作:幻影
見慣れない寝室のベットで、アズマリアは眼を覚ました。起き上がり、まぶたの重い眼をこすりながら、周囲を見渡す。
「ここ・・は・・・?」
「おっはよー!眼が覚めたみたいだねぇ。」
小さく呟いたアズマリアの横から、活気のある声が飛び込んでくる。アズマリアは驚きながらその声のしたほうに振り向く。
そこには1人の女性がいた。白い上着を着て学者のような装いをしていたが、子供染みた振る舞いから幼い少女のように思えた。
頭に猫の耳を生やした彼女の名はシェーダ。アイオーンと行動を共にする罪人(とがびと)で、自らを「ハカセ」と呼んでいることもある。
彼女は罪人の中でも高い知識の持ち主で、様々な武器や発明品を開発している。懐中時計を作り上げたのも彼女である。
シェーダは満面の笑みを浮かべて、困惑しているアズマリアを見つめる。
「お腹空いたでしょ〜?今、食事ができたところだから。」
「あ、あの、私は・・・」
そのとき、お腹の鳴る音が響いてきた。その音を聞いてアズマリアが顔を赤らめ、シェーダもさらに笑みをこぼす。
「体は正直だねぇ。ついてきて。一緒に食べよ。」
笑みを消さないまま、シェーダは部屋を出て行く。困惑が消えないまま、アズマリアも彼女の後についていく。
案内された食事部屋には、2人の人物がいた。アズマリアをさらった少年と、メイド服に身を包んだ女性である。
苦笑いを浮かべている少年、ヨシュア。どうやらその女性、フィオレから好き嫌いを指摘されているようだった。
屈託のない食事の風景を目の当たりにして、不思議に落ち着きを取り戻していくアズマリア。そこへシェーダが振り返り、声をかける。
「さて、食事といきましょー!」
相変わらずの活気ある声でアズマリアを迎え入れるシェーダ。しかしアズマリアは沈痛な面持ちになっていた。
「わたし、食べられません・・・」
思いつめた彼女の様子に、シェーダから笑みが消える。
「あなたたちは悪い人で、クロノやロゼットにひどいことをして・・・だから、だから・・・」
自分を取り巻く悪魔たちに怯え、震えた声を上げるアズマリア。そこにシェーダが手を伸ばすと、彼女の恐怖が強まる。
しかしシェーダは、アズマリアの頭にそっと手を乗せるだけだった。
「君はまっすぐでいい子だねぇ。」
「えっ・・・?」
予想していなかった言葉に、アズマリアは唖然となる。
「確かに君の言うとおりだ。悪魔は人を騙す。人を傷つける。人を殺す。その認識は間違いじゃないよ。でも、これは君のためにフィーちゃんががんばって作ったものなんだよ。」
アズマリアから手を離し、シェーダは空いている席に座る。
「食べ物に善悪なんてカンケーないと思うけど。」
シェーダの言葉に促され、アズマリアも席に座る。そしてテーブルに置かれた皿に入れられたスープを一口入れてみる。
「おいしい・・・」
「お口に合って光栄です。妹が・・好きだったものばかりですが、あなたを見て少し思い出しました。」
フィオレが戸惑いを見せながらも、アズマリアに一礼する。
この食事の光景を目の当たりにして、アズマリアの緊張が和らいでいった。
悪魔なのに。ロゼットたちを傷つけた悪い人なのに。
そう思いながら、アズマリアは不思議に落ち着きを取り戻していった。
寂れたニューヨーク郊外。
どうにもならないやるせなさを感じながら、街をさまようロゼット。そんな彼女を発見したルドセブが声をかけてくる。
「姉さん!ロゼット姉さん!」
「ルドセブ・・・」
ルドセブの元気な呼びかけに対し、ロゼットは何とか笑みを作るしかなかった。
「どうしたんだよ、姉さん?そんな落ち込んでるなんて、姉さんらしくないよ。」
「えっ・・?」
「限りある時間だから、迷ってる暇はない。ヨシュアさんを助けようとしている姉さんがいつも言ってたじゃないか!」
「ルドセブ・・・」
ルドセブに勇気付けられ、ロゼットに笑みが戻る。
「そうよね。こんなところで立ち止まっていられないよね!クロノは必ず帰ってくる。それまで私たちががんばらないとね。」
「そうだよ!それでこそ姉さんだよ!」
元気の戻ったロゼットに、ルドセブが大喜びして飛び上がる。
今、1番彼女に信頼を寄せ、1番彼女を励ましていたのは彼だった。ロゼットは改めて、眼の前の小さな友の言葉を心から受け入れた。
「うわぁっ!」
そのとき、街角からかん高い声を上げながら、1人のシスターが倒れこんできた。買い物を頼まれていたメアリが、足をつまずいて転倒、袋に入れていた買い物を全てこぼしてしまった。
「あ〜あ。もう、何やってるんだよ、メアリ姉ちゃん。」
「あう〜、いたいよ〜。」
あきれ返るルドセブと、打ち付けた頭を押さえて痛がっているメアリ。転がった品物を拾う作業が始まった。
「しっかりしてよね、メアリ。」
ロゼットもルドセブとメアリを手伝う。そんな中、アンナとクレアの呆れた様子を想像していた。
「いいぞ。もうすぐだ。もうすぐで世界に、アストラルラインに手が届く。」
大きく広い屋上。大空を見渡せるその中央に、白髪の男が両腕を広げていた。
彼こそが罪人アイオーン。クリストファ姉弟の絆を引き裂き、ヨシュアの持つ力を利用して魔界(パンデモ二ウム)を撲滅し、自由への革命を引き起こそうと企んでいる罪人のリーダーである。
彼ら罪人は、神の代わりにその力を行使し、アストラルラインと唯一シンクロできる存在、地上代行者(アポスルズ)を集めていた。ヨシュアやアズマリアもその代行者である。
アイオーンはその神の力を注ぎ込み、パンデモニウムを暴走させようとしていた。そのために、アポスルズであり悪魔の力を所持しているヨシュアの力の強化を図っていた。
「世界は今、混乱で満ちている。オレたちが自由を手にし、この忌まわしい連鎖を断ち切る。」
不敵な笑みを浮かべ、空の彼方を見据える。自らの手に本当の自由が舞い込んでくることをもくろんで。
「そこまでだ、アイオーン!」
そのとき、鋭い声がアイオーンに向けて響き渡り、青く澄んでいた空が黒く塗りつぶされていく。黒雲を思わせるその正体は悪魔の大群だった。
その前には、あごひげを生やし、帽子をかぶった長身の黒ずくめの男が出現。アイオーンの眼前に着地した。
「ようこそ、罪人の楽園(エデン)へ、公爵デュフォー。」
アイオーンがデュフォーに向けて一礼する。デュフォーはその言動を気に留めず、話を続けた。
「アポスルズを解放しろ。貴様たちがしていることは、我々に対する完全な宣戦布告に他ならん。」
「デュフォー、お前何か勘違いをしていないか?今の悪魔たちは、お前の味方ではなく、オレたちに味方してくれているのがほとんどだ。もはやお前に従う者はほんの一握りだ。」
デュフォーの要求を聞き入れず、アイオーンはあざけるように笑みを浮かべる。
「それに、たとえ公爵でも、今のオレたちを止めることはできない。」
「何だとっ!?」
アイオーンの勝ち誇ったかのような言動に、デュフォーは憤慨する。
「何をしてるんだい・・・ここで・・?」
そこへ、ヨシュアが2人の悪魔の対立するこの屋上に現れた。見回しても現状を把握していないような表情で、アイオーンとデュフォーを見比べる。
「また来たの?君もしつこい人だね。」
デュフォーに視線を定め、ヨシュアが屈託のない口調で愚痴をこぼす。
「丁度いい。この際だから見せてやろう。お前がオレたちに勝てない理由を。」
「何っ!?」
「ヨシュア、見せてやるんだ。お前が新しく手に入れた力を。」
「分かったよ、アイオーン。そろそろこいつらには、嫌気が差してきたところだったんだ。」
アイオーンに促されて、ヨシュアが笑みを浮かべて頷いた。
「使え。」
アイオーンが漆黒の剣をヨシュアに投げ渡す。その柄を掴み、剣を構えるヨシュア。
そしてひとつ笑みをこぼし、剣を一気に振り抜いた。
その剣の波動に巻き込まれた悪魔たちが次々と切り刻まれていく。
「こ、これは!?」
その威力に驚愕するデュフォー。そして剣の矛先が彼へと向けられる。
ヨシュアとアイオーンが不気味な笑みを見せた瞬間、剣の刃が光となって、デュフォーの体を貫いた。
「アイオーン!貴様、アポスルズに、何をぉぉ・・!?」
絶叫を上げるデュフォーが、剣の光に包まれて消滅する。たったひとりの地上代行者によって、公爵と恐れられていた悪魔が敗れたのだった。
光の治まりを見つめ、不敵に笑うヨシュアとアイオーン。
「うぐっ!」
その直後、ヨシュアの頭に激痛が走った。痛みに耐え切れず、その場に剣を落とす。
「すごい・・・また、ノイズが・・・!」
周囲からの情報が雑音となって、ヨシュアの脳裏の襲いかかる。
クロノの尖角(ホーン)を受け取り、悪魔の力を手にした彼だが、時折その力を制御することができず、力を暴走させることもしばしばである。
(まだその力を抑えることができないようだな。だが、この力が完全なものになれば、オレたちは自由に手が届く。)
うずくまるヨシュアを見下ろしながら、不敵に笑うアイオーン。彼ら罪人の革命は着々と進行していった。
寂れた街並みを見渡しながら、気落ちした人々を励まそうとしているルドセブ。彼の元気は、この暗黙を徐々に明るくしていった。
そんな彼の前で、沈痛な面持ちで座り込んでいるサテラの姿があった。
捜し求めていた姉の面影。眼の前に現れた宝石使い、フィオレ。
サテラにはフィオレが姉、フロレットだと思えてならなかった。
「サテラ姉さん。」
ルドセブが元気な声で呼びかけると、サテラがおぼつかない表情で振り向いてくる。
「どうしたの、ルドセブ?」
「それはこっちのセリフだよ、姉さん。そんな顔して。」
気落ちしていた自分を指摘され、戸惑うサテラ。困惑を見せながらも、落ち着きを取り戻して話を続ける。
「見つけたかもしれないのよ、お姉さまを。でも、とても戻ってきてはくれなさそう・・・」
そういって再びうつむくサテラ。
「だ、大丈夫だよ。」
そんな彼女を、ルドセブが意気込みながら励ます。
「姉さんの姉さんを見つけられただけでも大きな進歩だよ!だからまだ諦めちゃダメだよ!」
「ルドセブ・・・」
「可能性がなくなったわけじゃない。ゆっくり分かち合っていけばいいよ。って、“姉さんの姉さん”って、何か言うのが照れくさいなぁ・・・」
苦笑するルドセブに、サテラは思わず笑みをこぼしていた。
「ありがとう、ルドセブ。」
「え?」
「姉と慕ってくれるあなたの言葉を聞くと、すごく嬉しくなってくるのよ。」
「姉さん・・・」
「そうよね。お姉さまは必ず戻ってくる。私が姉さまを取り戻してみせる。」
決意を新たにするサテラ。ルドセブも喜びのあまり、手に力が入る。
「でも、ロゼットはあまり見習わないほうがいいかもよ。あの暴走ぶりまで移ったら大変だわ。」
からかうように言い、笑みを浮かべるサテラ。
「確かにね。けど、その暴走ぶりが、オレは好きだぜ。」
ルドセブの思わぬ答えに、サテラは一瞬唖然となる。
「それじゃ、そろそろ戻るよ。ロゼット姉さんが待ってるから。」
振り返り、サテラに手を振って駆け出すルドセブ。その後ろ姿を見送るサテラ。
「また問題児が増えたみたいね。」
あきれ返るサテラ。しかしそんな中、彼女はかけがえのない親友の存在に喜びを感じていた。
「えっ!?デュフォーが!?」
カラスを思わせる頭部をした長身のグーリオと、いのししのような体格をした巨体のカルヴ。2人の悪魔の告げた言葉にロゼットは驚愕した。
罪人アイオーンという共通の敵を倒すため、彼女は罪人を追う追手とも手を組んだのである。
「ああ。ヤツはお前の弟の持つ悪魔の力を強めて、魔界の破壊を企んでいる。」
「ヨシュアが!?」
「デュフォーは魔界の中でも最高位の強さを持つ。それが簡単に・・・まだ完全に使いこなせてはいないようだが、悪魔にも人間にも恐るべき脅威となるだろう。」
ヨシュアの強大な力に動揺を隠せないカルヴとグーリオ。その中でロゼットは、ヨシュアが自分から遠ざかっていくという不安を感じていた。
このままではヨシュアを助け出すどころか、自分たちを守ることさえできなくなる。人々の不安は募るばかりだった。
「姉さん!」
そこへルドセブが駆け込んできた。振り返ってきた2人の悪魔に、彼は立ち止まって一瞬動揺する。
「ルドセブ、どうしたのよ?」
ロゼットも振り向き、ルドセブに声をかける。
「姉さん、大変だよ!みんなが・・・」
慌しい様子で語りかけるルドセブ。その直後、数人の兵士がロゼットたちの前に現れた。
「ロゼット・・・貴様・・・!」
ロゼットや悪魔たちを見つめる兵士たちの眼は苛立ちに満ちて冷ややかだった。
「貴様何をしているのか、分かっているのか!?」
「我々の敵である悪魔がどうしてここにいる!?」
「クロノのことといい、悪魔崇拝者にでも成り下がるつもりか!?」
兵士たちの怒りの言葉がロゼットに浴びせられる。彼女は沈痛な面持ちでうつむくだけだった。
「やめろ、お前ら!」
その罵声に耐えかね、ルドセブが抗議する。
「ロゼット姉さんは、これまでオレたちやたくさんの人たちを助けてきたんだ!それに、クロノ兄さんだってこいつらだって、オレたちの強い味方なんだ!」
カルヴとグーリオを指差し、ルドセブが兵士にたちに言い放つ。
ロゼットがヨシュア救出と罪人撲滅のためにこの追手たちと手を組んだことを知っているのは、サテラとルドセブ、そして彼女と親しい仲間たちだけである。
しかしその事実を知っても、悪魔を憎む兵士たちの怒りは治まらなかった。
「悪魔はオレたちの敵だ!全てを奪い、全てを踏みにじってきた!こうして大人しくしていても、いつオレたちに牙を向けるか分からないんだぞ!」
「そんなことはない!」
またしてもルドセブが兵士たちに抗議する。
「悪魔の中にも、クロノみたいに人の心を持ったのだっている。人間の中にも、人間の心を忘れたヤツだっている。だから、協力できるヤツがいるなら、オレはそいつを信じてやりたい。」
真剣な面持ちで語るルドセブ。彼の心からの言葉に、周囲は押し黙ってしまう。
そのとき、街のほうで爆発音が響き渡った。その方向にロゼットたちがいっせいに振り向く。
「あれは悪魔の光!」
悪魔の力を感知したカルヴが声を上げる。
「な、何でここが・・!?」
驚愕の声を上げるロゼット。彼女に向けて、兵士たちの怒りがさらに高まった。
「こいつらのせいだ!だから悪魔を信じるなって言ったんだ!」
追手2人を指差し、1人の兵士が憤慨の言葉を浴びせる。そして振り返り、悪魔が襲来していると思われる街を見据えた。
「いくぞ!」
1つの指示のもと、兵士たちが街に向かった。それを辛い思いで見つめるロゼット。
「ロゼット!」
その直後、サテラが剣幕の表情で駆け込んでくる。
「サテラ、悪魔がここにまで攻めてきたわ。」
「なんてことなのよ・・・」
次々と起こる爆音を聞きながら、ロゼットとサテラが覚悟を決める。
「サテラ。」
「分かってるわよ。」
「姉さん、オレも行くよ!」
「ルドセブ!?」
ルドセブの意気込みにロゼットたちが振り向く。
「いつまでも姉さんたちに守られてるわけにはいかないよ!大丈夫!エルダーのじいちゃんの作った機関砲を使えば、オレだって十分戦えるさ!」
戦いの場に赴こうとするルドセブの後ろには、重量の黒い機関砲が置かれていた。
「こうやって銃身を固定させて撃てば、援護ぐらいはできるさ。」
機関銃を専用の固定器に接続するルドセブ。戦いに立ち向かう彼の姿を見て、ロゼットは小さく頷いた。
「分かったわ、ルドセブ。ここから援護をお願い!」
構えを取るルドセブを背に、ロゼットは悪魔に向かっていく。サテラもその後に続く。
迷いを振り切りながら、サテラは宝石を手にして使い魔を晶換した。
突如出現した悪魔たちは街を襲撃し、逃げ惑う人々の時間を止めて凍てつかせていった。
その暴動を阻止するため、兵士や修道騎士たちが次々と出撃していく。
「人々の安全を確保しつつ、悪魔を撃退するんだ!」
1人の兵士の号令のもと、修道騎士たちが銃を構えて、悪魔たちに攻撃をしかける。しかし、強化された悪魔には、もはや聖火弾(セイクリッド)は足止めにもならなかった。
悪魔の放つ魔力で、兵士やシスターたちが時間凍結に襲われる。時間を止められることで、人々は悪魔たちの脅威をまざまざと見せ付けられていくのだった。
ロゼットとサテラもその現場に向かっていた。彼女たちに次々と悪魔たちが迫ってくる。
「切り裂け、勇壮なる五月(ムーティッヒシュティーア)!」
サテラが晶換した騎士の姿をした使い魔が、その右手の刃で悪魔たちをなぎ払う。
そして悪魔の一群を爆薬物の多い場所に誘い込んだロゼット。通常弾を放ち、その爆薬を爆発させて悪魔たちを炎上させる。
「やった!ビンゴ!」
狙いが的中したことに、ロゼットが指を鳴らす。そしてすかさず、次の悪魔の群れに対する迎撃に備えた。