続々・くのいちタンが行く 『裸氷器艶麗編』

作:愚印
イラスト:あおば


 この物語は闇に咲く一輪の可憐な花、〔くのいちタン〕の物語である。

これまでのあらすじ。
 貧乏な甲賀忍軍を救うため、高額な謝礼目当てに豪商越後屋の夕食で女体盛りになることを承諾した〔くのいちタン〕。気乗りのしない仕事だったが、やさしい彼女は、カシラからの懇願に近い仕事の依頼を断ることができなかった。

「はぁー、今の私ってなんだか惨めよね。」
 とある一流料亭の一室で、〔くのいちタン〕はスルスルと忍び装束をほどいていく。衣擦れの音と共に衣装が肩から落ちると、細いうなじから、真っ白な背中、小さく引き締まったお尻までが、行灯一つの薄暗い部屋の中にくっきりと浮かび上がった。少し恥ずかしそうに両手で前を隠しながら、〔くのいちタン〕はこれから自分が行う任務の内容に深いため息を付いていた。
 そこは八畳ほどの部屋で、真ん中に人が一人、大の字で寝れるほどの大きな戸板が置かれていた。
「お仕事、お仕事よ。考えちゃダメ。」
 〔くのいちタン〕は頭を二三度振ると、脱いだ忍び装束をごそごそと漁り始めた。
「よし!!」
 あらゆるものを凍結する術『うすらい』用の忍術玉を握り締め、一声気合を入れると玉を戸板の上に投げつけた。
 濛々と白い煙が戸板の上に低く広がっていく。
 〔くのいちタン〕は煙の中でポーズをとりながら板の上へ横になった。
(色々と注文が多いのよね、今日の依頼。えっと膝は閉じ合わせて、肝心なところが見えるか見えないかで見えるようにと…。少し儚げな表情でと、こんなもんかしら。胸と脇が無防備になるようにと…。右手は…。)
 ポーズを付けるとくのいちタンは隣室に控えているであろう料亭の使用人に声をかける。
「もう少しで準備完了でーす。お願いしますねー。」
 再度表情を作り直すと、白い煙に身を任し一気に凍り付いていった。もともと白い肌が白蝋のように白くなり、後ろで纏められた髪が凍りの結晶によって真っ白に変化していく。〔くのいちタン〕は慣れたもので、意識を失うことなく横たわり、体の変化を味わっていた。
(慣れちゃえば、なんてことないのよね。体が動かなくなって感覚が鈍くなるだけだから。でも、これをするといつも思うのよ。わたしの身体って、いつのまにか汚れちゃったのかな…って。)
 そんな取りとめのない事を考えていると、煙はいつの間にか消え去り、板の上にはカチカチに凍りついたくのいちタンだけが残されていた。
 料亭の屈強な使用人が4人、隣の部屋から入ってくると、〔くのいちタン〕を落とさないように気を付けながら戸板の四隅を持って持ち上げ、ゆっくりと運んでいく。長い廊下を横切り、男達は厨房へと戸板ごと〔くのいちタン〕を運び入れた。
「おっ、こりゃあいい器だねえ、姉さん。こいつはあっしも負けられねえ。腕によりをかけねえと。」
 板前の言葉をどこか遠くで聞きながら、閉じることのできない瞳でぼんやりと前方を見つめていた。
(早く終わらないかしら。)
 板前の捌いた魚介類が、彼女の身体の上に盛り付けられてゆく。少し生暖かく感じられる切り身の感触が少しくすぐったかった。巧みの技がふんだんに使われた芸術作品が、〔くのいちタン〕の肌の上に形作られていった。
「よし、客間に運び込んでくれ。それから、お客は器を据えてから半刻経ったら部屋に入れろ。それまでは絶対中に入れるな。料理と器がなじむのに半刻は必要だからな。」
(そんなものなの?)
 料理人の熱いこだわりを聞きながら〔くのいちタン〕は盛り付けられたまま、再び戸板ごと運ばれていった。今度に運び込まれたのは広くて豪華な部屋だった。見開いたままの瞳に、赤や金の極彩色が飛び込んでくる。
(悪趣味ね。こんなところで、こんな料理を食べる奴なんて、ろくなもんじゃないわよ。)
 四人の運び手は戸板を一旦畳に下ろすと、凍てついた〔くのいちタン〕を直接掴み、料理を崩さないように慎重に持ち上げた。そして、部屋の真中にゆっくりと〔くのいちタン〕を置くと戸板を担いですぐに部屋を出て行った。
(あと半刻か。少し寝ちゃおうかな?)
 瞳を見開いたまま、〔くのいちタン〕は浅い眠りに落ちていった。

(う、ううん。寝過ごしちゃった?)
 眠りから醒めると目の前に脂ぎった好色そうな親父の顔が広がっていた。
(ひえええええ!!いやああああ!!)
 〔くのいちタン〕の心の悲鳴は決して外に出ることはなかった。
「いや〜、『うすらいの術』で凍らせたクノイチで女体盛とは粋ですなぁ(笑)」
「いやまったく(笑)」
(ちょっと、カシラ。話が違いますよ。相手は一人じゃなかったんですか?聞いてませんよ、こんなの。)
 男の箸が刺身を摘もうとするたびに、箸先が不必要に突付き〔くのいちタン〕にもどかしい刺激を与える。彼女の身体はカチカチに凍り付いていたが、肌の表面はシャーベット状に溶けかけていた。上品さのかけらも無い食べ方で、美しい料理は平らげられていった。
 男達は、最初はとりとめのない世間話をしながら料理をつつくだけだったが、酒が入り料理の数が減ってくるとあらぬものまでつつきはじめた。
「おや、こんなところに煮豆が2つありますな。(笑)」
「ほんとうですなあ。綺麗に煮上がっていますなあ。桃色ですよ。(笑)」
「では、私は右の方を摘ませてもらいましょうか。」
「では、私は左のを。」
(ちょっと、それは私の…)
「ふむ、弾力がありますな。」
(ひっ、イタッ、痛い。もっと優しく…。)
「おかしいですな。器ごと引っ張られていますね。(笑)」
「まだ凍って張り付いてるんじゃないですか。(笑)」
「じゃあ、あとで舐めて溶かしませんか…(笑)」
「そうですな。(笑)」
(もういや〜(泣))
「おお、こんなところに赤貝が…(笑)」
「それは赤貝には相違ないですが、ひっひっひっ、また後の楽しみという事で…(笑)」
「そうですな。お楽しみ、お楽しみ。はっはっはっ(笑)」
(おカシラ、私もうお嫁にいけないよ〜(泣))
 二人の会話に耐え切れず、心に泣きが入る〔くのいちタン〕。凍り付きながらも意識のある『うすらいの術』に慣れた自分の身体を、今回ほど恨めしく思ったことはなかった。

 結局、片方の男が酔いつぶれ、もう片方の男がすぐに連れ帰ったため、豆を舐めたり赤貝を堪能したりすることはなかった。

 任務を無事果たし、〔くのいちタン〕はカシラの部屋へと足を運ぶ。任務の報告を兼ねてカシラに一言文句を言おうと、彼女は考えていた。
「失礼します。おカシラ、今回は一言言いたいことがあります。説明では客が一人と聞いていましたが…。」
「スマンが声をひそめてくれないか。頭に響くからな。」
 カシラの部屋は酒の匂いがプンプンと匂っている。カシラは布団の上に顔をしかめながら座っていた。
「おカシラ、お酒臭いですね。もしかして二日酔いですか?可愛い部下が血を吐く思いで仕事をしている時に、お酒をお飲みになっていたんですか?いえ、飲んでたんですね。私がどんな気持ちで今回の仕事を…(怒怒怒)」
「いや、その、スマン。今回の給金は弾むから…。」
「お金では誤魔化されませんよ(怒)」
「そうだ、お前に休暇をやろう。温泉なんてどうだ。」
「休暇、温泉、湯治…。本当ですか?今更、撤回しませんよね?」
「うむ、温泉地の手配もこちらで済ます。また追って連絡するから、そのときに任務の報告も頼む。なあ、今日はもう勘弁してくれないか?頭痛が酷くて…。」
「わっかりました。連絡待ってまーす。」
 入ってきたときとは打って変わって笑顔で出て行く〔くのいちタン〕を見ながら、カシラはボソリと呟いた。
「甲賀忍者の長たるものが二日酔いとは情けない。しかし、越後屋の奴、酒の飲み比べでワシがここまで追い詰められるとは思わなかったぞ。悪代官と悪巧みのたびに飲む酒の量は、伊達ではないということか。本当に危なかった。あのまま二人同時に酔いつぶれていたら、彼女に正体がばれるところだった。そんなことになったら…。いかに、越後屋の『後の食事』を阻止するためとはいえ、もう片方の客がワシだったと知ったら許してはくれぬだろうな。いや、それどころか…。ガクガクブルブル。」
 カシラは何かを振り払うように痛む頭を振りながら、腕組みをして考え込んだ。
「さて、今度は温泉か。確か依頼が一件あったはず。あれなら…。」

 〔くのいちタン〕の受難はまだまだ続きそうである。


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