伝説の用心棒 第3話 「敵討ち」

作:愚印


「さっきはごめんなさい…。」
「もう、いいですから。それよりも、アリサさん、俺の左腕のことなんですけど。」
 アリサのいつもの謝罪を素早く遮り、マークは白く染まった左腕を彼女に見せた。握り締めた左腕の生身と石の繋ぎ目は、微妙な色合いで変化していた。
「なになに?希望する材質が決まったの?ごめんなさいね。私の場合、石化の始まりはいつも大理石になるのよね。イメージしやすいからだと思うんだけど。材質を変えるのは、いったん大理石にしてからじゃないと無理なのよ。」
「いえ、それは以前聞いて納得しています。ところで、材質は何を希望してもいいんですか?」
「私が見て、触って、舐めた材質だったら何でもOKよ。石や金属ならね。」
「舐めた材質ですか?じゃあ、アリサさんはミスリルを舐めたことありますか?」
「ミスリル?あの希少金属の?」
 ミスリルについて、アリサは自分の知識を思い出していた。
 ミスリルは生産量が極端に少なく、精製も非常に難しいため、宝石以上の価格で取引されている。非常に硬く軽いという特徴を持ち、武器などに使われると凄まじい能力を発揮する。また、魔法にも影響し、身に付けているだけで魔力増幅の触媒のような役割を果たすことが知られている。それゆえに加工も難しく、ミスリルの加工品は数えるほどしか現存していない。価値を知る者にとっては、憧れの材質だろう。
「ごめんなさい。話には聞いたことがあるけど、実物は見たこともないわ。」
「そうですか。じゃあ、これがあったらどうでしょう。」
 そう言って、マークは胸元から何かを取り出し、彼女の手に握らせた。
「なにこれ?ペンダント?あっ、この中心にある石って、ミスリルじゃないの?この青白い冷たい輝き、ほのかに感じる神秘的な力。間違いない。ミスリルだわ。これだけ大きな現物があれば大丈夫よ。明日には変更できるわ。ミスリルは初めてだから、その性質を把握するため、1日待ってね。それと冗談じゃなくてほんとに舐めるんだけど、いいの?」
 希少金属の冷たい感触にウットリとするアリサを横目に、マークは喜びの声を上げる。
「やった!!お願いします。ミスリルだったら俺の動きに耐えられるはずだから、助かります。大理石の間は、強度が不安で剣も握れそうになかったから…。」
 灰色の左腕を見ながらマークは独白した。直接左腕を使わないとはいえ、大理石は脆いという言葉が引っ掛かり、毎日続けている鍛錬すらやる気にならないでいた。だがミスリルになれば、その不安は消し飛ぶだろう。
「しっかし、あなた、よくこんな物持っていたわねえ。これだけの大きさがあれば、かなり値が張ると思うんだけど。」
「まあ、いいじゃないですか。あっ、そうだ。アリサさん、そのペンダント持っててくれませんか。俺、あんまり魔法を使わないから、ペンダントでは役に立たないんですよ。できれば、役立てられるアリサさんに持っててもらいたいんですけど。」
「えっ、いいの?でもなんだか悪いような…。」
「これも石化をしてもらったお礼の一つということで。それにアリサさん、アクセサリーしないでしょう。それなら、ごてごてしてないから、アリサさんにも似合うと思いますよ。あっ、もしかして、盗品じゃないかって疑っています?俺の右腕を賭けて誓いますけど、これは間違いなく俺の物です。」
「そ、そう。うーん、じゃあ遠慮なく使わせてもらうわよ。ありがとね。」
(これってプレゼントよね。始めて貰ったな、アクセサリーのプレゼント。)
 アリサは嬉しそうにペンダントを見ている。ミスリルは、神秘的な輝きを絶やすことなく放っていた。

「それと、アリサさん、非常に言いにくいんですけど。」
「なに?遠慮なく言ってちょうだい。今、機嫌がいいから。」
「自分から言い出しておいてなんですけど…。用心棒をするからには、俺とアリサさんが一つ屋根の下で住むのが効率いいわけで、その…。」
「一つ屋根の下というか、正確には一つ穴の中だけど。フフフ。ククククク。」
何が面白いのか、くすくすと笑い出したアリサにマークは黙ってしまった。
「フフフ、ごめんなさい。笑いの壷にはまっちゃって。ああ、部屋ならたくさんあるから、勝手に使っていいわよ。もともと捨てられたドワーフか何かの住居兼鉱山を、私が魔法を盛大に使って改造したものだから、空き部屋はたくさんあるのよね。」
「いや、そうじゃなくて、男女が2人きりで…。」
 アリサの言葉は止まらない。
「それから、食べ物は自給自足よ。木の実、キノコ、あと少し離れたところに菜園を作ってあるから。穀物は、調味料もそうだけど、月に一回、お忍びで街に下りて買っているから。お肉もそのときにしか買わないわねえ。だから、私の食事に合わす場合は、菜食中心になるわよ。頻繁にお肉が食べたい場合は自分で調達してね。お料理ぐらいはしてあげるわよ。こう見えても料理は得意な方だから。」
「ええと、そのう…。」
 アリサの矢継ぎ早の言葉に、マークは言葉を詰まらせる。
「トイレは、男性用も明日には使えるようにしておくから。お風呂は交互に使いましょう。広い造りだからあなたもきっと気に入ると思うわよ。」
「そうですか…。」
「私、他の人と共同生活なんて今まであまりしたことないから、ちょっと浮かれ気味だけど、よろしくね。他に何か質問ある?」
「…いえ、こちらこそよろしくお願いします。」
 こうして、2人の奇妙な共同生活は始まった。


「出て来なさい、メデューサ!!」
 朝靄の中、黒いローブに身を包み、木製の凝った彫刻がなされた杖を持つ女が、アリサの洞窟に叫んでいる。マークという居候が増えてから最初の敵だった。
 キッチンで2人分の料理をしていたアリサは、包丁の手を止めて眉をひそめる。既にテーブルについて、料理を待っていたマークが問い掛ける。
「俺が出ましょうか?」
「待って。今回は私が戦うから。」
「どうしてです?」
「この戦いは私が受けなくてはならない、そんな気がするの。」
 アリサには女の声色から確信があった。これは自分で決着すべき戦いであると。
「そうですか…。お気をつけて。」
「あら、止めないのね。」
「止められませんよ、今のアリサさんは…。」
(私の覚悟はお見通しってことか。そんなに顔に出てるのかな。)
 自分の頬を撫でながら、アリサは敵の待つ外へと向かっていった。

「出たわね、メデューサ!!ギルの仇、覚悟!!」
(やっぱりね、こんなのに限って私の予感は当たるのよね。)
 放出された女の怒気が、朝靄の中に充満していた。その、ムッをした空気に、アリサは少し眉をひそめた。霧は、それほど離れていない相手の顔を覆い隠すほど立ち込めている。接近戦をしなければ石化は難しいだろう。
「ねえ、ギルっていう人は何で私に戦いを挑んだの?」
 この戦いのそもそもの原因であるギルという男が気になり、アリサは女に問い掛けた。
「あの人は私に言っていたわ。異種族で強大な力を持つ存在は危険だと。」
「私にその意思がなくても?」
 何度も繰り返された問い掛けと答え。滅ばされる側としては、決して受け入れられない身勝手な考え。
 アリサは答えを知りつつも、問い掛けずにはいられなかった。
「存在そのものが危険であって、その意思は関係ないと言っていたわ。でもね、今の私にそんなことは関係ない。とにかく、ギルを殺したあなたを、私は許すわけにはいかない。ギルは私を愛してくれた。私はギルを愛していた。それだけで十分でしょう!!」
「そうね。十分すぎる理由ね。でも、私もむざむざと倒されるわけにはいかないわ。」
「死ねえ、メデューサ!!」
 杖を頭上に掲げ詠唱を始めた女。
「返り討ちよ。」
 アリサはゆっくりとその腕を鱗で覆っていった。
 
「八つ裂き炎輪!!」
 バトンのように身体の正面で回す杖の先から炎がほとばしり、炎の輪となって上空へと飛び上がっていく。
 女はアリサの足元だけを視界に入れ、炎の輪を次々と放っていった。放たれた炎輪は弧を描きながらアリサに向かって突き進んでいく。
(これだけの数ならば、いかにメデューサといえども…。)
 しかし、炎の輪はアリサに届く直前に弾かれた。女は見ることができなかったが、アリサは魔法で手に小さな防御障壁を作り上げ、両手で炎の輪を叩き落としていた。
(そ、そんな…。)
 魔法による戦闘は、魔力の強弱により決着がつくことが多い。本来、八つ裂き炎輪は、手のひら大の防御障壁で弾き飛ばせるほど弱い魔法ではない。アリサ自身の持つ魔法力が女のそれを大きく上回り、それを可能にしていた。ましてや、アリサの魔力は、胸のミスリルのペンダントにより強化されているから、尚更である。
(魔法ではやっぱり無理か…。噂に違わぬ化け物ね。ならば…。)
 女は杖をひねり、細身の仕込み刀を引き抜いた。刀身は、青い粘液で覆われている。
(この毒なら、掠りさえすれば…。いかに伝説の化け物といえども…。)
「空間跳躍!!」
 女は短い呪文でアリサの背後へと一瞬で移動し、目をつぶってめちゃくちゃに刀を振り回した。
 ドサリ。
 何かが地面に倒れる音がする。
(やったの。)
 思わず目を見開いた女。
 そこには、女の顔を覗き込む、悲しそうなアリサの顔があった。
(しまった。)
 女は思わず仕込み刀から手放した。

 女の身体が見る見るうちに色を失っていく。体全体に霞みが掛かるように。
(体が動かない。)
 先ほどまでの激しい動きにひらめいていたローブが、ふわりと浮かび上がったまま動きを止め、色白の太腿が剥き出しになっていた。そして、そのローブも、太腿もゆっくりと灰色に染められていった。
「メデューサ!!きさまの未来に呪いあれ。」
 石になっていく間も、女はアリサに呪いの言葉を浴びせつづけた。
 艶やかな髪も、艶っぽい唇も、女の感覚と引き換えに、単一色へとゆっくりと染め上げられていく。驚きに仰け反った姿のまま…。
(感覚が…失われて…いく。きえ…る…。)
 生命が失われ、ただの物になっていく恐怖を女は身体全体で味わっていた。
 しかし、女は完全に石になる直前に、無意識のうちに笑みを浮かべていた。
(ギル…。私も…あなたの…もとに…いく…わ。)

「あなた、私にかなわないと知っていて、戦いを挑んだんでしょう?」
 物言わぬ石像となったギルの恋人に、戦闘態勢を解いたアリサは悲しそうに問い掛けた。
「さようなら。ギルって男の人と同じように、砂になりなさい。私からあなたにできることは、それぐらいしかないけど。」
 彼女は石像に手を触れて何事かを念じる。アリサが手を離すと同時に、大理石の像はその表面から少しずつ砂になり、こぼれ落ち始めた。まず、最初にその薄さを保ったまま石になっていた衣服が、あっという間に砂になり崩れ落ちていった。露わになる女の裸身。朝靄の光の中に立つ白に染まった裸婦像は、造形の生々しさもあって、女のアリサから見ても淫靡だった。そして、裸身像にも崩壊が始まる。髪の先から、手の先から、体中のいたるところから、最初はポロリポロリと一粒ずつ、次第にサラサラとこぼれるように、最後にはザーッと角砂糖が溶けるように砂となって崩れていった。
 次第に人の形を失っていく女の像。それを暗い瞳で見つめながら、アリサは暗澹たる思いにとらわれていた。
(私の存在は、悪なのだろうか?私は生まれてこなければよかった存在なのだろうか?私は彼らの命を奪ってまで生き延びるべき存在なのだろうか?戦いが終わった後いつも思う。生き延びたことに疑問を持つ。私は…。)
 戦闘の後にいつも感じる、生きることに対する罪の意識。後ろ向きな思考に囚われたアリサに、洞窟から声が掛けられた。
「この世の中に存在してはならない存在など存在しない、存在するからには存在すべき存在なのだと俺は思います。ていうか、何を言ってんのか訳わかんないですね、俺。」
 自分で突っ込みを入れるマークに、思わずアリサは微笑んだ。
「フフフ、まあ、言いたいことはわかるわ。なんとなくだけど。」
 微笑んだアリサにマークは安堵の表情を浮かべる。
「とにかく、強いから排除するという理屈には納得できませんね。力はどう使われるかを評価されるべきであって、力そのものが裁かれるべきではない。強さを求める俺にとって力とはそんなものです。」
「うーん。私にとってあんまり慰めにならない言葉だけど、一応お礼を言っておこうかしら。ありがとう、慰めてくれて。だけど、考えるのがバカらしくなるほど、あなたは単純よね。」
「そうですか?」
「そうよ。少しうらやましいわ。」
「そうかなあ。」
「そうよ。」
 アリサはマークの顔を呆れたように眺めた後、崩れ去り砂となった女に目を落とした。
(あなたは幸せよ。愛すべき人にめぐり合い、愛し愛されることができたのだから。私は、私には、この呪われた力がある限り…。幸せなんて…。でも、それでも生き続けなければならない。父さんと母さん。この世で私に愛をくれたのはこの2人だけ。2人との約束だけは守りたい。)
 いつの間にか霧が消え去り、広場に光が差し込んでいた。手で太陽を遮りながら、アリサは空を見上げる。
(でも…、辛い…。)

つづく


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