モデルは動かない

作:闇鵺


 学校の美術室には様々な絵画や彫刻が飾られている。
過去の卒業生の作品だったり、教師が趣味や教材用として集めたものだったり。
特に白い石膏で出来た胸像は誰がいつ作ったものであるのだろうか、
まるで生きた人間であるかのように精巧に作られている。
 しかし、どんなにリアルに作られていても彫刻は彫刻。人間じゃない。
そしてその限りないリアルさに僅かながらも不気味さを感じる人は少なくないだろう。
ましてそこが小学校であるのなら。

 そんな中、留美(るみ)は珍しくも美術室にある絵や彫刻に興味を持っていた。
放課後の誰もいない美術室に勝手に侵入しては、そこに展示してある絵や彫刻を眺めている。
 あの抽象画は何を表しているんだろうか。あの精巧な彫刻はどうやって作り出したんだろう。
この道具は使った事が無い。いつか授業で使う時が来るのかな。
そしたら一体どんなものが出来るんだろう。
 まるで本当の絵画の展示会のように、留美は時間を忘れて美術室内を見て回る。
その時、誰かが後ろから声を掛けてきた。


「ねぇ」

「ひぁぁっ!?」


 驚いて声を上げる留美。
無理も無い。だって今この美術室には留美意外誰もいないはずだったから。
慌てて振り向くとそこには、紫色の服を着て小さい人形を持った女の子が立っていた。


「…もぉ! 脅かさないでよぉ!」

「あなたが勝手に驚いたのよ」


 前髪が長いせいか、片方の目が隠れているその女の子は
留美の驚いた姿がおかしかったのかクスクスと笑っている。


「それよりあなた、絵のモデルやってみない?」

「モデル?」

「そう。モデル。わたしこれから絵を描くから
 あなたにモデルになって欲しいの。いい?」

「うん! わたし絵のモデルって一度やってみたかったんだ」


 留美は二つ返事で快諾した。
留美は自分の姿を描かれるという事に密かに憧れを抱いていた。
絵や彫像のモデルとなった人を羨ましく思った事もある程だ。
 女の子は近くの机に人形を大事そうに寝かせてその横にある古そうなスケッチブックを手に取った。
あんな所にスケッチブックなんてあったんだ。


「じゃあそこのイスに座って。
 モデルなんだから動いてはいけないのよ」

「う、うん。分かった」


 留美はイスに腰掛けて両手を膝に乗せた。
ちょっと緊張する。ポーズとか付けなくて良いよね?
 女の子はサラサラとペンを走らせる。
時々、黒猫みたいな眼をチラと留美の方へ向け、またスケッチブックに集中する。
 …そういえばこの子は誰なんだろう?
留美はその女の子の姿を一度でも見かけた事は無かった。
あまり年は離れてなさそうだけど何年生なのかな。
 …いつから美術室にいたのかな…この子。
留美が美術室に入った時には誰もいなかった。
だから当然後から入って来たんだろうけど…。
留美は声を掛けられるその瞬間まで、その女の子の気配には全く気付かなかった。

 女の子が絵を描き始めてから一時間ぐらい経っただろうか。
段々日が暮れてきてる。そろそろ帰らないとお母さんが心配しちゃうかも知れない。
今、どの辺りまで描き上がったのかな。
女の子は描き始めてから一度も休憩を取らずに一定のペースで描き続けている。
でも集中力を要するのはモデルの方も同じで、留美はずっと同じ姿勢でいる事に疲れを感じていた。
そして…実はちょっとおトイレに行きたい。


「…ねぇ、まだ動いちゃダメ?」

「ダメよ。あともう少しだから」

「うぅー……」


 どんどん太陽は沈んでく。帰る頃にはきっと真っ暗だ。
お母さんに怒られる…。ていうかほんとにおしっこしたい。
でも、こんなに集中して描いてくれてるんだから声も掛け辛い。
さてどうしたものだろうかと思い始めた時、女の子がそっとペンを置いた。


「できた」

「本当!?」

「えぇ。我ながらよく描けたと思うわ。見たい?」

「うん! 見たい!」


 留美は姿勢を正したままで、もうすっかり日が暮れてしまってる事も
さっきからずっとおトイレ我慢してる事も忘れて、描き上がったばかりの絵を見せるようせがむ。


「そう。じゃあ見せてあげる」


 女の子はスケッチブックを返して出来上がった絵を留美に見せる。
そこに描かれているのは小学生が描いたとは思えない、
まるでモノクロのカメラで写したみたいに精巧な留美の人物画だった。


「うわぁー…、すごい上手…!」

「ありがとう。でもね、これはまだ完成じゃないの。ちゃんと色も塗らないとね」


 女の子はいつの間にか用意してあったパレットを手に取る。
不思議な事に、そのパレットには白い絵の具しか出されていない。
でもその事を気に掛ける暇も無く、留美は体に異変を感じた。


「(……あれ…? …体が動かない……?)」


 イスに座り、両手を膝の上に乗せた状態のまま留美は体を動かす事が出来ない。
それこそたった今見せられたあの絵と同じ状態で。
女の子は留美の異変など全く気にも留めずに、筆に白い絵の具を付けて下の方から塗っていく。


「………ぁ……っ……!」


 口まで動かない。言葉を話す事も出来ない。
今や完全に夜になっていて、窓の外はもう真っ暗だ。
そしてその窓が鏡のようになって留美の姿を映し出す。
留美は目を疑った。


「(…!!? わたしの足が…白くなってる…。
 これ…もしかして…、わたし……石になってるの……?!)」


 この美術室に飾られている彫像達のように、留美の足元が白く固い石膏に変化している。
そしてそれはどんどん上に迫ってきている。
女の子がスケッチブックの留美の絵に白い絵の具を塗るのにつられていくように。
これはもしやこの子の仕業なのだろうか。
 その時留美は思い出した。
近頃学校で噂になっているある女の子の幽霊の事を。

 その女の子は夕暮れ時から夜に現れ、一緒に遊ぶ相手を探して校内を歩き回るのだという。
暗闇から生まれてきたような濃い紫色の装いに、
長い前髪で片方の目が隠れているけど人形みたいに整った顔立ち。
その女の子の名前は……


「(……まさかこの子が…やみこさん………?!)」


 色を塗るのに夢中になっている女の子は、一瞬またあの黒猫みたいな眼を留美に向けてフフと笑った。
留美にはそれが「そのとおり」と語り掛けているように見えた。
 やみこさんに出会ってしまったらどうなってしまうんだろう。
肝心な所が思い出せない。でもきっと思い出す必要は無い。
今、自分は正にやみこさんと対面している。
そして自分が置かされているこの状況こそがその答えだから。
 もう、肩の所までが白い石膏に塗り固められている。


「……や………め…………ゃ……………」

「知ってる? “色”っていうのは反射した光が目に映り込んでいるに過ぎないのよ。
 光の無い闇の中でこそ本当の姿が分かるものなの。本当の美しさも」


 やみこさんは筆をパレットにちょんちょんと付けて白い絵の具を注ぎ足した。
そして、狙いを定めるようにしてスケッチブックに描かれた留美の顔目掛けて……

塗り潰した。


「完成。ほら、よく描けたでしょう?」


 やみこさんは机に寝かせたきりだった人形を手に持つと、見せびらかすように絵の方に向ける。
そしてそこに描かれている絵と全く同じ姿の、白い石膏像と化した留美を見ながら呟いた。


「絵の次は彫刻も良いわね」


 「ねぇ?」と嬉しそうに語り掛けるも、それに答えを返す者はいない。
腕の中に抱かれた人形も、部屋中に飾られた絵画や彫刻も、
そして、たった今完成したばかりの石膏像も。
返事など出来よう筈がないのだ。



 美術の授業中。
一人の女子生徒が何気無く辺りを見回す。
相変わらずあまり良い気分はしない。
特にこの石膏で出来た彫像や胸像はリアル過ぎる。
それはあくまでリアルだというだけで決して本物の人間ではない。
だから余計に不気味なんだ。
 ふと、一体の胸像に目を惹かれる。
専ら成人男性を模したものが多い彫像達の中において唯一、それは少女の形をしていた。
自分と同学年くらいの女の子の胸から上までを模った胸像。
こんなもの前からあったかな。どこかで見たような気はするけど。
…何でこんな悲しそうに見えるんだろう。
 しばらくその胸像を眺めていたけど、課題が進んでいない事に気が付いてすぐに作業を再開する。
女の子の像の事はすぐに記憶から無くなった。

また一人、少女が行方不明になった事も。


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