作:固めて放置
細長い管の中にばんざいをした状態で閉じ込められた少女、結奈は
親友の美佳が巨大な(自分たちが小さくなっているだけだが)紳士によって怪しい処置を施され、
ガラスケースの中に身動き一つしない状態で封入されるのをまじまじと見せつけられた。
最初はその非現実的な光景にただ言葉を失っていた結奈だったが、完成した美佳の標本の観賞を終え、ケースを机の上に立て掛けたエヌ氏が彼女に視線を向けると、
結奈は雷に撃たれたかのように身震いし、その不自由な体勢のまま、彼に向かって叫び出した。
「ちょっと、私たちをいつまでこんな処に閉じ込めて置く気なのよ。
それに美佳・・・あんな姿にされて肌に針を刺されても身動き一つしないなんて。一体どうなっちゃったのよ。」
結奈の剣幕に対してもエヌ氏は動じることなく優しい笑顔で答えた。
「安心しなさい。彼女は死んでいる訳ではない。ただ覚める事のない深い眠りについているだけだよ」
そう言うエヌ氏の浮かべる笑顔は、おおよそ人の領域にあらざる『作業』をした者の浮かべる筈の『罪悪感』や『嗜虐心』と云ったものはなく、
それを行う事こそが、唯一無二、絶対的な『優しさ』である事を心から信じているものであった。
エヌ氏は底に1センチほど透明の液体の溜まっている1Lのビーカーの中に試験管の中の少女を典雅に移し替えた。
身体を縮められている少女の足首から下が水で浸された。
一体この男は今から何をしようと云うのか。結奈は自分にやがて振りかかるであろう惨禍に怯え、ただ震えていた。
そんな彼女にエヌ氏は両目から鋭い眼光を放ち、視線を合わせた。その視線を浴びた結奈は両腕をだらりと垂らし、虚ろな目つきになった。
そしてその状態でうわ言のように助けを乞う言葉を呟き続けた。
「私はあんな風にされるのは嫌・・・お願い・・・助けて・・・」
エヌ氏はまた別の薬の瓶を取り出すと、フラスコでぐつぐつと沸騰させた。
5分ほどしてから大きなスポイトを差し込み中の濃緑の液体を抽出した。スポイトの液体を一滴ずつビーカーの底に垂らした。
するとビーカーの底の液体と混ざり合った事で、シュワシュワと蒸気が発生し、ビーカーの中の結奈を包みこんだ。
「ごふっごふっ・・・ちょっと何よこれ・・・ 身体が、痒いわ」
蒸気を浴びた結奈はエヌ氏の催眠術が解けたのか、元の闊達さを取り戻したが、時すでに遅しであった。
取り分け痒みを覚える背中に手をやると、肩甲骨の辺りに二本の突起が出来、びしびしっと云う音とともに肌が割れ、そこから2対、4本の羽が生えてきた。
長いツインテールの髪の毛の色は透けるような桃色に変わり、その瞳の色も同じく桃色に変わった。耳はエルフの耳の様に尖ったモノに変わっていた。
彼女の着ていた制服はいつの間にか分解され消滅していたが、新たにその全身は緑色の、胸元やスカートのひだが薄緑のフリルであしらわれた
ノースリーブのワンピースに包まれていた。
その姿はまるで童話の世界に出てくる妖精の様である。
結奈は全身を見渡し、自分からは見えない部位を両手で撫でまわし自身の肉体の変貌ぶりに愕然とすると、たまらず悲鳴を上げた。
「嫌ああああああ。嘘。どうなっちゃったのよ私。こんなのひどいわ。元に戻してよおおお」
エヌ氏は叫び続ける結奈をビーカーの底から取り出すと、木の板の上に押し付けた。結奈は全身をじたばたとさせ、抵抗したが徒労に終わった。
そして別のスポイトを取り出すと机の上の瓶の液体を吸い取り、叫び続ける少女の口元に一滴垂らした。
「うえっ苦い。今度は何をしようって・・・えっああっそんなっ。 体・・・が・・・」
結奈の身体がシュウシュウと音を立て、艶のない蝋細工の様な身体に変貌していく。
固化薬の原液を飲み込んだ結奈は、意識を残したまま全く身動きの取れない状態の人形にさせられたのであった。
まだ若干身体を動かす猶予のある間に、エヌ氏は少女の手を横に大きく広げた。その姿はさながら板の上に磔にされたかのようである。
少女の染み一つない腋から二の腕にかけてのラインが板の上で強調されていた。
全身が完全に固化したのを確認すると、標本針を取り出し、少女の体ごと木の板に突き刺した。
少女の腹を貫通した針だが、その固化した身体からは一滴の血も流れる事はなかった。
とは言え身動きの取れない状態で、肉体に針を刺される恐怖はさぞ言い得ぬ程の恐怖であろう。
今しばらくの我慢だよ、とエヌ氏は少女に優しく語りかける。
次いで両の手の平に針を刺して固定化すると、最後に展翅テープを用いて、2対の羽を広げた状態で板に貼り付けた。
ここに生ける少女の妖精化標本が完成した。
妖精標本のタイトルを付けた金のプレートを少女の頭上に据え付け、蒐集日をメモした札の先端に付けた糸を輪っかにし、標本針にくぐらせた。
エヌ氏は妖精になった少女の入った標本ケースを桐の箱に納めると、使い魔を呼び、その箱を蒐集仲間であるエフ氏の元に届けるよう指示を出した。
童話の様な幻想的な世界を好むエフ氏は、自らの心に抱く世界を現実の世界に創出する事に魂を賭けたアーティストでもある。
かつてエヌ氏もエフ氏の屋敷を訪れた時、屋敷の大広間に設置されたジオラマを観賞したが、その人工的な草原の上では
この世に在らざる様々な幻獣に姿を変えたミニチュア大の少女たちが、楽しそうに遊んでいる姿でその時を止めていた。
ある少女たちはお互いの手を取り合い草原の上を駆けまわった姿で、また別の少女たちは花畑にしゃがみ花の冠を作りかけた姿のままで凍りついていたが、
彼女たちは皆その顔に満面の笑顔を浮かべていた。
エフ氏によれば、ミニチュアに変えられた少女たちは意識を完全に失った訳ではなく、幻獣化の薬の効果で永久に続く夢見心地の気分を味わい続けているとの事であった。
彼女たちは外の世界の繁雑さに翻弄させることはなく、世にはびこる悪意に晒される事も無ければ、女性たちに取り付く悪いムシとも永久に無縁であった。
故に幻想の世界を創りだそうとするエフ氏の試みは、常日頃世の中に不満を覚えていたエヌ氏を痛く感動させた。
そしてエヌ氏はそんなエフ氏に敬意を表すべく、自らの作製した妖精標本を贈答する事にしたのだ。
蒐集仲間同士で互いの作製物を見せ合ったり、記念品として交換し合うというのはもはや定番となっていたが、
今回のエフ氏への贈答は、価値観を共有する仲間への共助の意の表明であり、自らの世界の創出のため道を切り開く者にとって大きな励みになるであろう。
「向こうには君の仲間がいっぱいいる筈だ。寂しくなる事はないよ」
そうエヌ氏は妖精の少女に告げる。
「それでも時には独り取り残されてさびしい思いをする事もあるかもしれないね。そうだ、寂しさを感じる事のないようにこれを付けてあげよう」
エヌ氏は少女の首に赤い宝石のはまった金の首輪を取り付けた。
「その首輪は身に付けた者を2時間に1度『気持ち良く』する魔力が籠められているんだよ。
時間が来たらその『気持ちよさ』は30分の間持続するんだ。
一度この感覚を味わったら何も無い時でもその時が来るのが待ち遠しくなって、決して退屈することはないだろうね。」
首輪にはめられた赤い宝石は、魔力の効果の最初の30分が始まった事を表し、キラキラと輝いていた。
少女を納めた箱の桐の蓋が今閉められた。
結奈は親友であり、ついさっきまで仲良く話していた美佳とは別の運命を辿り、永久に別れる事になった。
箱を受取った使い魔が宙に現われた黒い空間に潜ったのを見届けると、エヌ氏は部屋の暖炉の前の椅子の西洋風のドレスの人形を持ち上げ、
椅子に腰かけると、その人形を膝の上で抱きかかえた。人形の金色のふわふわの髪を愛情を籠めて撫でつける。
普段は何の変哲もない青い目に金髪の人形だが、エヌ氏が抱きかかえる時だけ、人形に変えられたかつて人間であった者
―日本に旅行で訪れたイギリス人の少女―は意識を取り戻し、心の声をエヌ氏に届けるのであった。
「動ケナイ・・・ココカラ出シテ・・・」
「マタ着替エサセラレテル。コンナフリフリノドレスナンテ恥ズカシイヨ」
「オ家ニ帰リタイヨ・・・」
「ママ・・・」
少女は家族で日本に旅行に来ていたところを、偶然観光地を訪れていたエヌ氏の目に止まり、
年甲斐も無く一目惚れをしてしまったエヌ氏によって人形に変えられたのであった。
彼女の両親はエヌ氏と共にいたデイ氏によって一対の銀のナイフとフォークに変えられ、今は彼の食器棚に収納されていた。
あどけない少女の浮かべる罪のない笑顔も、世俗の悲しさに浸り、やがては嘆きに変わってしまう。
その華奢な胴体から伸びるスラリとした白い肢体も年を経ていつかは醜く枯れ果ててしまう。
しかしここでは少女はいつまでも可愛らしい姿のまま在り続け、美の価値を知る者から愛でられる事になる。
少女はエヌ氏に対し拒絶の意思を見せ続けているが、いつかは分かってくれる日が来るだろう。
そうエヌ氏は信じ、今日も人形を愛おしく撫で、優しい声で睦言を囁き続けた。
そのまま膝の上の人形に語り続けていると、新たに開いた黒い空間から、先ほどこの部屋を発ったのとは別の使い魔が現われた。
その爪の生えた足には風呂敷で包まれた箱と、蝋で封印された封書が握られていた。
エヌ氏は封書を受取り少女を模った燭台の蝋燭の火で封印を解くと、中の書面の内容を確認した。
それは同じく蒐集の仲間のシイ氏からのもので、先日エヌ氏が贈った女学生の制服姿の標本コレクションに厚く感謝の礼を述べるとともに、
シイ氏から返礼として彼の新たに作製したコレクションを贈答品として使い魔に持たせると云うものであった。
エヌ氏は早速風呂敷包みをテーブルの上に置いて開封し、中身を確認した。
風呂敷の中の50cm四方の箱の蓋を開けると、そこには10cm弱にまで縮小された女性たちが、アクリル樹脂の板に封入された状態でその姿を露わにしていた。
50cmの箱に縦に5列、横に10列とぴったり封入された50人の女性たちは皆20代から30代位で、同年代の男たちが道ですれ違ったらハッと振りかえるような美人であった。
女性たちの多くはOLの制服姿であったが、中には着替え中であったのか、それともシイ氏に脱がされたのか、黒や紫の下着姿で樹脂の内部に横たわる者や、
お水風の衣装と茶色に染めた派手な髪形をしたまだ少女の面影を残した二十歳そこそこの女性も混じっていた。
シイ氏の趣味も相変わらずだな、と苦笑しながら箱の中の樹脂標本を一つ一つ取り出し一通りの検分と観賞を終えると、
これらの標本と最初に作製した美佳の標本を贈答品の棚の『制服』と『下着』の区画にそれぞれ収納するように使い魔に命じた。
エヌ氏の使い魔によってアクリル標本がレールで縦に幾列にも区切られたショーケースの中に納められた。
収納を終えたショーケースをレールに沿って元の位置に戻すと、その身を標本と化した女性たちは、時を停めたまま、
週末の蒐集品の観賞の時間で順番が回ってくるか、年に一度の一斉清掃の日以外は、外の世界と隔絶した真っ暗な闇の中で過ごすことになった。
使い魔への指示を終えたエヌ氏は今は眠りについた膝の上の人形の髪を撫ぜ、頭の中で次に蒐集する少女標本のテーマに付いての思案を巡らせるのであった。