作:七月
とある薄暗い廃ビルの廊下をこのわたし、黒桐鮮花は歩いていた。
実は最近このあたりでは若い女性が行方不明になるという事件が起きているのだ。
橙子さんが言うにはほっといても大丈夫といった程度の事件(多分面倒くさいだけだろう。)らしいが、わたしの魔術の修行もかねて試しに解決して見せろと言われた(やっぱり面倒くさいだけだ。)のでこうして今私はここにいる。
カツン・・・・カツン・・・
私はほこりの積もったタイルの上に足を進める。
そのたびに物静かな廊下に甲高い足音が響いた。
静かだ。
「ここまで静かだとやっぱり怪しいわね。」
無人の廃ビルなので静なのは当たり前なのだがここは病的にまで静かだった。
風の音、虫の声、そういったものがまるで意図的に排除されたかのような、どこまでも無機的な空間が続いているように感じられた。
おそらく人払いの魔術でも張り巡らされているのだろう。
そんなことを考えながらしばらく歩くと、わたしは少し開けた場所に出た。
広がるのは闇。
その部屋には窓のひとつもなく、光というものは一切見当たらなかった。
「やっぱり懐中電灯の一個でも持ってくればよかったかしら。」
そう言ってわたしは茶色い皮製の手袋をはめた。
「AzoLot―――」
私が一言発すると何もないその場所に光と熱を持った火球が現れた。
これは私の魔術、いわゆる発火<パイロキネシス>といわれるものだ。
わたしは発火によって生じた火の玉が爆散しないように調節しながらあたりを照らした。
「ビンゴね。」
揺らめく炎に照らされて無数の物体がその輪郭をあらわにする。
それは人間の女性の形をした石の塊。
石像と化した女性達だった。
パッと見渡しただけで十数体はあるだろうか。
この部屋には様々な女性の裸婦像が陳列されていた。
おそらく行方不明者の成れの果てだろう。
「ほう、魔術師とはめずらしい客人だな。」
ふいに闇の向こうから声が聞こえてきた。
カツ、カツと足音を立てて何かが近づいてくる。
やがて光に照らされたそれは、青年の姿をしていた。
その右目だけが宝石のように紅い。
「あなたが犯人かしら。」
私が言うと青年はすんなりと答える。
「そうだが。君は私を捕まえにきたのかね。」
若い外見とは裏腹に年季の入ったしゃべり方をしていた。
もしかすると外見は若いが実際はかなりの年月を生きているのかもしれない。
「そのとおりよ。だから速やかに私に捕まってくれると時間に優しくてありがたいわ。」
私はそう言って手に意識を込めた。
あたりを照らすだけだった火の玉が激しい音とうねりを放ちながら膨れ上がる。
「ていっ!」
私はそれを青年に向かって思いっきり発射した。
放たれた火の玉は青年の全身を包み込んだ。
直撃だ。
炎の中に見える青年の黒い影が崩れていく。
青年の影はまるで枯葉に火をつけたようにあっさりと燃え去ってしまった。
「え、うそ!?」
まさか一発で決まるとも思わず私はポカンとしてしまった。
もしかしてやりすぎちゃったのだろうか・・・
だが、そんないらない不安はあっという間に吹き飛んだ。
不意に私の足元が光りだしたのだ。
「なに!?」
光の線は弧を描き私の周りを囲んでいた。これは・・・
「魔方陣!?」
今仕掛けられたのか、それとも元々仕掛けてあったのは分からない。
だが、これが発動したということはまだ青年は生きているのだろう。
「まだまだ発展途上の魔術師だな。」
どこからともなく声が聞こえてくる。
「さあ、そこで石になるがいい。」
魔方陣の光が増した。
それと同時にえもいわれぬ感覚が私の体を支配する。
「きゃあ!」
パキパキと音を立てて私の足が重たく、固く灰色に変化していく。
動けない。
感覚もなくなっている。
青年の言うとおりわたしは今、ジワジワと石になっているのだ。
まずい。わたしはこういったものの解除方法を知らない。
「この・・・」
すでに石化は私の腰まで及んでいる。
私はかろうじて動かせる右腕に意識を手中させ、小さな火球を作りだした。
あたりが再び照らされていく。
そして、再び青年の姿を捉えた。
青年はその顔にうっすらと笑みを浮かべながらこちらを見ている。
そのふざけた顔に火球をお見舞いしてやりたかったけど、残念ながら石化の進行が腕にもおよび、最早動かせそうにない。
最後に相手の姿を確認できただけでもましだったか。
私の腕が完全に石になると同時に火球も消えてしまった。
「う・・あ・・・」
石化がついに顔にまで及んできた。
パキパキという小気味良い音をたてながら石化は進み、唇も動かなくなり、耳も聞こえなくなった。
やがて視界も石化に包まれて私は完全に世界から隔絶された。
あとは、一直線に私の意識は深遠の闇に落ちていくのみだった。
鮮花は石化してしまった。
鮮花は周りの女性達と同じく、物言わぬ石像になってしまったのだ。
黒く輝くような長い髪も、その身にまとっていた清楚な制服も灰色に染まり、固く変化していた。
形の良い唇、柔らかそうな頬も、きりっとした目も、全ては石になってしまっている。
元々素材が良かっただけに、石と化した後の美しさもかなりのものだった。
やがて青年がパチンと指をならす。
すると鮮花の衣服がボロボロと崩れ、鮮花は周りの石像と同じく一糸まとわぬ姿になってしまった。
もちろんその滑らかな肢体や胸も固く、冷たい石になっている。
石像と化した鮮花には先ほどまでの威勢のよさは全く見受けられず、微動だにせずにその場に立ちつくしていた。
そんな鮮花をみて青年は言った。
「うむ、いいできだ。」
青年は満足そうに微笑むと、決して抵抗することのない鮮花の石像に腕を伸ばした。
「・・・あれ?」
気がつくと鮮花は橙子の研究室にいた。
ただし
「って、きゃあ!?」
一糸まとわぬ姿でだ。
「ああ、戻ったな鮮花。」
橙子さんが平坦な口調で言う。
「???」
私は混乱している頭を整理しようとする。確か私は石に・・・
「まったく簡単に不覚を取ったな、鮮花。式をこっそり同行させておいて正解だった。」
橙子さんが言うには、青年がわたしに気をとられている間に式が襲い掛かり、青年に深手を負わせて追い払ったらしい。(これはわたしは囮だったと言う意味じゃないだろうか・・・)
そしてわたしをココに運んで1週間かけて石化の解除を行ったそうだ。
「ちなみに式があの男が鮮花に触れる前に男を追っ払ったからな、お前の貞操は大丈夫だぞ。」
と付け加えられたがそんなにピンチだったのだろうか。わたし。
ようやく服を着終えてほっとしたわたしはそんなことを思った。
「ああそういえば。」
何か思い出したように橙子さんが言った。
「お前は1週間ほど石になってたがな。その間にお前の石像を見て幹也が言っていたぞ。
鮮花に似て綺麗な石像ですね。ってな。」
その言葉を聞いた瞬間、カーーーッと体中の血が顔に集まったような気がした。
み・・みきやにみられた・・・?
「え・・・幹也が・・・見たんですか・・・その・・・」
わたしの裸(石像だったけど)を、と言おうとしたところで橙子さんが続けて言った。
「ついでに触ってもいたな。よくできてるなー。とか言いながら。色々と。」
ボカン!と頭がはじけそうになった。
きっと今の私の顔はびっくりするくらい真っ赤になっているだろう。
み・・みきやにいぢくられた・・・?
わたしがカタカタと壊れたおもちゃのように震えていると、ガチャリとドアが開いてそこから入ってきたのは
「こんにちは橙子さん・・・っておや、鮮花もいたのか。一週間もどこに言っていたん・・ぐえっ!?」
とてもじゃないが今は幹也の顔など直視できず、私は恥ずかしさでいっぱいになってしまい、幹也にボディーブローを食らわせると一目散に橙子さんの研究室を飛び出してしまった。
そして鮮花が出て行った後・・・
「なんなんでしょう・・・鮮花の奴・・・」
幹也が腹を抱えて苦しそうにうなり声を上げながら言った。
そんな幹也に橙子は言う。
「さあねえ・・・乙女の事情って奴だろうよ。」
「はあ・・・?」
何のことだか分からないといった表情の幹也と対照的に橙子の顔には楽しげな微笑が浮かんでいた。
幹也に見られた幹也に見られた。
そんな考えがひたすらに頭の中をめぐる。
だけどちょっぴりうれしいと思っている自分がいるのも分かってしまう。
幹也はわたしの裸体に触れた。
これでわたしのはじめて(裸体に触れた男の人)は幹也になったのだ。
「ふふ・・・」
うれしさがつい声にももれてしまった。
我ながらヘンタイさんかもしれない。
まあなんにせよ男の人が女の肌に触れるのはいいことではないよね。
だったら責任とってもらわなきゃ。
今度幹也に会ったら言ってやろう、「この前の責任とって!」って。
幹也は相変わらず何がなんだか分からない顔をするだろう。
そしてあの石像が私だったことを言えばびっくりしてわたしに土下座でもしそうな勢いで誤るだろう。
そんな幹也にわたしはお詫びとしてとびっきりのものを奢ってもらうのだ。
そう考えているとなんだか楽しくなってきた。
ちょっと位の無茶は通るはずだ。なんたってわたしは幹也の・・・
「妹なんだもの。」
自然と頬が緩む。
わたしは、幹也に何を奢ってもらおうか悩みながら、橙子さんの事務所へと戻っていった。