作:幻影
「こ、これって、どうなってるんですか・・・」
水無月は自分の姿に困惑していた。
まろんそっくりな少女の紅く光った眼を見たとたん、彼の足元が灰色に変わり、それが上半身に向かって徐々に進行していた。
少女が妖しく笑みを浮かべながら水無月に近づく。
「何も怖がることはないわ。委員長はまろんのことをいつも気にしてたんだから。」
「あ、あなたは一体・・・もしかして、あの連続誘拐犯じゃ!?」
怖がる気持ちを抑えながら、水無月は必死に声を振り絞る。
少女は水無月の頬を優しく手で触れる。
「誘拐犯?それはちょっと分からないけど、私がただ言えることは、私はまろんの中にあるもう1人のまろん。」
「えっ!?どういうことですか!?」
「そのままの意味だよ。だから委員長はあまり気にしなくていいよ。だってこれから私の世界に堕ちるんだから。そうしたらまろんと恋焦がれることができる。ずっと、ずっとね。」
少女の甘い言葉と体を覆った石化が、水無月をさらに恐怖させる。
「や、やめて・・・く、日下部・・さ・・ん・・・」
少女の紅い瞳が見つめる中で、水無月は怯えた表情のまま灰色の石化に変わり果てた。
「これでまた1人、まろんのよりどころが私の世界の中に入った。早く来て、まろん。私はあなたと出会うのを心待ちにしてるんだから。」
少女は水無月の頬を触れていた手を離し、漆黒の闇を見つめている。
まるで何事もなかったように、少女と水無月の姿はその場から消えていった。
「えっ!?山茶花さんが!?」
神楽の話した事のいきさつを聞いて、都が驚愕の声を上げる。
彼がいつも通りに弥白を迎えに学校にきたとき、クラスメイトに彼女が体育館から突然行方が分からなくなったと言われ、学校とその周辺を必死に捜索したが、彼女の痕跡さえも見つけることもできなかった。
警察に連絡したところ、連続誘拐事件に巻き込まれた可能性があることを告げられ、神楽はいても立ってもいられなくなった。
「とにかく、私は海生さまに改めて連絡を入れます。何か分かりましたら、警察か私に連絡をお願いします。」
そういって神楽は立ち上がり、稚空の部屋を飛び出していった。
「まろん、稚空、これって、悪魔ってヤツの仕業・・?」
都が不安そうに聞く。
「分からない。このまま放ってはおけないけど、私たちの出る幕じゃないわ。とにかく警察に任せるしかないわ。」
「そうね・・・お父さん・・・」
まろんの言葉に、都がうつむく。すると稚空が、
「都、弥白を心配してるのか?」
「そ、そんなんじゃないわよ!ただ、悪魔が関わってることも考えられるし。」
都は一抹の不安を抱えていた。
兄の親友である昇に届けられた怪盗からの予告状。
それが送られてくるのは、たいていその人が悪魔にとりつかれているケースが多い。
都は、昇が悪魔にとりつかれ、連続誘拐を起こしているという推理を思い描いてしまったのである。
「とにかく、私はお父さんと合流するわ。私も影からまろんたちをサポートするから。」
「うん。ありがとう、都。」
「でも、これって刑事を目指す私には、立派なルール違反なのよね。まぁ、アンタたちとの付き合いも長いからね。」
まろんが感謝の言葉を送り、都が苦笑いを浮かべる。
まろんがジャンヌとして世界を守るために悪魔を封印していることを知った彼女は、いつしかジャンヌやシンドバットに協力の意を示すようになってきた。
「じゃ、気をつけてね、まろん、稚空。」
「ああ。」
「うん。都もね。」
都はうなづいて、部屋を飛び出していった。
「さて、オレたちもいくとしますか?」
「そうね、シンドバットさん。」
続いて、まろんと稚空が部屋を飛び出し、フィンとアクセスが後を追った。
予告状が届いた昇の別荘は、街と草原地帯と海岸を分け隔てる位置に建てられていた。
海を一望できるその別荘は敷地が広く、まるで豪邸といっても過言ではなかった。
都の父、氷室の率いるジャンヌ特捜班を始めとした桃栗警察の警官たちが、庭や門前を筆頭に警戒網を広げていた。
「まさか、氷室さんとこんな形で再会するなんて。」
氷室に事情聴取を受けていた昇が苦笑いする。
「やっとこの街に帰ってきたところすまないな。」
「怪盗ジャンヌ。噂は向こうでも聞き及んでますよ。巧みな動きで警察の包囲網を突破するが、盗む物に共通点が見られない謎の多い泥棒だって。」
「そうなんだ。都も張り切ってしまって。」
「えっ!?都ちゃんが!?」
氷室の言葉に昇が驚く。
ジャンヌ事件が起こる度、都はジャンヌ逮捕のために様々な戦略を練っていたのである。
しかし、ジャンヌがまろんだということを知ってから、彼女は逆に警察をあざむく行動を取ることを意識するようになったが、他の警官にはその素振りさえ見せていない。
「で、ターゲットとなった洗礼の女神は?」
氷室が昇にジャンヌの今回のターゲットの置いている場所を確認する。
「僕の寝室に置いてあります。でもあんまり詮索しないでくださいよ。別荘といってもけっこう広いですから、住み慣れてないとすぐに迷ってしまいますし。」
「それは心配しなくていいよ。守秘義務はしっかりと守りますので。」
苦笑いする昇に、氷室が笑顔を見せて敬礼を送る。
「では、私もそろそろ行かなくては。」
「後であなたの家に寄らせてもらいますよ。」
事件に向けて動き出した氷室に、昇は笑みを浮かべて見送った。
別荘を見下ろせるほどのビルの一角。
その屋上でまろんが双眼鏡で別荘を覗き込んでいた。
稚空はすでにシンドバットに変装していた。
「洗礼の女神の像は、奥の寝室にあるわ。」
フィンがまろんにターゲットのある場所を伝える。
「今回も相変わらず警官がたくさんいるが、都が陰で協力してくれるっていうから少しは気が楽になるかな?」
シンドバットが笑みを浮かべる。
「それでは、今夜もゲームスタートね!」
まろんが胸の前で両手を組み、祈るように瞳を閉じた。
聖なる力が覚醒した彼女は、ロザリオがなくても意思ひとつでジャンヌに変身できるようになっていた。
星が輝く夜空を舞う聖女の姿を、心の中で思い描く。
まばゆい光に包まれたまろんが手を広げる。
「強気に、本気。」
薔薇のつるが体中にからみ付く。
「無敵に、素敵。」
包み込んでいた光が、天使の翼を形作る。
「元気に、勇気!」
天使の翼が散らばり、巻きついていた薔薇が鮮明な紅を描いたリボンに姿を変える。
さらりとしたブラウンの髪は金色のポニーテールに変わり、服装は白い聖女の装束となった。
まろんは、ジャンヌへの変身を完了した。
ジャンヌはシンドバットに目線で合図を送り、別荘に向けて夜空を舞った。
「フフフ。やっと動き出したようね、まろん。」
飛び出した怪盗の姿を見つめる1人の少女。
まろんそっくりの少女が妖しく笑みを浮かべる。
「あそこが私の用意したステージ。そしてあなたと出会う運命の場所よ。」
ジャンヌの行動と同時に、少女も別荘に向かって歩き出した。
いつものように予告の現場に来ていた都。
だが、膨大な広さのある昇の別荘の中で迷い、長い廊下を彷徨っていた。
「もう、何なのよ、ここは!昇さんもこんな別荘を建てるなんて人が悪いわよ!」
あまりの広さに呆れて、愚痴までこぼすようになってきた。
廊下には窓がきちんと並べられていたが、いずれも開けることはできなかった。
その窓の外の騒がしさに気付き、都が外を覗き込む。
ジャンヌが現れたためか、警察の動きが慌しくなっていた。
「現れたわね、まろん。私も急がないと!」
笑みを見せて都は再び廊下を駆け出した。
警察の包囲網を突破したジャンヌとシンドバット。
屋敷のような別荘に入り込んだ2人は、悪魔封印にために2手に別れることにした。
プティクレアの反応を頼りに、長い廊下を駆けていくジャンヌ。
「悪魔はいったいどこなの?」
走りながら扉に閉ざされた部屋の気配を探っていく。
そして何個目かの部屋に注意を向けたそのときである。
プティクレアがわずかだが反応を示した。
「もしかして、この部屋・・」
ジャンヌはゆっくりと反応のあった部屋の扉を開く。
その扉は「天城昇氏以外立ち入り禁止」と書かれていた。
だが、今の自分は泥棒。そんな書き込みは関係ない。
ゆっくりと扉を開け、部屋に忍び込んで静かに扉を閉める。
「えっ・・?何なの・・?」
ジャンヌは部屋の光景に眼を疑った。
その部屋には、何ひとつ衣服をまとっていない女性の石像が何体も並べられていた。
プティクレアは、その石像から発している悪魔の邪気に反応しているようだが、いずれも悪魔が入り込んでいる様子はなかった。
悪魔に隣接したときの強い反応ではなく、いずれの石像からも弱々しい反応しか示さなかった。
「それにしても、この部屋は何なの?もしかして、昇さんが・・?」
「見られてしまったね。」
背後から声が聞こえ、ジャンヌは振り返った。
部屋の前には、学校で久しぶりに再会したときの態度で昇が立っていた。
「天城、昇さん・・」
ジャンヌが戸惑いながらも小さく呟く。
「つくづくおかしな形で再会するなぁ。君もいい気分じゃないだろ?怪盗ジャンヌ、いや、まろんちゃん。」
昇の言葉にジャンヌは驚愕する。
どういういきさつなのか、彼はすでに彼女の正体を知っていた。
「知っているんですか、私の正体!?」
驚く気持ちを抑えて、ジャンヌが昇に訊ねる。
「ああ。けど誰にも話していないよ。君があのジャンヌだと知ったときは少し驚いたけどね。教えてくれたんだよ。人を心身ともに美しくしてくれる洗礼の女神が。」
「いいえ、違うわ!あれは女神なんかじゃない!悪魔なのよ!」
「悪魔?それでも別にいいよ。女神でなくても死神でも、僕はすばらしい力を手に入れたんだ。他の人たちに本当の美を与えられる力が。」
悠然と話す昇が部屋に入り、ジャンヌの横を通り抜けていく。
「君には教えておくよ。ここにある石像は、元々は本物の人間だったんだよ。」
「えっ!?本物なの!?」
ジャンヌが再び驚愕の声を上げる。
洗礼の女神像にとり付いた悪魔に魅入られた昇は、その与えられた力で女性たちをさらい、石像に変えていたのである。
「女神の洗礼を受けたこの人たちは、さらなる美しさを得た。彼女たちも喜んでいると思うよ。」
「違うわ!本当の美しさは、そんなまやかしの中で生まれるものじゃないわ!人と人とのかけがえのない絆こそが美しいのよ!」
不敵な笑みを見せる昇にジャンヌが声を荒げる。
「あっ!ジャンヌ、昇さん!」
そのとき、別荘を彷徨っていた都が、ジャンヌと昇のいるこの部屋の前にたどり着いた。
かなり走っていたため、顔から汗が垂れていた。
「ち、ちょっと・・これって・・・」
都も、裸の女性で埋め尽くされたこの部屋の光景に眼を疑った。
「ようこそ、都ちゃん。ここが僕の美の宝庫だよ。」
「昇さん、あなた・・・」
都が悲しい顔でうつむく。
昔の昇は気さくで不器用だけど、困った人には優しく声をかけ笑顔で対応してくれた人だった。
今の彼からは、そんな優しさは全く感じられなかった。
都は再び真剣な眼差しを取り戻し、手に持っていた銃を構えた。
その銃口はジャンヌではなく、昇へと向けられていた。
「どうしたんだ、都ちゃん?君はジャンヌを捕まえようとしているんだろ?銃を向ける相手が違うよ。」
昇は都の行動が理解できず疑問符を浮かべている。
「あなたは昇さんじゃない。昇さんになりすまして、私たちを騙そうとするなんて許さない。」
「おいおい、都ちゃん、こんなときに冗談はやめてくれよ。」
弁解しようと動き出そうとした昇の足元に都は発砲した。
放たれた弾丸は床にめり込み黒く焦がした。
「冗談なんかじゃないわ。お願いだからおとなしくしなさい。」
都は真剣な眼差しのまま、再び昇に銃口を向ける。
「そうかい・・今日はおかしなことだらけだよ。」
そう言って昇は駆け出し、部屋を飛び出し廊下を駆け出した。
都が2、3発、銃を撃ち込むが、昇の動きを止めることもできず、壁や天井に当たるだけだった。
「待って!待ちなさい!」
都は昇の後を追って部屋を飛び出した。
「待って、都!1人じゃ危険よ!」
ジャンヌも慌てて部屋を飛び出した。