桃源鏡・第2章「白い過去」

作:幻影


「満月さん、大丈夫?」
「ええ。ご心配をおかけしました。」
 葉月たちに介抱された満月がお礼の言葉をかける。そして、彼女の作り笑顔が曇る。
「それにしても、こんな夢のような話・・」
 椿が困惑した表情を浮かべる。
「私も信じられませんが、現に眼の前であのような出来事が起こってしまったのです。」
 満月自身、あの出来事を鵜呑みにしているわけではなかった。
 鏡の中に現れた、流れるようにさらりとした銀の長髪の少女。
 彼女に手から放たれた光を浴びて、満月の眼の前で千尋の体がガラスへと変わってしまったのである。
 混乱していた満月の気を落ち着けるために移動した葉月たち。他の女生徒の混乱を避けるため、ガラス像になった千尋も教室に運んできたのである。
 それと同時に、学校のドアや窓など、外に通じる全ての出入り口が閉じてしまっていた。どんなに力を込めても全く開くことができない。
 よって葉月たちは学校の中に閉じ込められたことになった。まるで学校と外が別の世界として切り離されたように。
 動揺に包まれた教室で、弥生は鏡に映っていた少女のことを思い返していた。
 髪の色が銀で冷たい視線をしていたが間違いない。彼女は弥生のかつての仲間、千尋、舞、智香にいじめられて自殺した葵柚希であった。
「満月、あたしも見たんだ。鏡の中にいた人を。」
「えっ!?本当ですか!?」
 満月が声を荒げる。覚悟を秘めて弥生は話を続けた。
「ああ。ついさっきな。しかもあたしはそいつを知ってる。」
 その言葉に葉月たちが絶句する。
「満月、その鏡に映ってたヤツは、長い銀の髪をしていただろ?」
「はい、確かに透き通るような銀色でした。」
「そうか・・間違いない。葵柚希だ。」
「葵柚希?友達なの?」
 葉月が訊ねてからしばらく沈黙した後、弥生は再び口を開いた。
「柚希は、舞たちにいじめられて自殺した、あたしの去年のクラスメイトだよ。」

 この琥珀高校は、自由と笑顔にあふれた校風で有名だった。しかし、その裏でのいじめが少なくなかった。弥生のかつてのクラスメイト、柚希もその被害者の1人だった。
 その日も柚希は、舞たちの暴行を受けていた。
「フン!あたしらに文句つけるからいけないんだよ。」
 泣きじゃくる柚希を舞たちが見下す。
「第一、そんなくだらないキーホルダーなんか付けてんじゃないよ。」
「ダメ!それだけは・・」
 柚希の抗議を千尋、智香の暴力が押さえつける。不敵に笑う舞がキーホルダーに力を込める。
「お願い・・やめて・・」
 柚希の悲痛の声も聞き入れず、舞は彼女の眼の前でキーホルダーを握りつぶした。
「え・・・・」
 柚希の顔が悲痛に歪む。バラバラになったキーホルダーが床に散らばった。
「これからは調子に乗らないことだよ。」
 そう言って舞たちは哄笑を上げながらその場から去っていった。
 柚希はキーホルダーの残骸を見つめて泣き崩れた。
 そのキーホルダーは、柚希がバイトで貯めたお金で初めて買ったものである。言わば、柚希の努力の結晶である。
 それを壊された彼女の心はかつてないほどに打ちひしがれていた。
 その後、柚希は先生や警察に事情を説明したが、その間にも彼女に対するいじめは続き、その対策が本格的に成される前に彼女は自殺した。
 それから対策が強化されたが、いじめや暴力が完全に鎮圧されたとは言えなかった。
 その一件が原因で、舞たちの仲間だった弥生は彼女たちから手を切ったのである。

「そんなことが・・」
 弥生の話を聞き、葉月が小さく声を漏らす。
「あたしも“いいひと”ってわけじゃないけど、人を傷つけるようなヤツは嫌いだし、そうなりたくないとも思ってる。舞たちはあたしのいないところで、柚希や他の連中に暴力を振るっていた。だからあたしはあいつらとの縁を切った。裏切られた気分になったからな。けど、あいつらからしたら、あたしが裏切ったと感じたんだんだろうな。」
 弥生は柚希の死を悔いていた。
 自ら手を出していないとはいえ、かつての仲間が柚希を自殺へと追い込んだのだった。彼女は連帯的な責任を感じていたのだ。
「柚希は、だらしのないあたしに声をかけてきて、優しく楽しく接してくれた。あたしの悩みや勉強にも付き合ってくれたんだ。あたしが、あいつの悩みも聞いてやればよかったんだ。あいつは他人の心配はするくせに、自分の嫌なことは自分からは打ち明けてくれなかった。」
「そ、そんなに自分を責めないで、弥生。」
 葉月が心配の声をかけ、満月も椿も悲痛な面持ちで弥生を見つめる。
「弥生は思いやりのある人だよ。転校してきたばかりの私に、ここまで親切にしてくれたんだもん。その柚希って人も分かってくれてるはずだよ。」
「・・ありがとう、葉月。」
 葉月の想いに、弥生は喜びのあまり涙があふれそうになったが、自分自身がしっかりあろうとする彼女はそれをこらえた。
「それにしても、あの鏡の中にいたのは、やっぱり柚希だったのか・・・?」
 弥生は今でも眼に映った現実を疑っていた。
 柚希は確かに死んだ。その彼女が自分たちの前に現れるはずがない。まして、鏡の中だけに存在し、他人をガラス像に変えてしまうなどあり得なかった。
「キャーーー!!」
 そのとき、廊下から女生徒の悲鳴が響いてきた。

 教室を飛び出した葉月と弥生が廊下を駆けていくと、恐怖に引きつった女生徒を見かける。満月の介抱は椿に任せて、2人とも教室に残っている。
「どうした!?」
 弥生に声をかけられた女生徒が、怯えた顔を向けてきた。
「あ、あれ・・」
 女生徒の指差した先を葉月たちが見ると、そこには2体のガラス像が立ち尽くしていた。
「ま、またガラスに・・」
「あれは舞と智香・・」
 弥生が呟いたとおり、そのガラス像は舞と智香だった。
 2人とも驚愕の表情をしたまま、全身を透き通ったガラスに包まれていた。
 弥生は2人の周囲を見回した。2人がガラス像にされたのが柚希の仕業ではないかと心苦しくなり、近くに鏡がないか探る。
 しかし、この廊下には鏡は設置されてはなく、手鏡なども落ちてはいない。
「ヘンだな。近くに鏡がないのに・・」
「弥生、もしかしたらあれじゃない?」
 葉月が示したのは歪んだ外の世界を映している窓ガラスだった。ガラスも光の屈折によって、鏡のように姿を映し出してしまうのである。
「おい、まさか一面に並んでいる窓ガラスからも・・」
 弥生の中に恐怖が生まれていた。葉月が振り返り、目撃者となった女生徒に聞き出した。
「ねえ、あの窓ガラスに何か映ってなかった!?」
「い、いえ、ここを通りがかったら、あのガラスの像を見つけたもので。」
 女生徒は窓には気にかけていなかった。
 舞と智香は千尋同様、ガラスの像にされていた。この2つの出来事の共通点は、反射して姿を映すものが近くにあることだけである。
 弥生の中にある不安は膨らむばかりだった。
 死んだはずの柚希が舞たちをうらんでガラス像に変えたとは限らない。しかし、彼女がしていないという確証はなかった。
「葉月、やっぱり、柚希がやってるんじゃ・・」
「やめて!」
 弥生から漏れた不安の声を葉月が制する。
「いくらあの人たちに傷つけられたからって、柚希さんがこんなことするはずないじゃない。弥生が信じてあげないと、柚希さんがかわいそうだよ。」
 葉月に言いとがめられ、弥生の張り詰めていた心が緩む。葉月の笑顔がまたも弥生を励ましたのだった。
「あ、ああ。そうだな。あたしが信じてやらないと、あいつに会わせる顔がないってもんだ。」
 弥生が安堵の吐息を漏らす。
 そのとき、弥生と葉月の眼に人影が飛び込んできた。
 それは廊下や他の教室からではなく、窓ガラスのみに写っていた。
「か、鏡の中に人が・・!?」
「ゆ、柚希・・・」
「えっ!?」
 弥生の呟きに葉月が振り向く。
「彼女が、柚希さん・・!?」
 そしてしばらく、弥生は言葉が出なかった。
 夢ではなかった。葉月もその姿を目撃したからだった。
 鏡の中からとはいえ、柚希が弥生たちの前に姿を現したのだった。
 柚希は弥生たちに冷たい視線を向け、何も言わずに音もなく窓ガラスから姿を消した。
「ゆ、夢じゃ、ないよね・・・?」
 葉月はまだ自分の眼を疑っていた。
 自殺してこの世にはいない人間が、しかも鏡の中だけに姿を現すなどありえないことだった。

 気を落ち着けた弥生と葉月は、満月と椿の待つ教室に戻っていた。
「どうだった?」
 満月が不安を抱えながら葉月たちに尋ねる。
「舞と智香が、ガラスにされてた。」
 弥生が虚ろな表情で答える。
「近くの窓ガラスにあいつの、柚希の姿があった。また幻でも見たのかと思ってたけど、葉月もあいつの姿を見た。生きてるのかどうか分からないけど、あいつは確かにあたしたちの前に現れたんだ。あの頃と変わらない姿で。」
 弥生の悲痛の言葉に、葉月たちも黙ってしまう。そしてしばらく沈黙が流れてから、弥生が重く閉ざしていた口を開いた。
「あたし、ちょっとトイレに行ってくる。」
 作り笑顔を作って弥生は教室を出た。
 彼女が遠ざかったのを察して、葉月が声をかけた。
「ところで、窓は開いた?さっきから窓も昇降口のドアも開かないままなのよ。」
「だめだよ、葉月ちゃん。椿も少し前に換気のために窓を開けようとしたけど、全然開かなかったよ。故障かと思ったんだけど、他のも同じなのよ。」
 椿ががっかりしたようにため息をつく。
 昇降口の扉や、廊下や教室の窓を全て閉められ、外から完全に隔離されてしまった。出るに出られなくなった葉月たちは、まさにかごの中の鳥だった。
「外との出入り口が閉め切られたのも、柚希さんのしたことなのでしょうか・・・?」
 満月が不安そうに訊ねる。
「分からない。でももしこれも彼女の力で、舞さんたちをガラスにしたのも彼女なら、私たちを閉じ込めている意味がないよ。もしかして、まだ何かあるんじゃ・・」
 葉月のその言葉が、満月と椿の不安をさらにかき立てた。
「ゴ、ゴメン。そんなことないわよ、絶対。」
 葉月がその不安を拭い去ろうと、慌てて弁解をする。
 しかしそれでも、2人の不安が完全に消え去ったわけではなく、葉月自身も悪い予感を抱えたままだった。

 学校内には二十数人の生徒と十数人の教師、事務員が残っていた。
 外に出られない不安と鏡の中を彷徨う見えない人影の恐怖に怯えながら、いずれも少数のグループで校内で留まっていた。
 そんな中、人気のない体育準備室に弥生は来ていた。跳び箱やマットが置かれているその場所の隅に設置されている大きな鏡の前に彼女は立っていた。
「柚希、聞こえてるんだろ?出てきてくれよ。」
 弥生は悲痛の思いを抱えて柚希の名を呼んだ。夢の中にいるような心境で、弥生は柚希が眼の前に現れてくれることを望んでいた。
 しばらく待っていると、鏡が水滴の落ちた水たまりのように揺らいだ。
 そして鏡に映し出されたのは、紛れもない柚希の姿だった。姿かたちは自殺する前に見たときとほとんど変わらない。銀色の髪と冷たい眼を除いて。
 弥生は三度眼を疑って手でこすった。しかしそれは現実の出来事だった。
「ホントに柚希なのか!?生きているのか!?」
 弥生の問いに柚希は答えない。冷たい視線を彼女に向けて黙っているだけだった。
「アンタが自殺して、あたしはとっても辛かったんだよ。あたしがアンタのことをもっと知ってやれば、舞たちにいじめられて自殺することなんてなかったのに。あたしがもっとしっかりしていれば・・」
 弥生が自分の過去の失態を悔やむ。自分が柚希を殺したと思いつめることさえあった。
「・・何とか言ってくれよ、柚希!」
 問い詰める弥生に、柚希は思い口をようやく開いた。
「弥生、私をそこまで思ってくれるのはあなただけ。私もいけなかったのよ。自分の中だけに押し込めておかずにあなたに相談していればよかったのよ。」
「柚希、アンタは何も悪くないよ。」
 弥生の励みに柚希が小さく笑みを浮かべる。しかしそれも一瞬にして凍りついた。
「弥生、私はこの学校を崩壊させるつもりよ。」
「柚希!?」
「私の大切なキーホルダーを壊した舞たちは当然だけど、辛い思いをして助けを求めた私を、先生も誰も救いの手を差し伸べてくれなかった。こんな不条理な世界なんて、私は絶対に許さない。」
 柚希の冷たい視線がさらに鋭くなる。その威圧感に弥生は押されそうになる。
「弥生、私はこの学校を崩壊させる。」
「柚希!」
 弥生が声を荒げ顔を強張らせる。しかし、柚希は全く動じない。
「必死に助けを求めたのに誰も助けようともしてくれなかった。このままじゃ私みたいな人が辛い思いをするばかりだわ。だから、今の私の力で永遠の苦しみを与えてあげるわ。」
 そう言い残して柚希は鏡の中から消えた。
「待て、柚希!」
 弥生が呼び止めたが、柚希の姿はどこにもなかった。
「まずい!葉月たちが危ない!」
 弥生はきびすを返して体育準備室を飛び出した。
 柚希がもし学校全体に復讐の矛先を向けているとしたら、葉月たちにも彼女の力が及ぶ。
 悪い予感を抱えながら、弥生は廊下を駆け出していた。

つづく

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