歪んだトライアングル・前編

作:闇鵺


「…あ…あの……、わわ…わた……わたしと……
 つ、つ、ツル! …と…カメ……
 …って、そうじゃなくて……!」


 帰りの校門の前である男子生徒が一人の女子に呼び出された。
「大事な話があるから、誰もいない所で話がしたい」との事で、
体育館の裏というあまりにもベタな場所に連れてこられ
二人きりという状況が余計に彼女を緊張させてしまったのか
肝心の用件をいまだ聞く事が出来ずに現在に至る。


「あわわ…わたしと…つ、つき…つき……月と鼈(スッポン)!!
 うぁーん!! 違うんです違うんですー!!」


 完っ全に取り乱してる。
顔をプチトマトみたいに真っ赤にして、水晶みたいに透き通った目は涙で潤んでいる。
心臓がオーバーヒートして今にもぶっ倒れそうだ。
 この少女が言わんとしてる事は何となく分かる。
こっちからフォローしてやった方が良いだろうかと呼び出された男子が思い始めた時、
女子生徒は目を閉じて大きく深呼吸をする。
何度か吸って吐いてを繰り返し、そしてキッと目を開いた。
男子生徒はその迫力に一瞬身をたじろがせる。
 再び大きく息を吸い込んだ女子生徒は校庭はおろか校舎の中にまで響き渡りそうな大声で告げた。


「わたしと付き合ってくださいっ!!
 お願いしますっ!!」

「…いいけど」


 女子生徒はマラソン走り切った後のように息をゼーゼー切らせている。
…今の多分聞こえてないな。男子生徒はもう一度彼女に返答した。


「いいよ。付き合っても」


 こうして、晴れて彼氏と彼女の関係となった二人が最初に向かった所は校舎に隣接した水飲み場だった。
とりあえず水でも飲んで落ち着けと。
ゴクゴクと水を飲み干す女子生徒。少しは落ち着いたようだが
プチトマトみたいな丸い顔は赤いままだった。



 ここは弥生(やよい)の部屋。
今、弥生は春(はる)ののろけ話を聞かされている最中。


「……そっか。うまくいったんだ」

「わたしもう心臓がドキドキして自分でも何言ってるんだか分かんなくなって
 もう絶対嫌われたーって思ってたらその時、透(とおる)君がね…」


 「いいよ…つきあっても」…とかなり美化された
最愛の彼氏である三枝 透のマネをしてみせる春。
そんな春に弥生は曖昧な笑みを浮かべて「よかったね」と応えた。


「これもきっと…弥生ちゃんが色々相談に乗ってくれたおかげだよ」


 まるで天にも昇るような笑顔の春。
本来なら親友として喜びを分かち合うべきなんだろうけど
弥生には、そんな春に曖昧な微笑みを返す事しか出来なかった。
…その笑顔が、自分に向けられたものではないからなんだろうか。

 弥生と春は幼稚園の頃からの親友だった。
小学校の六年間、中学の三年間もずっとクラスは同じ。
そして同じ高校に進学した最初の年、初めて二人は別々のクラスになった。
最初は悲しんだものの(特に春が)それで二人の心まで離れてしまうような事は無く、
夏が過ぎ、風が涼しさを纏い始める頃になっても二人は親友のままだった。
 だから…春に好きな人が出来た時、その事を相談できる相手も弥生以外にはいなかった。
きっと弥生が透のクラスメイトだったという事も理由の一つだったんだろうけど。


「…好きな人ができちゃった」

「それって…うちのクラスの三枝君?」

「え…あ…うん。……どうして…分かったの…?」

「春のことなら何でも分かるよ。
 彼、ちょっと無愛想なところがあるけど根は優しい人だし、
 …春が好きになりそう」


 未だに中学生、ひどい時は小学生にさえ間違われる事もあるチビで丸顔童顔で子供っぽい春。
春の事なら何でも知っている。
好きな食べ物は玉子料理。嫌いな食べ物はニンニクとニラ。
得意科目は文系全般。苦手な科目は数学と体育。
声は可愛いのに歌はいまいち。
好きな色はピンクで、彼女の勝負下着もその色だ。
高校受験の時も6月にやった運動会の時も…三枝 透に告白する時も、彼女はピンクの下着を穿いていた。
 彼女の隣にいるのはいつも私だったのに。
これからもずっと彼女と一緒にいられると思ったのに。
……ずっと…私のものだと思っていたのに。



 ある日の休み時間。
透とクラスの男子が話しているのが弥生の耳に届いた。


「お前、三組の浅木 春と付き合ってんだって?」

「あぁ」

「…正直、ロリ趣味入ってないか?」

「何がロリ趣味だ。同い年だろ」

「まぁ確かに顔は悪くないしな。彼女っつーより妹に欲しいタイプだよな」


 あまり行儀が良くない事は分かっているけれど、
弥生の意識はどうしても男子二人の会話に向かってしまう。
本当はあまり聞きたくないのに。
…そう。後にして思えば、ここで無理矢理にでも聞くのを止めるべきだったんだ。


「でもさー、結局お前、遊びだろ?」

「……まぁな」

「だよなー。てかお前、中学の時からとっかえひっかえだったって本当か?
 だったら一人ぐらいこっちに回せっつんだよ!」

「そんなんじゃねぇよ。人聞きの悪いこと言うな」


 何気無い会話のつもりだったんだろうけど、
弥生はその一単語を聞き逃す事は出来なかった。

 …“遊び”って…どういう事……?

 机に押し付けたシャープペンの芯がポキリと折れた。
その音が近くにいる男子二人には聞こえなかったように
彼らのその後の会話も弥生の耳には届かなかった。


「…それに俺、遊ぶ時は本気だから」



 自宅に戻った弥生は本棚から一冊の本を取り出す。
黒い装飾が施された図鑑みたいに大きな本。
いつからあるのか分からない。どこで手に入れたのかも分からない。
その本には気休めにしかならないようなありがちなおまじないとは訳が違う、
本物の呪文が記されているという。
 普通の人ならそんな妖しげな本は手元になど置いておきたくないと思うだろう。
でも弥生は違った。いつかこの本が必要になる時が来るのかも知れない。そんな予感がしていた。
そして、その時は今だ。
 弥生は重い本の表紙を開いてページを捲っていく。
そしてその中の一ページを大きく開いて目を通した。
そのページの見出しには判読困難な書体で『魔人召喚の術』と記されている。
 弥生は事前に学校の教室から拝借していた白いチョークで部屋の床に丸い大きな図面を描き始めた。
内部に複雑な幾何学模様が刻まれた円の図面。
それは見開きにしたままのページに書かれているものと同じ図形だ。
 十分ほど掛かって、本に書かれたものと寸分違わない図が完成した。
すると今度はカッターナイフを取り出して自分の人差し指にほんの少しだけ傷を付け、
そこから染み出た赤い血を完成したばかりの図形の中心にポトリと垂らした。

 ボゥゥゥ…!!

 血の滴が床に落ちた瞬間、床に描かれた図形が歪みだし、
跳ねた血の滴が巨大化しながらスローモーションで上へ上へと立ち昇っていく。
巨大化したそれは揺らめく炎のような捉えようも無い姿となって中空に停滞する。


「…本当に…現れた……!!」


 驚いて尻餅を付く弥生を見下ろすように、不気味な塊から二つの仄暗い光が燈る。
そして一切空気を震わせない頭に直接響いてくるような不可思議な声で語り始めた。


「我が名はトリダルテ。
 我に願い請う者よ。我と契約を結びたくば、贄を捧げよ。
 汝にその覚悟があるか?」


 自ら呼び出したものとはいえ、その壮絶な光景に言葉を失う弥生だったが
しばらくの沈黙の後、唇を震わせながら小さく「えぇ」と答えた。



 その次の日。放課後の教室。
透は窓の外を眺めながら人を待っていた。
「大事な話がある」と、いつかも聞いたようなセリフだったけど
こないだのそれとは違う用件だろう事は何となく察しがつく。
というのも呼び出した人物というのが、自分が今一人の女生徒と交際中であるという事を
最もよく知っている(と思われる)第三者だからだ。


「待ったかな?」

「深山、俺に用って何だ?」


 声を掛けられた透が振り向くと、
そこには図鑑みたいに大きな黒い本を持った弥生がいた。
弥生は大事そうに黒い装飾の本を両手に抱きながら微笑んでいる。
そして、ゆっくりと話を切り出した。


「私…、聞いちゃったんだ。昨日。春のこと…「遊びだ」って言ってたの。
 酷いよね。私の親友を“遊び”だなんて」


 とは言うものの弥生は透を責め立てようとする様子は無く、むしろ穏やかだ。
透は透で特に気にしている風でもなく淡々としている。


「…聞こえてたのか。……あぁ。確かに言ったよ」

「認めちゃうんだ」

「本当の事だからな」


 全く悪びれた様子の無い透。開き直ったのだろうか?
だが露悪的と言うよりはただ冷静に事実だけを語っている、そんな印象を受ける。
彼はいつもそうだ。何があっても動じなくて、時々何を考えているのか分からないことがある。
そこがまた“クール”とかって印象を植え付けてたりするんだろうけど。


「悪かったと思ってるよ。春には。
 …今更こんなこと言ったって余計お前怒るだけだろうけど、俺…本当は……」

「もういいよ。
 だってもう意味の無い事だもの」


 そう言いながら弥生は手に持った本のページを開いて透の方へ向ける。
後ろめたさからか、ほんのちょっとだけ寂しそうな表情をして
弥生の方を見れないでいる透が小さく「そうか…」と呟いた。その瞬間……


「…っ!? 何だ!?」


 弥生の開いた本から手のようなものが飛び出し、透の胸倉を掴んだ!
そのままグイグイと透を持ち上げて窓の外に押し出そうとする。


「…待てよ…おい! 深山…何なんだこれは……?! ……ぁ…!!」


 悲鳴は聞こえなかった。
ただ、ドンッという金鎚を思い切り振り下ろしたような音が響いただけ。
 弥生は開いたページを下に向けて、透の落下した窓から真下に向かって本を落とした。
まるで引き寄せられるように、狙いを付けずとも本は透の顔に掛かるようにして落ちた。
本のページが血を吸って赤く染まる。
 これでもう後には戻れない。戻る必要も無い。
そう決意したんだ。
…行かなくては。
 誰もいなくなった教室を後にする弥生。
下に落ちた透がどうなったかなど気にも留めずに。
携帯電話を取り出して登録してあるアドレスに発信する。
恐らく、この機械にとっても最も馴染みのある相手に。


「春…? 今すぐうちに来て欲しいの。大丈夫?
 ……そう。ありがとう」

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