伝説の用心棒 第1話 「最悪の出会い」

作:愚印


 人という種族が、その繁殖力と一握りの存在が持つ圧倒的な魔力により他の種族を圧倒し、自分達の国を世界各地に作りはじめた、これはそんな時代のお話。

 山奥深く、鬱蒼と木が生い茂る森の中にポッカリと空き地が開き、その隅に薄暗い洞窟が口を開けている。
「フンフンフーン♪」
 洞窟の一室で、若い女が鼻歌を歌いながら、朝食の支度をしていた。白一色の簡素なワンピースを身につけた女は、色白の肌ということもあって肩で揃えられた黒髪の美しさを際立たせていた。
 彼女の名前はアリサ。人間達にその能力と実力から恐れられ、伝説の怪物メデューサと呼ばれている存在である。
 釜戸の火は弱火に押さえられ、上に乗せられたヤカンの湯がグツグツと煮立ち、白い湯気を立てている。アリサは、すり鉢でコーヒー豆を挽いていた。
(朝は一杯のコーヒーからよねー。)
 挽きたてのコーヒーの匂いに胸を弾ませていると
『おはようございます。メデューサさん、いらっしゃいますか?』
と男の声が洞窟の入り口から聞こえてくる。
(こんな時間に客?いや、違うわね…。いつもの奴らか。よりにもよって何でこんな時間に…。)
 至福のときを邪魔されて、彼女はご立腹だった。基本的に彼女の洞窟を、客が訪れることはない。最近客が訪れたのは、数年前に木の実を拾いに来て道に迷った家族連れぐらいである。そのときは、久しぶりのお客様ということで丁重にもてなし、山の麓まで案内している。
 もっとも、《敵》はひっきりなしに訪れていた。昨日も自称勇者のパーティと戦い、勝利している。アリサの敵に対する扱いは決まっていた。完全なる死である。
 アリサも洞窟に引きこもった最初の頃は、未熟な敵は追い払うようにしていた。無駄な殺生はしたくなかったからである。しかし、追い払った敵は実力を上げ、仲間を募り、諦めることなく挑んできた。何度も何度も…。彼女を倒す、いや、殺すために。
 アリサは、相手を殺すことは自分の身に危険がない限りなるべく避けたいと思っていた。しかし、その気持ちは敵には伝わらないのだと、そのことで思い知った。自分は彼らにとって、どこまでいっても伝説の怪物でしかないのだと…。そのことを悟ってからは、情け容赦なく全力で戦い、確実に殺すことにしていた。
「はーい。今行きまーす。」
 自分のことを〔メデューサ〕と知って呼ぶことから、十中八九、敵だとは思ったが、万が一にも客だった場合、非常に後味の悪いことになるので、アリサは柔らかく返事をしてキッチンを慌てて出て行った。勿論、火元は全て消している。敵だった場合、何時でも帰って来られるとは限らない。彼女は何時、自分の最後のときが来てもいいように覚悟をしていた。
 曲がりくねった洞窟を抜け、アリサが出口に出てみると、一人の細身の男が洞窟の正面に立っていた。男は腰に漆黒の鞘に包まれた細身の剣を腰に挿し、茶色の平服に漆黒の革鎧を身に付けるという軽装だった。ぼさぼさの短髪を掻きながら、ヒマそうに空を見上げていた。その呆けた表情、無警戒な態度は、無害そうな男という印象しか受けない。
 しかし、アリサはその姿を一目見て緊張した。俗にいう〔達人レベル〕の相手だということを本能と経験で見抜いた。無警戒な態度は演技ではなく、〔常在戦闘〕の域に達しているからだろう。戦闘にいちいち身構えることなく移行することができる常在戦闘。その域に達した武人をアリサは長く生きてきて十数人しか見ていない。しかも、敵として相対したことは無かったのだが。
(これは、言葉で駆け引きをしている余裕はないわね。常在戦闘を体現できる相手には、奇襲も無理。出し惜しみせず、最初から全力でいくしかない!!)
 彼女はその雰囲気を一変させる。色白な肌に鱗が浮かび上がり、硬く覆い尽くす。手の爪は鋭く伸び、金属の光沢をギラリと浮かび上がらせた。そして最大の特徴である肩まで伸びた髪を蛇へと変化させた。
 シュー、シャー。
 それぞれの蛇が舌を出しながら威嚇音を出す。
 メデューサの最大の特徴は、メデューサの姿を見たもの、正確には顔を見たものを石に変えるという能力である。よって、敵は顔を見て戦えない。相手の顔を見ないで戦うということは、言葉だけでは簡単に思えるが非常に難しい。相手の表情、特に目の動きは、相手の次の行動を読む手掛かりとして無意識のうちに追うことが多いからだ。身体の輪郭を見据え、その変化で動きを読むことも無効である。焦点は合っていなくても網膜には彼女の顔が映っているからである。よって、敵は彼女の姿を確認せずに戦わなくてはならない。今までの敵たちは、足元だけを見て戦うだとか、鏡に映して見るだとか、目をつぶり闇雲に剣を振り回すなど様々な手を考えて挑んできたが、アリサは全て石にして勝利している。自動追尾の魔法を唱えた魔術師もいたが、アリサ自身が持つ強大な魔力がそれの命中を許さなかった。
 また、変身することによって、アリサの身体能力は飛躍的に跳ね上がる。身体能力だけを比べれば、今のアリサは、どんなに鍛えていてもただの人間であろう目の前の男を凌駕しているはずである。
「ヘル・ファイア・ボー!!」
 アリサは、直径2メートルの特大火球を地面すれすれに男へ向かって放った。そして、火の玉を追うようにして男へ走りよる。男からは火球に隠れて、アリサの動きは見えないはずだった。
 常在戦闘に達した人間を、不意打ちの魔法一発で倒せると彼女は考えていない。しかし、どんな達人でも攻撃をかわせば、必ず隙を見せる。それに乗じて攻撃するという使い古された攻撃だが、有効だから使い古されているわけで、下手に奇策を仕掛けて墓穴を掘るよりはいいだろうと判断したのだった。それに、火をかわすにしろ、弾くにしろその瞬間は彼女の動きを男の目は捕らえきれないはず。本能的に相手の姿を探すはずで、そのとき彼女の顔を見るかもしれないという思惑もあった。
 火の玉が男に届くかどうかというところで、男は空から目を離し、火の玉(及びアリサ)の方に顔を向けた。男は腰の剣を無造作に抜き、剣を斜めに構えることで魔法を上空へ弾き飛ばした。
アリサは魔法の着弾を確認せずに、男の利き腕とは逆の左にいったん跳び、伸ばした爪で襲い掛かろうとした。
 手を振り上げながら男の表情を確認すると、別に慌てた様子もなく目を閉じていることが見て取れた。アリサは、それを確認すると襲い掛かろうと溜めていた膝のバネで一気に後方へ跳んだ。
(真眼?!)
 男の顔を見た瞬間、彼女は目を瞑った男からありえない視線を感じ、それを悟った。
 見切りを現す心眼の上を行く、一種の空間把握能力、〔真眼〕。心眼が五感の情報をもとに第六感を働かせて、紙一重で攻撃を避けるのに対し、真眼は五感から得られる情報を全て捨て、第六感だけで状況を完全に把握する。その把握は時に未来にまで及ぶという。
 アリサはすぐに勝つことを諦め、死ぬことを覚悟した。真眼が使える存在は、この世界でも一握りしかいないはずである。アリサも伝説の怪物と呼ばれる実力者であり、それほどの相手では何をしても無駄であろうことは想像がついた。そして、どうせ死ぬのが決まっているのなら、この姿では死にたくないと戦闘体制を解きはじめた。
 アリサは自分の今の姿、そして、この能力が好きではない。いや、憎んでいるといってもいいだろう。こんな山奥にたった一人で引きこもることになった原因なのだから。それだけに、死ぬときは普段の白い肌で死にたいと思っていた。もっとも、人の手に掛かってとは思っていなかったのだが…。
 身体を覆っていた鱗が、鳥肌が引くように白い肌の中へと吸い込まれていく。爪は適度なところでぽきりと折れ、地面に転がった。頭の蛇は沈黙し、やがて元の美しい黒髪へと戻っていった。
「私も伝説の怪物メデューサと呼ばれる存在、少し戦えばあなたの実力はわかります。私の実力では、あなたに傷一つつけることはできないでしょう。さあ、私は抵抗しません。その剣でばっさりと切り捨てるなり、首を刎ねるなりしなさい。さあどうぞ。」
 アリサはその場に座り込み、目を瞑って最後のときを待った。
 しばらくは沈黙が続いたが、やがて男の足音が彼女に近づいてくるのが聞こえた。足音は彼女の目の前にまできて止まった。
「あのう、ちょっと誤解されているようですが…。」
 男の戸惑ったような声が聞こえる。
 アリサはカッと目を見開き、その眼光で男の言葉を遮る。
「今の姿で殺しては、普通の女と見分けがつかないとご心配ですか?大丈夫、私が死ねば蛇の頭と鱗を持った姿になる、いいえ、戻るわ。安心して。ああ、そうそう、私の顔は死んでも石化の能力が残っているから気をつけてね。それから、なるべく苦しまないようバッサリやってくれる?バッサリ。あなたの腕なら簡単なことでしょう。お願いね。」
 アリサは早口で言いたいことを言うと、また目を閉じて最後のときを待つ。
「いや、そうじゃなくて…。」
 煮え切らない男の言葉に、アリサは再度口を開いた。
「私の言葉が信用できませんか?死んだらあの醜悪な姿に戻るって言っているでしょう。信用してよ。さっさと殺してあなたの武勇の一部にすればいいでしょう。あの姿になれっていうのならお断りよ。絶対、いや!!死ぬときぐらい自由な姿で死ぬわ。たとえ死ねば元に戻るとしてもね。どんなに頼まれても、それだけは死んでもお断り。あっ、これから死ぬから関係ないか、あはははは。」
 アリサは悔しさで涙ぐみながら、乾いた笑い声をあげた。
「すいません!!俺の話も聞いてもらえないですか!!さっきから、あなただけしか話してないじゃないですか!!」
 男は声を張り上げて、少しあっちの世界へ行きそうになっていたアリサを現実世界に引き戻した。アリサは笑うのを止め、男を見つめた。アリサにまじまじと見つめられた男は、恥かしくなったのか目をそらし、またぼそぼそと話し始めた。
「いや、その、俺は別にあなたを倒しにきたわけではなくて、その、あなたにおねが、いや、ううん、会いに、そう、会いに来たんです。」
 つまりながらではあったが、男は目的を告げた。
 アリサは予想外の言葉に唖然とした。
「ええと、内容確認のため繰り返します。あなたは、私に会いに来た。私に危害を加えるつもりはない。これでいいですか?」
「ええ、それでいいです。」
「敵ではない?」
「ええ、少なくとも今の俺は、あなたの敵ではありません。」
「もしかしなくても、お客様?」
「あなたがそう思ってくださるのであれば…。」
「私はお客様に攻撃を…」
「いやあ、少しびっくりしました。」
「……………。」
 黙りこんだアリサを男は心配そうに覗き込んだ。
「どうかしましたか?」
「ごめんなさい。」
「えっ。」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさーい。」
 その後、たっぷり三十分間、男はその場で彼女の謝罪の言葉を聞くことになった。

つづく


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