作:幻影
少し長めの雑草が生えている何も無い空き地。
夕夜はその真ん中に立っていた。
ここが全ての始まりの場所だった。
謎めいた女性に、「あなたは悪魔の力を持っている」と言われ、実際にその力が解放したのだった。
その力に、もうひとりの自分に振り回され、少女を、女性を、そして幼馴染みさえもその手にかけてしまった。
自分の弱さが、彼女たちを石に変えてしまったのだ。
でも、もう迷わない。誰にも束縛されたりはしない。
自分が気を引き締めて、霞美にかけられた石化を解く方法を見つけなければならない。
夕夜は自分自身の心に入り込むように、自分の胸に右手を当てた。
「あなた、何をしようとしているのか、分かっているのですか!?」
そんな彼に、長い銀髪に青い瞳をした女性、ミスティが慌てて声をかけてきた。
夕夜は彼女に振り向き、口を開いた。
「ああ。オレの心と向き合い、オレのもう1つの人格から石化を解く方法を聞きだす。」
「いけません!悪魔との契約で得た力を否定することは、悪魔への裏切りとなります。契約違反された悪魔は、契約した人間を殺し、その魂を奪うでしょう。そうなればあなたは、存在そのものを消されることになります。」
ミスティは夕夜に歩み寄っていく。
「もっと自分の持つ力を誇りに思いなさい。その力であなたは求めるものが手に入れられます。あなたの力によって石化した、確か霞美さんと言いましたよね?彼女をこのままオブジェのままにしておけば、あなたは彼女を思うがままにできるのですよ。」
ミスティの言うことに間違いはないのかもしれない。
現に、夕夜は石化した霞美の肌に触れ、弄んでしまった。
もしこのまま彼女を石にしていれば、うつくしい体のまま老いることもなく、また自分も快楽を体感することができる。
しかし、それはただの自己満足でしかない。
彼女の自由を奪ってまで与えた美に、彼女が納得するだろうか。
自分の勝手な行動を、彼女が受け入れるだろうか。
それでは人にあるべきもの「生」が全く感じられない。
自分を心から想う彼女が笑顔で迎え、喜怒哀楽を交わしていく。それが自分の在るべき場所なのだ。
夕夜はそのことを悟って、この場にやってきたのである。
「それでも、オレは霞美を助けたい。オレはあいつを元に戻し、オレはあいつのもとへ帰る。」
夕夜の決意は本物だった。
霞美を石化した際、彼女に密着していたためにボロボロになったシャツの上から胸を押さえつける。
「そうはさせません!悪魔の力を否定すれば、あなたは悪魔に葬られます!それでも否定するのなら、私がここであなたを葬り去ります!」
ミスティは右手を夕夜に伸ばした。夕夜も彼女を見据える。
彼女は悪魔との契約で得た氷の力で、夕夜を凍りつかせようと考えている。
ところが、夕夜は動揺することなく、ミスティに右手を突き出す。
「邪魔をしないでくれ。これはオレがやらなくちゃいけないことなんだ。」
「今あなたに必要なのは、自分の力を完全に受け入れることです。それを捨てると言うのなら、せめて私がその力を封印します。」
「オレはアンタに石化の力をかけたくないんだ。おとなしくしてくれ。」
互いににらみ合う2人。
たとえミスティを石に変えても、霞美を助ける方法を見つけ出す。夕夜は心の中でそう決意していた。
「仕方がないです。」
ミスティは右手から白く冷たい風を発し、夕夜に吹き付けた。
彼女に右手を突き出した格好のまま、夕夜白く凍り付いてしまった。
ミスティは右手を下ろし、悲しい表情をする。
「許してください。あなたが悪魔の力を否定してしまうからです。結果としてはあなたの力は失われ、石化した人も元に戻ることでしょう。」
ミスティが凍てついた夕夜を見つめる。
そのとき、凍りついた夕夜の体に亀裂が生じた。
「え?」
ミスティはその様子に眼を疑った。
何の圧力も加えていないのに、このような亀裂が生じるはずがない。
亀裂はさらに体に広がり、氷が割れて生身の体が現れる。
夕夜は自分を凍てつかせていた氷を自分で打ち破ったのである。
「そ、そんな!いくら悪魔の力を持っているとはいえ、他者の力を打ち破るなんてこと・・」
自分の氷を破った夕夜の姿に、ミスティは動揺していた。
夕夜の眼に迷いは写っていない。
「オレは、自分の心と向き合い、闇に打ち勝つ。」
「ダメです!この場であなたを封じます!」
ミスティは夕夜を再び凍りつかせようと右手を突き出した。だが、それより先に夕夜の右手から閃光が放たれた。
光をあびたミスティは右手を突き出した構えのまま、呆然とした表情で動かなくなっていた。
夕夜の放った閃光は、彼女を一瞬にして白い石像に変えてしまった。
「石化を解く方法を見つけたら、元に戻すから。」
夕夜は悲しい眼で固まったミスティを見つめた。
そして夕夜は自分の胸に手を当てた。
眼を開けるとそこは真っ暗だった。
まだ眼を閉じているのだろうかと勘違いするほどの暗闇だった。
夕夜は一瞬、この光景に恐怖を感じたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ここが、オレの心か。」
夕夜は悪魔の力とシンクロして、自分自身の心の世界に入り込んでいた。
今の自分の心は暗く淀んでいた。
悪魔の力に振り回された弱さ。その力で石に変えてしまった罪悪感。大切な人を弄んだ欲情。
それらの負の意識がそのまま映し出されたような光景だった。
「まさかここまでやってくるとは思わなかったぞ。」
虚ろな眼差しをしていた夕夜の前に、もう1人の夕夜が現れた。
鏡ではない。眼の前にいる自分は、不気味な笑みを浮かべていた。
「オレもじっくり話がしたかったんでな。」
夕夜はもうひとりの自分の姿を見つめる。
姿かたちは自分と全く同じだが、今の自分と相対的なものをたくさん感じる。
憎悪、欲望、破壊衝動、殺意。
自分にある負の感情が凝り固まったような雰囲気を放っていた。
「話すことなんてないさ。この体は時期にオレ色に染まる。悪魔の力を振るうことに快感を感じられる自分(オレ)に。」
闇人格の夕夜が主人格の夕夜に歩み寄る。
「分かってるよ。石化を解く方法だろ?そんなことを聞いてどうするんだ?この力があれば、思い通りにならないことはない。現にお前だって、石化した霞美の体にいろいろやってたじゃないか。あのままにしておけば彼女はお前のもの。彼女だってあの若さを、あの美しさを維持できる。これほど喜ばしいことはないぞ。」
雄弁と語る闇人格が主人格の眼前で止まる。
「だから闇人格(オレ)に任せてくれよ。悪いようにはしないから。」
闇人格が主人格に手を伸ばしてきた。協力の意を示そうということなのだろう。
しばしの沈黙の後、主人格の夕夜は口を開いた。
「確かに、お前の言うとおりだ。」
「はは・・」
闇人格が笑いを大きくする。
「オレは欲に溺れて霞美までも石に変えて、さらに体を触った。お前に振り回されたオレの弱さがそうさせたんだ。だけど、結局はオレのしたことだ。オレ自身の中にそんなような感情があったということだ。つまり、お前もオレの一部なんだよ。」
夕夜の真剣な答えに、闇人格は哄笑を上げた。
「ハッハッハ、笑わせんなよ。オレはお前の姿をしているが、お前が悪魔との契約で得た力がもたらした産物さ。お前の負の感情を糧にしているだけの話さ。」
「いや、違う。お前はオレなんだ。オレの心が生み出した、もうひとりのオレなんだ。だから、お前をオレとして認めることが、悪魔の力を制御できる唯一の手段だったんだ。そうすれば石化を解く方法も理解しているはず。」
夕夜は悟った。
普通の人間として生きている自分も、悪魔の力で欲望を解放している自分も、結局は自分自身でしかないと。
自分の影を認めることが本当の自分を見つけることになり、強い自分を見つけ出すことになるのだ。
「いつまでも寝ぼけたことを言うなあぁぁーーー!!!」
闇人格が怒号を上げて夕夜に飛びかかってきた。
「お前はオレにのっとられて、心のどん底に落ちるんだ!自分のしたことに悔やみながらな!」
闇人格の伸ばした手が、夕夜のボロボロのシャツに近づく。
しかし、その手はシャツを掴むどころか、夕夜の体を突き抜けた。
「何っ!?」
驚く闇人格が、夕夜の体に吸い込まれていく。
「バカな!?そんな、バカなあぁぁーーー!!!」
この空間を包み込むような悲鳴を残して、闇人格が完全に夕夜の中に消えた。
夕夜は眼を閉じ、胸に手を当てた。
「これがオレの、心の闇か・・・」
夕夜は自分の心と向き合った。
誰にでもあった自分自身の影と、その暴走。
それを恐れ、心の中に押し込んでしまった弱さが、自分の中の悪魔を呼び起こしてしまったのである。
「分かる・・今なら力をうまく扱えそうだ。」
石化を解く方法。
それは石化した人にかかっている自分の力を操り取り除いてやればいいのだ。
心の世界から戻った夕夜は、右手を突き出した構えのまま石化したミスティの肩に手を乗せた。
表面に張り付いた泡をすくい取るように、夕夜は石化の力を取り除いていく。
白い煙が立ち込めた後、ミスティの体に人間味のある色が戻った。
石化していた最中も意識があったミスティは、顔を引きつらせながらも笑みを作る。
「あなたは契約した相手を裏切った最悪の禁忌を犯したのですよ。いつあなたの魂が狩られるか分かりませんよ。」
彼女の忠告を聞きながら、夕夜は振り返った。
「それでも、オレは今を生きる。霞美と一緒に。」
夕夜は石化していたポニーテールの女子高生を元に戻し、何も言わずにその場を立ち去った。
ポニーテールはミスティに凍らされていた2人と怯えて、逃げるように駆け出していった。ミスティが夕夜に石化された際、凍結の力が解けたのである。
自分の住むマンションに戻ってきた夕夜。自分の隣の部屋をのぞくと、朝はまだベットにうずくまっているはずの少女が、一糸まとわず白い肌をさらしたまま立ち尽くしていた。
「今、帰ってきたよ、霞美。」
夕夜はうっすらと笑みを見せて、霞美の石の胸に手を当てた。
「今度はお前が帰ってくる番だ。」
霞美に触れる夕夜の手から淡い光が灯る。
夕夜は自分の中にある彼女への記憶を思い返す。
幼い頃から過ごした日々。楽しいときも辛いときも、お互いが励まし合い支え合ってきた。
よみがえる記憶とともに、霞美の体が人の色を取り戻していく。
瞬きをした後、霞美は脱力して倒れそうになったところを夕夜に支えられる。
霞美が顔を上げると、そこには夕夜のいつもの優しい笑顔がそこにあった。
「・・お帰り・・夕夜・・・おかえり!」
「わっ!」
霞美が夕夜に抱きついて、ベットに引きずり込んだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと、霞美!」
顔を赤らめてドキドキしてしまう夕夜。霞美は満面の笑みで夕夜を見つめている。
「やっと、帰ってきたんだね、夕夜。」
涙さえ流す霞美の喜びに、夕夜の心にも安堵が込みあがる。
「ねえ、夕夜、なんであたしにあんなことしたの?」
「え?」
「石になったあたしの体を、触ったり舐めたりしたよね?」
夕夜はそのことに困惑した。
彼女が石化したことをいいことに、欲望の赴くままに弄んだのだ。
「すまない、霞美。あのとき、霞美まで石にしてしまって、自分が保てなくって、ああでもしなかったら、自分がどうにかなりそうで。結局はオレも弱かったんだよ。お前にすがらないと、何もできない。」
「そんなことないよ。」
霞美は夕夜の顔を、優しく自分の胸に寄せた。
「ちょっと、霞美・・」
「だって、悪魔の力に何の抵抗もできなかったんだから。夕夜の力がなかったら、あたしずっとあのままだったんだよ。」
顔を柔らかな胸の谷間に押しやられ、夕夜の困惑がさらに強まる。
「あったかいでしょ、あたしの胸。辛かったら、寂しかったら、あたしがそばにいるから、いくらでも甘えていいから。だってあのとき誓ったから。夕夜を守るって。今回は全然ダメだったけど、もっともっと強くなるから。」
夕夜が瀕死の事故から生還した後、霞美は夕夜を守るために強くなることを誓った。
2度とあのような惨劇が起きないように、いつまでも夕夜と一緒にいられるように。
「ありがとう、霞美。でも、オレだってお前を守り続けてみせる。たとえオレの中の悪魔が襲ってきても、オレは今を生きる。お前と一緒のこの世界で。」
「あたしもだよ、夕夜・・」
誓いを新たにした2人の唇が、ゆっくりと重なり合った。
もう何も怖くない。自分たち2人が一緒なら、どんなことだって乗り越えられる気がする。
疲れきった2人は、そのままベットに潜り込んだまま眠りに付いた。
その翌日、夕夜は自分が石化してしまったアリスとひろみを元に戻した。
夕夜の持つ力に畏怖したのか。霞美の説得もあって、彼女たちは2度と悪魔の力を使わないことを約束してくれた。
その姿をミスティが妖しく見つめていた。
「夕夜さん、霞美さん、見せてもらいますよ。あなたたち2人が、悪魔にどこまで抗えるか。」
そう呟いて、ミスティは音もなく姿を消した。
そしてさらに翌朝。
早く起きた夕夜は、未だに夢の中にいた霞美を心配して、部屋のインターホンを鳴らした。
それでも彼女は起きず、夕夜は部屋に上がりこんで直接起こしにいった。
「まだねむいよ〜・・」
学校へ駆けていく最中も、彼女はまだ寝ぼけまなこだった。
「早く眼を覚ませ!でないとまた遅刻だぞ!」
夕夜の元気のいい声が響く。
彼はさらに足を速めて、霞美が慌しくその後を追いかけていく。
このままがずっと続けばいいと思う。
いつも霞美を起こして、慌てて学校に急ぐ。
喜びや悲しみを分かち合っていく。
この世界を生きていく。
人として・・・
終わり