白き日のリベンジ・オブ・バレンタイン 探求編

作:くーろん


「ごめんなさいフレイラさん・・・お仕事中だったのに、家まで付き合ってもらって」
「お気になさらずとも結構ですわ。原因を突き止めるためにも、直接作業行程を見ませんと」
管理局応接室での一件から数時間後、2人は雪香の家に続く道を歩いていた。

まだ夕方には早い青空。時間も時間なため、人通りもそれほど多くはない。
住宅街に近づいてきたのか、道路わきに面して家々が目立ち始めた。


様々な異文化に触れている電霊達であるが、その生活空間である電界は、
極めてリアル世界の「現代」に近く、我々が日常見ている風景と大して変わりはない。
ただ空を誰かが滑空していたり、立ち並ぶ家々も古今東西異世界も含まれた、
バライティに富んだものが並んでいたりなど、若干の違いはあるのだが。


応接室でのチョコ化騒ぎが収まった後、フレイラはその根源たるチョコレートについての詳細を聞き取った。
――ちなみに、完全にチョコレートと化した蘭奈を戻した際、彼女ともひと悶着あったのだがそれは省略させていただく。
とりあえず、来客室の修繕が必要になった・・・とだけ言っておこう。

それによると、全てのチョコがそうなるわけではなく、特定の相手に作ろうとすると起こるらしい。
そしてどうしてチョコ化が起こるのかは、雪香自身にも分からないと言う。
自分でも試行錯誤したがもう時間がなく、万策尽きた彼女は、知り合いであるフレイラを尋ね、
チョコの製作過程を見てもらいたいとお願いしてきたのだった。
料理を含めた作成術に卓越したフレイラなら、第3者的視点で何かつかめるのではないかと。


それを聞いたフレイラは、少し悩みながらも承諾することにした。
こうも真剣に頼まれて断るわけにもいかないし、特定の相手という言葉に一つピンと来た事があったからだ。
それに――
(――こうやって、お仕事を抜ける事もできたわけですし)


先の雪香の話と共に、雪香の家に行きたいと蘭奈に告げると告げると、
「――ああいいよ、行ってきな。こっちは外務って事で処理しといてやるからさ」
と、快く承諾してくれた。
急な話ではあったが、雪香の真剣さを感じ取ったらしい。
ただ、少々嫌悪の念を彼女に向けていたようで、さっさと追い払いたいという気持ちもあったようだが・・・

こうしてフレイラは料理のお手伝いという名目で、まんまと退屈な仕事から解放されたわけである。




「ところで・・・どなたに渡すチョコなんですか?」
「・・・え?」
家への道すがら、フレイラは頃合を見て、先ほどピンと来た点について切り出した。

「え?ではありませんわ。
先ほどもおっしゃってましたでしょう?『特定の相手に作ろうとすると』と。
お手伝いを頼むからには、もちろん、教えてくださいますわよね?」
協力のため、という建前に手渡す相手・・・おそらく意中の相手、を聞きだそうという魂胆が見え隠れしている。
そんなぶしつけな問いに、雪香は答えようか答えまいか迷っていたが・・・
やがて、ポツリと一言だけつぶやいた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・律輝」
「・・・・なるほど」
それはフレイラにとって半分は予想通り、半分は意外な答えであった。

「ただそれですと・・・作っているのはバレンタインチョコだと思いますが・・・あまりにも遅すぎはしませんか?
いくら問題があるからとはいえ、バレンタインデーを過ぎてはいくら本命チョコでも――」
「ちょ・・・違う!勘違いしないで!!本命チョコなんかじゃないんだから!!!」
本命、という言葉に敏感に反応し、雪香がいきなり反発してきた。

「わ、私はただ、ちっとも理解のないあの兄に、最高のチョコを渡して少しでも懐柔しようと思っただけよ!
ほ、本命なんかじゃ絶対ないんだから!変なかんぐりするのは止めてよね!!」
必死に全否定する雪香。
だが、そのあきらかな動揺ぶりと、
もともと白い肌のため、余計に赤らみが引き立つ頬を見れば、本命なのはもはやバレバレである。

いつもの強気な態度から一転した、その分かりやすい慌てぶりを、フレイラは楽しそうに見つめていた。

「ふふふ、分かりました。そういう事にしておきますわ。
でも正直意外だったんですの。
だって雪香さんが、お兄さんにチョコを渡そうと考えていたなんて」
「べ、別に、変じゃないでしょ。妹が兄にチョコ渡すくらい。
それと・・・バレインタインデーにはもう渡したわ。けど――」
――そこまで言うと雪香は肩を震わせ、怒りを抑え込むかのように押し殺した声で語り出した。


「あいつは・・・律輝は・・・
私が一生懸命作ったチョコを一口食べた後・・・私に叩き返してきたのよ・・・足がチョコに変わったからって・・・」
「あの・・・それはしごく当然な対応では――」
「あなたには分からないわよ!!!!!!」
キッ!っといきなりフレイラに振り向くと、抑えきれなくなった感情を雪香は一気に吐き出した。

「バレンタインに、心を込めて作った手作りチョコを
『こんなのが食えるかぁ!!!』って怒鳴りつけられた挙句、足で踏みつけられた女の気持ちなんて!!!」
大きく見開き、今にも涙がこぼれ落ちそうな目。
悔しさと、それ以上の悲しさ・・・そんな感情を、フレイラはその瞳から感じ取った。

「雪香さん・・・分かります。分かりますわ、悔しかったでしょうに。
あの方も感情が高ぶっていたのでしょうが、その行動は・・・さすがに度が過ぎていますわね」
そんな雪香を、フレイラは優しく励ます。
そして口調こそいつもと変わらないが、フレイラの言葉にはとある相手に対し、明らかな怒りが沸き起こっていた。


バレンタンデーに、想いが込められたチョコレートを足蹴にする男など、侮蔑されて当然と言えるだろう。
相手が妹などというのは些細な事である。
体がチョコになる?
それくらい甘んじて受けろ!!
後で万能薬を飲めばいいだけの事だろうが!!
とびきりの美少女からバレンタインチョコを貰うなんて夢のようなシチュエーションを足蹴にするなど奴は――

・・・・・・・・失礼。

一瞬、これを見ている世の男性達の感情を代弁してしまったが・・・
ともかくこの瞬間、律輝は全国1,200万人の男性達を敵に回したと言えよう(注:そんなに見てません)。


「でしょ・・・だから私もさすがに頭に来て、律輝に食って掛かったのよ。
そしたらいつもみたいにケンカになって・・・
最後には1ヵ月後のホワイトデーまでにまともなチョコ作れなければ私、
自分のフェチズムを封印するなんて約束までしてしまったの・・・」
「それはまた・・・随分と思い切った約束をしましたわねえ」
「うう・・・私から固めフェチを取ったら何が残るって言うのよ?
ただ可愛いだけが取りえの女の子なんて、誰かにさらわれ固められて・・・
一生をそいつの慰み者になる人生しか残されていないのよ!」

・・・自分についてよく分かってらっしゃる子である。自身を「可愛い」と言える点を含めて。

「おっしゃる意味がよくわかりませんが・・・とにかく切羽詰っているというのはわかりましたわ」
(結局いつもの兄妹ゲンカが原因、でしたか・・・)
少々呆れていたフレイラであったが、だからといって今さら
「兄妹ゲンカならよそでやってくださいね」と、きびすを返して帰るわけにもいかないであろう。


「でも意外でしたわ。雪香さんが、お兄さんにチョコを渡したいと考えていたなんて――」
妹が兄にチョコを渡す、これに恋愛感情を連想するのは、諸処の恋愛ゲームの情報に毒されているせいであろうか。


余談だが、電霊達の中では兄妹(姉弟)間での恋愛は、特にとがめられる事はない。
これは・・・直接的表現で申し訳ないが、人間間のそれで障害となる近親相姦というものが存在しないためである。
つまり法規上や倫理上の問題はない・・・
のだが、彼らも人間から情報を得ている存在ゆえ、観念というものがある。
兄弟間で恋愛感情を持つ事自体は珍しくないのだが、そこから一歩踏み出そうとするものは少ない、というのが現状である。


それはさておき・・・
フレイラの言っていた「意外」とは、その事についてではなかった。

「雪香さんって・・・・・・・・・・・まともな恋愛感情をお持ちだったのですね」
これは・・・正直ケンカを売ってるとしか思えない発言であるし、そもそもニコニコ笑いながらいう言葉ではない。
しかし

「・・・・・・今、ものすごく失礼なこと言ったって分かってる?フレイラさん」
そう言う雪香の顔が引きつっているのは、実にもっともな反応なのだが、
「・・・・・・・・・雪香さんの日頃の行いを見ていれば、至極当然な言葉ではないかと」
悲しいかな、フレイラの言っている事は残念ながら正しい。


兄、律輝いわく「人様に出して恥ずかしいことこの上ない」と言われるほどの固めに対する執着心。
そして、その対象は完全に女性のみに限定されており、ひとたび相手が見つかればその体を丹念に弄ぶ。
今まで、フェチ心の赴くままに暴走したことは数知れず。
十中八九どころか十が・・・またまた直接的表現で申し訳ないが彼女を「レズ」と例えるであろう。


「わ・・・私は・・・」
フレイラの図星を突かれた返答に対し、言葉が詰まった雪香だが・・・今度ははっきりとした口調で反論してきた。


「私は!固まった女性の体に強い関心を持っているだけで、女性と深い関係を持ちたいとは思ってないのよ!
男性に対しての関心はちゃんと人並みに持ってます!!」


――この瞬間、周囲の時が凍った。






(・・・・はっ!)
最初に我に返ったのはフレイラだった。

ダッ!

気づくやいなや、彼女は雪香の手を強引に引っ張ると脱兎のごとく駆け出す!
彼女の脳内で超高速計算した上での戦略的、いや世間的早期撤退と言うべきか。




「ハァ・・・ハァ・・・ふぅ・・・・こ、この辺まで来ればもう大丈夫ですわね・・・」
元いた場所からだいぶ離れたところで一息つくと、フレイラは今だ事態が飲み込めていないま雪香に振り向き、
「雪香さん!・・・そういうことを大声で、しかも天下の往来で喋らないでいただけますか!!」
と、彼女にしてはかなり感情を素に表し、先ほどの行為をきつくしかりつけた。

「う・・・・・・・・ごめんなさい・・・でもそういう事なの・・・・」
さすがに今のはまずかったと思ったのだろう。雪香はすっかりしょげ返りながら謝った。
「まあ・・・とりあえず理解はいたしましたが・・・それは考えようによってはりょうと――」
言いかけてフレイラは口をつぐむ。
今自分の言おうとした単語が、はしたない言葉だと思い至ったようだ。

「なに?」
「い、いえ、なんでもありません・・・・
お話にお付き合いいただきありがとうございます雪香さん。大変参考になりましたわ」
「そう?・・・役に立ったのなら別にいいけど」

確かに・・・大変参考にはなった。
この兄妹が、実にややこしい家庭環境の土台があって、日常よく見かける交流が成り立っているという事が。


いつも素直な妹の優舞とは対照的に、雪香は兄によく突っかかる事が多いが、
それはいわば、愛情の裏返しなのだろう。
もともとの強気な性格もあるのだろうが、しかし、それでは妹である彼女の思いはそうそう理解されないのではないか。

加えて、固められた対象が現れた際の行動は・・・先でも触れたようにすさまじいものがある。
それは目の前の兄を無視し・・・時には排除に及ぼうとするほどに。
「仕事」の邪魔だからといろいろ仕向けた上、最終的に睡眠魔法で黙らせた事もあった。

こんな日々の積み重ねがある上で、
『あなたのこと・・・ずっと前から好きだったの!』と仮に告白したとしても、
あの兄のことだ、『はあ?何たくらんでやがる』と先のチョコレートのように足蹴にする可能性のほうが高い。


(このご兄妹は・・・・思っていた以上に深すぎますわね・・・・)
軽い気持ちで聞いてはみたが・・・正直、これで実の兄に気持ちを理解してもらうのは無理ではなかろうか。
もしかすると他の者と同じように、彼女をレズと思い込んでいる可能性すら――
いやそれ以前に、完璧なチョコレートを作ってたとしても、素直に食べてくれるかどうかすら・・・

(止めましょう・・・考えれば考えるだけ、気が滅入りそうですわ・・・)
不安は尽きないが、今やるべきことはあの呪われたチョコの原因を突き止める事である。

(体よく仕事から解放されたと思ってましたが・・・
まあ・・・仕方ないですわね・・・少なくとも、退屈することはなさそうですわ・・・)
重く沈んだ気持ちを奮い立たせ、フレイラは再び歩き出した。




「ふんふふ〜ん♪」
かろやかな鼻歌が、チョコレートの甘い香りと共に周囲に漂う。

雪香の自宅の台所――というより厨房と称した方が正しい表現であろう。
銀一色に包まれ、数々の調理器具が並ぶ室内で、雪香はチョコレート作りに取り掛かっていた。


クーベルチュールチョコレート(製菓用高級チョコ)を細かく刻み、
乾いたボールの中に入れた後、お湯につけて湯せんする。
湯の温度がボールを通して伝わり、チョコレートが徐々に溶け出してゆく。

そんな様子を、フレイラは少し離れた場所に座り、当初の予定通り観察していた。
テーブルには、上下2箇所にディスプレイが配置されたメタリックボディの装置が置かれており、
そのディスプレイには、チョコレートとチョコ作りにいそしむ雪香の様子が映し出されている。

negotiator of detector and scholar(研究者と探知者の交渉人)と命名されたその小型装置は、
背面カメラで映し出したアイテムを鑑定し、その性質を細かく分析可能なフレイラ自作の解析用端末である。
・・・長いので通常はNディテクターと呼んでいるようだが。
もしチョコレートに何らかの異常がある場合、警告音と共にその詳細が表示されるはずである。
だが現在のところ、その兆候は現れていない。


「融けたみたいね。次は、と・・・」
ボールの中で木じゃくしを回し、ゆっくりとチョコレートをかき回していた雪香は、
次に調理台の上に置かれた、平たい大理石の板の上にチョコを流し込んだ。
ボールに入ったチョコレートを、半分以上板に載せるとパレットナイフを作り出し、
チョコレートを板全体に伸ばすと今度はチョコレートを練り合わせ始めた。

雪香の手によって、空気の舞台を舞い踊るチョコレート達。
始めは激しく、それから徐々に・・・ゆっくりと優雅な舞へと変化していく。
触れ合う空気に熱を奪われたチョコレートは、徐々に粘りを増し、固まっていった。

「よし、この辺ね・・・」
どうやら次の作業に入るらしい。
パレットナイフで器用にチョコレートをかき集め、再びボールの中へと入れると、
中に入っていたチョコといっしょに、またゆっくりとかき混ぜ始めた。


口解けの良いチョコレートを作るために、一度冷やしてから再度温め直し、チョコ内部のカカオバターの再結晶化を図る。
テンパリング、と呼ばれるこの作業は、チョコ菓子を作るうえでの重要な作業である。
ちなみに先ほど雪香が行ったテンパリング作業は、主にプロのパティシエが行うやり方で一般的ではない。


(それにしても・・・実に手際が良いですわね・・・)
Nディテクターを片目に見ながら、フレイラは目の前で繰り広げられるチョコ作りの行程を、興味深く眺めていた。

軽快でかつ無駄がない動き。それでいて1つ1つの作業にはムラがなく、決して手を抜いてはいない。
興味が沸いてチョコレートの温度を調べていたが、湯せんからテンパリングまで寸分の狂いもなくこなしていた。
温度計を見ることなく、である。


(それに、実に楽しそう・・・本当に料理がお好きなんですのね・・・
これで、あんな副作用さえ出なければ文句なしなのですが・・・)
そう、彼女の作っているのは、食べたものをチョコレートへと変える呪われしチョコなのだ。
だが、今だにNディテクターの反応はない。果たして呪いが発動するのはいつなのか・・・




チョコレート作りもそろそろ終盤に差し掛かってきた。
後は少々の味付けと冷やして固めて完成、といったところである。

(何も起こりませんわねえ・・・まあこちらとしては無事に終わったほうが――)
そう思いながら安心しきっていたその時


ピピピピピピピピ!!

(えっ!)
突如Nディテクターが反応した。
フレイラは慌ててディスプレイの表示に目を通した。


『状態変化 激強:分類 同種物質への変換(チョコレート化) 危険度S』


ディスプレイ上に映し出されたチョコレートの上に、明らかに危険度の高い警告が点滅していた。
「雪香さん!反応が――」
すぐに作業を中断させなければならない、とすぐに雪香に呼びかけようとして・・・言葉が止まった。

当の雪香は――仕上げにかかっているのだろう、ゆっくりとチョコレートをかき混ぜていた。
それ自体は何の問題はない。問題なのは・・・
時折片手をかざすと、何か白い粉のようなもの、を作り出し、チョコレートにかけていたのだ。

(あれは・・・スパイス?)
スパイスを入れること自体はおかしな事ではない。
実際プロのパティシエの中には、ちょっとした刺激としてカレーパウダーを入れる者もいる。
しかし・・・今は状況が状況である。


「雪香さんストップ!作業を止めてください!」
急いで作業を止めると、フレイラは雪香に白い粉について問いただした。
「ディテクターに反応が出たんですの!お聞きしますが、今チョコレートに入れたのは一体何なのですか?」
原因を調べて欲しい、そう切り出したのは雪香である。当然すぐに答えが返ってくるはずだった。
だが、実際には――


「は?・・・入れたって・・・何を?」
「・・・・え?」
予想外の答えである。入れた本人にこう言われては一体どう反応すればいいというのか。


「いえ、ですからつい先ほど入れておりました白い粉ですわ」
「・・・私、そんなの入れた覚えない・・・あれ・・・何、これ?」
自分が今しがた粉を入れていた事に、全く気がついていない様子の雪香。
始めは冗談かと思ったが、うろたえている様子を見ると、どうやら本当に覚えがないようだ。

「あなたが今入れたのですよ。改めてお聞きしますが、その粉が何なのかは分かりますか?」
「ちょ、ちょっと待って。これは・・・・・・あ、これ『砂バジリスク草の粉』よ」
・・・大よそ料理とは縁のなさそうな名前が、彼女の口からこぼれ出した。

「何ですかその・・・・『混ぜるな危険!』な薬物は」
「薬物って・・・失礼な事言わないでよね。
この草には甘みのくどさを和らげる効果があるのよ・・・ちょっとだけ石化効果あるけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

疑惑の目を向けるフレイラ。当然の反応だろう。
そもそも「石化効果がある」というだけで、普通食べ物には入れないのではなかろうか。

「な!ちょ、ちょっと何よその『やっぱり』って言いたげな顔は!
本当にスパイスとして使われているんだって!本当よ!
石化効果って言ったって本当にわずかしかないんだから!ほら!!」

必死に弁明していた雪香は、新たに粉末を作り出すとそれを一気に口に含んだ。
それは、チョコレートの中に入れた量よりはるかに多かったが、彼女の体には全く変化は訪れない。

「何も・・・起こりませんわね」
「そりゃそうよ。これ使って石化させようとしたら、軽く数百キロは用意しなきゃならないんだから。
だいたいなったとしたってなるのは石よ。チョコレートじゃないわ」
「・・・ですが、Nディテクターはこのように、はっきりと反応を示しています」
そう、今雪香に向けられたディスプレイには、危険物質への警告が表示されているのだ。

「う・・・・」
「それも、雪香さんがバジリスク草の粉を入れた直後に。この状況では、これ以外に原因は考えられないかと」
「そうかもしれない、けど、でも・・・・」
納得いかない様子の雪香。
かくいうフレイラにも腑に落ちない点があった。

――なぜ石化の性質を持つ粉がチョコレート化を促しているのか。
――なぜそれを作った当の本人がそれを知らないのか。
チョコ化の原因らしき要因は見つかったが、その過程がどうにもあいまいだった。

(・・・確か、あの粉にはくどさを和らげる効果がある、とおっしゃってましたわね)
性質的には問題はあれど、それはスパイスの役割をきちんと果たしているといえる。
(そして、これを入れる行為に意図的なものはない、となれば・・・)

「雪香さん、もう一度同じチョコレートを作ってもらえませんか?」
「え?また?」
「そうです。先ほどと全く同じものを。
ただし、今回は砂バジリスク草の粉なしで。よろしいでしょうか?」
「それはまあ・・・構わないけど」


再びチョコレート作りが始まった。今度は滞りなく作業は進む。
一部、また砂バジリスク草の粉を雪香が入れようとしたが、あらかじめ予想していたフレイラがそれを止めた。
――どうやら無意識のうちに入れようとしていたのは本当のようである。

その間、フレイラは問題のチョコレートと例の粉の成分分析を行っていた。
それぞれの味覚表、成分表、構成原子、結晶構造、etc――
Nディテクター下部のタッチパネル状ディスプレイに、次々と解析結果が表示される。
それらを指で弾き、空間上に拡大表示して並べると、彼女はその表示を見ながら原因を探り始めた。

(原子格子の構造が問題なのでしょうか・・・雪香さんのチョコと、粉を・・・・これは・・!)




「できたわよフレイラさん」
雪香の声に、フレイラは目をディスプレイから逸らし、声の先を見あげた。
その先にあるテーブルの上には、すでに冷蔵庫から取り出された真新しいチョコレートが並べられていた。
つやのある茶色いミルクチョコレート。
Nディテクターにも無反応の正常なチョコレートである。

「お疲れ様でした雪香さん。ではこれを食べてみましょう」
「これを?」
「ええ、そうすれば原因が分かると思います」
「・・・分かったわ」

別に今回のは普通のチョコレートなのだから、何も臆する必要などない。
2人は1つチョコレートをつまむと、そのまま口にほうばった。


数時間前、食べた味わいが蘇る。
口解けの良さ、甘さ・・・文句なしに素晴らしい出来である。
しかし――

(・・・やはり)
違う。先ほどとは何かが違うのだ。それは――

「ダメ・・・これはダメよ・・・甘みにくどさが残ってる・・・」
フレイラが答えるより先に、雪香が使えない、といった表情で黙って首を振った。
同じ事を、フレイラも感じていた。だが、

「そんなにおかしいでしょうか?私には、全く遜色のないように思われますが」
それを分かった上で、あえてそ知らぬふりをしてみた。
少々カマをかけてみたのである。

「フレイラさん、分からないの?前のものとの明らかな差が」
(やはり・・・)予想していた通りの雪香の発言に、フレイラは確信した。
「明らか、とは少々過大評価ですわ雪香さん」
彼女は、味に対してこだわりすぎなのだ・・・過剰なまでに。


正直、2つのチョコレートの味の差は、確かにあるにはあるがほんのわずかなものである。
雪香に「ダメ」と言われたチョコとて、一流パティシエのものと遜色のない出来であり、
これでダメと言われてしまえば、彼らのほとんどは泣きをみるしかない。
その程度の差なのである。


「今の発言で分かりました。今回のチョコレート化の原因は・・・
雪香さん、あなたの高すぎるほどの料理へのこだわり、ですわ」
「な・・・・・・・・!」
驚きを隠せない雪香。無理もなかろう。
自分を苦しめていた原因が己にあり、しかも料理へ向けた情熱にあると言われたのだから。

「どういうことよそれ!私に手抜きしろとでも言いたいわけ?!」
「そうではありませんわ。それにそれだけというわけでも・・・
いいですか雪香さん、今から私の見解上ではありますが・・・分析結果をお話します。どうかお聞きください」
念を押すように告げると、フレイラはその分析結果を語り始めた。


「今回のチョコ化現象についてですが、今日作業を拝見しましたところ、気になる点が2つありました。
まず1つ目、なぜ雪香さんが危険性のある砂バジリスクの粉を『無意識に』入れているか、ですが・・・
性質的に難があるとはいえ、この粉が味の向上に貢献しているのは事実。
つまりこれは・・・
雪香さん、あなたが特定の相手に対してより良いものを渡したい、という気持ちの具現化、とは考えられませんか?」
「なな、な!な!・・・・・・・」
フレイラの予想外の回答に、雪香は慌てふためいてしまった。

「なんで私が、律輝にそこまでしなきゃなんないのよ!」
「ほらごらんなさい。ご自身では否定してらっしゃる。ですから『無意識に』入れてしまうのですわ」
「う・・・あう・・・・・・・・・そ、そんな事が――」
口ごもりながらありえるはずない、と言いかけた雪香だったが・・・
フレイラの言葉を完全に否定しきれない気持ちがあり、最後まで言葉を続けることができなかった。


実際、雪香自身も、砂バジリスク草の粉を入れた事には驚いていたのだ。
調味料として使えるのは事実だが、フレイラの言うとおり少々難ありの代物であり、原産地でも使う者は少ない。
味へのこだわりのために、わずかとはいえ、危険性のある素材を使うわけにはいかない。
彼女自身、いつもならそう思い、使うことはなかっただろう。

だが、今回は相手が違う。
彼により最高の味を提供したい、とろけるような夢見心地の甘いチョコレートを手渡したい。
彼女自身も実感していないそんな思いが・・・無意識のうちに、危険性より味を選択してしまったのであろう。


「そして・・・最大の問題である、なぜチョコレート化が発動してしまうか、ですが・・・
分析の結果、通常のチョコレートと砂バジリスク草の粉を合わせた場合、
特に状態変化を起こす事はない、という事が分かりました」
「え!?じゃあなんで――」
「ただし――」

結論を告げるフレイラが、一瞬言葉を区切る。
これから言う事はできれば伝えたくない、そんな思いがあった。
だが、言わないわけにはいかない。でなければ前に進めないのだから。


「――ある特定の結晶構成を形成したチョコレートに関してのみ・・・別の反応が現れます。
詳しい説明は省きますが、そのチョコレート内に粉が入る、つまり結合した際、性質の劇的変化を引き起こしています。
それがチョコレート化であることは・・・言うまでもありませんわね」

――特定、という言葉を聴いた瞬間から、雪香が、はっきりと分かるくらい震え始めた。
おそらく、これから言う事が分かったのであろう。
だがそれを無視し、フレイラは結論に入った。

「そして、そのチョコレートとは――」
「いや!それ以上は言わないで!!」

切り裂くような叫びが、雪香から発せられた。
だがそれに怯むことなく、フレイラは・・・最後の言葉を綴った。


「――雪香さん・・・・・・・・・あなたがお作りになったチョコレートです」
「・・・あ・・・・ああ・・・・・・・・」
よろよろと、雪香は椅子に崩れ落ちた。
呆然とした目は、天井を眺めることなくただ向けられている。


彼女の持つ卓越した料理技術と、特定の相手に対して向けた味へのこだわり。
それが、最も食べてもらいたい相手に対しては、逆に悪影響を及ぼしていたというのだ。
彼女にとってこれほど皮肉で、辛い結果は・・・ないであろう。


「雪香さん・・・・・・」
言わなければならない事だと思い、そして言った後の結果も大よそ予想はしていたが・・・
それを聞いた雪香のあまりの落胆振りに、フレイラは深く心を痛めていた。




「その・・・そんなに落胆する事はありませんわ。砂バジリスクの粉を入れなければいいだけの事です。
簡単じゃないですか。それでも十分な出来栄えのチョコレートが――」
フレイラの提案した妥協案に、雪香は同意すると、いや同意するしかないと彼女は思っていた。
だが・・・彼女はゆっくりと立ち上がると調理台へと向かう。
そしてボールを手に取ると・・・再びチョコ作りに取りかかろうとしたのだ。

「雪香さん・・・何を――」
「決まってるでしょ・・・・・・・作るのよ・・・最高のチョコレートを・・・・」
「な・・・!」
最高のチョコレート。それが例の粉入りチョコレートであることはすぐに察しがついた。
その病的なまでの味へのこだわりに、フレイラは恐怖すら覚えていた。

「雪香さん!もういいではありませんか・・・いくら――」
「違うわ!」
必死に止めようとするフレイラをバン!と激しくテーブルを叩いて制すると、雪香は彼女に振り向いた。
その瞳には先ほどとはうって変わり、悲しみこそ消えていないが強い意志と熱意が宿っている。


「私は、この難題から逃げてはいけないの!!
1人の料理人として!そして1人の女性として!
何度も何度も失敗して・・・でも原因の分かった今だからこそ、なんとかなるかもしれない。だから!」


最高級の、言うなればその異名の通り神が与えたもうし味わいのチョコ。
だがその代償として、食した者がチョコへと変えられてしまう魔性の洋菓子。
相反するこの2つを屈服させ、完璧なチョコレートを作り上げる。

気高きほどの料理へのこだわり、そして強い想いが、彼女を難攻不落の命題へと奮い立たせたのだった。


そんな、新たな決意に燃える雪香を、じっと見つめていたフレイラがゆっくりと、雪香の前に立った。
「雪香さん・・・」
「え・・?あ、ごめんなさいフレイラさん。申し訳ないけど、私やっぱり――」

ガシッ!!

「え?」
「あなたの料理に対する思いがそこまでだったなんて・・・・・・私、感動しましたわ!」
フレイラは・・・雪香の両手を、しっかりと握りしめたのだ。


彼女は・・・分かってしまったのだ。
彼女、雪香の料理に対する気高きまでの情熱の強さを、消す事など到底できない事を。
そして、その情熱が同じ物作りに携わる自分には、痛いほどに理解できたことを。

たとえどんなに困難であっても高みを目指す。
職人とは得てしてそうものなのであろう。


「やりましょう!雪香さん」
「あの、それ、って?」
「微力ながら、私もお手伝いさせてもらいますわ!力の限り!」
そう力強く答えるフレイラもまた、熱き魂を燃え上がらせていた。

「・・・いいの?」
「ええ、もちろんですわ!」
「フレイラさん・・・ありがとう!」

ガシッ!
調理場で今、決意の握手が組み交わされる。
猛狂わんばかりの熱き職人魂を燃え上がらせた2人。
今ここに、1つの目標に立ち向かう新たな同志(とも)が、誕生したのだった。




そして
――運命の3月14日

to be continue


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