白神の巫女 第八話「海奈の悲壮」

作:幻影


 森林を抜け、大地は水晶に閉じ込められた天乃の魂を連れて、別の草原へとたどり着いた。
 周囲に敵意がないことを確認して、彼は警戒心を解き、草原の真ん中に座り込んだ。
 脱力してため息を漏らす大地。彼は天乃を救えなかったことを悔やんでいた。
 彼女の魂を封じ込めた水晶は手元にあるが、彼女の体は黒神の呪術によって石にされてしまった。
(オレはあの赤ん坊を救うために、白神の暗殺者に挑んだ。幼い赤子を手にかけようとしたあの者たちを許せなかったからだ。谷底に突き落とされ、修羅の道を歩んできたオレにとって唯一、天乃が心の支えとなっていた。何事もなければ、些細なことで済んだはずなのに。)
 大地は胸中で嘆きながら、水晶の中で裸でうずくまる天乃を見つめた。
 そのとき、大地は驚愕を覚えた。
 封印された魂は解放されるまで目覚めることはないのだが、彼女は水晶の中で眼を覚ましていた。
「お前っ!?これは・・」
「お兄さま・・私は・・」
 天乃も何事が分からず、辺りを見回す。
「天乃、お前、無事なのか!?」
「分からない・・でもちょっと寒い。」
 水晶に封じ込められているとはいえ、何もなかったかのような様子の天乃。そして疑問符を浮かべていた彼女の顔が次第に曇っていく。
「お兄さま、私、魂だけになっちゃったんだね。でも、お兄さまが助けてくれたんだね。」
 笑顔を作る天乃に、大地は腑に落ちない面持ちを見せる。
「勘違いするな。借りを返したに過ぎん。お前にかばわれたままでは不愉快だったからな。」
 天乃を突き放つように言う大地。それが照れ隠しであり、本心では自分を想っていることを天乃は分かっていた。
「オレは今度こそ黒神を倒す。こうなった以上、お前はオレと運命を共にしてもらうぞ。」
 大地の言葉に、天乃は無言で頷いた。
「あっ・・この気は・・」
 そのとき、天乃たちは周囲から流れてくる霊気を感じ取った。
「お姉さま・・海奈お姉さまだよ!」
 天乃の視線の先、そして大地が振り返った先に、海奈とゆかり、紅葉が近づいてくるのが見えた。

 湖が点在する草原。
 黒神はその近くで、大地が立ち去った方向に視線を向けていた。
「現世に住まう者たちよ、間もなく我が力により、全てが滅びの末路をたどることだろう。」
 黒神は不気味な哄笑を上げ、全身から瘴気を放出した。彼を中心に周囲が灰色に変わり、さらに拡大していく。
 黒神の瘴気によって、木々や草花、命ある全てのものが石に変わり、その息吹きを閉ざしていく。
「あの男なら我が気配に気付き、瘴気を破るだろう。その霊気をたどり、我が力をもって葬ってくれよう。」
 黒神は周囲に気配を探り、大地たちの行方を追った。

 大地と天乃と合流した海奈たちは、事の経緯を聞かされた。
 黒神の復活。集められた魂が黒神の力として取り込まれたこと。
 そして天乃が魂を抜き取られたことに、海奈たちは驚愕と動揺を隠せなかった。
「そんな・・天乃がこんなことに・・」
 海奈は悲痛の面持ちで、天乃の魂の入った水晶を手に取った。天乃は水晶越しに姉の姿を見上げる。
「お姉さま、みんな・・」
 天乃の顔にも物悲しさが浮かぶ。
 大地は悲しむ海奈たちに背を向け、虚空を見上げる。
「お前たちはその魂を連れて、ここから立ち去れ。オレは今度こそ黒神を倒す。」
「そうはいきません。」
 海奈は水晶を手に取ったまま立ち上がる。
「私たちは天乃を救い出さなければなりません。たとえあなたを倒さなければならなくなるとしても、私たちは黒神と戦います。」
「そうだよ!私だって、やらなきゃならないときにはやるよ!」
 海奈に続いてゆかりが立ち上がり、その思いを大地にぶつける。
「お前たち、力の差を分かっていないのか?そこまでして死に急ぎたいか!?」
 大地が振り向かずに、海奈たちに言い放つ。しかし、彼女たちは退かない。
「勝ち目がなくても、今は戦わなければならないときなのです。そして、私たちは生きます。そしてあなたも。」
 そのとき、強大な邪気を感じ取り、大地と海奈が身構える。
 緑あふれる木々や草花が灰色に変わり死んでいき、彼らに向かってさらに広がっていく。
「黒神の仕業か!」
「ゆかりちゃん、紅葉さん、そばにいて!」
 大地と海奈が邪気に備えて霊気の結界を張ろうとする。
 ゆかりは海奈のそばについていたが、周囲を警戒していた紅葉は、彼女たちから少し離れてしまっていた。
「紅葉ちゃん!」
 紅葉がゆかりが手を伸ばすほうへ駆け出すが、草原の変化が早く、彼女は広がる邪気にのまれてしまった。
 世界の石化が結界に入りそこなった紅葉にも浸食していく。
「し、しまった・・」
「紅葉さん!」
「う、海奈さん、みなさん・・・」
 海奈が叫ぶのも空しく、紅葉は石像にされてしまった。

 邪気の拡大が治まったことを確認し、大地と海奈は結界を解いた。
 結界に守られていた彼ら以外、周囲は全て灰色の石の世界へと変わり果てていた。
「こんなことって・・」
 息絶えた世界に、海奈は愕然とし、ゆかりは呆然としていた。大地が虚空を見上げたまま呟く。
「黒神の瘴気が世界を覆いつくした。全てのものから命が失われ、残されたのはおそらくオレたちだけだろう。そして、黒神はオレたちのいるこの場所に向かっている。」
「えっ?」
 ゆかりがはっとして、大地が見つめている方向に振り向く。
「まがまがしい邪気が、こちらに向かって近づいてくる・・黒神の気が・・」
 海奈が接近する瘴気に圧倒され、押されそうになるところを何とか踏みとどまる。
(来た!)
「キャッ!」
 大地が黒神の到着を感じ取った直後、ゆかりが淡い光に包まれ、金縛りに襲われた。
 彼女の眼前に、黒神が右手を伸ばして淡い光を放っている。
「まずはこの娘か。」
 不気味に笑う黒神の前で、恐怖するゆかりの手足が石に変わっていく。
 大地は依然として黒神を睨み据えている。海奈は白衣の中に天乃の魂の入った水晶を入れたまま、動揺を隠せなかった。
「我が瘴気により、その肉体から命の灯を消せ。そして我にその魂を捧げよ。」
 黒神の右手にさらなる力が込められ、ゆかりにかけられた石化が進行を早める。
 瘴気に侵されていくゆかりが小さく悶え苦しむ。
「ゆかりちゃん!」
 海奈が悲痛の面持ちでゆかりに近づき、優しく抱き寄せる。
「う、海奈さん・・・」
「ゆかりちゃん、ゆかりちゃん・・!」
 悲痛に顔を歪める海奈に、ゆかりは物悲しい笑みを浮かべる。ゆかりの体は早まる石化によって、すでに首元まで石になっていた。
「海奈さん、天乃ちゃんを守って・・天乃ちゃんに、これ以上辛い思いをしてほしくないの・・お願い、うみ・・な・・さ・・・」
 うっすらと涙をこぼれる頬も灰色に変わり、ゆかりの石化が完了した。
 その直後、その石の体から彼女の魂を閉じ込めた水晶が淡く光りながら取り出され、すぐさま黒神に取り込まれた。
「この程度の霊力の魂、取り込んだところで今の我には些細なものだ。だが、その娘も我が力となった。光栄に値するぞ。」
 黒神が不気味に哄笑を上げる。
 海奈はゆっくりと石となったゆかりから手を離し、静かに黒神に振り返った。
「大地、あなたは天乃を連れてここから離れなさい。あなたたちは、何があっても生きなければなりません。」
 海奈は黒神を見据えながら、懐から天乃を閉じ込めた水晶を取り出し、大地に差し出そうとする。しかし大地はそれを受け取らない。
「お前では黒神は倒せん。邪魔をするなら容赦しないぞ。」
「あなたが生きてくれることが私の、天乃の何よりの願いなのです!」
 海奈が必死にうちにある想いを伝えるが、大地はなおもそれを拒み続ける。その様子を、天乃が水晶の中から見つめていた。
「オレは何があろうと黒神と対峙し葬る。」
「いいえ、ここは私が。大地は天乃を!」
 大地と海奈が悠然と構えている黒神を見据える。
「徒党を組もうと今の我には同じこと。まとめて我が力の餌食にしてくれる。」
 黒神から瘴気が放たれ、大地たちがその衝撃に押される。
「白神矢光刃!」
「光鬼発動!」
 海奈が光の矢を、大地が光の球をそれぞれ黒神に向けて放つ。
 しかし黒神は流れるような動きでそれらをかわす。
「避けた!?」
「この程度の技、避けるなど造作もない。」
 驚愕する海奈と大地に、黒神が右手を突き出し、衝撃波を放った。強烈な圧力に圧され、2人は吹き飛ばされて石と化した草木の上に倒れる。
 石化した草はもろくなっていたが、大地たちに痛烈な衝撃を与えるには十分な固さだった。
 粉々になる石の草の上から体を起こす大地。その眼前に黒神が不気味な笑みを浮かべて立ちはだかる。
「それほど危険視するまでもないが、今ここで葬ってくれる。石には変えず、その肉体、完全に消し去ってやろう。」
 立ち上がろうとする大地に、黒神が右手を伸ばして邪気を集中させる。
 そのとき、光の矢が2人の間を貫き、黒神は跳躍して後退する。
 光の矢は海奈が放ったものだったが、黒神の意標をつくには不十分だった。
「邪魔立てするならば、貴様から始末するぞ。我に標的の後先など意味はないがな。」
 黒神が不気味な哄笑を上げながら、視線を大地から、焦りを隠せないでいる海奈へと向けた。
 海奈はさらに攻撃を加えようと、両手に霊力を溜める。
「ムダなことを!早く失せろ!」
「大地、天乃を早く!」
「何っ!?」
 海奈を退けようと言い放つ大地だが、彼女に天乃を任され驚愕の声を上げる。振り向くと海奈が倒れて平地になっていた場所に、天乃の魂を封じ込めた水晶が転がっていた。
「あなたも天乃も、生き続けなければなりません!どうか黒神の魔の手から逃げ延びて下さい!」
 そう言って海奈は黒神を見据え、光の矢を放つ。同時に黒神が瘴気を練り込んだ淡い光を放つ。
 2つの閃光がすれ違い、光の矢は黒神の左肩を射抜き、瘴気は海奈の体を包み動きを止めた。
 傷ついた肩を押さえてうなだれる黒神の邪気によって、海奈の体が石化を始めた。その石と化した両手を見つめて、海奈が驚愕と困惑を感じる。
「おのれっ!」
 大地は舌打ちして、天乃目がけて駆け出した。しかし、黒神はそれを見過ごしてはいなかった。
 強烈な衝撃波が大地を襲い、その勢いのまま前のめりに倒れ込み、水晶を拾い損なう。
「天乃の魂を取り込めば、我に敵はなくなる。邪魔はさせぬ。」
 徐々に石化していく海奈を見つめたまま、黒神が左手を引くと、水晶が浮き上がり手元に引き寄せられる。
「ぐっ!」
「そんな・・!」
 大地が舌打ちし、海奈が悲痛する。
 黒神はそのまま水晶を左手のひらから取り込みながら、不気味な哄笑を上げる。
「これで我と白神の力を併せ持つ巫女の力は我が物となった。貴様らが何をしようと、それらは全て無意味となろう。さて、貴様も我が糧となるがいい、白神に仕える巫女よ!」
 黒神の放つ光が強まり、海奈の石化が速まる。体温の急激な変化による不快感と束縛に、海奈はあえぎ声を漏らす。
(海奈、ごめんなさい・・・私は何もできなかった・・昔も今も・・・)
 胸中で呟く海奈の脳裏に、幼い自分の過ちがよみがえる。
 白神家の後継者と定めていた大地。彼の妹である海奈も、白神の正当の巫女として、将来を約束されていた。
 しかし分家であった黒神の一族との内乱によって、白神の一族は誤って大地を生死不明に追い込んでしまった。内乱は黒神の一族の殲滅によって終幕し、海奈が白神家の後継者となった。
 その直前、彼女は内乱の全てを聞かされた。それよって、彼女は自分の無力さに悩まされていた。
 自分の一族の中で起こった事実。それを知らなかったとはいえ、彼女は結局何もできず、兄である大地を見殺しにしたと感じることもあった。
 そして今、海奈は妹として共に生きてきた天乃を守れなかったことによって、再び自分の無力さと罪悪感を痛感していた。
 それは体の石化による痺れるような気分よりも強く感じ、海奈は悲痛に胸を痛めていた。
 石化はさらに進行し、海奈の体を浸食し、首にまで及んでいた。そして涙が流れる頬をも固め、悲しみに満たされた瞳さえも石に変わった。
 海奈さえも黒神の呪術によって石像に変えられてしまった。その石の体から魂を閉じ込めた水晶が抜き出され、黒神の手元に引き寄せられる。
 海奈の魂さえも取り込み、黒神の力がさらに上昇した。その波動に大地はかつてないほどの驚愕を覚える。
 死の恐怖を体感し、生きるために修羅となって戦いを繰り返してきた彼でさえ、黒神との明確となった力の差に愕然するしかなかった。
「これで我は現世において完全な存在となった。もはや我を止めることなど、何者にもできぬ!」
 悠然と語る黒神の伸ばした右手から衝撃波がほとばしり、大地が吹き飛ばされる。大地はそのまま石の大木にに叩きつけられ、前のめりに倒れ込む。
(何という力だ!これがあらゆる霊力を取り込んだ黒神の・・!)
 激痛にうめきながら、大地がゆっくりと立ち上がる。その直後、彼は驚愕する。
 黒神が不気味な笑みを浮かべながら右手を上に伸ばし、邪気を収束させていた。
「これでは余興にもなりはせぬわ。これで貴様を完全に葬り去ってくれる!」
 邪気が黒い光の球を作り出し、黒神を中心に膨大な旋風が放出される。絶対的な力の解放に、大地は歯軋りしながら死を覚悟する。
「終わりだ!」
 黒神が光の球を大地に向けて放とうとする。
 そのとき、黒神が突然うめき出した。光の球は大地から狙いを大きく外し、虚空の彼方へと消えていった。
「こ、これはいったい・・うがあぁ・・・!!」
 黒神が体を押さえ、悶え苦しむ。その様子に大地が不審そうに見据える。
「何が起こっているのだ・・!?」
 大地が疑問に感じながら、呼吸と体勢を整える。
 ふらつく黒神の体から、光の球が次々と飛び出していく。光の球は様々な方向に飛び去っていく。
 そして邪気が霧散され、石と化していた世界が、黒神を中心に本来の色を取り戻す。
 黒神が激痛に顔を歪めたまま、脱力してひざをついた。
「ぉ・・おのれ・・白神の巫女・・白神天乃・・!!」
「何っ!?」
 黒神のこの呟きに、大地が驚愕の声を上げる。
 黒神は天乃の魂をも取り込んだ。そのために何らかの異常が起こっているのか。
(まさか・・!?)
「天乃!」
 大地は思わず天乃を呼んだ。黒神の中で彼女は行動を起こしている。
「だ、黙れ・・!」
 黒神が体を押さえていた右手で、邪気をまとって振り払った。かわした大地が振り向くと、地面が大きく削られていた。
(威力が限りなく落ちている。ヤツから魂が抜け出た影響か。)
 大地は体を震わせる黒神を見据える。先程受けた衝撃波に比べ、今の攻撃は明らかに威力が減退していた。
「天乃!」
 大地は再び、黒新の中にいると思われる天乃の名を呼んだ。
「天乃ぉーーー!!!」
 大地はひたすら天乃を呼び続けた。彼女はまだ黒神の中にいて、黒神の力を抑え込んでいる。彼はそう確信していた。
(お、お兄さま・・・?)
 そのとき、大地の耳に天乃の小さな声が響いた。
「天乃!?天乃!」
 彼女がまだ黒神の中にいることを認識した大地は、さらに彼女に呼びかける。
「こ、この、小娘ごときが・・」
 黒神が体内から沸き起こる激痛を抑え込んで、両手を大きく広げる。
「我が力として取り込み、完全に我が肉体の一部としてくれる!」
「何だとっ!?」
 大地がいきり立つ。
 黒神が全身から瘴気を放出し、それを自分の胸に集める。
 天乃を完全に自分のものとするため、黒神は瘴気を自分の体内に送り込もうとしていた。

つづく


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