固体童話劇場 マッチ売りの少女〜if

作:くーろん


 「マッチ・・・・・・マッチを買ってください」
 深々と降る雪の下。
 少女の震える声が流れては、喧騒の中へと消えていきました。
 
 
 
 
 むかしむかし。
 それは『むかしむかし』より語られる御伽噺。
 多くの人に読まれ知り尽くされた、悲しいマッチ売りの少女の話。
 けれどもし、少女が生きていたら? その後少女はどうなっていたのか?
 「もし」と「その後」は新たな道を紡ぎ出し、まだ誰も知らない物語を生み出します。
 
 
 ――これはその中の、一つのお話。
 
 
 
 
 
 
「どうしよう・・・・・・全然売れない・・・・・・」
 とぼとぼと歩く少女。カゴに入れられたマッチは、たった一つも売れません。
 今日は大晦日。
 古き1年が終わり、新たな1年が始まる日。
 夜空を見上げれば、止む事のない雪の粒。
 本来祝うべき日であるこの夜に、降り落ちる雪はとても冷たく。
 輝く街灯の中、夜道を行き交う人々の心はそれ以上に冷たく。
 何も被らず、手袋もはめず、靴すらも履いていない少女の身と心を、世間の冷たさが蝕ばみます。
 けれど家には帰れません。
 マッチ1本も売れずに帰れば、家で待つ父親にどんな目に合わされることか。
 進む先にも、戻る先にも、少女の逃れる場所はありませんでした。
「少し・・・・・・休もう・・・・・・」
 疲れ切っていたのでしょう。歩く気力を失い、少女は路地裏に座り込みました。
「寒い・・・・・・」
 少女は凍えていました。両の足をぎゅっと引き寄せても、寒さは全然収まりません。
 せめて、何か暖を取るものがあれば。カチカチに震える手を温めてくれるものがあれば。
「そうだわ、このマッチを」
 マッチを手に取ろうとして、一瞬ためらいます。
 売り物であるマッチを使ってしまったら、おとうさんに絶対ぶたれてしまう。
「けど、一本だけ、一本だけなら・・・・・・」
 凍えきった身と心が、小さなマッチ棒に救いを求めます。
 少女は一本のマッチを持つと、かじかんだ手で火を付けました。
 暗がりの中に、小さな光と熱が灯ります。
「わぁ・・・・・・」
 どうしたことでしょう。灯された炎の中に、大きなストーブが現れました。
 真鍮製の、とても暖かそうなストーブ。
 もっと暖まろうと、少女は手を伸ばします。
「あっ・・・・・・」
 手が届く直前に炎は消え、ストーブもまた、消え去ってしまいました。
 再び少女がマッチを擦ります。
 温かな食卓、光り輝くクリスマスツリー。
 夜空を染めるそれらは次々と現れては、少女が手を伸ばそうとするとふっ、と消えていきます。
「あ、あぁ・・・・・・・・・・・・」
 少女の手は、止まってしまいました。
 分かってしまったのです、それが幻でしかない事を。
 小さな炎の中に映った小さな幸せは、決して自分が手にすることはできないという事を。
「う・・・・・・うぅ・・・・・・」
 悲しさに、涙が1つ、また1つと零れ落ちました。
 だとしたら、自分は何のために生きているのだろう。
 このままずっと空腹で、寒さに震え、おとうさんに折檻されるだけの日々に何の喜びがあるのだろう。
 苦しくて、辛いだけのこれからに、何の意味があるのだろう。
 
 音もなく降り落ちる雪が地面を覆い、少女の体をも包み込みます。
 街頭を行き逢う足音はただ空しく、少女のそばを通り過ぎていきます。
 
 少女は、雪の中へと倒れこみました。
 冷たさは、もう感じられません。
 生きる事に希望を見出すには、少女の身と心は、あまりにも凍えすぎました。
 愛らしい瞳を、静かに閉じます。
 真っ暗な視界に、浮かんだのは懐かしくて、優しい顔。
 (おばあちゃん・・・・・・)
 少女を唯一愛してくれたおばあちゃん。もうすでに、天国へと旅立ってしまったおばあちゃん。
 (神様・・・・・・私をどうか、おばあちゃんの元に・・・・・・)
 薄れゆく意識の中、少女はそう願ったのです。
 
 ――馬のいななく声が、かすかに聞こえました。
 車輪が止まる音。馬車が近くで止まったのでしょうか?
 雪を踏みしめる音が、少女に近づいてきます。
 (え・・・・・・?)
 体が浮き上がる感覚。少女を支える両腕。
 誰かが、その小さな体を抱きかかえたようです。
 (誰?)
 その正体を、少女は確かめようとしました。
 けれど衰弱した少女の体は、雪で凍りついたように動きません。
 
 そのまま、少女は意識を失いました。
 
 
 
 
 
 
 (暖かい・・・・・・)
 まるでおばあちゃんの腕の中のようだ、と少女は思いました。
 (もしかして・・・・・・天国?)
 確かめようと、少女は目を開きました。
 
 
「気が付いたようだね」
 優しい声が、すぐそばで聞こえました。
「えっ?」
 自分が抱きかかえられてる事に、少女は気づきました。
「あなた、は・・・・・・」
「お兄さん、で構わないよ。君よりも年上だからね」
 少女に語りかける人物、それは気品漂う少年でした。
 上品そうな衣服。金色の瞳。銀髪の、凛々しい顔立ち。
 (綺麗な、人・・・・・・)
 異性だと分かっていても、少女がそう思わずにはいられないほど、美しい少年でした。
 少女に話しかけながら、どうやら少年は薄暗い廊下を歩いているようです。
「私は、どうしてこんなところに」
「すぐに分かるよ・・・・・・さあ、着いた」
 立ち止まる少年。
 目の前には、大きな扉がありました。
 立派な彫刻がなされた、おそらく来客用の部屋へと続く扉。
 どうやら少女がいる場所は、とても立派な屋敷のようです。
「君を招待するためにここへ連れてきた。さあ、入って」
 少年の声に答えるかのように、扉が自然に開きました。
 
 
「わぁ・・・・・・」
 開かれた部屋の様子に、少女は思わず感嘆の声を漏らします。
 そこには、少女が夢描いていた、いえそれ以上の世界が広がっていました。
 ストーブも暖炉もないのに、まるで春のように暖かで、穏やかな室内。
 中央に並ぶのは、何人ものお客様が座れそうな、大きなテーブル。
 テーブルには上品そうなテーブルクロスが敷かれ、いくつもの銀の燭台が、部屋中を幻想的な光で染め上げます。
 一体どこのお屋敷なのでしょう。
 様子を見ようと周りを見渡しましたが、壁という壁がカーテンに覆われ、部屋の外をうかがうことはできませんでした。
「さあ、おいで。少し遅いが今から食事にしよう」
 少女を床に下ろすと、少年は眼前に広がる夢の世界へと導こうとします。
「あ、あの・・・・・・私・・・・・・」
 身を震わせながら、少女は金色の瞳を見上げます。
 自分が、こんな立派なお屋敷に招待されるなんてありえない。
 恐れ多くて、とても部屋に入ることなんて出来ない。
 目の前に広がる豪華な世界に、少女の足がすくみます。
「そんなに怯えないで。綺麗な顔が台無しだよ、ほら」
 少年がそう言うと、目の前に大きな鏡が現れました。
 そこに映っていたのは、1人の少年と1人の少女。
 姿勢よく立つ少年と、その身に寄り添うように並ぶ――
「お兄さん、おかしいです」
 瞳に戸惑いの色を浮かべ、震える声で、少女は声を上げます。
「鏡の中に、私が映っていません」

 ――そこには、お姫様が映っていました。
 小さな体を包む、純白のドレス。
 しっとりとした質感の、控えめな色合い、例えるならば暖かな雪。
 そう思わずにいられないほど、美しいドレス。
 金色の髪は緩やかに下ろされ、頭には装飾が施された銀のティアラが、艶やかな髪をより一層引き立てます。
「それは君だよ、お姫様」
「嘘です。私は、私はこんなに綺麗じゃない」
「君はとても綺麗だよ。嘘だというのなら、ほら」
 何度も首を振る少女の肩を、少年はそっと抱きます。
「これでも嘘というのなら、君に触れている僕も嘘だという事になる。僕までも、君は否定するのかな?」
「お兄さん・・・・・・」
 胸がとても熱くなるのを、少女は感じていました。
 なぜ、自分がこんな素敵な招待を受けているのか、それは分かりません。
 けれど、けれども少女は思うのです。
 身と心をふわりと包み込む、この幸せを失いたくない、と。
「いいえ・・・・・・いいえ・・・・・・ありがとう、お兄さん・・・・・・」
 小さな胸に手を当て、喜びをかみ締める少女。
 その様子を、少年は満足そうに見つめていました。
「さあおいで。いっしょに食事にしよう」
 少女の手を引き、テーブルへと少年は導きました。
 

 運ばれてきた料理は、塩のスープと固いパンしか食べた事のない少女には、初めて味わうものばかり。
 どれもとても豪華で素晴らしく、そしてとても美味でした。
 何度目かの料理を口にしたとき、胸に押し寄せる幸せに耐えられなくなったのでしょう。
 少女は、涙を流していました。
「どうしたのかな? 料理が合わなかったのなら、遠慮なく言ってくれて構わないよ」
「違います。どれもどれも、とても美味しいです」
 頬を涙で濡らしながら、それでも少女は懸命に話します。
「分かったんです」
 嗚咽を漏らしながら、少女は言葉を続けます。
「ここは天国なんです。こんな夢のような事ばかり起こるなんて、生きていたら絶対にありえません」
「ここは天国ではない。現実だよ。そう思うのは、今まで辛い事ばかり体験してきたからなのだろう」
 少女は泣き止みません。
 声もなく肩を震わせる少女の頬に、少年が近づきます。
 そして泣きじゃくる少女に顔を近づけると、そっと唇を寄せました。
「あっ・・・・・・」
 唇が、涙を吸い取ります。
 柔らかな感触に、少女は頬を赤く染めました。
「けれど嬉しいならば、泣いてはいけない」
 少女をじっと見つめ、少年は言います。
「喜びをしっかりとかみ締め、どうか笑って欲しい。いいかい?」
「お兄さん・・・・・・」
 少女の涙が、止まりました。
「ありがとう、お兄さん・・・・・・」
 ぎこちなく、少女は笑います。
「ありがとう」
 今度こそ、本当に少女は笑いました。

 (神様・・・・・・)
 心の中で、少女は願います。
 (どんな形でも構いません。私を、どうかこの屋敷にいさせてください。ずっとずっと、お兄さんのそばにいさせてください)
 初めて触れた幸せ、優しさ。
 それを与えてくれた相手の近くに、いつまでも居続けたいという気持ち。
 それは少女にとって、初めての恋だったのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
「さて、今日は大晦日だったね」
 食事が終わり、全てが片付けられた後、少年は言いました。
「君の願い事を1つ、叶えてあげよう。何でも言うといい」
 なんとなく、おかしな言葉でした。
「私は・・・・・・私の願いは・・・・・・」
 けれど少女は、迷わず願いを告げます。
「ここに、お兄さんのそばに、ずっとずっと居ることです」
「それは、どんな形でも構わないのかい?」
「はい・・・・・・どんな形でも、構いません」
 ますますおかしな言葉でした。
 まるで少女の言葉を誘っているような、怪しげなやりとり。
「――いいだろう。ではこちらに来てくれ」
 少年は再び少女を導くと、部屋の脇へと連れて行きます。
「そのまま動かないで」

 少年は静かに告げると、少女の目を見据えます。
 金の瞳には、今まで見た事のない、冷たい光が宿っていました。
  
 「えっ?」
 一瞬、少年の目が輝きました。
 突き刺すような光に、少女は少しだけくらっとします。
 けれどすぐに元に戻り、何だろうと少年に近づきます。いえ、近づこうとしました。
 「あ、れ?」
 けれども、足が動きません。
 (なんで、動かないの?)
 なぜでしょう。足が、まるでなくなったかのように、感覚がないのです。
 少女は驚いて足元を見下ろしました。
 
 「あ・・・・・・ああっ!」
 
 驚きの声が、部屋に響き渡りました。
 無理もありません。
 だって彼女の足が別のものに・・・・・・白く、硬いものと、姿が変わっていたのだから。
 その変化は徐々に、確実に少女の体へと迫り、少女の感覚を奪い取っていきます。
 「お、お兄さん! これは、一体」
 少年に問いかける少女。その声は震え、明らかに恐怖が入り混じっています。
 けれども、少年は。
 「・・・・・・・・・・・・」
 少年は、無言で少女を見つめていたのです。
 驚く事もなく、助けるそぶりも見せず。
 それが当たり前であるかのように、少年は変わりゆく少女の姿を見つめていました。
「君の願いは叶えられた」
 聞きなれた声。けれどその中に優しさは一片も見えません。
「これから君は、真珠に変わる。宝石として、僕のそばで輝く。美しく、永遠に」
 一言一言、儀式のように、淡々と告げられる言葉。
 空から無情に降る雪よりも冷たく。
 街頭を道行く無慈悲な人々より残酷で。
 少女の、幸せを打ち砕く、言葉。
 (ああ・・・・・・)
 今までの出来事は、このために行われたのだと、少女は知りました。
 夢のような招待も、少女に見せた優しさも、すべてこのためなのだと。
 少女の真珠化は、すでに足全体まで及んでいました。
 もうすぐ、自分が自分でなくなってしまう。
 少女は戸惑い、そっと肩を抱きしめ、目を閉じ――
 
「ありがとう、お兄さん」
 少女は。
 少女は微笑んだのです。
 
 目の前の少年は、私に夢を、優しさを与えてくれた。
 ならこれが自分に望まれた事ならば、私はそれでも構わないと。
 むしろ、お兄さんが望む姿でそばにいられるのだと。
 神様が、私の願いを叶えてくれたのだと。
 
 少女の心は、雪よりも白く、宝石よりも輝かしいまでに、純真でした。
 
 驚きの眼差しで、少年は少女を見つめていました。
 無理もありません。
 今から宝石に変わろうとしている少女に、ありがとうと言われたのです。
「お兄さん、もう1つ、お願いがあります」
 微笑を崩さぬまま、少女が言います。
「言ってくれ」
 少年が告げると、少女はほんの少し頬を染めて答えます。
「どうか最後まで、私に触れてください。私が宝石になる最後まで、お兄さんには看取ってもらいたいのです」
「・・・・・・分かった」
 言われるがままに少女に近づき、少年は赤みを帯びた頬に手を添えました。
「ありがとう、お兄さん」
 にっこりと、少女は笑いました。
 降りしきる雪の中でなお咲き誇る花のように、輝くような美しい笑顔でした。
 ドレスはすでに真珠に包まれ、その身も胸まで宝石と化した少女。
 けれども、少女は微動だにしません。
 怖がる事も、叫ぶ事もなく、ただうっとりと、少年を見つめます。
 宝石化が首まで達します。
 少年は無言のまま、少女を見つめ続けます。
 頬に当てた手を放さず、じっと少女を見るその瞳はいとおしげにも見えました。
 最後に。
 少女は小さな唇で、言葉を紡ぎました。
「私は、とても幸せです」
 
 ――新年を告げる鐘の音。
 
 新しい年を迎えたとき、純真な1人の少女が、人であることを終えたのです。
 
 
 
 
 
 
「お礼を言われたのは・・・・・・君が初めてだ」
 少年は少女に、いえ、もはや少女ではなくなった宝石像に、静かに語りかけます。
 真珠となった、マッチ売りの少女。
 唯一残った銀のティアラが、白い装飾品と化した髪をなお、静かに引き立てます。
 微笑を鮮明にかたどったその顔は、真珠の白にこれ以上ないほど調和していました。
 思わずそっと、抱きしめてしまいたくなるほどに、愛らしい宝石像。
 けれどそれは宝石ではなく。
 つい先ほどまで、至福の幸せを一心に受け入れていた人間の少女。
 幸せすぎて、悲しむべき時にもなお喜びを伝えようとした、純真な少女。
 新たな年は、そんな少女を受け入れようとしなかったのです。
「皆怯えていた、懇願した。それが当然だろう」
 少年が手を振りかざすと、部屋を照らす蝋燭の炎が消え去ります。
 それに反応するように、引き上げられるカーテン。
 部屋を覆う全てのカーテンが取り払われたとき、奥に隠されていた「もの」が姿を現しました。
 
 それは、宝石でした。
 人をかたどった、宝石の群。
 暗闇の中、光り輝く宝石たちは部屋を美しく彩り、まるで大晦日に飾られるクリスマスツリーの装飾のようでした。
 だけど、それは決して装飾ではなく。
 部屋を囲むように立ち並ぶそれらが、少女と同じ運命を辿った人間達だとは、容易に想像できるでしょう。
 逃げようと、身を翻した少女のルビー像。
 膝を落とし、何かを掴み、泣きながら懇願しているサファイアの女性像。
 怒りを顔に浮かべ、手を振りかざして固まった、高貴な装束を纏ったダイヤの少女像。
 どれ1つとして、同じ姿のない、少女や女性達の成れの果て。
 「なのに・・・・・・君は笑っている」
 しかし。その中のどれ1つとして。
 「初めてだよ。そんな人間に出会ったのは」
 喜びを讃えたものはなかったのです。
 
「君の心は、とても純真なのだろうね」
 白く染まった頬に再び手を添え、少年は語り続けます。
 少女は答えません。
 真珠と化した顔は、最後に浮かべた微笑のまま、少年を見つめていました。
「約束しよう。君の望むとおり、ずっと僕のそばに置こう。いつまでも、どんな事があろうとも、君を手放したりはしない」
 少女に顔を寄せる少年。その瞳には、熱い色がほのかに宿っているように見えました。
「だから僕も願おう。ずっと、光輝き続けていて欲しい。そしてずっと、僕のそばから離れないでおくれ」
 そこまで言うと少女の白い唇に、自分の唇を重ねます。
 
 それは、永遠の束縛とも、永遠を誓う愛の言葉とも、どちらとも取れる言葉でした。
 
 
 
 
 このお話はここで終わります。
 けれど、物語自体が終わったわけではありません。
 この後、少女はずっと少年の傍らで輝き続けたのか、あるいは宝石から少女へと再び戻ったのか、あるいは――
 
 この物語が、一度終わりを告げた「マッチ売りの少女」から生まれたように、ここからまた新たな物語が生まれるかもしれません。
 この続きを決めるもの、それは――
 
 
 END


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