作:くーろん
「ふぅ・・・・・・」
――回想、終了。
振り出しに戻る、ってな。
けだるさは、まだ消えない。
今までの濃厚な絡み合いを、反芻するように振り返って見たが・・・・・・
ほんと、俺は何してるんだろうねえ。
唇を、そっとなぞる。
情熱的なフレンチキス――舌を絡める濃厚なキスだってのはどっかのマンガで初めて知ったんだ――は、
そう簡単に意識から消え去るはずはない。
ないに・・・・・・決まってんだろうがよ。
「ふふっ・・・・・・」
もやついていた意識が、渦のように巻き始める。
「くくくっ・・・・・・」
頭が吹っ飛びそうなほどの体験が、意識を深く、どす黒いものへと変えていく。
「あはははははははははははははははっっ!」
――狂った笑いが、思わず漏れた。
何が『血の契約』だ。
何が『あれは私の意志によるものではない』だ。
人の純情弄びやがって。
ここまで好き勝手に誘惑かましといて、シラフに戻れば「なかったこと」にしてくれるんだぜこの人は。
この収まりきらないものを、俺はどう消化すりゃいいんだ?
あんたは酔ってるからいいだろうがな、俺はこの通り終始シラフでお付き合いしてんだ。
そう簡単に消せるわけないだろうが、こんなめくるめく体験をよ。
『オタクは奥手で根性なし』だ? そんな事だれが決めた?
俺等が2次元に執着し続けるのは、あちらが現実よりも遥かに魅力的だからなんだよ。
リアルでそれ以上のものが現れたら、あっさりとそっちになびくに決まってるだろうが。
『魔電車男』がいい例だろ? ドラマじゃ語っちゃいないが、あいつは最後まで致しちまったんだぜ。
第一、固めフェチってのをナメてないか?
固めて動かない相手を一方的に叩き壊す、切り削り接合し、調度品へと貶める、
意識のみを固めず、相手の恐怖や嘆きをかき集めて、悦に浸る。
このフェチにはそんなどす黒いもんが内包されてんだ。
何なら今吐き出してやろうか? その黒い欲望って奴をよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんてな。
先輩を抱きとめてた姿勢から、髪を壊さないよう慎重に起き上がる。
ああ安心してくれ、俺はいたって正常だ。
『正常だと思い込んでる狂人』でもない。そんな細かい芸風は苦手なんだ。
背徳的な馬鹿げた行為の前には、こういった仰々しい儀式が必要ってことさ。『血の契約』がそうだったろう?
狂った演技に酔いしれて、少々の恥は捨てられるってな。
酒も血も飲めない、健全なる一学生が醸造した旨くもない脳内美酒さ。
先輩と正面から向き合うと、俺は色っぽく固まった顔をじっくりと眺めた。
何をするかって? 決まってるだろう?
この時のために俺は耐えがたきを耐え・・・・・・ああ今はそんな説明すらまどろっこしい。
――楽しむんだよ。俺の時間をな。
獲物の膨張がもう限界近いんだ。余計な説明させないでくれ。
先ほどとは逆に、俺の方から唇を合わせた。
「・・・・・・・・・・・・」
声が、返ってくるはずがない。
無言の口づけ。
弾力を固く閉ざした唇には、かすかにぬくもりが残っていた。
ためらうことなく、舌を絡める。
ざらりとした質感は、ない。俺好みの滑らかな材質に調整しておいたんだ。
先輩は答えない。
命令する事も、誘いかける事も、ない。
俺の意思のままに、彼女は口を弄ばれる。
口をたっぷりと堪能した後、上半身へ舌をゆっくりと這わせた。
喉を伝い、胸元へ。
豊かな曲線を描く乳房を丹念に舌でなぞると、上向いた先端を舌の根元まで使い、たっぷりと舐め上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
当然、声は返ってこない。
先ほどはただ翻弄されるがままに揉み上げた胸を、舌に唾液をたっぷりと絡め、舐め上げる。
手を沿えて撫で回し、硬直した形良い乳房を、俺の思うがままに弄ぶ。
命令に従うでもなく、誘いに乗るでもなく。
俺自身の意思で、石と成り果てた憧れの人を、味わい尽くす。
もう意識は今にも途絶えそうで、下半身は少しでも気を抜けば欲望を放出しそうな状態だ。
それでも胸に執着し続ける俺は、もしかしたら本当に胸フェチなのかもしれないな。
そっと、先輩の顔を見上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
無言。
これほどまでに胸を愛撫しても、彼女に抗う術も翻弄する術もなく。
身じろぐことなく、揺れ動くことなく。
固くなった身で、その美しいプロポーションを崩さぬまま、俺の要求に答える。
俺が、先輩を超越できる唯一の、時間。
やっと、胸から舌を離す。
体のラインを伝うままにアンダーバストを通り、胸骨をなぞり、腹を伝い、その下へと――
「ぐっ、おっ・・・・・・!」
限、界・・・・・・・・・・・・か。
朦朧とする意識の中、俺は先輩から離れた。
ズボンを脱がしてくれた事に感謝しますよ先輩。おかげでなんとか間に合いそうだ。
すぐさま下着を脱ぐと、そそり立った獲物を構える。
一気に、放った。
――脈打つ腰。
白濁した液が、石像へと解き放たれた。
「はあっ! はあっ!」
がっくりと、膝を落とす。
「はあっ・・・・・・はぁ・・・・・・・・・・・・」
終わった。全部・・・・・・
憔悴しきった顔で、俺は汚れきった石像を見た。
透明と白濁の混じった液が、先輩のあらゆる部分に降り注いでいた。
瞳孔を失ったせつなげな瞳を、涙のように汁が伝う。
開きかけの口に、どろりとそいつがしたたり落ちる。
何度も嘗め回した乳房を、唾液と混じったそいつが、豊かなカーブを伝い、落ちる。
腹に落ちた液がゆっくりと滑り落ち、下半身へと――
(うっ・・・・・・ああ・・・・・・・・・・・・)
こっちも、そろ、そろ・・・・・・
体がよろめく。
先輩に倒れこまぬよう、最後の力で体を捻り、床に向かって倒れこんだ。
さすが、に・・・・・・意識も、限、界・・・・・・
これ、に、て・・・・・・
K・・・・・・O・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
(・・・・・・眩しい、な)
――夕焼けは、確かに眩しくて当たり前、なのだが。
――今の光は、とても人工的な・・・・・・白色の灯りで・・・・・・
(人工的な?!)
――ちょうつがいのごとく、俺は勢いよく跳ね起きた。
「ぐおっ!」
あ、頭が・・・・・・痛え。
まだ回復しきってない、か。
呼吸を整え、痛みが治まるまで小休止。
窓を見る。すでに夜が空を支配していた。
蛍光灯が明るいはずだ。思ったより時間が経ってるなこりゃ。
そっと時計を見る。
『19:01』の表示。
(やべえっ! 7時かよ・・・・・・)
完全に下校時刻過ぎてるじゃねえか。
生徒会長がこんな時間まで、ってそれまでくたばってた俺のせいか。
っと、そうだよ。エグゼリカ先輩だ。
先輩は・・・・・・詳しい説明は省く。気恥ずかしさで狂いそうだ。
とりあえず、石化は解けてない。
まずは、起きるか。
ゆっくりと立ち上がる。少し足元が頼りないが、歩行に支障が出る程じゃない。
大丈夫そうなのでさっさと身だしなみを整えた。詳細は不要だろう?
さて次に先輩だが・・・・・・このまますぐに石化解除、ってわけにはいかんのよ。
「えーと、確かこの辺に・・・・・・あったあった」
放っておいたカバンを探り、3つの薬品を取り出す。ちなみに小型ペットボトル入りだぜ。
早速1つを取り出し、先輩へと降り注いだ。
ドロドロと落ちるその液体は実は液体ではなく、クレンジング・スライムと命名した俺のオリジナル使い魔だ。
「石像に引っ付いた汚れを落としてくれ」と命令すればアラ不思議。
分裂し、石像を縦横無尽に駆け回るスライム君が、あっという間に「汚れ」を食い取ってくれるって寸法だ。
クラスの連中からは「キショい」の一言で敬遠されたがな。
先輩に至っては叫び声まで上げられ、おおなんて可哀想なスライムよ。俺だけはお前を見捨てないぞ。
よし、洗浄終了。「戻れ」とペットボトルの中に戻し、さて次だ。
2番目は解石薬なんだが、これは「元」有機物には作用しないようにできている。
まあ何のために使うかって言えば、こうやってさらさらっとかけて、衣服だけ戻してだな。
ブラを下ろし、ブラウスを着せ、パンツをはかせスカート戻し・・・・・・
ラプソピュア降臨っと、つまりは事後処理だよ。
なんの処理か? すぐ分かる事だが「女性の身だしなみには気を配るように」とヒントを入れとこう。
で、やっと3つ目。ちゃんとした解石薬のお出ましだ。
こいつは揮発性が高いうえに無味無臭でな。全く俺のアフターケアの素晴らしさには涙が出るね。
解石薬を、石像全体に降りかける。
先輩の体が、徐々に人肌の色と弾力を取り戻していく。
鮮やかな赤い髪がかすかに揺れ、瞳が灰色から赤い色へと灯がともる。
全身が白地の肌を取り戻し、かすかな呼吸に、胸元が小さく揺れた。
「おっと」
俺は屈みこみ、先輩の肩をそっと支えた。このままじゃ壁にガツンといっちまうからな。
薄桃色の麗しい唇が、動いた。
「・・・・・・樹、君?」
傍らに屈む俺を見上げた先輩は、蛍光灯が眩しいのだろう、眩しそうに目を細めていた。
「契約、終わりましたよ、先輩」
優しく、俺は語り掛ける。
「・・・・・・そう、ですか」
ぼんやりと、先輩がつぶやく。
それに呼応するように、俺を見つめる瞳が変わった。
情熱的な赤から、清浄なる青へと。
――血の契約、これにて完了なり、と。
元に戻った先輩は未だぼんやりと俺を見上げていた、が。
ボンッ! と音が鳴った。
・・・・・・てのは比喩だが、瞳の色が移ったかと思うほど、お顔が真っ赤に上気した。
「あ・・・・・・う・・・・・・ううっ! あっ!」
はたから見てもモロ分かりなほど、先輩はうろたえていた。そりゃあそうだろうさ。
なんせ血の契約中の記憶は、酔いと違ってきっちりと残るらしいからな。
唇に手を当て、胸元を見つめ手を沿え、スカートに視線を落とす先輩。
そして、最後に鋭く俺をにらみつけた。
「何か?」「っ・・・・・・!」
かたきを見つけたがごとき睨みだが、無駄ですね。俺の事後処理の前には無力ってもんだ。
この時のために、俺は寝る間も惜しんでさっきの薬を自作したんですからね。また無双乱舞なんざやらせはせんのですよ。
俺の完璧なまでのアリバイ工作に、無言のままの先輩。
かと思いきや、喉元から搾り出したような声で、一言、つぶやいた。
「・・・・・・後ろを向きなさい」
「へっ?」
いや、もう追求される材料はないはずだが。
「制服に着替えるのですっ! さっさと後ろを向きなさいっ! 5秒以内っ!」
「まったく、あなたには節操と言うものがないのですか?」
秋の夜の、空全体は、闇模様。
太陽でもなく、夕焼けでもなく、電燈が暗い夜道を静かに照らす。
して俺はといえば、先輩からお叱りを受けながら帰宅の途についていた。
けどよ、なんで俺が怒られるんだ? さっきの行為は全てこの人の先導の元行われたはずだが。
「いやあ、まあそれも含めての契約って事で」
ま、ここで正当性主張したところで、先輩から余計な叱咤を喰らうだけなもんで、
俺はもう黙って悪役に徹する事にしてるんだ。
「で・・・・・・先輩」
「何かしら?」
「どこまでついて来るんですか?」
「決まっているでしょう? あなたの家までです」
「・・・・・・ではせめてこの腕を放していただきたく」
「このまま1人で帰って、ふらつく足で転んで怪我でもしたらどうするのです?
生徒会長として放っておくわけにはいきませんわ」
その確率は交通事故より遥かに低いです、先輩。
だいたい生徒会長関係ないよなあ、もう反論する気もないけどよ。
一連の会話の通り、この世話好きな先輩は生徒会室を出てからずっと俺の腕を掴んでいる。
これがはたから見ればどう思われるか、想像するまでもなかろう。ある意味俺の命が心配だ。
・・・・・・それと、体調を気遣うならまず俺の心拍数を気にしてくれ。
腕に当たる胸とは、地味ながら強力なウェポンなのですよ。
「年下は黙って年上に従いなさい。そういえばご両親は?」
「いませんよ」
俺の両親は仕事の関係で、家にいる事はほとんどない。
――そこ、「おやくそく」とか言うな。
「――仕方ありませんわね」
はぁ、と先輩が溜息を漏らす。無色の息が、夜空へと散った。
「では少し寄り道しますわよ。この辺りで買い物できそうな所は・・・・・・」
思案に暮れる先輩・・・・・・
いや、何だ? この背筋を伝う悪寒は。
「あの・・・・・・先輩、何をお買い求めで?」
「何って、夕食の材料ですけど」
「いや、あなたのお屋敷なら食材など完璧に揃ってらっしゃるんですからわざわざ買い物など――」
「――今から、わたくしの家まで取りに行けと?」
しれっと危険ワードを繰り出し続ける先輩。
いやあ・・・・・・俺、今背中からすっげえ汗流してるわ。
「回りくどい聞き方は止めます。先輩、あなたは何をたくらんでる?」
「たくらんでる? 何を言ってるのやら。
あなたの家で夕食を作ろうにも、どうせ冷蔵庫にはまともな材料など入ってないのでしょう?
はぁ・・・・・・男の子1人だけの生活とは、どうしてこうも荒れてしまうのかしら?
とはいえ親御さんのお仕事上の都合ですし、こればかりは仕方ありませんわね。
さて、この季節ですと何がいいかしら・・・・・・」
自分が言っている内容がさも当然の事だと理解しているらしい先輩が、
ぶつぶつと呟きながら、おそらく近くのスーパーへだろうか、へと歩きだす。
・
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「ちょ、ちょっと待った!」
なに『もう、こんな遅い時間に買い物なんて・・・・・・タイムサービス、まだやってるかしら?』
みたいな、さも仕事帰りの若妻みたいな発言をのたまってんだこの人はっ!
あ、あまりに自然現象のごとく事が進んじまってたもんで、危うく俺まで流しちまうところだったがいいですか、
あなたが今お話した内容には、数々の問題発言が含まれているんですよ?!
「何であなたが俺んちで夕食作る事になるんですか!」
「樹君、自炊できないのでしょう?
ですから貧血で体調のすぐれないあなたのために、レトルトやインスタントでない、
ちゃんとした料理を作ってあげると言ってるのです」
「だ・か・ら! いつも言ってるじゃないですか! そこまでされる必要は全然ないですって!」
「あなたこそ! わたくしの事情をまだ分かってらっしゃらないようですわね!
このままあなたが栄養失調のまま今日を終え、翌日貧血のため欠席などしようものならそれこそ生徒会長として管理不十分、
ひいてはヴァレンシア家次女としての沽券に関わるのです!
あなたは我が一族の名に泥を塗るおつもりなのですか!?」
どうしてたかが一学生の栄養問題ごときがお家騒動に繋がるんだよっ!
だ、だいたい、あなたが今実行しようとしているのは不法侵入ですよ。
生徒会長だろうが良家のお嬢様だろうが、無罪放免ですむ行為じゃないはずだっ!
「お邪魔するのはこれで3度目なのに、何をそんなに息巻いているのです?
この前などたまたまご在宅だったおば様から、
『うちの子はいつもレトルトで済ましてるみたいなの。
だからあなたのような素敵なお嬢さんが、美味しいご飯を作ってくれるとすっごく助かるわぁ』
とおっしゃられて、家のカギを託されたのですよ。
ご両親にも心配をかけるなんて樹君、もう少し生活態度を改めなさい全く」
何やってやがんだうちの母親は!!
あんたは俺の最終防衛ラインをあっさりと敵に明け渡してしまったんだぞ!
これで俺がもしヴァレンシア家に粗相を働きでもしたら、知らぬ間に妙な薬注射されて、
あげくに喉かきむしって死んじまうかもしれないだろうがっ!
「・・・・・・何か不満でも? 言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい」
不満? ああ、あるに決まってる。
先輩も先輩だ。俺の安住の地にそこまで踏み込む了見なんてないはずだ。
どんなにあなたが偉かろうが、赤の他人が世話好きってだけで何でも許されると思うなよ。
俺は断固として、この横暴に対して抗議を――
「まさかご不満なんて。もうぜひにお願いいたします」
・・・・・・・・・・・・言えるはずがない。
これでこの先輩の料理がまずいってんなら反論のしようもあるが、
この方の器用さは料理にまで及んでいるから始末に終えない。
その腕前は、一口食べれば全身の汚れが抜け落ち、至福のあまり天にも登ると言われており、
実際初めて食べたとき、俺はあまりの美味しさに数秒間失神するという、
「どこの料理マンガだよっ」とツッコミを入れたくなるような体験を味わせていただいた。
それはまさに、天使の食卓と称して差し支えない代物でありお願いですから俺にへりくつ以外の反論理由を与えてください。
「そう素直に言えばいいのです。さあ、ではいきますわよ」
俺の腕を引き、再び歩く先輩。
おそらくその頭の中では、素晴らしき料理の数々が浮かんでいる事だろう。
楽しそうな表情を浮かべていた。
(ははっ・・・・・・・・・・・・)
本当に。
可愛すぎなんだよ、この人は。
俺なんかにゃあ、もったいなさ過ぎるくらいにさ。
けれど、エグゼリカ先輩。
まさかとは思いますが、俺とあなたの境界線をわきまえては、いますよね?
俺とあなたとでは住む世界が違うって――
『堕落を侮蔑の言葉としていない理由?』
『ええ。堕落っていやしくなるとか節操なくなるとか、そういう意味じゃないですか? なのになぜかな、と』
『物事がその本来あるべき正しい姿や価値を失う、堕落にはそのような意味もあるのですよ』
『そりゃ初耳です。でもそれだって別にいい意味ってわけじゃ――』
『では聞きますが、本来あるべき正しい姿や価値とは一体何なのですか?』
『へっ? いや、急に振られても・・・・・・答えなんて出ませんって』
『――わたくし達魔族は、人間族以上に種族が多数存在しています。
そして自分達と風習や価値観も全く違うものもいる、時には正が非に逆転する事すらも。
正しい姿、価値が異なる、そのような者同士が渡り合おうとするならば、
まずその正しきものの観点を改めなければならない。
その上で互いに共通するいやしきもの、欲望、を対価と前提におき、渡り合う必要がある。
そして相手を探る――そのような意味から、わたくしたち魔族は堕落を好しとしているのですわ』
『はぁ、そうなんですか』
『・・・・・・納得いかない、という様子ですわね?』
『いや、俺はてっきり魔族ってのは血を吸った後の先輩みたいに享楽を尊ぶ奴ばっかだからかと』
『ど、どうしてあなたはそのような品のない方向に話を持っていくのですっ!
・・・・・・ま、まあともかく、我々魔族に認められたのですから、あなた方人間はもっと誇りを持って頂きたいものですわ。
聞いてますか? 樹君』
――ああ、そうでしたね先輩。
あなたが教えてくれたんでしたね。思い出しましたよ『堕落』の意味。
やはり俺の頭は、あなたに関してだけは冴えるみたいです。
けど先輩。
あなたは、俺とあなたの立場の違いまでも『堕落』で片付けるんですか?
それを、俺に求めるんですか?
それは・・・・・・無理、でしょうよ。
だって、俺は人間だから。
本来持つ意味でしか、俺は捉えられないから。
今はまだ、『世話好き』って事でプロテクトをかけていられますが。
それでも――あまりにも堕落を望むならば。
その最終防衛ラインさえも、壊れちまうかもしれないんです。
そうしたら、俺は――
「・・・・・・どうしたの?」
「えっ?」
――気づけば。
先輩が俺を見つめていた。
心底心配そうな瞳。
俺の体を気遣うときと同じ、不安げで。
俺が、最も困る表情。
・・・・・・察しが良すぎるんですよ、あなたは。
「いや・・・・・・」
人間として、いや日本人として思うんだ。
――赤鬼は、できればずっと笑ってほしいね。
これでもし、涙でも流された日には・・・・・・貧相な青鬼は、どっかに消えちまわなければならない、
なんて、しょうもない不安にかられちまうからさ。
「その、あれですよ」
――なので。仕方がないから。
「――先輩に、何作ってもらおうか考えてたんです」
俺が、笑ってやるんだ。
「そう? ご希望があるならそれを作ってあげますけど」
「では満漢全席などを」
「・・・・・・材料費を払え、などとは言いませんが、作ったのをす・べ・て、あなたが食べるのでしょうね?
それにあれほどの料理となると、一般家庭の調理場で作るのは到底無理ですから、
わたくしの家まで来ていただくことに」
「・・・・・・全権限を、あなたに委譲いたします」
俺は仰々しく平伏した。
「素直にそうなさい」
先輩が、軽く笑う。
「・・・・・・本当に・・・・・・・・・・・・素直じゃ、ないのだから。あなたは・・・・・・」
けど、その笑顔は。
少しだけ、陰りがあるように見えた、気がした。
いや、俺の気のせいだろうさ。
ま、いいんだよ、俺は。
実のところ、今の関係は結構気に入ってるんだ。
いつまでも続くとは思っていない。
だからこそ。
この夢のような今のひとときを、いつでも捨てられるような関係を、保っていたいのさ。
人と魔族がそうであるように。
――俺も、先輩も。
――ギブ&テイクの関係って奴をな。
END