作:幻影
自分の身に起こっていることに、ハルカは困惑していた。
自分の体が白い石に変わり、衣服も殻のように崩れて剥がれ落ちていたからである。
「どうしちゃったの・・・体が動かない・・・力が・・入らない・・・」
棒立ちをしたまま身動きのできないハルカ。口からこぼす声もおぼつかない。
そんな彼女の前には、黒い影が現れていた。
影は黒いローブで身を包んだ、ハルカと同い年ぐらいの少女である。影は妖しい笑みを浮かべて、石化していくハルカを見つめている。
このまま完全な石像になり、全てをさらされても自分の体を隠すことさえできない。
無力になっていく自分の姿にハルカは涙をこぼし、そのまま石化されるのを待つだけだった。
「イヤァッ!」
かん高い悲鳴を上げながら、ハルカはベットから起き上がった。荒い呼吸をしながら、おもむろにうつむく。茶色がかった短髪から汗が落ちる。
「どうしたんだ、ハルカ?」
彼女の横で、眼を覚ました章が声をかけてきた。
神崎(かんざき)ハルカと東雲章(しののめあきら)。高校で出会った2人は、いつしか恋人へとその関係を近づけていた。今では愛の抱擁を堪能するほどである。
この日の夜も、愛の抱擁をしていたハルカと章。2人とも裸のまま、ベットで横たわっていたのである。
「大丈夫か?ずい分息が荒くなってるけど・・」
「ううん、大丈夫。ちょっと嫌な夢を見てたから・・」
「夢?」
「うん。とってもおかしな夢。」
ハルカはその夢の内容を章に話した。
石化していく体。崩れていく衣服。棒立ちのままハルカは脱力していた。
その姿を妖しい笑みを浮かべて見つめる影の少女。おそらく彼女が石化させているとハルカは思った。
なす術もなく石になっていくハルカ。意識が途切れそうなところで、彼女は眼を覚ました。
「体が石に・・・」
「うん。服も石になって崩れ落ちてるのに、力が全然入らなくて、どうにもならなかった。」
「まさか、な・・・」
「え?なに?」
「い、いや、何でもないよ。」
ふと聞き返してきたハルカに、章は戸惑いながら手を振った。気になりながらも、ハルカはあえて追求はしなかった。
「それじゃ、オレがお前を石のように固くしちゃおうかな。」
「えっ!?」
当惑の声をあげるハルカを、章は襲うように抱き寄せた。再びベットに横たわる2人の肌が密着する。
「こうしてお前の胸を触っていると、気分がよくなってくるよ。」
「もう、章ったら・・あはぁ・・・」
ハルカの胸を揉み解し、満足げに笑う章。ハルカも章の行為に喜びを感じていた。
「いい感じになってきた。思わず食べちゃいたいくらいだ。」
章は食べてしまわないばかりに、ハルカの胸に口をつけた。乳房を舐めきられ、ハルカが顔を歪めてあえぎ声を上げる。
愛の抱擁を感じあいながら、その日もハルカと章は夜をすごした。
一夜が明け、ハルカと章は同じ時刻に眼を覚ました。時計は10時を示していた。
「昨日はとっても気持ちよかったよ、章。」
「そうかい。それはよかった。じゃ、今夜もやりますか?」
「ダメ。明日は朝早いから、寝るのも早くしないと。」
「それじゃ、今度都合があった日にでも。」
「うん。」
ハルカは頷き、ベットから起き上がって、床に脱ぎ捨てられていた自分の服を着始めた。その姿を笑みを浮かべて見つめる章。
次の日が早出でなければ、2人はこうして夜をすごしている。その抱擁が、今の2人の心を満たしていた。
「じゃあね、章。」
「ああ、またな。」
手を振って送る章を背に、ハルカは彼の家を飛び出した。
この生活と安らぎがいつまでも続くと、2人は心から信じていた。
ハルカは大学の寮に暮らしていた。そして章の家は、彼女の寮に程近い場所にあった。
機嫌よく寮に戻ってきたハルカ。彼女が寮の門を通ろうとしたとき、別方向から1人の女性が入ってこようとしていた。
「あら、ハルカさんじゃない。」
「あ、千影さん!」
声をかけられたハルカが、その女性、千影に笑みを向ける。
真野千影(まのちかげ)。
ハルカと同じ大学に通う、彼女より2学年上の黒髪の女性である。千影は普段から心優しく接しているので、ハルカは千影を姉のように慕っていた。
「ハルカさん、今日も朝帰り?彼とうまくいっているみたいね。」
「い、いえ、そんなんじゃ・・・」
からかうように言ってきた千影に、ハルカは慌しく弁解しようとする。その様子に千影は微笑ましく彼女を見つめ、ハルカは顔を赤らめるしかなかった。
「そんな恥ずかしがることじゃないわ。青春をすごしているんだから。これからも、仲良くね。」
「・・は、はい!」
緊迫した装いで返事をして、ハルカはそそくさに寮へ走っていった。彼女の言動に、千影は喜びを感じ取っていた。
「もう、ハルカ、どこに行ってたのよ!?」
自室の玄関の前で1人の少女が顔を膨らませていた。彼女はハルカを見つけると、声を荒げてきた。
彼女はハルカの幼い頃からの親友、橘(たちばな)くるみである。
空手家の家柄に生まれた彼女は、その空手に独自の格闘術を混ぜた護身術を備えていた。それを駆使して、ハルカをいじめる男の子たちをおいかえしていたのである。
しかしくるみは正義感と心配性が強く、それが逆にハルカを困らせることがある。
「夜の道は危険なんだから、もし何かあったら・・・」
「くるみ、大丈夫だよ。そんな思いつめるほど危なくないから。」
苦笑いを浮かべて弁解しようとするハルカだが、くるみは聞いた様子はなかった。
「いい、ハルカ?私はずっとハルカと一緒にいたい。それはハルカだって分かるでしょ?だから、ハルカに何かあったら私が困るの。分かった?」
「はいはい、分かりました、くるみさん。」
念を押してくるくるみに、半ば呆れた態度で返事をするハルカ。
そんな屈託の無いやりとりを、ハルカもくるみも喜ばしく思っていた。
「そうむくれないでよ、くるみ。今度、昼ごはんおごるから、それで勘弁して。」
両手を合わせてお願いするように頼むハルカ。
「もう、仕方ないわね。」
機嫌は直らなかったものの、くるみはハルカの頼みを了承した。
「さて、今日は何も予定はないし、勉強やバイトの疲れを取るために寝るとしますか。」
「でも、アンタの部屋、少し整理しておいたほうがいいわよ。いくら訪ねてくるのが私と千影さんだけだからって、あれほど汚いとたまらないわよ。」
安堵の吐息をついていたハルカに、心配するくるみが水を差す。それを聞いたハルカの笑みが硬直する。
「いいじゃないのよ。あなたと千影さんしか来ないんだから。」
呆れた言動で自室に入っていくハルカ。結局、くるみの言いつけを聞かず、ベットで睡眠を取ったのだった。
何もない広場。ハルカはその場所で立ち尽くしていた。
昨晩見た夢と同様、体が石に変わり、制服も半壊してさらに崩れ去ろうとしていた。
彼女の前で妖しい哄笑を浮かべている影の少女。前に見た夢そのままだった。
「これであなたはもう私のもの・・」
影の少女が、石化していくハルカに声をかけ、ゆっくりと近づいていく。そしてハルカの胸に手を当てた。
「うく・・・」
胸を揉まれ、ハルカはうめいた。石化を受けた彼女の体は今、質的に人間と石が混じりあったような状態にあった。
ハルカの胸を揉み解し、満足げに笑う影の少女。ハルカは石化の束縛で、棒立ちのまま体を自由に動かせなかった。
「どう、気持ちいいでしょう?あなたの体は、人と石の間の状態にあるの。人のぬくもりが残ってはいるけど、どんなに力を入れても、体を動かすことができない。まるで石になったようにね。」
人と石の中間。今のハルカの体はそこに位置していた。
影の少女に体を触れられても、ハルカは抗うことさえできないでいた。
「さぁ、実感しなさい。徐々に石になっていく自分を。私のものになっていく気分を。完全なオブジェになっても、意識も感覚も残る。この高揚感をずっと体感できるのよ。」
妖しい笑みを見せて、困惑も恐怖も消えていたハルカの呆然となった顔を見つめる。
「これで終わりにしましょう。あなたが私のものになる瞬間・・・」
そういって影の少女は、ハルカに口付けを交わした。さらなる快感がハルカの中に押し寄せる。
快楽の中に身を沈めながら、ハルカはそのまま意識を閉じた。
昼寝をしていたハルカ眼を覚ましたのは、まさに陽が落ちようとしていたときだった。
彼女は1度ならず2度も見た、自分が石になっていく夢に、ひどく動揺していた。
「どうしちゃったんだろう・・・またあの夢を見るなんて・・・」
悪夢にうなされていたハルカは、呼吸が荒く汗をかいていた。
何とか気持ちを落ち着かせようと、彼女は近くに置いてある時計に眼を向ける。
「6時過ぎたころか・・・」
時刻を確かめ、ハルカはベットから飛び起きた。
「少し早いけどご飯にしよう。それで早く寝て、頭をスッキリさせないとね。」
困惑を振り払うため、ハルカは半ば慌てた様子で自室を出て買い物に向かった。
街の明かりの届かない、薄暗い歩道。
そこを慌しく駆け抜けていく1人の少女がいた。
彼女は時折後ろに視線を向けていた。何かから逃げているようだ。
やがて十字路を曲がって、その追っ手からやり過ごそうとして、再び背後に視線を向ける。彼女を追うものの姿はない。
思わず安堵の吐息をつく少女。ポニーテールから汗の雫が弾ける。
そのとき、足元から黒い霧が吹き込んできた。少女の安堵が一気に凍りつく。
「鬼ごっこは終わりかしら?」
少女の背後から不気味な声が伝わってくる。恐る恐る振り返ると、少女は恐怖に襲われた。
長い黒髪、身に付けているものも黒。黒ずくめの影の少女が悠然と立っていた。
影の少女は周囲を漂っている黒い霧に溶け込むように、恐怖におののく少女を見つめていた。
「それじゃ、一緒に行きましょうか。」
影の少女が近づくと、ポニーテールの少女が怯えて再び逃げ出そうとする。しかし霧に包み込まれ、縛られたように動けなくなる。
「逃げられないことは、もう十分に分かっていると思うんだけど?」
黒い霧が少女を縛る。彼女の苦悶の表情を見て、影の少女が微笑む。
「いや・・・助け・・て・・・!」
「大丈夫。あなたは楽になるんだから。全て私に任せておけばいいわ。」
霧に包まれて、少女は助けられることなく意識を失った。
「また1人、かわいい子が私のものになったわ。これを続けていれば・・・」
少女を捕らえたことに喜びを感じる影の少女。霧の拘束が解かれ、少女がゆっくりと地面に横たわる。
その少女を、影の少女が抱き上げる。ポニーテールと力を失った両腕がだらりと垂れ下がる。
影の少女はきびすを返し、音もなく姿を消した。
街では夜な夜な美女が行方不明になる事件が続発していた。最初の行方不明者が出てから、既に20人もの女性が姿を消していた。
警察の必死の警戒網も空しく、女性の消息はつかめないままだった。
「へぇ、最近こんな事件が起きてるのねぇ・・」
TVのニュースを見ていたハルカが1人呟く。自分も巻き込まれないとは思っていなかったものの、彼女はそれほど思いつめてはいなかった。
しかし、正義感の強いくるみは落ち着きがなかった。
「ちょっと、ハルカ!」
ノックもせず、くるみがハルカの自室に入ってきた。彼女の部屋はハルカの部屋の向かい合わせに位置していた。
「もう、くるみ、入ってくるときはノックぐらいしてよね。」
「そんなことより、聞いた?美女行方不明事件。」
「見たよ。今、TVでやってた。警察もいろいろ大変みたい。」
「私はこう思うのよ。この事件、誰かがその女性たちをさらっていってるんじゃないかって。」
「ええ!?」
くるみの推理に、ハルカは驚きの声を上げる。
「こんな調子じゃ、警察は頼りにならないわ。」
「ま、まさか、くるみ・・」
「そうよ。私が犯人を捕まえてやるんだから。」
「ダメ!くるみ!」
意気込みを見せるくるみを、ハルカは血相を変えて呼び止めた。その緊迫した彼女に、くるみは唖然となる。
「もしくるみに何かあったらどうするの!?お願いだから、危ないことに関わるのはやめて!」
「ハルカ・・・」
心配するハルカに対して、くるみは言葉が出なくなってしまった。
世間を脅かしているかもしれない女性の敵。それを追い求めようとくるみは意気込んでいた。
しかしそれが、ハルカを心配させるかたちとなってしまった。ハルカはくるみに、危険に飛び込むようなことはしてほしくないのである。
「分かったわ、ハルカ。追いかけるのはやめる。」
「くるみ・・・」
諦めたくるみに、ハルカが笑みをこぼす。
「あんまりハルカに心配かけるのは悪いしね。でも・・」
くるみは笑みを浮かべて、いきなりハルカの額を指でつついた。
「イタッ!何するの、くるみ!?」
「私はアンタと違って護身術は心得ているわ。だからアンタは、私よりも自分の心配をしなさい。」
ふくれっ面になるハルカに、くるみは勝ち誇ったように言い放つ。しかし心から心配してくれたハルカの思いに、くるみは喜びを感じていた。
「どうせ私はくるみと違っておしとやかですよ。」
「何か言った?」
「いいえ、別に。」
聞き耳を立ててくるくるみに、ハルカはすました態度で言い返す。しばらくすると、2人は思わず笑みをこぼしていた。
こんな屈託のないことで笑える日々が、ハルカにとってもくるみにとっても幸せだった。
これが決して揺るがないものだと信じて。