亡霊 after

作:愚印


 寝過ぎた時に感じる気だるい頭痛を味わいながら、私はゆっくりと覚醒していった。靄に包まれていた視界がモノクロームのまま、ゆっくりと輪郭をはっきりとさせていく。そして、徐々に色づいていった。久しく見ていなかったその色の競演に、私の網膜は悲鳴を上げ、思わず瞬きをした。瞬き!!私はやっと自分に起こった異変に気が付いた。
 身体の中にあった金属の異物感がゆっくりと消えていくのがハッキリと感じられる。足の指先にあった異物感が消えたとき、私は人として生身の身体を手に入れたとはっきりと自覚した。しかし、すぐに身体を動かすことはできなかった。データとしての期間、ただ見ているだけの期間が長かったせいだろうか。
 気を取り直し、目を動かして自分の姿を確認する。裸のまま、悪夢の始まりである例の座席に腰掛けているらしい。周りが小ぢんまりとした部屋であることから、座席とそれに付随する装置だけを運び込んだと思われる。
 裸であるという点が、私には少し気になった。なるほど、確か金属化に際しては皮膚との癒合がどうとか科学者が説明していた。金属化の解除に際しても、裸でいる必要があったと記憶している。だが、生身に戻ってから数分とはいえ、感覚を取り戻しつつある私の肌は敏感だった。室内の温度調整はなされているようだが、裸では少し肌寒い。
 そこまで考えたとき、ようやく目覚めはじめた私の本能が、こちらに注がれる他者の視線に気がついた。

 彼女はキョロキョロと目だけを動かしている。彫像生活が長かったためか、すぐには動けないらしい。目の焦点も合っていないようだ。俺は色を取り戻した彼女の裸体に目が吸い付けられていた。金属化した彼女も美しかったが、生身の彼女には瑞々しい生の息吹が満ち溢れている。
 非常に小さい声が、彼女の口から漏れた。
「すい……ん。……して……か?」
『あっ、喋れるようになったんだ。何がいいたい?』
「すいません。はずかしいので毛布でも掛けてくれませんか?」
『ああ、すまない。』
 どうやら随分前から、俺の視線に気が付いていたようだ。俺は今更ながら慌てて目を逸らし、彼女の裸体に毛布を掛けてやった。彼女は少しずつだが自分の身体のコントロールを取り戻しているらしい。今は手の指を確かめるように動かしている。
「助けてもらったみたいだからとりあえず、ありがとう。」
『いや。お礼を言われると心苦しい。』
「どういうこと?」
『知らなかったとはいえ、君を売り払ってしまった。』
「あんな姿じゃ仕方ないわよ。」
 想像以上に彼女は落ち着いている。売りに出されていたことを含めて、これまでの経緯をある程度把握していると、俺は根拠なく確信した。
「でも、女性の裸をじろじろ見るのはどうかと思うわよ。ところで、あなたは誰?」
 先ほどのセクハラ行為は一言で水に流してくれるらしい。助かった。
『ああ、俺の名はST。運び屋をやっている。君はミネアかい?』
「ええ、そうよ。でも、何で私の名前を知っているの?この姿では初対面だと思うけど。」
 暗に機動兵器同士で向かい合ったことを言いたいのだろう。その話題に触れると話が長くなると考え、質問だけに答えた。
『研究所のデータを見せてもらった。』
「そう、すべて破壊したと思っていたけど…。ところで大戦はどうなったの?」
『帝国が世界統一を果たしたよ。』
 俺としては彼女にとって衝撃的な事実を話したつもりだったが、少し考える素振りをしただけであっさりとうなずかれた。正直、彼女が何を考えているのか、俺にはわからなかった。
「私を撃墜したのはあなた?あの『白銀の悪魔』を操作していたのは。」
『ああ、そうだ。すまない。』
 研究所のデータを見た限りでは、被弾による痛み等のフィードバックは無いはずだ。だが、それは実験が予定通り成功していればの話で、バグだらけのシステム下でどう影響したかは彼女にしかわからない。痛みはなくとも恐怖は感じたはずで、謝っておくべきだと俺は判断した。
「そんなの御互い様。で、私をどうするつもり?」

 私は彼の答えに興味があった。私を生身に戻したところを見ると、ある程度、私の境遇を知っていると考えていいだろう。また、彼の乗っていた機体『白銀の悪魔』は帝国側の一人の英雄に授けられた最新鋭機だったはず。私がああなる前から『白銀の悪魔』の名は恐怖の代名詞として語られていた。つまり彼は帝国に属していた人間だ。
 それに対して私は敵国側の人間。今や私には帰るべき国も人も存在しない。いや、たとえあったとしても帰れなかっただろう。自分の乗った機体が行った殺戮行為が、今も瞼に浮かぶのだから。そんな私に彼はどう答えるつもりだろうか?
 もっとも、相手が『白銀の悪魔』であることを確認した以上、彼がどう答えようと私の選択は決まっていた。第二の身体が撃墜されてから、私は彼自身に対して抑えきれぬ興味を擁いていた。彼への興味、これこそが、私が今、生に到る拠所なのかもしてない。
 私はデータとなる以前から『白銀の悪魔』に興味を持っていた。もっとも、当時、彼が上げたとされる戦果はどれも非常識で、実際にその戦いを見るまでは、帝国が作り上げた虚像ではないかと私は疑っていた。だが、例の実験依頼がある2週間前の戦場で『白銀の悪魔』の戦いを見たとき、私は身体を震わせることしかできなかった。それは恐怖からではなく感動からだった。非常識なスピード、無駄のない動き、それは私が理想としていた動きそのものだった。私も機動兵器で2、3度剣を交えたが、相手にされないまま何もできずに戦場に取り残された。私はその後、上層部からの実験依頼を二つ返事で引き受けた。実験内容を吟味した結果、実験成功の暁には必ず彼に勝てると判断したからだ。実際には、実験は失敗し、私は想像以上の化け物と化したわけだが、それでも彼には勝てなかった。
 私はあの日、彼に頭部を打ち抜かれるまでは、半強制的に戦闘の分析・考察をさせられていた。撃墜されシステムの強制から開放されてからも、他にすることが無かったこともあり、私は習慣的に敗因の分析を続けていた。負ける要素は機体性能から言えば多々あったが、それを引き出せるかどうかは別物である。あの危機的場面でリミッター解除を行った判断力と勇気、そしてそれに耐え切った肉体は賞賛に値する。少なくとも私が同じ立場であれば、選択することはできない。肉体的にも精神的にも不可能だろう。彼は特別だと私は結論付けた。この結論は、私の中で死への羨望と同じくらい彼の情報を渇望させるに到った。生身の身体を得ることで、前者は消え失せたが、後者が変わることはなかった。それはデータと化していた意識が、バランスを取るかのように強迫観念をもって私を支配していた。データ化の後遺症と言ってもいいのかもしれない。
『君の好きにすればいい。俺は運び屋だから、君が望むところへ連れて行くよ。』
 予想していた回答の一つを彼は選択した。しかし、それは私が望む回答ではない。やはり、こちらからの誘導が必要と判断した。
「死にたいって言ったらどうするつもり?」
 無意味な、しかし、今後私にとって重要な言葉を慎重に選んだ。
『それは君の本心じゃないだろう。』
「どうしてわかるの?」
 疑問を口にしてみたが、その答えを私は既に知っていた。データとして存在した私に問い掛けを行う存在。それは、すべてを知る彼以外にありえない。
『その質問の答えは既に聞いている。』
「じゃあ、あの問い掛けはあなただったの。」
 私に演技の才能は皆無らしい。わざとらしい抑揚のない言葉しか出てこない。
『そうなるかな、自殺志願者を生き返らせても無駄だからね。』
 どうやら向こうも演技の評価は慣れていないらしい。もしかすると異性との会話も苦手としているのかもしれない。とにかく、私の仕込みは完了した。後は獲物が罠に掛かるのを待つだけである。

「まあいいわ、どこでも連れて行ってくれるのね?」
『運び屋STの名にかけて約束する。』
 何が楽しいのかニコニコと微笑む彼女に、俺は力強く確約した。
「じゃあ、あなたが行くところへ連れて行ってくれる?」
『んっ?次の依頼先で降りたいということか。次はどこだったかな。』
 意図のよくわからない依頼だが、俺は今後のスケージュールを頭の中に思い浮かべようとした。
「ちがうわ、この船に乗せてくれといっているの。」
『今乗っているじゃないか?』
 彼女の機嫌が急変する。彼女が不機嫌になっていることはわかるのだが、なにに対してなのかがわからない。
「もう、理解力が無いわね。あなたに興味が湧いたから、一緒に働かせてくれと言ってんのよ!!」
『なんだって!!』
 その答えは予想外だった。
「なにを驚いているの。故郷も仲間も何もかも失った心に深い傷を負った女を、見知らぬ土地へ置き去りにするつもりかしら?白銀の悪魔は心まで悪魔なの?」
 彼女は捨てられた子犬のように、縋るような瞳で俺を見ている。俺には判っている。これが演技であるということを。判ってはいるのだが、無視することができるほど俺は場慣れしてはいなかった。もっとも、こんな場慣れなどしたくはないが…。
『そんなことはない。ただ。』
「ただ、なにかしら?」
 俺は、間違いなく追い詰められている。ごまかしは効きそうにない。
『俺にはまだ人を雇う余裕はないんだが。それほど儲かる仕事でもないし。』
 金が無いからという理由は、甚だ俺の自尊心を傷つけるものだが、背に腹はかえられない。正直いって今の稼ぎで人を雇うのはギリギリやっていけるかどうかの瀬戸際だろう。リスクが高すぎる。
「それぐらい私が何とかするわ。これでも起動兵器はもちろん、船も操縦できるのよ。情報処理も得意としているわ。経理の方も任せておいて。」
『いや、そうはいっても。そうだ、それだけの技術があるのなら別の大手会社を紹介…。』
 我ながら現実的なことを思いついたと思った。一瞬だけだったが…。
「わたしは…、自分のしてきたことはすべて覚えているし、襲った相手の通信から『亡霊』と呼ばれて憎まれていたことも知っているわ。事実を知った人間は、必ず私を魔女裁判にかけるように殺すでしょうね。」
『…。』
 何もいえない。事実が漏れれば、その予想は間違いなく現実になるだろう。そして、彼女は死による償いではなく、すべてを背負って生きることを望んでいる。
「情報なんてどこから漏れるか判らないものでしょ?あなたの言うとおり、私はこれからも生きる決心をしているわ。それなのに今更殺されるのは嫌よ。あなたも私をわざわざ殺すために、生身の姿へと戻したわけじゃないでしょう。今なら情報源は、私とあなたの二人だけ。お互いが近くにいれば、情報の拡散を間違いなく防げるし、安心できると思うの。少なくとも私は安心できるわ。」
 俺の切るべき手札はすべて切った。もう、お手上げだ。それに対して彼女にはまだ切り札を残っていることを俺の戦闘経験が告げている
『好きにしてくれ。』
 俺にできることは、搾り出すようにその言葉を吐き出すことだけだった。

 やりすぎたのかもしれない。彼のあまりの落胆振りに、私は不安を感じた。人は追い込まれると突飛な行動を行う。そしてそれは、大抵最悪の結果を引き起こすことが多い。実際、戦場で起死回生の妙手を考えついたと勘違いした愚か者が、その妙手のために自滅していく姿を私は何度か目撃している。確かに満足行く結果を導き出すことには成功したが、将来に禍根が残る決着となっては何の意味もない。口ではどういい繕っても、所詮今の私が頼れるのは彼しかいないのだから。彼の気が変わって、私を帝国に引き渡せば、私は即刻処刑されるか、人体実験されることになるだろう。以前のデータとして存在した私であれば、その運命を甘んじて受けることができただろうが、本来の生を取り戻した今の私には到底受け入れられるものではない。少なくとも彼のデータを収集し終わるまでは…。
 男女としての問題については、私は何ら心配していなかった。彼を信用しているというつもりはない。男が理性と本能が絶えず鬩ぎ合っている存在であることは、私の過去のデータを検索することにより容易に判断できる。彼が求めるのであれば、私としてはそれを拒むつもりはない。私自身その手の行為はご無沙汰しており、先ほどの視姦に反応しなかったといえば嘘になる。いざとなれば身体を使って誘うことも考えていた。それは重要なデータ収集となることだろう。もしも、上手く受胎することができれば、新たなサンプルを手に入れることができる。それは私にとって非常に魅力的であった。
 彼は、私がいることも忘れて考え込んでいる。私は彼を追い込みすぎたのだろうか?ギリギリの決断で亡霊を屠った彼が、愚かな決断を下さないと信じたい。もっとも、彼がそれを選ぶのであれば、私としては受け入れざるを得ないのだが…。

 なんだか嵌められたような気もするが、冷静になって考えると彼女の言い分はもっともだろう。機動兵器のデータであったとき、彼女は孤独だったはずだ。助けを求めることもできず、ただ、自分の機体が相手に滅びをもたらす姿を眺めるだけ。発狂せずにいられたことが奇跡に近い。先ほどの軽妙な口ぶりも、かなり無理をしていたのだろう。口を閉じた今の彼女は目を離したら消え去るかと思うほど頼りなく見えた。やはり、彼女が落ち着きを取り戻すまでは、目覚めさせた俺が責任を持つべきだろう。
 それに、俺にとって仕事のパートナーとしての申し出は渡りに船だった。俺が機動兵器で外に出た場合、どうしても船はコンピューター任せになる。今、積んでいるコンピューターは確かに優秀だが、人の操縦にはやはり敵わない。臨機応変な対応ができないからだ。『亡霊』との戦いで特にそう思った。その点、彼女であれば安心できる。『亡霊』のパイロットに選ばれたぐらいだから、その腕に間違いはないだろう。
 確かに金銭的な余裕はなくなるが、それも最初のうちだけだ。彼女が期待通りの働きをすれば、今まで以上の利益を得られるだろう。
 彼女は不安げに俺を見ている。俺は微笑みながら彼女に手を差し出した。
『それじゃ、あらためてよろしく。STだ。』
 彼女は毛布を胸で抑え、抜群の笑顔を浮かべながらその手を握る。
「ふふふ、ミネアです。よろしくね。」
 こうして、俺は相棒を手に入れた。

 俺はそのとき、考えもしなかった。バグによるシステム改ざんが頻繁に行われた中で、彼女の意識データも改ざんされた可能性があることを…。もっとも、それを確かめたとしても、俺にはどうすることもできなかっただろう。意識の定義はあまりにも曖昧で、結局は、彼女は彼女でしかありえないという結論に行き着いただろうから。

End


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