くのいちタンが行く 『凍結夢艶冶編』

作:愚印
イラスト:あおば


世は徳川の時代。
長い太平の世は、封建制度の綻びを確実に広げていた。
既に収拾が付かないほどにまで…。

 煌びやかな屋敷が居並ぶ武家地の一角に、古ぼけた屋敷がうらぶれた姿を晒していた。
 古くは、世に知られた甲賀の忍び屋敷。しかし、今ではその名残を、門の大きさでしか窺い知ることが出来ない。その門も苔生し、朽ち果てるままになっていた。
 戦国の世を伊賀忍びと共に暗躍した時代も今は昔。太平の世が続き、表を伊賀、裏を柳生に牛耳られた徳川隠密の中で、甲賀忍びは両陣営からの仕事を受けて細々と生き長らえていた。 

 蝋燭の炎の揺らめきが、二つの影を様々な形に変える。
 薄明かりの中、威厳を持った精悍な男が、腕組みをし、目を閉じている。
 目の前には、青い忍び装束に身を包んだ〔くのいちタン〕が、束ねた長髪を背に垂らしながら控えていた。
 〔くのいちタン〕の気の強そうな瞳が、ひたと男に向けられる。
「おカシラ、何の御用でしょうか」
「仕事を頼む。然る藩の外れに位置する村に、一揆の兆しがある。藩主としては、領内の揉め事をなんとしても押さえ込むため、隠密裏に首謀者を血祭りに上げようと刺客を送り込んだが悉く失敗。村に訪れていた座頭市という按摩師に、ことごとく切り捨てられたらしいのだ。世に知られた居合の達人らしい。そこでだ。お前には…。」
「わかりました。座頭市とか言う按摩の首を必ず取ってまいります。それでは!!」
控えた姿勢のまま、姿を消す〔くのいちタン〕。蝋燭の炎の揺れだけが、彼女の動きを捉えていた。
「お、おい、話しを最後まで聞け。その間に、藩主の悪事を暴けというのが今回の任務なのだが…、行ってしまったか。ふう。」
 頭を掻きながら、深いため息をカシラは付いた。


 数日後、帳の下りた渦中の村。
 その中心にそびえ立つ巨木の頂点に、〔くのいちタン〕の姿があった。
「いっつぁん、どこへ行きなさる?」
「いや、ちょいと野暮用で。」
「博打もほどほどにしなせえよ。」
「ちげえねえ。」
 座頭市が村長の家を出るのを見て、〔くのいちタン〕は千載一遇の機会だと思った。市は村長の護衛も兼ねているため、村長宅を離れることはほとんどない。しかもその役目柄、外出時も常に村長と行動を共にしていた。どこへ行くつもりかは知らないが、この機会を逃すわけにはいかないだろう。市の後を追うべく、螺旋を描きなら〔くのいちタン〕は巨木を降りていった。

 猛暑の余韻を冷ますことなく、じっとりとした熱気が夜を包んでいる。
 月が山間のあぜ道を明々と照らし、座頭市の背後に影法師が色濃く伸びる。

ヒタヒタヒタ
 姿なく市の後を付ける〔くのいちタン〕。
ヒタヒタヒタ
 気付いた様子もなく歩きつづける市。
ヒタヒタヒタ
 音もなくそれを追う影法師。
ヒタヒタヒタ
 市の足音だけが、両脇に広がる水田に響いていく。

 夏祭りの準備だろうか?櫓が組まれた広場まで来ると、座頭市は少し首を傾け、背後に声をかける。
「そろそろ、出てきたらどうですかねえ。」
 月明かりに鈍く光る赤塗りの杖を胸に引き寄せ、聞き耳を立てる市。
 気付かれていたことに愕然としながらも、見事な跳躍で市を飛び越え、忍び刀を抜く〔くのいちタン〕。
「座頭市ね、覚悟しなさい!忍法うすらいの術!」
 深い谷間が覗く胸元から、紙巻の煙玉を掴み出し投げつける〔くのいちタン〕。
キーン!!
 煙玉は、市の引き抜かれた仕込み刀の柄で弾かれ、〔くのいちタン〕の元へと跳ね返された。
「ちょ、ちょっと待ってよお。」
プシュー!!
 投げると同時に飛び掛ろうとした〔くのいちタン〕には、それを避ける術がなかった。
 悲鳴をあげるまもなく、煙玉から立ち上る妖しい煙が〔くのいちタン〕を包み込んでいった。

ピキピキピキ
 露出した腕に、焼け付くような痛みが走る。しかし、その痛みに身体は反応出来なかった。筋肉・血管を収縮させる前に、白魚のような腕は、その姿を変えることなく凍りつき、硬く固められていた。
パキパキパキ
 煙は忍び装束にも吸い込まれ、空気中の水分を氷結させながら繊維そのものを凍てつかせる。柔軟性を失った忍び装束は、あらゆる所にひびが入ったか思うと、あっという間に崩れ去った。
ガチガチガチ
 色白な素肌が露わになる。煙はその裸身にも、情け容赦なく襲い掛かった。急に勢いを増した煙は、その裸身を包み隠し、数秒後、霧散した。


 晒された、豊満な胸、桜色の頂。
 冷気に青く染まる、白い肌、薄い若草。
 弾けそうな太腿に、お約束の網タイツ。
 時の止まった、にらむ瞳に、気を吐く口
 その凍りついたすべてが、月に照らし出されている。

「姉さん、あっしに色仕掛けは通じませんぜ。」
 市が近づいてくる。
「姉さんには、村のために役立ってもらうってことで。」
 カチカチに凍りついた全裸の〔くのいちタン〕の背後にまわると、市は4箇所、背中の壺を突いた。
「不変の壺を突きやした。2週間はこのまま凍りついたままでやすから。」
「そ、そんなあ…。」
 頭を掻きながら、座頭市は身動きの取れない〔くのいちタン〕を小脇に抱えると広場を後にした。
 
「村長、これを世にも珍しい、夏でも涼しい抱き枕として献上すれば、殿様の機嫌なんぞ、すぐに良くなるはずですぜ。」
「それは名案。村の衆、聞いての通りじゃ。」
「わー!!」
「これで年貢の納期も、延ばすことが出来るじゃろうて。」
「わー!!わー!!」
「時間さえあれば、なんとか足りない分を工面できるはずじゃ。」
「わー!!わー!!わー!!」
「これでしばらくは、何とかなるじゃろうて。一揆の必要はなくなった!!」
「わー!!わー!!わー!!わー!!」
 村人達の喚起の声を聞きながら、〔くのいちタン〕はどうすることもできずに呟いた。
「抱き枕だなんて、ヒドイよぉ…。」
 その呟きに耳を傾けた座頭市は、頭を掻きながら口を開いた。
「姉さん、相手を誤っちゃいけませんぜ。動けるようになったら、ここの殿様のことを調べてみてくだせえ。この暑い夏の盛りに年貢を収めろという、無茶な殿様を調べてみてくだせえ。」

 そして、翌日。謝礼を受け取り、座頭市は村から消えた。
 数日後、村からの献上品に喜んだ藩主は、村への警戒を解く。年貢の納期も大幅に延長した。そして、〔くのいちタン〕は2週間、抱き枕として藩主と床を共にした。
 その後、怒りに燃えた〔くのいちタン〕によって藩主の悪行は白日の元に晒され、藩はお取り潰し、藩領は幕府に没収され、村を含めて天領となった。


 相変わらず、頼りない明かりに照らされた部屋には、前回と違い、人の気配が多数感じられる。
 十数人の忍びが居並ぶ中、〔くのいちタン〕は、カシラの前で跪いていた。
「今回は結果的にだが良くやった。給金を弾んでおくことにする。」
 言葉とは裏腹に、カシラの顔色は冴えない。その表情に気付かず、〔くのいちタン〕は満面の笑みを浮かべた。
「おカシラ、ありがとうございます。次もがんばります!!」
(彼女を任務に使わねばならぬ現状を考えると、甲賀忍びの行く末は限りなく暗いな。)
 同僚と自慢話に花を咲かす〔くのいちタン〕を一瞥すると、頭を掻きながら、カシラは部屋の隅に目を向ける。
(しかし、わしだったから良かったものの…。)
 目線の先には、赤塗りの杖が立てかけられていた。


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