作:愚印
マークが日課である朝の鍛錬から戻ってくると、いつものように白を基調にした簡素な服を着たアリサが、洞窟の出口の前で待っていた。
「ねえ、マーク。その左腕、やっぱり元に戻した方がいいと思うの。」
「いきなりどうしたんですか。俺、何か気に障ることでもしましたか?」
突然のアリサの申し出に、マークは面食らっていた。なぜ、今になってこんなことをいいだしたのか、心当たりがまったくなかったからである。確かに昨日の闘いの後、落ち込んではいたが、夕食時には元のアリサに戻っていたはずなのだが…。
「いえ、そうじゃなくてね。昨日、一晩中考えてたんだけど、例え、あなたの読んだ文献が正しかったとしても、不老の効果はやっぱり得られないと思うの。」
「なんでですか?」
念のために尋ねたが、効果という点であれば、マークはすぐにその理由を想像できた。彼は依頼する前からこの問題に気付いていたからである。そして、その解決策も…。
「だって、石化のコントロールは、以前言ったように私が死んじゃえば解けちゃうのよ。確かに私の一族は、人間に比べれば遥かに長寿よ。でも、私はあなたも知ってのとおり、敵の多い身。あなたが期待するほど、効果を持続させることができるかどうか…。」
「それはアリサさんの身に、何かがあるってことですか?そんなことはさせませんよ。そのために、用心棒の俺がいるんじゃないですか。」
マークは少し不満だった。彼女は自分を信用してくれていないのだろうか?
「あなた、自分の言葉を忘れたの?強くなるために私のところに来たのでしょう?強くなるためには、用心棒をしているだけではダメ。あなただって言ってたじゃない。用心棒をするのは、しばらくの間だって。それに、これは私自身の闘いだから、やっぱりあなたを巻き込むわけには…。」
アリサは、闘いの中で生きていくには、あまりにも優しすぎると、マークは思った。利用できるものは利用するべきだろう。彼女の人生から、生きるための闘いがなくなることは絶対にないのだから…。その能力ゆえに…。
彼女にとって、優しさが最大の長所であることは、マークも認めている。しかし、その優しさが、過酷な運命の中で彼女自身を傷つけ、これからも延々と傷つけ続けるであろうことも、容易に想像できた。
「アリサさん、俺は最初に、こうも言ったはずですよ。効果の成否に関わらず用心棒をさせてもらうと。つまり、例え、アリサさんの言うとおりだったとしても、俺にはあなたの用心棒をすべき理由があります。アリサさんも同じだと思うんですけど、俺、人との約束を破りたくないんです。それに、今の状態は俺にとって、不老の効果が得られなくても非常に理想的な状態なんです。左腕のミスリルは、俺の戦闘に今まで以上の幅をもたらしてくれると考えています。それと、こんなことは言いたくないんですが、仮に、そう仮にですよ、アリサさんの身に何かあったとしても、俺にデメリットはありません。左腕が元に戻るだけです。多少の慣らしは必要でしょうけど、それほど俺自身に影響はないはずです。」
マークは、いったん言葉を切る。チラリと自分の左腕に目を向けた。
「いえ、左腕なんてどうでもいいんです。お願いします。用心棒をさせてもらえませんか?アリサさん、お願いします。これは俺の信用というか、信念というか、俺の妥協できない部分なんです。お願いします。それと俺が用心棒の間に、敵が来なくなる方法を考えるつもりです。きっと、何か方法があると思うんです。」
マークは必死になってアリサを説得している。自分でも何の具体策もない気休めのような提案だとは思ったが、言わずにはいられなかった。
「それと、もし、もし、用心棒が迷惑だというのなら、俺はこの洞窟を出て行きます。迷惑をかけたら本末転倒だから…。」
マークは、もしアリサがそれを望んだら、洞窟に辿り着くまでの山中で、アリサの敵を切り捨てるつもりだった。彼の中には、それをするだけの理由があった。
「め、迷惑だなんて。わかった、わかりました。あなたの気持ちはわかったわ。左腕はそのままにしておきます。用心棒もしてもらうわ。ごめんなさい。突然変なことを言って。さあ、遅くなったけど朝食にしましょう。」
「こちらこそ、生意気なことを言ってすいませんでした。」
(ありがとうございます。アリサさん。そして…、すいません。)
マークの心の言葉は、誰にも聞こえなかった。
「メデューサさん、出てきてくれない?お話があってきたの。」
洞窟の入り口から、気の強そうな女の声が響いてくる。
「アリサさん、お客さんが来てますよ。」
「そうねえ。ちょっと行ってくるわ。」
昼食の片づけを終えてエプロンを外しながら、アリサは慌てて出て行こうとする。そんな彼女を、ソファーに身を沈めたマークが呼び止めた。
「もし、なんだったら俺が行きますよ。」
「話し合いに来たって言ってるのに、いきなり用心棒を出すわけにもいかないでしょう?それに、敵だった場合、あなたはまだ、ミスリルの腕に慣れていないみたいだし。」
「じゃあ、俺は広場の隅で見ていますよ。俺もその話しってやつに興味がありますから。」
「いいえ、やっぱりここで待っててもらえない?やっぱり、御指名の私だけで話を聞くのが礼儀だと思うから。後で、ちゃんと内容は教えてあげるから。」
「そうですか…。危なくなったら、無理をせず、すぐ呼んでくださいね。」
「はいはい。頼りにしてるわよ。」
洞窟の前には真っ赤なドレスに身を包んだ、二十代後半ぐらいの若い女性が、黒服の2人の男を背後に引き連れて立っていた。珍しいものを見るかのような、無遠慮な女の視線をなるべく気にしないようにしながら、アリサは口を開いた。
「こんにちは、私がメデューサですけど?」
「私はカレン。この国で王様の次にお金持ちの存在よ。」
少し横柄な態度のリサという女を、アリサは困惑の表情で眺めた。
(こんな山奥で国やらお金やらの話を出されてもピンと来ないな。)
「そのお金持ちさんが、私に何か御用ですか。」
「あなた、こんな山奥ですむのは不便でしょう?私の屋敷に来ない。楽な生活をさせてあげるわよ。」
また、変わった提案だとアリサは思った。伝説の怪物である自分を引き取りたいなどという突拍子のない話に、彼女は戸惑いを隠せない。今のところ、カレンの言葉からは悪意は感じ取れない。それだけに、その真意が不明だった。
「それは、ありがたい申し出ですけど、いったい何のために?」
「あなたは伝説の怪物と呼ばれるメデューサ。あなたを屋敷に養えば、社交界で自慢ができる。あなた自身もいい暮らしができるし、悪い条件じゃないと思うけど。それに、あなた、戦いの日々からも開放されるのよ。」
戦いの日々からの開放。その言葉はアリサにとって非常に魅力的だった。呪われた運命と決別できるかもしれない。しかし…。
「お断りします。私がここに住んでいるのは、昔、この国の王と約束をしたからです。確かに魅力的な申し出ですけど、受けるわけにはいきません。それと、私はあなたのペットになるつもりはありません。申し訳ありませんが、お帰りください。」
「なんですって。私がわざわざあなたのために出向いてきたというのに。許しませんわよ。私の名誉に賭けてもつれて帰ります。ポヤッチオ、クロッキー、やーっておしまい!!」
「「アラホラサッサー!!」」
カレンは胸元からシルバーの変わった眼鏡を取り出し装着する。同様に黒服達も同じ眼鏡を装着した。
その様子を見ながら、アリサは髪をざわめかせ始めた。
キーン。
カン。
戦闘が始まって数分。戦いは膠着していた。
二人のナイフによる絶え間のない攻撃はアリサに魔法を唱える余裕を与えない。爪で攻撃を受けるのがやっとの状態だった。
(なかなかやるわね。それにしても、おかしいわ。私の顔を見ているはずなのに石にできない。)
「フフフ、お生憎様。彼らの、そして、私のこのゴーグルは、あなたの顔の情報だけにモザイクをかけて伝えてくれる優れもの。通常どおり、あなたの顔を気にせずに戦うことができるのよ。私も、戦いの様子を心置きなく見ることができる。お金さえあれば、この程度のものを作り出すことも可能なのよ。あなたの石化能力は、これでもう怖くないわ。所詮、伝説なんて古いのよ。」
ドサリ。
その言葉が終わるか終わらないかの内に、2人の黒服は地面に倒れ伏していた。
「すいません、遅くなって。とりあえず、当て身で眠らせておきました。大丈夫ですか、アリサさん?」
いつの間にか倒れた黒服の間にマークが立っていた。その立ち姿は、以前からそこにいたかのような錯覚を起こさせる自然な佇まいだった。
「ありがとう。さあ、これで勝負あったようね。」
アリサは倒れた黒服2人を確認すると、鋭く伸ばした右腕の爪をカレンに向けた。
しかし、カレンはそれほど動揺した様子もなく、むしろうれしそうにマークへ声をかけた。
「ねえ、そこのあなた。」
媚びるような熱っぽい視線が、マークを絡め取る。
「お、俺のことですか?」
(なんで、あなたが動揺してるのよ。)
「そうよ、あなたのことよ。あなた強いわね。私のボディーガードにならない。」
「えっ、いえ、それは。」
(はっきり断りなさいよ。)
「給金は弾みますわよ。それと、私を自由にしてもいいわ。私、強い男が相手だと燃えるのよ。」
その妖艶な魅力を発揮するため、深く入ったスリットから白い太腿を、その上の黒の下着をちらりと覗かせる。
「ゴクリ、いえ、そんなことを言われても。」
(なによ、今の間は?私の用心棒なら、早く断りなさいよ。)
「それに、この女は人間よりもずっと長い寿命を持っているのよ。あなたも知っているのでしょう。普段は若々しい姿をしているようだけど、実際の年齢は…。」
パン!!
アリサはカレンの言葉を遮り、風のように一気に彼女へと間を詰めると、頬を叩いた。ショックで特殊なゴーグルが吹き飛び、カレンはアリサの顔を直接見た。
石化は瞬間的に行われ終了した。カレンには抗議の声を上げる時間も与えられないまま石像と化していた。まるで口を封じるような石化だとマークは思った。
カレンは左腕の肘から先を残して石にされていた。短めに切り揃えられた髪は、頬を叩かれた時に振り乱れたまま、色を変えて宙に固定されている。派手派手しい赤の衣装は繊維一本一本がそのまま石になっているためか、質感そのままに石になっていた。スリットから覗く長い足は、石になっても色気を失っていない。唯一、生身で残された左手が、どういう仕組みか時折ピクリピクリと動くのが、異様で哀れだった。
突然、アリサがマークの方に向き直す。
「ねえ、マーク。あなたは私の年齢が気になる?それとも気にならない?」
とびきりの笑顔を向けるアリサの口から、普段の彼女からは考えられない低い声が響いてきた。その背中から、どす黒い怒気があふれ出るのをマークは見たような気がした。その目は笑っておらず、気のせいだろうか、自分の左腕の石化範囲が少しずつ広がっているような気がする。
(返答を間違えれば、俺はここで死ぬ。そう、石化とは限らない。何らかの形で必ず死ぬことになる。)
戦闘で感じる、突き抜けるような緊張感ではなく、粘りつくようなプレッシャーがマークを包み込む。
その緊張を振り払うように、ゆっくりとマークは言葉を紡いだ。
「お、俺、アリサさんの年齢に、興味、がない、といえば、嘘になります。あなたのことを、もっと知りたいって気持ちが、あります。でも、これだけは信じてください。たとえ、年齢がどうであれ今のアリサさんが俺にとってのアリサさんだから。そ、それだけ、です。」
「………。」
アリサの沈黙が続く。
マークの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
(俺は、言葉を誤ったのか?でも、あれが俺の嘘偽りのない気持ち。アリサさんに嘘はつきたくないから。)
「許さない!!」
(しまった。嘘をついておけばよかった。相手を安心させる嘘は、嘘の内に入らないと聞いたことがある。何で嘘をつかなかったんだ、俺は。)
先ほど思ったことと、180度違う後悔をするマーク。極度の緊張感が思考能力を低下させているらしい。
「なーんてね。冗談よ。年齢ぐらいで、許す許さないだなんてくだらないこと、考えないわよ。あなたの態度がハッキリしないから、ちょっとからかってみただけよ。」
いたずらっぽい笑顔をマークに向けるアリサ。その表情に、先ほどまでの闇に染まった雰囲気は感じられない。
(ふー、助かったのか、俺は。今は何も感じないはずの左拳に、冷たい汗の感触が残っているような気がする。それから、アリサさん。冗談であれだけの殺気をまとうことは、普通できませんよ。とにかく、今後、年齢の話は絶対しないことにしよう。)
思っていることをおくびにも出さずに、マークは渇いた笑いで答えた。
「ははは、冗談ですか。そうですよね。ははは。」
「ふふふ、おかしなマーク。」
「どうします。この人たち?」
「カレンさんは、元に戻すわ。さすがに、これだけ痛めつけられたら素直に帰るでしょう。」
「じゃあ、俺は倒れている2人の意識を取り戻しますから。」
「ぐっ。」
マークに活を入れられた黒服たちは、うめき声と共に意識を取り戻した。
アリサはカレンに手を当てて念じる。
カレンの唯一残っていた左腕の生身の部分を起点にして、石の部分が急速に生身へと戻っていく。まず、その妖艶な服が元に戻り、続いてそれを追うように肌が、元の色に戻っていった。
完全に生身に戻った瞬間、カレンは膝から座り込んだ。
「ふー、酷い目にあったわね。石の感覚って初めて体験したわ。」
「くそっ。」
黒服達が再び攻撃に移ろうと、身構え始める。しかし、よろよろとしながらも、なんとか立ち上がったカレンが、それを押しとどめた。
「おやめ!!あんたたち、命があるだけでもありがたいんだから、余計な真似をするんじゃないよ!!」
タイミングを見計らって、アリサが声を掛ける。
「今日のところは、お帰り願えますか?たとえ、あなたの見栄から出た提案であったとしても、私には私の境遇を哀れんだ上での提案だと思えました。それに、黒服さん達の攻撃にも、生け捕りにするための手加減が感じられました。そんな数少ない自分の理解者と、これ以上戦いたくはありません。」
カレンは、アリサを一瞥すると、すぐにマークへ向き直った。
「わかったわ。今日のところは帰らせてもらうわ。そこの彼の強さに免じてね。ねえ、あなた、名前は?」
「マークです。」
「マーク。いい名前ね。それじゃあマーク、また会いましょう。私の強い男が好きって話、嘘じゃないから。いつか、私の夜の相手をしてもらうからね。それと、その女に飽きたら、いつでも私を訪ねてきて。あなたなら大歓迎よ。」
帰り際、何かを思い出したように、カレンはアリサに近寄って小さく囁いた。
「アリサだったかしら?一応謝っとくわ。ごめんなさい。金持ちの気まぐれに付き合わせちゃって。余計なおせっかいだったようね。それよりも、あなた、もっとがんばりなさい。マークのことよ。あなたもわかっているとは思うけど、こんなチャンスは二度と来ないわよ。じゃあ、またね。」
こうして、自称お金持ちの一行は去っていった。