狩人の憂鬱

作:愚印


 朝靄が僅かに残る森の中、木漏れ日の間を長い金髪がすり抜けていく。特徴的な細長い耳が、髪の合間から見え隠れしていた。
 研ぎ澄まされた感覚が敵の位置を的確に捉え、指から放たれる矢が次々とモンスターを屍の山へと変えていく。羽をかたどった特徴的な髪飾りが弦の戻りにあわせて揺れ、人差し指に輝く指輪が木漏れ日を反射し腕の動きに合わせて光の軌跡を描いていた。エルフの少女は、一端弦から手を放すと風に靡く金髪をその手で掻き揚げた。
『森の神の愛娘』と称されるエルフの少女、エルウィンは、たった一人でモンスターハントに来ていた。
「シオンはいったい何を考えているのかしら?」
 呟きというには大きすぎる独り言には、隠しようのない苛立ちが込められている。周辺から魔物の気配が消えたことを確認し、弓を握り締めたままエルウィンは森の奥へと移動を始めた。彼女の苛立ちは、つい数刻前に仲間であるシオンの寝言を聞いたときから始まっていた。

 記憶を失った気弱な少年、シオン。大けがを負って倒れていたシオンを、最初に発見したのがエルウィンだった。彼女の手厚い看病の元、シオンは順調に回復していった。エルウィンは彼を頼りない弟のような印象で見ていた。そのため、怪我が治ってからも恩返しの要求を理由に何かと世話を焼いていた。姉代わりのつもりだった。
 しかし、少年が握り締めていた『双竜の指輪』、装備者の能力を極限まで引き上げる一対の指輪が、シオンの、そしてエルウィンの境遇を一変させる。
 平穏な時を切り裂くように城塞都市国家シルディアに降り掛かった神聖帝国ルーンガストの侵略。シオンとエルウィンは成り行きでシルディアを守る遊撃傭兵騎士団ヴァイスリッターに入隊する。少人数で孤軍奮闘するバイスリッターにとって、双竜の指輪は作戦上なくてはならないものだった。指輪の持ち主で、左手にその一つを封印され外すことのできないシオンは、嫌が上でも傭兵部隊の中心人物にならざるを得なかった。避けられぬ戦いの日々は少年に成長を施し、それは少しずつではあったがエルウィンの少年に対する感情を変化させていった。

 二人が寝泊りしている勇者亭の朝は早い。その日、今や自室と化した二階客室で目覚めたエルウィンは、ちょっとした悪戯心でシオンの眠る隣の部屋へと忍び込んでいた。何も知らずにベッドで眠るシオン。看病時に何度も見た寝顔だが、今の幸せそうな寝顔はいつにもまして彼を幼く見せていた。
「子供みたいね。」
 すやすやと眠るシオンの寝顔を眺めながら、エルウィンは小さな幸福を感じていた。その時までは…。
「う…、ううん…。」
「あっ、シオン、目が覚めた?」
 エルウィンは少年の顔を覗き込んだ。寝ぼけているのだろうか?目を瞑ったまま僅かに口を動かしている。そっと耳を口に寄せる。息が掛かり、くすぐったそうに耳が震えた。
「何て言ってるのかしら?」
「…。ブランネージュたん、はあはあ。うんん?ブランネージュたん、ぱんつはいてない?」
 シオンの寝言を聞いて蒼白になるエルウィン。いつの間にか握っていた拳がプルプルと震え始める。そうとも知らず、シオンは口元に笑みを浮かべながらゆっくりと目覚めようとしていた。
「あれ?おはよ…。」
 ガスッ!!
 肘を鳩尾に沈めると、悶絶して再び眠りについたシオンから双竜の指輪を取り上げ、エルウィンは階段を駆け下りた。指輪を右人差し指に嵌め、『稲妻の弓(貫通30%)』を手にたった一人で勇者亭を飛び出していったのだった。(注1)

「なによ、ブランネージュ、ブランネージュって。あんな、冷血銀髪女のどこがいいのよ。」
 胸に溜まった澱を吐き出すように、可憐な唇から独り言が溢れ出る。攻撃の手を休めることなく、エルウィンは心の内を声に出して叫んでいた。
 ブランネージュは同じヴァイスリッターの一員だったが、彼女の周囲に対する冷ややかな態度をエルウィンはあまり快く思っていなかった。
「バカじゃないの!!大体、ノーパンが何よ。私は『本気の下着(ダメージモーション回避50%、魅了攻撃50%)』を着けてるんですからね」
 勇者亭の宿泊代を払うためにウエイトレスを手伝っている時、客が酒の肴に彼女の話をしているのをエルウィンは聞いたことがあった。
『ブランネージュはエロイよな。』
『ぴっちりとした服に、それを押し上げる豊かな胸。そして、服の上からもわかる乳首の位置。』
『にもかかわらず、下着の線は浮き出ないとくれば、下着を着けていないという噂も納得せざるをえないよな。(注2)』
『あの冷たい態度もポイント高いよ。』
 もっともその時は、ヴァイスリッターの団長兼勇者亭のマスターであるヴォルグが、皿洗いをしているシオンの腰を舐めるように見つめている姿に、言い知れぬ不快感を覚えていたため、それほど気にもとめていなかったのだが。
「だいたい、女が多すぎるのよ。ヴァイスリッターは!!」
 肉片を飛び散らせながら、狼型のモンスターが血の海に沈んでいく。
 ヴァイスリッターは少数精鋭の部隊だが、女性の比率が高い。巨乳巫女のリュウナ、猫耳くノ一のマオ、冷血魔女ブランネージュと、エルウィンを含めて隊員の半数近くが女性で占められている。シオンは仲間たちと分け隔てなく接していたが、エルウィンはその八方美人な態度に不満を持っていた。
「私が助けなければ死んでいたかもしれないのよ。ちょっとは感謝の気持ちを態度で表しなさいよ。何よ、助けてあげた恩を忘れて、他の女を夢に見るなんて。こうなったら、私の魅力と実力をアピールして、シオンの気持ちを取り戻してみせるんだから。」
 弦に掛かる指に力が入る。怒りが込められた矢は、蝙蝠型のモンスターを貫通し一直線上の敵を屍へと変えた。矢は光に姿を変え、次々と敵の数を減らしていく。
「こんなものかしら。」
 最後の一匹が息絶え、エルウィンは大きく息を吐いた。
 張り詰めた気を緩めようとした瞬間、強大な邪気が背後から吹き付けてきた。
「何?」
 弓を構えながら、後ろを振り返る。そこにはゆっくりと近づいてくる巨大なドラゴンの姿があった。
「何でこんなところにこんな奴がいるの?こんな街の近くにドラゴンなんて。」
 モンスターの頂点に立つ存在であるドラゴン。旅先で様々な経験をしてきたエルウィンだったが、その巨影を見るのは今回が2度目だった。始めてみたのはどこでだっただろうか。確か側にシオンがいたと思うのだが…。
「でも、私の実力ならなんとかなるはずよね。」
 近づいてくるドラゴンに対して、円を描きながら一定の間合いを取る。飛び道具という武器の特性上、身軽さを生かして常に敵と距離をおくのがエルウィンの戦い方だった。動きの鈍いドラゴンの背後を簡単に取ると、得意とする連射を試みる。
 ザスザスザス!!
 小気味よい音を立てて、白い指から解き放たれた矢がドラゴンを射抜いた。ドラゴンの動きは傷を負っても鈍いままで、その巨体はあっという間に穴だらけになっていく。
 グオオオオオオン!!
 苦悶の鳴き声を上げた後、ドラゴンは体のいたる所から血を噴出しながら、その巨体を地面に横たえた。
「やったの?」
 勝利を確信するエルウィン。しかし、ドラゴンの口が僅かに開き、不用意に近づいたエルウィンに向かって真っ白なブレスが吐き出された。
「そんな!!まだ、生きていたなんて。」
 それが最後の力だったのだろう。ドラゴンはその後ピクリとも動くことはなかった。
 直接的なダメージは無いようだが、体の動きが鈍い。エルウィンは自分の迂闊さに舌打ちした。
(くっ、スローね。)
 体の動きが半減する状態異常、スロー。敵が残っていれば痛恨の一撃を受ける可能性もあったが、全滅している以上それほど脅威ではないだろう。
 しかし、すぐに自分の判断が間違っていることにエルウィンは気付かされることになる。
 スローであれば、体が粘度の高い液体の中を歩くように、拘束されるような不自由さを感じるはずだった。しかし、今回は疲労で全身が重くなるような、体そのものが石になっていくような不気味な感覚を伴っていた。
(まさか?本当に石になっているの!!)
 目に映る自分の腕が、色素が抜け落ちるように真っ白に染まっていく。それに伴い痺れが全身を支配し始めていた。
(だめ、慌てちゃダメ。こういうときこそ、落ち着かないと。)
 エルウィンは何か役立つものはないかと自分の持ち物を確認した。慌てて飛び出してきたため、毒消ししか持って来ていない。試しに飲んでみたが、石化の進行に何ら影響を与えることはなかった。(注3)
「嘘よね、こんなの。何かの間違いよね。」
 元々白い肌が雪の様に白く染まり、皮膚の質感や産毛をそのままに硬い石へと変わろうとしている。関節が強張り、『稲妻の弓』が真っ白に染まった指からこぼれ落ちた。慌てて足元に落ちたそれを拾おうと思ったが、体は指一本動こうとしない。
「まだやりたいこと、ううん、やらないといけないことがあるのに。こんなところで…。」
 痺れが一段と強くなり、感覚の消失へと変わっていく。服の中で己の肉体が血の通わぬ石へと成り果てていくのが、エルウィンにははっきりと感じ取れた。
 戦いにその身を置いてからは、常に死を覚悟していた。実際、手にした弓でいくつもの命を奪っていたし、命の消える様を間近で見てきた。敵の刃が己を貫く予感に目を瞑ったことも何度かある。しかし、石化という結末は予想の範囲外だった。肉体が石に成り果てた時、エルウィンという意識はどうなるのだろうか?石化という未知なる終焉は、奈落の底へ落ちるような不安と恐怖でエルウィンの心を染め上げていった。
 今やエルウィンの体は、服や装飾品を除いて真っ白に染められていた。流れるような金髪も、風に靡いたまま純白に侵食され固まっていく。
「いやよ、いや、いやいやいや!!」
 目に映る景色が白一色に覆われていく。色の付いた世界が純白に染め上げられた瞬間、エルウィンの視界は暗転した。
「シオ〜〜〜ン!!」
 悲痛な叫びが、木々の切れ目から覗く青空の切れ端へと吸い込まれていく。
 そこには一体の石像が残されていた。唖然と己の両手を見詰めるエルフの像。純白の硬い肌は、以前の快活な魅力を奪い、代わって神秘的な美しさを引き立たせていた。

 絶望を具現化した女神像が、音の絶えた森林に佇んでいる。頭部に嵌め込まれた髪飾りだけが、僅かに風に揺られていた。

「うーん。」
 エルウィンが再び意識を取り戻すと、目の前にシオンの心配そうに覗き込む顔が見えた。
「あっ、気が付いた?よかった。」
 不安から安堵に表情が変わる。目覚めたばかりのエルウィンには、それがとても新鮮に思えた。
「助けてくれたの?どうして私がここにいるとわかったの?」
「指輪の能力のおかげだよ。そんなことより、どうしてこんな無謀なことをしたの?」
 シオンの穏やかな口調から、エルウィンは双竜の指輪が外されていることに気が付いた。指輪装着中で性格が激変したシオンなら、頬を叩かれていたかもしれない。(注4)
「とにかく、万能薬が効いてよかったよ。見たことのない症状だったから、効果があるかどうか不安だったんだけど。」
 双竜の指輪を身につけている間は、体力回復薬にしろ状態回復薬にしろ、どちらかが薬を飲めばその効果はパートナーにまで及ぶ。そうでなければ、石と化したエルウィンに薬を飲ませることはおろか、口に含ますことすらできなかっただろう。
「もうダメだよ。あんなムチャをしたら。」
「ごめんなさい。」
(むしゃくしゃしてやった。今は反省している。)とも言えず、エルウィンはただ一言謝った。
「いや、責めているわけじゃないんだ。ただ仲間として勝手な行動はだめだってことを言いたいだけで…。」
「そう…。仲間…。」
(仲間、か…。)
 僅かに表情を曇らせるエルウィン。それを敏感に感じ取ったシオンが、心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「何か変なこと言ったかな?それとも、まだ気分が悪いの?」
「ううん、なんでもない。ありがとう。さっ、勇者亭に帰りましょう。」
(まあ、これからの頑張り次第よね。焦ることはないか。)
 勇者亭に向かって駆け出すエルウィン。シオンが慌てて追いかける。
「あっ、まってよ、エルウィン。」
 駆け出したエルウィンの耳には聞こえなかった。シオンの小さな呟きが…。
「一番大切な、ね。」

 おしまい(注5)


 注1:ゲーム中では必ず二人で出撃します。
 注2:ゲーム中にブランネージュがぱんつをはいているという描写はありません。
 注3:ゲーム中に石化という状態異常はありません。凍結はあります。
 注4:パートナーが指輪をつけることで、シオンの性格が変化します。
    エルウィンがパートナーの場合、シオンは乱暴で粗野な性格になります。
 注5:ゲーム中、ロードが頻繁に入るため、ゲーム本体、プレイヤーが激しくストレスを受ける場合があります。


愚印さんの文章に戻る