作:くーろん
船内に響き渡る、澄んだ金属音。
鳴り合うは長剣と大剣。交錯する刃が互いにぶつかり、気迫を散らす。
「チィッ!」
偽レシオンの初撃は、瞬時に構えた男の大剣に止められていた。
続けざまに放つ二撃、三撃。上下を揺さぶるそれもまた、黒き大剣の前に軽く捌かれる。
なおもうなる斬撃。上段から横薙ぎ、突きへと続く切れ目のない剣筋。
常人ならば、受け止める事すら困難な一撃の連鎖。
だが男は言葉の通り、片手に持つ大剣でただ悠然と防ぎ続ける。
(クソッ! 一太刀も浴びせられねえってかよ・・・・・・)
男は一歩も引いていない。口元に冷ややかな笑みを浮かべ、相手を嘲り続ける。
高みから見下ろすかのごとき傲慢な態度。
しかし何度刃を振るっても、実際その全てを受け流しているのだ。
予想を上回るスイーパーの実力に、偽レシオンの心に焦りが生まれ始める。
(畜生っ!当たらねえっ!あいつは――)
――来た。
顔には出さず心の内でほくそ笑む。
対峙する男からは死角となる背のやや先に、彼が待ちわびていた者が姿を現したのだ。
空気を震わせ、今まさに必殺剣技を繰り出さんとする彼の相棒、偽ヒースクリフの姿が。
「喰らいつけっ! バイパークロイツ!」
振り下される剣。力強い一刀は空に形無き刃――真空波を作り出す。
そこへ魔力が絡みつき、波は更に化身する。宙をのたうつ巨大な蛇へと。
猛々しき大蛇は空をうねり、人の半身ほどの口で男に喰らいつかんと襲い掛かった。
前方を刃、後方に真空の大蛇。
前後を挟まれた中、両方を防ぎ切るなどまず不可能。
身をかわすとてパイパークロイツは誘導性が高く、半端な回避は逆に付け入る隙となる。
確実に当たる、そう確証した偽レシオンは追い詰めようと刃を――
キィンッッ!!
(なにぃっ!)
唐突に剣筋が変わった。
知らぬうちに逆手に大剣を持ち変えた男は大きく振りかぶり、勢いよく刃を叩きつけてきたのだ。
急激に勢いと挙動を変えた一撃を、偽レシオンは押し止めることが出来ない。
なんとか転倒は免れたものの、彼は大きく半身をのけぞらせてしまった。
「クソッ!」
慌てて体勢を立て直す偽レシオン。だがその瞳には――
バシュォ!
――黒い大きな背と、振るう刃で大気を巻き上げる、男の姿が映っていた。
「いっ!・・・・・・」
信じられない光景が、目の前を通り過ぎた。
偽ヒースクリフの放ったのは刀波。質量無き力のはずだ。
だがそれを男は――翻す身に合わせて振るった一刀で文字通り、叩き返してきたのだ。
進むべきベクトルを捻じ曲げられた刀波。それは牙をそがれた蛇が逃げ出すかのように主へと取って返す。
耳元に鳴る風切音。逃げる大蛇は偽ヒースクリフをかすめ壁に激突し――むなしく四散した。
彼は・・・・・・ただ見ていた。
急変した事態に。確信していた勝利の消失に。
彼はただ呆然と流されていた。
だがすぐに我に返る。戦うべき相手はまだ――
「――しょぼい手を」
下方から、突き上げるような一言。
(――っ!)
確かめる間すら取らず、偽ヒースクリフはそれに刃を振り下ろす。
黒髪に黒の装束・・・・・・十数歩先で倒れていた「はず」の男が自分の懐に、いた。
見下ろす自分に見上げる男。
2人の視線が、ちょうど交わった。
――黒い、黒い瞳だった。
漆黒を称え、終わりなどないような、底の知れない瞳。
その瞳に投影された自分が、探りようのない奥へと沈んでいく――そんな感覚に、なぜか囚われてしまう。
恐怖に駆られ、必死に逸らす視線。だがその先にある髪も服も変わらぬ黒で・・・・・
視線が泳ぐ中、急激に闇が膨れ上がる。
漆黒の中、再び重なる視線。
そこには口元に浮かべていた軽薄さも、言葉に込められた侮蔑の意志もない。
目の前の相手を捕らえて狩る、ただそれだけの、黒。
濁りのない、あまりに澄んだ色がそこには広がっていた。
振り下ろした剣はどこへ行ったのだろうか。腕は、足は。
自分自身すら見えないその闇の中で、彼は己の存在すら掴み取れず・・・・・・
カツンと乾いた音で、我に返る。
気づけば振り下ろした剣が、地面を叩いていた。
力なく振り下ろされたその刃は、わずかに揺らぐ空気以外、何も切り裂いてはいない。
(あ・・・・・・あいつはどこに)
切りつけるべき相手を見失い、慌てた偽ヒースクリフは周囲を見渡そうとした、瞬間。
――黒い力が、彼の首筋を掠めた。
来たる先は、背後。
戦慄を覚えるほど冷たさを持ったそれは、彼の首筋わずか数ミリ先を抜け・・・・・そのまま静止した。
ピタリとあてがわれる、それはあの男の大剣。
偽ヒースクリフは・・・・・・震えていた。
首筋に当たる大剣の鋭利さに、触れる鋼の冷たさに――彼自身、初めはそう思っていた。
だが違う。
「それ」は、そんな生温かいものではない。
震えを促すもの・・・・・・それは大剣より首筋へと伝う、ざわめくほどの、殺気。
漆黒に潜む殺気が、首筋より、ドクリ、ドクリと全身を伝い、駆け巡る。
手足を戦慄かせ、自由を奪う。
鼓動を急かし、早鐘のごとく打てと命を下す。
自信を駆逐し、勝機を否定させ・・・・・・代わりに、恐怖という感情を分け与える。
動く事が恐ろしい。
自らの震えすら、彼の恐怖を掻き立てる。
息苦しさに気が遠くなる。だがそれすら望まんがほどに、この場からの逃避を――
「一分」
背後より、ただその一言だけが耳へと届く。
同時に届く、カチリという機械音。
唯一動ける瞳が、時計の長針を捉える。
――確かに1つ、それは時を刻んでいた。
「どうした? 突っ立ったままじゃ、輝かしい未来は勝ち取れんぞ、少年よ」
「う・・・・・うるせぇ! まだ1分だろうがっ! 勝ち誇ってんじゃねえっ!」
ぶつかり合う皮肉と怒声。何者かの駆け出す足音。
震えの混じる怒声は、形だけの虚勢の表れか。
だがそんなものはもう彼にはどうでもいい。
早くこの恐怖から逃れたい。それ以外は、もう・・・・・・
ただそれだけを渇望する偽ヒースクリフの首筋から、大剣が離れた。
残された彼に出来る事。それは・・・・・・
ガクリと膝を折り・・・・・・放心のまま、力なく座り込む事だけだった。
「うぉりゃあっっ!」
突進を活かした突き。だが男は身を引いてなんなくかわす。
けれどもそれは偽ヒースクリフから引き離すための一撃。元より外す事は想定内。
続く斬撃。大振りのその太刀筋に、互いの距離が離れる。
(いけるっ!)下段に構えた偽レシオンが、勝負をかけんと男に挑みかかった。
「アクセルラッシュ!」
気迫の篭った一声。同時に男に襲い来る、刃、刃。
反撃の隙を与えず、絶え間ない連撃で敵を圧倒する。
かすり傷だけで十分のこの勝負において、非常に有用な多段剣技であった。
男は、攻め込まない。
先ほどと同様、ただひたすらに攻撃を避け続ける。
しかし・・・・・・1つだけ異なる点があった。
(こ、こいつ、剣をっ!)
手に持つ刃をだらりと下ろし、男は体技だけで猛攻を受け流していた。
10から20、20から30・・・・・・数を増すごとに、一撃の間が狭まる偽レシオンの刃。
豪雨のごとき連撃。
しかしそのどしゃぶりの雨の中、男は軽くステップを踏み鳴らし、血で身を濡らすことなく全てを避ける。
矢次早に放たれる剣は空のみを切り、手ごたえなき感触が連鎖となって偽レシオンへと届く。
涼やかにかわす男の口元はまたしても嘲りに端を歪め、挑発的な目にはあせりの色など微塵も現れず。
彼の全力をもってしても・・・・・・晴れ渡る余裕の色を消すどころか、曇らす事すら叶わない。
・・・・・・フンッ
不意に、男が鼻で笑った。
今までの嘲笑じみた態度からすれば、実に軽い挑発。
(野郎っ!)
だが今の状況下において、相手の神経を逆なでするには十分事足りた。
本人も知らぬうちに、偽レシオンの手に力がこもる。
より強い一撃を求めて深く引かれる刃。結果、わずかに挙動が鈍る。
一瞬、連撃が途切れた。
それは、常人には捕らえられないほどの間。当の本人すら気づかぬほどの、間。
しかし、目の前のスイーパーは与えられた瞬時の隙を・・・・・・あざとく嗅ぎ取った。
ヒュッ!
――繰り出されたそれもまた、一瞬。
黒き凶器にビクリと怯み・・・・・・おそるおそる、首元を見下ろす。
だらりと下ろしていたはずの大剣が、そこに突きつけられていた。
先を先を切った一突。無数の連撃にまぎれて放たれた、たったの一撃。
だがその一撃が、彼のあらゆる行動を押し止めていた。
鋭く見据える瞳は――ゆらぎのない黒。
そして切っ先より伝うは、恐怖に身を凍えさせるほどの・・・・・・どす黒い殺気。
「2分、だな」
カチリ。
――また1つ、長針が鳴った。
「さあて泣いてもわめいても残り1分。次はどんな手で来るかねえ、実に楽しみだ」
偽レシオンから刃を引いた後、離れること数歩。
再び大剣を杖に、男は彼らの出方待ちを決め込んでいた。
刃を下ろした、完全な無防備状態。
だがそれでも2人は、深くうな垂れたまま何もせず、動こうとしなかった。
震えが止まらない。
溢れかえっていたはずの自信はもう、完全に消えうせていた。
今2人に残っているのは、目の前の男に対する、身を蝕むほどの恐怖。
(なぜだ――)
勝てると思っていた。
例えそれが無理でも、安易に目的を果たせると確信していたはずなのだ。
だがここまで一方的にあしらわれるなどとは・・・・・・とても信じられなかった。
自分達はレベルMAX、この世界で最強の存在だったはずなのだ。
それなのに、なぜ――
「しかしまあ、データ改ざん程度でスイーパーに勝てると思うとは・・・・・
随分とまあお安く見られたもんだな、俺達も」
2人の心を見透かしたかのように、男は冷ややかな視線と共に言葉を吐く。
「レベルMAX? パラメーターMAX? そんなシステム範囲内上の最強にどれだけの意味がある?
世界ってのは広いんだ。無限に存在する異世界の中で、ここでの最強がどれだけ通用すると?
まあ、幾度もの実戦をくぐり抜けた『本当の』レシオンやヒースクリフなら、
もっとうまく立ち合えるだろうよ。奴等は英雄だ、気迫が違う。
だがお遊び気分でここに来て、ただ力を振り回すしかできない能無しどもに何が出来る?
その程度も分からんとはな・・・・・・だから『ルーキー未満』なんだよ」
完全に見透かした口調が告げていた――お前達は戦いの場に立ってすらいないのだ、と。
押し黙る2人。そうしている間にも、時は1つ、また1つと消えうせていく。
ゆっくりと、互いの顔を見合わせる。
鏡面のように、自分と同じ恐怖が、そこには浮き彫りにされていた。
見るに耐えない顔から逃れるように、視線が周囲をさまよった末――立ち並ぶ石像達へとたどり着いた。
瞳に映る、美しい石像達。
石化の術を知る2人は、それを解呪する術も心得てはいた。
しかし・・・・・・仮に彼女達を元に戻したとして、一体何が変わるというのだろうか。
不自然に口を開け、偽レシオンに抱きすくめられた姿のまま、立ち尽くすシルファ。
その肩の震えが強張り、動かなくなるまで抱き、
絡みつく舌から逃げ回る彼女の舌が、石になり抵抗を止めるまで口を汚し続け、
涙に揺らぐ瞳が見開いたままその光を失うまで、好色の視線を浴びせ続けた。
――いかに慈悲深き王女とて、そんな彼を許しはするだろうか。
槍を覚悟を込め、瞳から落とす涙で悲しみをふるい落とし、果敢に戦いを挑んだアリシア。
――今、彼女が石の呪縛から開放されたとして槍の向かう先は、間違いなく彼ら2人であろう。
孤独なのだと、2人は今気づいた。
この世界で彼らに味方するものなど、どこにもいなかった。
「・・・・・・なんで、だよ」
絶望に囚われた偽ヒースクリフが、ポツリと漏らす。
「こんな・・・・・こんなマイナーなクソゲーなんざ、別に放っておいたっていいじゃねえか!
大した知名度もないこんなゲームなんざ、今さら誰もやりゃあしねえだろう?
だったらよ・・・・・・ちょっとくらい好きに遊んだっていいじゃねえかっ!!」
顔を上げ、漏らした言葉は徐々に叫びとなり訴えとなり、見下ろしたまま立つ男へと放たれる。
それは恐怖に耐え切れなくなった彼の、つい吐き出された本音、なのだろう。
だが同時に、相手を怒らせる危険性のある、不用意な発言でもあった。
「・・・・・・・・・・・・」
しばし、沈黙が流れる。
無音が場を占める中、男は――
「・・・・・・ははっ・・・・・・・・・・・・あははははははははははははっ!」
――笑った。
皮肉めいた笑みではない。
心の底から、男は笑い出したのだ。
to be continue