにすればいいわ。」
「千影さん・・・」
「さっ!まずあなたが元気にならないと、章さんも笑顔で帰ってこれないわよ。」
 千影は笑顔を取り戻したハルカの肩を叩き、彼女に勇気を与える。
「ありがとう、千影さん。」
「ところで、くるみさんは石にされた後、あの広場に置き去りにされたんでしょ?」
「え、あ、はい。」
「確か、あの夜は短い時間だったけど強い雨が降ったんでしょ?」
「はい。くるみもいろいろ大変だったみたいで。でも私、くるみの体を拭いてあげたんです。石になったくるみは、自分で動くことができませんから。」
 苦笑するハルカ。千影も微笑を返す。
 石化されたくるみは、自力で行動することさえできなくなってしまった。そんな彼女を、ハルカは章の家で介抱していた。
 そしてくるみも、ハルカと章の無事を願っている。その気持ちを理解したいとハルカ自身も思っていた。
「それにしても、本当に大変だったわね。誰もいない広場だったとはいえ、裸で外に放り出されるなんてね。」
「そうですよね、まった・・・えっ・・・!?」
 ハルカの笑みが凍りつく。千影の言葉に疑念を抱いた。
「どうして・・・そのことを・・・!?」
「え?」
「どうして、くるみが裸だって知ってるんですか・・!?」
 千影を見つめるハルカの眼が震える。
「くるみが石にされたとき、着ていた服はみんな破かれてました。でもそれは、私と章以外誰もしらないはずです。」
 ハルカの困惑した言動に、千影は無言になる。ハルカは椅子から立ち上がり、覚悟を決めて問いつめた。
「どういうことなんですか?千影さん、あなた・・・!?」
 ハルカが数歩後ずさりすると、温厚で優しい千影が、普段見せないような笑みを浮かべた。
「ちょっと口をすべらせてしまったようね。口は災いの元とはよく言うわね。」
 妖しい笑みを浮かべる千影に、ハルカが動揺を見せる。
「まぁ、いつかは知られてしまうとは思っていたし、丁度いいきっかけだったのかもしれないわね。」
 肩の辺りまでしかなかった千影の黒髪がうごめき、伸び始める。床にまで伸びて、影を思わせるほどに。
「くるみさんたちがこの姿を見たら、必ずこういうわね。あのとき見た影の少女だって。」
 全身の半分ほどをひしめく長い黒髪。まさに影の少女を思わせていた。
「まさか、千影さんが・・・!?」
 ハルカが困惑の中、千影の問いかける。
「ウフフフ・・そうよ。私が七瀬さんやみんなをさらい、くるみさんを石にしてあの場に置いてった誘拐犯よ。」
 微笑をもらす千影。ハルカの困惑がさらに深まる。
「そんな・・・千影さんが、くるみやみんなを・・・!?」
「ちなみに、七瀬さんはもうオブジェに変えたわよ。いい感じのきれいさと反応だったわ。」
「は、反応・・!?」
「私の石化は、質的に人から石に変わるものよ。石になったみたいに体を動かせないけど、肌のぬくもりややわらかさは残っているのよ。」
 きびすを返し、ハルカに背中を向ける千影。長い髪が大きくたなびく。
「あの子も私に触れられて、いい気分になってたわ。あの反応が何よりの証拠。ずい分と感じちゃってたわ。」
 七瀬との快楽を思い返す千影。
(違う・・・こんなの・・千影さんじゃない・・・)
 ハルカの困惑は混乱へと近づいていた。
 眼の前にいるのは千影ではない。いつも優しく接してくれた千影ではない。
 ハルカはそう思えてならなかった。これが現実であってほしくなかった。
「千影さんは・・くるみたちにあんなことする人じゃないよ!」
「あれは日常を演じているだけの話よ。これが本当の私なのよ。」
 千影の足元から黒い霧が吹き出してきた。霧はハルカたちのいるリビング内を取り込み、漆黒の闇へと誘っていく。
「これは・・・!?」
「ここは私の世界。闇に包まれた、私の愛を証明する場所よ。」
 千影が両手を広げると、闇の一部が晴れていく。そこには、一糸まとわぬ姿の女性たちが棒立ちで並んでいた。
「これが私が女性たちを連れ去ってきた理由。でも本当の理由はもっと奥に秘められてるのよ。」
「おく・・?」
「章を私だけのものにするためよ。」
「章!?まさか、ホントに・・・」
 ハルカが激しく困惑して、さらに後ずさりする。千影の顔から笑みが消える。
「そう。あなたの知っている千影と、章が昔付き合っていた女性、千影は、どちらもこの私なのよ。」
 千影の言葉にハルカが眼を見開く。
 章が付き合っていた女性は、崖から落ちたとは聞いていた。おそらく助からないということも。
 その彼女が、ハルカの通う大学に紛れていたのである。
「まさかあなたが付き合っていた彼氏が、あの章だったなんてね。平静を装うのに苦労したわ。」
「千影さん!」
「見なさい。七瀬さんはここよ。」
 千影が指し示したほうにハルカが視線を移す。そこには、裸のまま白く固まった七瀬が虚ろな表情で立ち尽くしていた。
「七瀬!?」
 ハルカが変わり果てた七瀬に近づいた。そして彼女の石の体に手を触れる。
 石化された人は、その体に触れることで心の疎通ができるのである。
「七瀬、七瀬!・・大丈夫・・?」
(・・ハルカ・・・ハルカなの・・・?)
 ハルカが呼びかけると、七瀬が心の声をかけてきた。一瞬安堵したハルカだが、すぐにその笑みを消した。
「七瀬・・・七瀬まで・・・!」
(ハルカ・・・)
 七瀬にすがりつくようにハルカが泣きじゃくる。その抱擁を七瀬は受けるしかなかった。
 その姿を後ろから見守る千影が微笑む。
 影の少女の誘惑に、ハルカの心は暗闇の中に沈み始めていた。

つづく


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