作:狂男爵、偽
傾きかけた太陽に煌めく直立する青い半透明な氷の柱が乱立する文字通り凍りついた境内に、甲高い金属音が鳴り響いた。
「お茶請でしたら茶菓子より御汁粉などどうでしょう、宗司様」
それらの無数の氷の柱の中には、あまりの冷たさに凍え黒い髪や白い肌、そして緋袴さえ青白く凍りついた巫女の姿も少なからずあった。
その他にも、神主を含む宮司や神社に不似合いのようでそうでもない黒スーツの男たちが閉じ込められた氷の柱の間を長い黒髪をなびかせたセーラー服の少女が何者かに掛け声も勇ましく斬りかかっていく。
「嗚呼、さっきから甘い香りがしていたと思ったら、御茶ではなく御汁粉でしたか、いいですね、さっきから体が冷えて仕方がなかった、では遠慮せずに戴きましょうか」
受けて立つ相手は、軍用を思わせるライフジャケットを羽織り腰まで背中をウェーブがかかった銀髪に覆われたラフな格好の女性だった。
不敵に笑う相手に向かって、セーラー服の少女はためらうことなく大上段に構えた刀を振り下ろす。
「ええ、わたくしこのお仕事の御話を聞いた時から用意していましたの、さあ宗司様召し上がれ!」
だが、再び甲高い音が鳴り響き、難なく濡れた輝きを放つ研ぎ澄まされた刃がむき出しの前腕で銀髪の女は受け止めると、そのまま振り払う。
途端、身体が木の葉のように吹き飛ばされた少女は、駈け出した姿で後ろを振り返り長い髪と巫女服をふり乱したまま凍りついた巫女を閉じ込めた氷の柱に背中から強く叩きつけられた。
「ああすみませんね、フジ、熱つっ!おっとととっ、嗚呼…少しこぼしてしまいました、染みになりますねこれは…、すぐになんとかしないと」
体中の痛みに顔をしかめながら、刀を杖にして立ち上がろうとするセーラー服の少女に銀髪の女が一息の間に間合いを詰めた。
迫る気配と身体を覆う影にはっと見上げたセーラー服の少女の顔を、銀髪の女が壮絶な冷気漂う手で掴み上げた。
全身を襲う壮絶な冷気と悲痛な敗北感に、呻きとも喘ぎともとれるセーラー服の少女の声が女の手から漏れる。
「この程度でしたらご心配にはまいりませんわ、それよりサクラ様をなんとかしないと、アマテラスの後始末が面倒になりますわよ。」
それらをよそに御茶会のようなことをしていた着物姿の男女の内、ゆったりした和風の着物の眼鏡をかけた若い男がセーラー服の少女の方を振り返ると、彼女の引き締まった身体が猛烈な白い冷気を放ちながら凍りつき始めていた。
「やれやれ…、あまり気が進みませんが、そろそろ決着をつけるとしましょうか…。」
その声に銀髪の女は霜に覆われ真っ白に凍りついたセーラー服の少女から手を離しながら、彼らの方へ獰猛な笑みを浮かべながら振り向いた。
その間に顔を掴み上げられて吊り下げられた姿のまま霜に覆われ氷像と化していたセーラー服の少女の身体が、周囲の空気の水分も凍らせて青く透き通る氷の柱に閉じ込められていた。
そして、彼女を覆う霜も氷の色に染まり苦痛とも敗北感ともとれる表情で吊り下げられたような姿のセーラー服姿の少女の青く凍りついた姿が透けて見えた。
「さて、盾をつぶすのに手間が掛ったんだし、あんたらは大人しくやられてくれるなら、汁粉を喰う暇喰らい与えてやるけど、どうするんだい。」
余裕が見て取れる言葉とは裏腹に、銀髪の女は林立する神社の人々を閉じ込めた氷の柱を、盾にするように用心深く彼らに近づいてゆく。
「やれやれ、私達も見くびられたものですね、いいでしょう見せてあげ……ってあれ、足が動きませんよ、一体どうなっているんですか、フジ?」
銀髪の女の言葉に立ち上がった着物姿の男が眼鏡を煌めかせながら敷物の縁にある履物を履こうとしたが、足が床に張り付いたまま動けなかった。
「少しづつわたくしたちの足元から冷気を忍び寄らせていたみたいですわね、このままではわたくしもなにもできませんわ…ふふ…、困りました…。」
御茶会のような事をしていた片方の、肩のところで髪を短く切り揃えた艶やかな着物姿の少女は何故か含み笑いを浮かべ、敷物の上で正座したまま足が張り付いて動けないでいた。
少女の床に張り付いた部分からピシピシと異音を立てて、霜が広がりながら少女の身体を這い上がろうととしていた。
「これは、これは、大変なことになりましたね…、フジ…、少し貴方の力を借りますよ。」
男は慌てた様子で縋るように腰をかがめ、既に纏った艶やかな絵柄の着物事霜で白く腰元まで染められ凍りついた少女に顔を寄せた。
「ええ、分かりましたわ、でもお忘れにならないで下さいね、あとで沢山利子を付けて返していただきますから。」
清楚な顔立ちに似合わずどこか艶めいた表情で、眼鏡を掛けたまま迫る男の顔をじっと目をそらすこともなく少女は見つめていた。
だが、何をしようというのか?
少女の手は膝についたまま凍りつき、霜はすでに腰やほっそりした下腹部を征服して寂しげな胸元に迫ろうとしている。
男も同然で、かがめた姿で半ば身体が霜に覆われ白く染まっていた。
「はっ、なんて美しい愛情だね、決めた、あんたらはその間抜けな姿で一つの氷に閉じ込めてやるよ。」
何処か呆れた様子で銀髪の女はいつの間にかかれらのすぐそばにある、符を構え凛々しい表情で前を睨みつけた巫女を閉じ込めた氷柱から、姿を現わしていた。
そして、男の青ざめた唇が素早く少女の唇に触れた瞬間ピトリとなにか液体が落ちた。
そして彼らは白く凍りついた。
着物姿で凍りついた少女の身体は、可憐な外見が霜に覆われきらきらと輝き儚げで妖艶な像と化していた。
だが、それ以上はなにも起きない。
奇妙に思った銀髪の女はは彼らを覗き込むと男の手元に、“それ”を見つけた。
「氷漬けにならないとおもったら、解凍の符でもつかおうとしてたのかい、でも中途半端にしか効かなかったみたいだね。」
独り言を言いながら、銀髪の女は彼らに止めを刺そうと符に触れた、途端。
〜この方々を助けて差し上げよう、はやく氷を溶かしてあげないと〜
という考えに精神と身体が縛られた。
ーしまったー
心の中で毒づいたが、何もかも遅すぎた。
符は触れた腕に張り付き怪しい輝きを放ち、もう自分の意志ではピクリとも身体は動かなかった。
そして、銀髪の女は自分の意志とは反対に、全力を使って自らの妖術を解きにかかった。
霜が口づけたままの着物姿の男女から霜の記録映像の逆回しみたいに、解けていく。
その変化は周りに伝播して、氷の柱が次の一瞬で溶け水浸しになった境内に、中に倒れこんだ人々が次々と倒れこんだ。
「やれやれ、やはりこうなりましたか、さて次は何をしていただきましょうか?」
茫然とその様子を見ていた銀髪の女が振り向くと、着物姿の男性が何事もなかったかのように立っていた。
その口元が僅かに血に濡れていたのを見て、銀髪の女の脳裏にひらめくものがあった。
「お前は“人形遣い”だったのか!畜生…!!知ってたら、氷柱で串刺しにしてやったのに…。」
悔しげに呻くが、銀髪の女に許された自由はそこまでで、張り付いた符を払うことも冷気を湧き起こすことも出来なかった。
「お気付きにならない貴方が愚かですのよ、先ほどのような状況でこのような振る舞いができる輩がそれほどいまして?」
隣にいた着物姿の少女も“人形遣い”と呼ばれた男の傍で寄り添うようにして、見下げたような雰囲気で見上げていた。
そのまま、流れるような動作で桐造りの鞘に収まった小刀を懐から取り出すと刃を抜き放ち、銀髪の女の脇腹に素早く突き刺そうとした。
だが、着物姿の男のたおやかな手が鋭い刃の先の前に差し出された。
「宗司様、いったい何のおつもりですの?この女は妖術を解かせればもう用済みでしょう、宗司さまの顔を知られた以上始末をしておかないといけませんわよ。」
「いやっ…!?ちょっと言いにくいんだけどさ、フジには落ち着いて聞いてほしいんだ、さっきの彼女の戦いを見て僕は良いことを思いついたんだけどさ……。」
宗司の落ち着かない様子に、着物姿の少女は悪い予感がして清楚な顔を厳めしくさせながら、先ほどと正反対の雰囲気で詰め寄った。
「わたくしはとても落ち着いたいますわ、宗司様、さあ、御話になってください。」
鬼気迫る雰囲気に宗司は助けを求めるかのように辺りを見回した。
だが、周りには恨めしげに動けない身体で睨みつけてくる半妖の女と、氷の中に先ほどまで閉じ込められていたため、倒れ伏している人ばかり。
いや、一人立ち上がった。
救いの手と宗司が期待を込めて視線を向けると、そのひとは刀を無造作に抱えた先ほど一人で戦っていたセーラー服の少女だった。
「人を囮にしておいて、この様は一体どういうことだ?何故そいつの始末が済んでいない?
事と次第によってはこちらとしても考えがあるぞ、宗司!」
突き刺さる三対の鋭い視線に溜まりかねたように、宗司は呟いた。
「……、いやぁ〜この女ならマスラオを任せられるかなって……!?」
「「「はぁっ!!!???」」」
同時に同じ声を出して女たちは互いに不快な思いをしたのか、忌々しげにしばらく互いを見つめあっていたが、再び宗司を睨みつけた。
「理解できませんわね、半妖のような混じり者風情なんていつ裏切るかしれたものではありませんわ、ほら今だって薄汚いドブネズミみたいにこちらの首を掻っ切る隙を狙っているあの眼、わたくしにはとても耐えられるものではありません。」
「同感だな、ほら見てみろ、こいつのせいでどれだけアマテラスに傷がついたと思っている、こういうものの価値を知らぬ馬鹿は、さっさと始末しておかないとロクなことにならないぞ!!」
「事情はさっぱり分からないんだけどさっ!?この俺様が武器をもってニンゲンのために妖怪に刃をむけろってことだろう…、絶対いやだね!!いいからさっさと殺せ、ほらそのたっぷり血の吸ってそうな凶悪なドスで!!!」
同時に放たれた罵声に宗司がたじたじになっていると、ひたりと宗司のか細い足に縋りつく手があった。
「…彼女達の……言う通りだよ……、邪悪な……妖怪は……、滅びて……しかるべきだ……。」
宗司が嫌そうな顔で見下ろすと、神主の男が何処か好色そうな笑みで見上げていた。
「残念ながら僕には貴方の言葉に従う義務はありません、その薄汚れた手を離していただけませんか?」
先ほどとは打って変わって、冷たい目で“被害者”を宗司は見下ろした。
「…たしかに…、貴方様……、わが家系と……、格が…違う…、だが……、ここに……いると……、いうことは……、そう…いうこと…なの…だろ…う……。」
神主の言葉にセーラー服の少女と着物姿の少女は呆れたように深い溜息をつき、銀髪の女は忌々しげな視線を向けてきた。
だが、気にした風もなく宗司は社交的な笑みを浮かべ、神主に手をさしのばすこともなく眼鏡を直しながら見下ろした。
「それが違うんですよ神主さん、私の使命はね、貴方がたの“不正な活動”の調査に来たんですよ、この半妖の相手をしたのはその邪魔だったからにすぎません、今でしたら皆さんがゆっくりしていらっしゃるようなので施設や資料の調査がはかどりそうですね。」
そう言うと、野良犬でも追い払うかのように絡みつく神主の手を蹴り飛ばして本殿の方へ歩き出した。
「それじゃあ、皆さん行きましょうか、嗚呼、貴方の名前を聞くのを忘れていました、なんておっしゃるんですか?」
「カラウ=メジェリーヌ……って、人の身体を勝手に操りやがってっ!?お前もここの連中と大して変わらねぇじゃねえか?さっさと始末しやがれ!それとも嬲る気か!?」
「はんっ!?貴方のような汚れた混じりモノ風情を嗜好する奇特な趣味は、残念ながら宗司さまにはございませんわ、死にたいのでしたら今すぐお望みをかなえて差し上げてもよろしいですのよ。」
符の術に操られ、ぎこちなく宗司の後をついて歩く銀髪の女の脇腹をおぞましいほど冷たい鋼の刃先が撫でた。
「やめとけ、あたしのアマテラスでもこの様だ、お前のツクヨミなぞひんまがってしまうのが落ちだ。」
本殿に向かう一行についてきたセーラー服の少女が、歩調を合わせながら二人の顔の前に先ほど振り回していた刀を翳した。
それは、見る者を魅惑せずにはいられない美しい曲線と輝きを放っていたが、何箇所か刃こぼれを起こしていた。
「ただ振り回すだけのサクラ様とわたくしをご一緒になさらないで下さいませ、それに今日は新月なんですの、わたくしのツクヨミにとっては硬化程度の術なんて紙切れ同然ですわ。」
まるでさっき食べたデザートの味の良しあしを語るような明るい口調と同時に、銀髪の女の引き締まった脇腹に僅かに鋭い痛みが走った。
「フン、捕虜を嬲るとはな、さすがはお偉いキシュ様だ、随分と高尚な趣味をお持ちのようだな。」
「フジ、駄目だって僕はさっき言ったはずだよ、それにサクラ、君はアマテラスの切れ味に頼り過ぎては駄目だって、姉さん達に何度も言われているはずだよ、刃こぼれは君の修行不足のせいだ、罰として修復より、マスラオの調整を優先させるからね。」
ひそひそ声で話していたつもりだが、聞こえていたらしい。
宗司は振り返って神経質そうな顔で二人を叱った。
「何故だ!!アマテラスとあたしはお前を護るために戦って傷ついたんだぞ!お前にはそれを完治させる義務がある。」
「じゃあ、サクラが姉さんに直接頼むんだね、ちなみに僕は今回は仲裁に入る気はないからね。」
そう言いながら、宗司は本殿に設けられた祭壇をよけて奥の方にある柱の裏に設けられた隠し扉を開いた。
中には長い螺旋階段があり、下にある奥の闇から嘆きのような気配が伝わってきた。
途端、嫌々ついてきた半妖の雰囲気が豹変した。
「サクラ様が義姉さまに折檻されることはまあよいとして、マスラオの話は本気ですの?あの半妖の怪力は確かに得難いものですがわたくしは気が進みませんわね…」
奥の気配を宗司は符を翳して探っていると、着物姿の少女がその耳元に口づけるかのように可憐な唇を近づけて、甘く囁いた。
「それは、いまからのカノジョの対応によって決めよう、さあ行こうか…。」
背後の半妖や諸々から険呑な気配を感じ取っていたが、やはり宗司は気にした風もなく明かりも持たずに暗い階段をおり始めた。
「おいっ!一人で先に行くな、それと、マスラオの調整の次でいいからアマテラスの事はお前からお師っ…義姉様に頼んでくれ、頼む。」
その宗司をセーラー服の少女が慌てて追いかけた。
すると、闇の中セーラー服の少女が抱えたむき出しのままの刀が仄かな光で一同を包み込んだ。
それをやたらぎこちない動きで半妖の女がついていく。
背後の連中は未だ水浸しの石敷きに境内に倒れ伏したまま、誰一人起きだす様子もない。
それを見ていた着物姿の少女は、何故かとても深いため息をついて最後に隠し階段に入ると扉を閉めた。
途端、先ほどまで氷漬けにされていた巫女達や黒スーツの男達や蹴り飛ばされたまま茫然としていた神主が一斉に立ち上がった。
だが、彼らの雰囲気はまるで墓場から動き出した死体のようで、解放された喜びはどこにもなかった。
続く