伝説の用心棒 第6話 「偽りの噂」

作:愚印


 夕食後のまどろんだ空気の中、マークはリビングのソファーに深々と体を埋め、アリサから借りた本を読んでいた。
 アリサは多くの書物を集めていた。ジャンルは様々で、魔法に関する本から鉱石に関する本、趣味の料理の本まであった。買出しの時にコツコツと買い集めたらしい。
 マークが今、夢中になって読んでいるのは、『湖、釣り頃、釣られ頃』という本だった。タンパク質確保のために始めた釣りが、思いのほか面白かったらしく、研究に余念がなかった。
「ねえ、マーク。今の生活で何か困ったことはない?」
 突然呼びかけられて、マークは本から目を上げた。向かいのソファーでテーブルに肘を付き掌に顎を乗せたアリサが、ニコニコとこちらを見つめている。
「困ったことですか?うーん、別に無いですね。」
「そう、ならいいけど。」
 言葉とは裏腹に不満そうな素振りを見せるアリサ。それを見たマークは、慌てて言葉を付け足した。
「あっそうだ。俺が自由にできる部屋を、もう一部屋貰えませんか?」
「あら、あの部屋狭かった?」
 アリサがちょっと意外そうな顔をして、マークの表情を覗き込んだ。今、マークが使っている部屋は一人で寝起きするのには十分すぎる広さがあった。
「いえ、そんなことはないんですけど。ほら、俺、雨の日は室内で鍛錬するし、ちょっと置きたいものがあって…。」
「置きたいもの?まあ、いいけど。じゃあ、いい部屋があったら、ドアノブに札でも掛けといてくれる?掃除しておくから。」
 着の身着のまま訪ねてきたマークに、かさばる荷物などあるはずがないのだが、アリサはそれに気付かなかった。マークもそのことについて話すつもりはないらしい。
「ああ、掃除ぐらい自分でしますよ。ありがとうございます。」
 話を切り上げるような回答に、アリサは話題を変えることにした。
「でも、マークと話をしていると、昔のことを思い出すわ。」
「昔のことですか?」
 興味深そうに、マークは聞き耳を立てた。
「私ね、物心ついた頃は、両親と一緒に町はずれの草原に建てられた小屋に住んでいたの。貧しかったけど辛くはなかった。父さん、母さんと一緒に食べた夕食、おいしかったな。話に夢中になりすぎて、食べ物をこぼして怒られることもあったけど。ねえ、マークはどんな思い出があるの?」
「へー。一家の団欒か。楽しそうですね。俺の場合、母は優しかったけど、父は厳格でしたから。」
 話がそこでプッツリと切れる。2人は話を続けることができなかった。
 アリサは、マークの過去を探る為、両親の話題を出したのだが、親の温もりをうらやむような言葉を聞き、触れてはならない話題だったのかと反省していた。
 また、マークはマークで、事前にアリサの両親の悲惨な最後を知っていたため、この話題を続けて良いものかどうか判断しかねていた。
 気まずい沈黙が、2人の周りを支配していった。


 数日後の正午。 
 アリサは2人の敵と対峙していた。全身を隈なく鎧で固めた戦士と、ローブを身に纏い杖を待った魔法使い。短期決戦を目論むパーティーに良くある、攻撃に特化した組み合わせだった。
 マークがあいにく朝から釣りに出ていていたため、アリサは久々に鱗の手足に蛇の頭の戦闘モードへ変身している。忘れかけていた戦闘の緊張感が、守られていたという事実を改めてアリサに実感させていた。

「参る。」
 鎧戦士の低く短い声を合図に、戦いは始まった。
(あんな重そうな鎧じゃ、動きは鈍いはず。魔法の的よ。)
 緩慢な動きで近づいてくる戦士に、アリサは両手の指を絡め、躊躇せず呪文を唱えた。
「サンダー・ボルトォー!!」
 無数の電気の槍がアリサの目の前に現れ、一斉に鎧へと殺到する。
(やった…何ですって?)
 すべて命中するかに見えた雷の槍は、鎧に触れたとたん掻き消えた。戦士は何事もなかったかのように、歩みを止めることなく近づいてくる。
(アンチマジックか。あらゆる魔法を無効化する、魔法使いが最も忌み嫌う能力。今回の場合は、鎧にその能力が附加されているみたいね。少し厄介だわ。それに、物理的にも頑丈そうね。私の爪では太刀打ちできそうにないし。)
 戦士は背に負った巨大な剣を引き抜くと、アリサに向かって振り下ろした。爪を伸ばす機会を逸していたアリサは、咄嗟に身を捻りそれをかわした。
 緩慢な動きをする戦士の肉厚の剣をかわしながら、アリサはその動きを詳細に分析していた。
(まあ、この程度の動きなら何とかなるか。どうやら私の足捌きを見て戦っているようだし。石化さえできれば、何とかなりそうね。)
 アリサが足の位置取りを変えるごとに、戦士もその位置を変える。足元だけを見て戦っていることは、一目瞭然だった。
 一瞬の隙を突いて、アリサの手刀が戦士の剣を弾き飛ばした。跳ね上がった幅広の剣が、アリサの目の前を通り過ぎた瞬間、戦士の姿をアリサは見失った。
(えっ!!どこに行ったの?)
 戦士はいつの間にかアリサの背後に回り、彼女を羽交い絞めにした。
「油断したな、メデューサ。俺は、この時を待っていた。」
 今まで存在を感じさせなかった魔法使いが声を上げる。
(騙された。緩慢な動きは演技だったってわけね。)
「お前には、そのまま俺の魔法を受けてもらう。」
 男の目の前に炎が渦巻き、火球を作り出す。
「俺の魔力のすべてを注ぎ込んだこの火の玉を喰らえば、いかに伝説の怪物といえども生きてはいられないだろう。この目で、その最後を見られないのが残念だ。」
(後ろの戦士はアンチマジックで無傷、私だけが消し炭ってシナリオか。)
 男が作り上げた火球は、白い輝きを放ち、その熱で回りの景色を歪めていた。
「消え去れ!!ヘル・ファイヤ・ボー!!」
 ゴウ!!
 無気味な音を立てて火の玉がアリサに迫る。
 アリサは慌てることなく、掴まれた左腕を背中に回し、中指の爪を伸ばすことで戦士の兜を引っ掛け跳ね上げた。そして、怯んだ戦士の足を払うと、右腕一本で火の玉に向かって投げつけた。
 火の玉は、女戦士に触れると鎧の効果で瞬時に消滅した。伸ばした爪を地面に落とし、アリサは次の攻撃に備える。鎧の重量ごと、強かに地面へ打ち付けられた戦士は、ようやく立ち直り、剣を振り上げて襲い掛かってきた。意外なことに戦士は女性だった。兜に押さえ込まれていた、後ろでまとめた長い髪が宙を舞う。
 女戦士とアリサの目が合った。
「バカね、注意力散漫よ。」
「しまった。」
 重鎧に身を包んだ女戦士が石へと変わっていく。アリサの魔法を無効化した魔法の鎧も石化能力に対しては効果がなかったらしい。全身が鎧諸共、薄っすらと灰色に染まっていく。頭上に掲げた剣も振り下ろされることなく、濃い灰色に染まっていった。
 足場が悪かったのか、ゴトリと音を響かせ、剣を振り上げた戦士の石像が大地に転がる。身体の線を隠す厚手の鎧と、ポニーテールを後ろに垂らし、あどけない顔を晒した頭部とのギャップが悩ましい。
 残された魔法使いが、小さく舌打ちをする。
「ちっ、料金分の働きをしてからやられろよな。役立たずが。」
「残るはあなただけですね。魔力も尽きているようですけど、容赦しませんよ。私に武器を向けたことを後悔しなさい。」
 鋼の爪を伸ばすと間を詰めようと、アリサは一気に加速する。
 魔法使いは、目線を地面に落としたままニッと笑うと、手に持った杖の先が開き、近づくアリサに向かって光のネットが放たれた。
(なによ、あれは?)
 本能的に危険を察知したアリサだが、突進する勢いは止まらず、光の網に絡め取られようとしていた。

 胸騒ぎを感じたマークは、釣りを早々に切り上げて帰りを急いでいた。広場に到着するとアリサと魔法使いのやり取りが目に入る。マークは肩に担いだ釣り竿と魚篭を投げ捨て、明らかにピンチに陥っているアリサに駆け寄った。

「危ない!!アリサさん!!」
 杖から放たれた、今にもアリサに届こうとしていた光の網を、マークは剣で断ち切った。
「そんなバカな、ライトニングネットを剣で断ち切れるはずが…。何をした?」
 突如、空間から滲み出てきたようなマークの動きに、魔術師はもちろんのこと、助けられたアリサも驚いた。動揺を隠しきれない魔術師に、マークは剣先を向ける。
「ここからは、俺がお相手します。」
 魔法使いは、町の酒場で聞いた凄腕の用心棒の噂を思い出していた。あの時は眉唾物だと鼻で笑ったのだが…。
「くっ、用心棒が本当にいて、ここまでできるとは予想外だった。なるほど、『メデューサは強力な魅了の術が使える』という噂は、本当のようだな。」
「どういう意味でしょうか?」
 男の口調に嫌な響きを感じ、アリサは眉をひそめながら問い掛けた。
「お前の母親は、この国の建国時の魔道長を魅了の術でたらし込み、意のままに操ったそうじゃないか。この男もそんなところだろう。さすがは親子といったところか。やることが同じとは。」
「アリサさん、後は俺が引き受けますから、洞窟に戻っていてください。」
 男が心理戦に引き込もうとしていることを悟ったマークは、話を断ち切ろうとしたが、アリサはそれを拒んだ。
「マークは黙っていて!!」
 シャー!!
 頭部の蛇たちが威嚇音を出した。
「私の母さんを愚弄しないで。父さんと母さんは愛し合っていたわ。それにそんな能力あるわけないでしょう。」
「人間がお前のような怪物を愛せると思っているのか?お前は、今の姿を鏡で見たことあるのか。その醜い姿を。能力がないなら、薬か魔法で操っていたんだろう。」
「ちがう。ちがう。ちがう。ちがう。許さない。許さない。私は何を言われてもいいけど、父さん、母さんのことだけは、絶対に許さない。」
 アリサの悲痛な声が辺りに響く。
 男は気にすることなく、今度はマークの左腕に注目し、ことさら大袈裟に驚くふりをする。
「ああ、なるほど。腕の一部を石化し、言うことを聞かないと完全な石にすると脅したんだな。さすがは怪物らしい卑劣なやり方だ。」
「だまれだまれだまれ!!ちがうちがうちがう!!」
 半狂乱になったアリサに、マークは慌てて駆け寄った。
「アリサさん、落ち着いて。ここは俺に任せてください。」
「放してよ。あいつだけは絶対に許せない。放して。放せえ。放せえぇぇぇぇぇぇ!!」
 ミスリルが腕から肩へと這い上がってくるのにも構わず、マークはアリサの肩を掴み強く前後に揺さぶった。
「落ち着いてください!!今、俺やアリサさんがあいつを倒せば、お父さんとお母さんへの罵倒をあなたが認めて、口を封じたことになりますよ?それでもいいんですか?」
 ビクリと肩を震わせて、硬直するアリサ。
「ここは我慢してください。俺に任せてください。ねっ。」
 杖を握り締める魔法使いに、マークは向き直る。
「さあ、今すぐここから立ち去ってください。早急に。次はありませんから。」
「ハハハ。助けてくれるのか。杖の仕掛けも効かないようだし、今日のところは逃げるが勝ちだな。まあせいぜい、その化け物を守るこったな、用心棒。」

 魔法使いの姿が見えなくなったとたん、アリサは変身を解き、フラフラと洞窟へ戻っていく。
 その危なげな歩みに、マークは慌ててアリサの後を追った。
 マークが洞窟に入ると、アリサの自室の扉が開き、明かりが漏れていた。僅かな人のけはいはあるが、物音一つ聞こえてこない。部屋に入るのが憚られたマークは、ゆっくりと扉を閉めようとした。
「マーク、ちょっとこっちに来て。」
 アリサの普段と変わらぬ声が部屋から聞こえ、閉まりつつある扉が動きを止める。
「お願い、見せたいものがあるの。」
 マークは閉めかけた扉の隙間に、その身体を滑り込ませた。
 白を基調とした清潔そうな部屋に置かれたベッドの上に腰掛け、アリサは何か小さなものを摘み、見つめていた。アリサはマークに気付くと、側に腰掛けるように指示した。
 マークは女性の部屋で2人きりという初めての体験に硬くなりながらも、アリサに密着するように腰掛けた。
「これ、なんだと思う?」
 彼女の白い指が、形の崩れた金属のリングのようなものを摘んでいた。
「指輪、ですか?」
「そう。正確には母さんの指輪だったもの。言葉以外で私に残された唯一の形見。」
「…。」
「私ね、小さい頃、変身能力の制御がうまくできなかったの。それでね、髪が蛇になったところを町の人に見られ…、私の住む小屋は瞬く間に兵士に囲まれて…、火に包まれ…、父さんと母さんは私を逃がす為に…、私は転移の魔法を掛けられ…、戻ってみたら何も無くて…、焼け跡で…これ…を…。」
 アリサの指と声が、震えていた。
「優しかった父さんと母さん。それをあいつは…。何も知らないくせに…、それをあいつは!!」
 アリサは指輪を握り締めるとマークの胸に顔を埋め、声を荒げながら胸を叩く。
「私は何を言われたっていいのよ!!醜い姿!!化け物!!怪物!!そんなのわかっているわよ!!でも、父さんと母さんのことは…。私の思い出まで…、記憶まで…、否定しないで…。」
 胸を叩き続けるアリサ。マークはされるがままになっていた。
 胸を叩く握り拳の動きが、次第にゆっくりになり、やがて動きを止めた。
 落ち着きを取り戻したアリサは、何かを吹っ切るように勢いよく胸から顔を上げた。
「ごめんなさい。それと、ありがとう。黙って聞いてくれて。もう大丈夫だから、しばらく一人にしといて。」
 涙を目に貯めたまま、無理やり笑顔を作るアリサに、マークはなんでもないように肯いた。
「後の片付けは、俺がしておきますから。」
 部屋を出て、ゆっくりと扉を閉めるマーク。扉が閉じると同時に、アリサのくぐもった泣き声が小さく聞こえてきた。
 

 魔法使いは息を切らして走っていた。
「はあはあ、また仲間を集めないとだめだな。さっきの奴は、口の割には役に立たなかったし、化け物退治に金を惜しむとろくなことが無いって事だな。メデューサスレイヤーの称号も楽じゃないか。」 
 高い金を出して雇った女戦士があっさりと石にされ、対メデューサ用に買い求めた杖は用心棒に無効化された。すべての投資が無駄になったことに、男は腹を立てていた。
(杖を売りつけた道具屋には、文句を言っておかないとな…、んっ。)
 魔法使いは、道を遮るように何者かが立っているのを見つけ緊張するが、それが先ほどの用心棒であることに安堵した。
 用心棒の噂には続きがあって、『ある程度戦い、実力を示して追い返す。』と男は聞いていた。どんなに実力があっても、殺しができない用心棒など怖くはなかった。 
「怪物の用心棒がお見送りかな?それとも、怪物の御守に嫌気がさして、仲間にでもなりたいのか?」
「俺が別れ際に、何と言ったか覚えていますか?」
「早く立ち去れだったか?」
 突然の質問に、男は戸惑いながらも答えた。
「そうですね。そして、こうも言ったはずです。次はないと。」
「そうだったかな?それが何か?」
 男にはマークが何を言いたいのかわからなかった。
「わかりませんか?あなたに次はないんですよ。俺に、ここで消される運命ですから。」
「何?」
 予想外の言葉に、男は目を見張る。
「あなたの言動は、アリサさんを深く傷付けました。俺にはそれを許すことができません。先ほどは、アリサさんの心情を思って、いったん逃がしましたけど、ここで決着を着けます。」
 ゆっくりと腰の剣を抜くマークを、男は信じられないという表情で見た。
「お前は人を殺さないんじゃなかったのか?町の噂ではそう聞いて…。」
 男の言葉は、マークに遮られる。
「噂は所詮噂に過ぎないってことでしょうね。これまでは、『用心棒がいる』という噂を広げるため、便宜上逃がしていただけです。剣を持つ用心棒が、そんな聖人君子だと本気で思ったんですか?それに、俺がこの能力を訓練だけで得たとでも思っていたんですか?」
 男の見開かれた瞳には、目を閉じ、刀身を黒く染めたマークが映っていた。
「おい、まて、待ってくれ。さっきのことは謝る、あやまるから。俺は今丸腰なんだぞ。魔力も残っていない。無力な俺を手にかけるのかよ。金ならいくらでも出す。助けてくれ。おい、何だよ、その剣は。くっ、来るな。やめ、やめてくれ…たら…ぶ…ぐわ。」

 辺りに静寂が訪れた。そこには魔法使いの姿はなく、目を閉じた無表情なマークが、一人立ち尽くすだけだった。

つづく


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