作:闇鵺
最初に出会ったのは…、確か妖精だった。
一人の少女に過ぎなかったあたしの運命は、それがきっかけだったのか、あの時大きく変わってしまった…。
あたしの中で燻ぶっていたもの……あたしの中に芽生えていたもの……それらが一斉に解き放たれた………
それから何日かが経ってからの事……。
夜。紛う事無き深夜。ここは都内のある宝石店。
警備を監視カメラに任せっきりにして、
本来なら誰一人いるはずのない店内にこっそり忍び込んだ人影がいる。
狙いはこの宝石店の商品の一つとして飾られているある宝石。
だが、この人影はいわゆる“宝石泥棒”ではない。
目的は確かに宝石だが、宝石そのものに用がある訳ではない。
謎の人影の身長は明らかに大人のものではない。恐らく中学生ぐらい。
こんな場所に忍び込むにはあまりに不適当な、派手な格好をしている。
フリフリのスカートが特徴的な可愛らしいドレス風のコスチューム。
そして、そんな格好が実によく似合っているから謎の人影は少女なんだろう。
少女は監視カメラが辺りを見回っている事などお構い無しで目的の宝石の在り処を探している。
突然、少女の目の前に小さな光が現れた。大体少女の顔ぐらいの大きさの淡い光。
光の中から人間の姿らしきものが浮かび上がる。こちらも女の子のようだ。
容姿はドレスを着た少女よりもやや年下に見える。
背中に蝶々のような羽が生えており、これをパタパタと羽ばたかせて宙に浮いている。
この文字通り小さい女の子を表現するに一番適当かつ分かりやすい単語はそう、妖精だ。
妖精:どう、ライト?
居場所は突き止めた?
少女:ううん。まだだよ、シィ。
妖精:ねぇライト、今更だけどちゃんとカメラから姿を見えなくする魔法使ってる?
もし「あ、忘れてた」なんてことになってたらエライ事になるからね。
少女:…ちゃんと使ってるよ。わたしそんなドジ踏まないもん。
妖精:前、一回忘れそうになったじゃん。あの時は焦ったわ。
だってこんな派手な格好してたら見つかんない方がおかしいもん。
少女:……………。
この少女と妖精、名はそれぞれ“ライト”と“シィ”という。
ライトは何を隠そう、宝石に宿る神秘の力を源に悪と戦う魔法少女である。
その名も“宝石天使
エンゼライト”だ。
そしてそんなライトを魔法少女に任命したのがこの妖精シィという訳だ。
ライト:うわぁ…、何の捻りも余韻も無い説明……。
シィ:そんな事よりライト、もうじき“マジュエル”のお出ましよ。気を付けて…!
ライト:…うん……!
美しい薔薇には棘がある。
だが“薔薇”とは棘の部分まで含めて初めて薔薇となり得るもの。
逆に言えば、棘が無ければ薔薇は“薔薇”ではないんだろう。
しかし宝石はどうだろう?
宝石には“薔薇”にとっての“棘”となる要素が何かしらあるだろうか?
例えば、宝石に魔物。
いや、それは無い。そんなものは普通は存在しない。
だとしたら、もし宝石に魔物と呼べるものが憑いていたとしたら、
それは宝石にとっては“不純物”なんだろう。
ライトとシィが視線を向けたガラスケース内の宝石の一つから大きな影が伸び始めた。
いや、今店内は一切の照明など点いていない真っ暗闇。言うなれば辺り一面全て影だ。
故に目の前にあるこれは影とは違うものなんだろう。
何しろその影から、血の滲んだ切り傷のような二つの赤い瞳が、
身構える少女と妖精を鋭くじぃっと睨みつけているんだから…。
ライト:……あれが…あの宝石に憑いていたマジュエル……。
宝石には力が宿っている。
それは人を惹き付ける魅力であったり物質としての強度であったり…、
そしてそれらとは全く異なる神秘の力を司り操る事の出来る存在が
ライトこと“エンゼライト”であり宝石の妖精“シィ”であり、
そしてこの宝石から伸びる不気味な影“マジュエル”なのだ。
手にした者を不幸にする“呪いの宝石”の伝説は度々耳にするだろう。
そしてそれらが発生する原因の多くはマジュエルの仕業だ。
マジュエルは宝石に憑依して魔力で人を魅了する。
そして手にした人間の元に災厄を起こし、その人間の痛みや悲しみを糧にして力を蓄えていく。
そうしてマジュエルはどんどん増殖していく。
そんなマジュエルの猛威を食い止め、負の力に蝕まれたる宝石を浄化する者、
それが“宝石天使
エンゼライト”なのだ。
シィ:随分と長い間力を溜め込んできたみたい。ちょっと手強いかもね…。
気を付けなさいよ、ライト!
ライト:うん…!
わたし…頑張る……!
切り傷のような瞳から赤い閃光が放たれ、ライト目掛けて襲い掛かる!
ライトの前に飛び出たシィが両手を正面に突き出すと、
ガラスのような透明な壁が手の平から広がり、赤い閃光を遮っていく。
バチイイィィィッ!!!
閃光は次々とライトに向けて放たれる。
撃つ場所が場所だけに、まるでギャグマンガの涙のような勢いだがこれはそんな笑える代物じゃない。
そしてこの怪しく光る血の涙は、まるで磁石に吸い寄せられるように
シィの作り出したガラスの盾の中央に集まり、そこで塞き止められている。
両手で覆えばすっぽり隠れてしまうぐらいの大きさしかない妖精のシィは
背中に生える蝶の羽を懸命に羽ばたかせ、緋色の光流が僅かでもライトに当たらないようにと
彼女の目の前で右往左往しながら全ての攻撃を防いでいる。
ライト:頑張って…シィ…!
あと、もうちょっとだから……!
シィ:…あたしの事はいいから……!
ライトこそ、詠唱トチんないでよ!
強がるシィだがあまりそう長く持ち堪えられるものでもない。
シィの感じている衝撃といえば、熱した鉄板を両手に押し付けられているようなものだ。
持ってあと三分……?
いや、根性で五分は耐えてみせる……!
前の守りをシィに任せたライトは、懸命に魔法の詠唱を行っている。
瞳を閉じ…両腕を水平に伸ばし…彼女の周りには白く淡い光が立ち昇り…そして
先端に宝石の付いたバトンのような大きさのステッキがゆっくりと空中で回転している。
ライト:……何者にも侵せぬ御身に眠りし力よ……。
…邪悪なる影を透し…魔に魅入られし輝きを清めよ……!
……在るべき美しさをここに呼び覚ませ…!
その為の力…今、我に……!
…ステッキが何度目かの十二時を指し示すと、左右に広げた両腕を前に伸ばし、
両手でステッキをしっかりと握ると強い意思を込めた両目を開く。
そして、呪文を締め括る最後の言葉を唱えた……。
ライト:イノセント
ライト!!!
カァーーーーーー……!!
ステッキの先端にある宝石から白い光が波紋状に広がり、前へ前へと押し進んでいく。
それまでシィとライトの身を守り続けていたガラスの壁にヒビが入ろうとしていた直前、
シィの背中から追い風のように、白い光がその小さくも頼もしい体を通り越し、
同時に緋色の閃光をグイグイと押し退けていく。
白い光の波紋が宝石の収められたガラスケースにまで達すると、
今度はそれを根城にしていたマジュエル自身を圧迫していく。
少しずつ後退していき、その影よりも黒い体が依り代である宝石から引き剥がされていくごとに
マジュエルの体はボロボロと崩れていく。
壁際にまで追い詰められたマジュエルは最後に、
壊れた大型機械のような重低音を恨めしそうに辺りに響かせ、
そして、白い光が治まると同時に…跡形も無く消え去った……。
…辺りが静まり返ると途端にライトの両脚から体を支える力が抜け、
ライトはそのままペタリと座り込んだ。
そしてそれに釣られる様にシィもヒラヒラと地面に降り立つ。
ライト:はぁー……、終わったぁ……。
ホッとした表情で大きく息をつくライトとシィ。
もう何度も行われてきた、誰も知らない秘密の戦い。
だが、誰に褒められる訳でも感謝される訳でもなくってもライトは満足だった。
人知れず平和の為に戦う“正義の味方”というものに、
ライトは幼い頃から憧れを抱いていたからだ。
シィ:なんだか思ったよりあっけなかったわね。
ライト:そう?
その割にはちょっとしんどそうだったよ?
シィ:全然!
むしろまだまだ物足りないくらいだわ!
少女の声:そう…。…だったらもう一勝負といこうじゃない……!
ライト
シィ:…!?
ライトとシィは驚いて互いに顔を見合わせた。
ここには自分とそのパートナーと、二人だけしかいないはず。
しかし今確かに、自分でも自分の真正面で目を丸くしているパートナーでもどちらでもない
全く別の少女の声が聞こえた。それもあさっての方向から。
揺るぎの無い強い意志を感じさせると同時に、まるで氷柱のように冷たくて鋭い声。
少女の声:“宝石天使
エンゼライト”と、パートナーの“妖精シィ”ね…?
シィ:誰よ…!?
隠れてないで出てきなさいっ!!
少女の声がした方を向くライトとシィ。そこには、
さっきまでは何の気配もしなかった筈なのに、確かに一人の少女がいた。
その少女は、他にどう表せと言わんばかりに分かり易い魔女の様な風体をしていた。
円く幅広の鍔(つば)に、突き出た頭部の先端が後ろに折れ曲がったとんがり帽子。
濡れた烏の羽のように真っ黒で、少女の体を丸々包んでしまうぐらいの大きなマント。
そのマントの下の服装もまた黒尽くめ。
ハーフスリーブのボディスーツには禍々しい紋様が浮かんでは消えを繰り返し、
首から薄気味悪い水晶玉をぶら提げている。
下半身はややタイトなミニスカートに、あまりヒールの高くないシューズ。
スカートとハイソックスの間を垂直に駆ける黒い筋はガーターベルトだろうか。
帽子の鍔が広すぎて少女の顔はよく見えないが、
先程の声の調子からしても恐らくライトと同い年ぐらいと思われる。
微かに見え隠れする表情からは明らかに敵意を放っている。
そして手には、少女の背にさらに帽子の中腹ぐらいまでを合わせて
ほぼ同じ高さになるぐらいの長いロッドを持っている。
ロッドの先端には小振りのカボチャのような物が付いており、
少女はそれをまるで地獄の門番のように構えている。
少女:あたしの名は……“サウザンナイト”…!
謎の声:本名が“千”の“夜”って書いて“千夜(ちよ)”だから“サウザンナイト”だ。簡単だろ?
明らかに少女とは違う声が流れた。二つ目の声が流れている間、少女の唇は動いていない。
腹話術にしては声が違い過ぎるだろう。動物の声がそのまま言語を持ったような捉え所の無い声。
口調は男のもののようだ。そんな奇妙な声は少女の胸元から流れてきた。
“サウザンナイト”と名乗った少女の首に掛けられている水晶玉をよく見ると、
まるで星空の一部を切り取ったかのように、真っ暗な中に細かい粒子がゆっくり渦を捲いている。
謎の声:そうそう、オレの名は“ダーティ”ってんだ。へへっ、よろしくな。
サウザンナイトという少女は一瞬、胸の水晶玉に宿る何か…ダーティに対し
「黙ってなさい」とばかりに咎めるような視線を送り、そしてすぐまたライトとシィを睨み付けた。
悪意で固めた氷の様な眼差しにライトとシィは一瞬すくみ上がる。
ライト:シィ……あの子…、何だか恐い……。
シィ:マジュエルとは違うみたいだけど…とても邪悪な力を感じる……。
……まさか………。
千夜:宝石天使
エンゼライト、このあたしと勝負しなさい! あたしはその為に来たのよ…!
ライト:え、…どうして?
なんでわたしがあなたと戦わないといけないの?
千夜:「どうして」…?
簡単な事よ。
あたしはあなた達のような“正義の味方”っていうのが大嫌いだからよ!!
猛然たる勢いでライトに襲い掛かるサウザンナイト!!
長いロッドを薙刀のように突き出し、慌てふためくライト目掛けて飛び掛かる!!
ガキィンッ!!
とっさに前に飛び出したシィがガラスの盾で攻撃を防ぐ。
さらに数回の打撃を加えるサウザンナイトだが、ガラスの盾は依然その守りを崩さない。
背後に跳んで体勢を立て直すサウザンナイト。
千夜:……あの妖精の出す盾、ただ攻撃を防ぐだけじゃない…。
まるで磁石みたいにこっちの攻撃を引き寄せる効果もあるみたい…。
ダーティ:どうやらあの小っこいのが攻撃を防ぎ、
その隙に後ろの奴がデカイのをぶち込む…ってぇのが奴らの戦法みてぇだな。
見ろよ。あの女、呪文唱えてるみてぇだぜ。
ライトは再び目を閉じ、そして白い光を集めていく。
エンゼライトの必殺技“イノセント
ライト”は一度放っただけでもかなりの力を消耗する。
シィの守りにも限界がある。まして二人は既に一戦を終えたばかり。
でもここで負ける訳にはいかない。
何が何だか分からない内にやられてしまう訳にはいかない。
ダーティ:まともに喰らうとやばいかもな。
ここは小せぇ方の守りを封じて、それから一気に畳み掛ける。
そいつが最速ルートだぜ。
「そんな事分かってる」とサウザンナイトは頭の中で応え、
そして第一標的をライトから、その目前で健気に盾を張り続ける妖精へと移した。
ダーティ:…もう分かってんだろ?
お前の望み、お前は今何をすべきか…その為に紡ぐ言葉をお前は知っている。
さぁ、唱えてみろよ!
お前の心に浮かんだ言葉を!
「攻撃が来る!」そう直感したシィは盾の強度を強め、
そしてサウザンナイトの一挙手一投足に意識を集中した。
何があっても必ずライトを守ってみせるという心構えで。
ダーティとかいう正体不明のものが言うには、狙いはライトではなく自分らしい。
構うものか。このガラスの盾はどんな攻撃でも防いでくれる。
決して高を括っている訳ではない、でも確かな自信をシィは持っていた。
だからライトも安心して高度な術の詠唱に専念できるのだ。
…だが、これから行われる攻撃は“防御”できるようなものではなかった。
発動自体を防がなければいけなかったのだ…。
千夜:プリズ・タル……。
自分の胸に言い聞かせているかのような囁き声。ただそれだけで十分だった。
たった今頭の中に浮かんだ光景を具現化させるには。
パキィッ……!
シィの小さな体が、一瞬にして結晶体の中に閉じ込められた。
ライトにも、そしてもちろんシィ本人にも何が起こったのか分からなかった。
シィの全身を丸ごと、半透明な結晶体が包み込んでいる。
それはまるで大昔の葉や昆虫をその内に取り込んだ琥珀のようだ。
そして、結晶体はただシィを飲み込むだけに飽き足らずその侵食をシィの体内にまで広めていく。
シィ:……なに…これ……?
…からだ…が……うご…か…な………
両腕を突き出し驚きの表情を浮かべた状態でシィは徐々に結晶の牢獄と一体になっていく。
爪先から、両腕の先から、少しずつ体が自分のものではなくなっていくのが分かる。
眼の前には確かに自分の両腕は見えているのに、それはもはや腕ではなく
己の体を取り囲む結晶の一部に過ぎないのだ。
ライト:……………!
目の前で大切な友達が苦しむ姿を見せ付けられていてもライトは何もする事が出来ない。
サウザンナイトの冷たい視線がライトの体を地面に縫い付け、
そして「何とかして助け出そう」…そんな思考すらも恐怖で奪い去ってしまっているのだ。
サウザンナイトの表情は仮面のように変化を見せない。
だが、何となくだが高揚しているようにも見える。…楽しんでるんだ。
小さな妖精を少しずつ結晶の中に封じていくという行為を楽しみながらやっているんだ。
まるで子供の悪戯のように、極々素直な気持ちで。
シィ:……うあぁ…………わぁぁ…ぁ……………
琥珀の中の昆虫が動き出す事は無い。
そこにいる者が完全に物になった事を示すように、
コトンと小さな音を立てて半透明の結晶体は地面に落ちて横倒しになった。
ライト:シィーーーーー!!!
悲鳴のような叫びを上げるライト。…叫ぶしか出来ない。
ずっと一緒に戦ってきた仲間がほんの僅かな間に物言わぬ塊に変えられてしまった。
あまりに突然過ぎて。何もする事が出来なかった。守る事が出来なかった。
自分はずっと守られ続けていたのに。
サウザンナイトは遊び飽きたおもちゃを放り出す子供のように
もう動かなくなってしまったシィには目もくれず、
カボチャで作ったランタンのようなロッドの先端をライトに向けて次なる攻撃の言葉を探っていた。
ライト:……ゆるさない…。
思わず口から零れた小さな声。
だがそれが非常に危険な空気を伴っているという事をサウザンナイトは感じ取った。
先程の自らの呪文がそうであったように。
さっきまでの攻防の間、ライトは懸命に呪文の詠唱を続けていた。
彼女の周りに魔力は蓄積していき、そしてそれがもう間も無く放出されようと言う時、
一足早くサウザンナイトの呪文が発動したのだ。
即ち、今ライトの周りには魔力が充満している。
魔力とは精神の力。
激しい感情の昂りや強い思いによってその者の魔力はそれこそ際限無く上昇する。
ライトのステッキがこれまでに無い強い光を放ち始める…。
ライト:許さない…あなただけは許さない!!
…本当に許せないのは、友達が苦しんでいる時に何も出来なかった自分自身。
それは、そんな自分自身の弱さを振り払おうとしているかのようでもあった……。
カァーーーーーー…!!!
ライトの発した光が波紋となってサウザンナイトを弾き飛ばす!!
とっさに守りを固めようとしても、守りのイメージが結実する前に
そのイメージもろとも吹き飛ばされてしまった。
千夜:ああっ……!!
ライトの閃光をまともに受けたサウザンナイトの体は中空を跳び、
体勢を立て直す余裕すら無くそのまま地面に叩き付けられた。
千夜:…う……、……ダーティ…何が最速ルートよ……。
………ダーティ…?
サウザンナイトの首に掛けられた水晶玉からは星屑のような粒子が消え失せ、
ただの透明な水晶玉へと変わり果てている。
自分の胸元からは奇妙な声の主の気配は感じられない。
サウザンナイトは尻餅を付いたまま顔を上げる。
眼前には、親友を奪った悪人と守れなかった自分への怒りで今にも泣き崩れそうな少女の姿。
だがサウザンナイトの意識はそれのやや斜め後ろを向いていた。
ライトの左右斜め後ろの空間が裂けている。
裂けた空間が円状に広がり、その内側では星空を切り取ったような小さな粒子がゆっくり渦を巻いている。
空間の裂け目から細長い獣の爪のようなものが生え出した。
ゆっくりと、ライトを背後から抱きかかえる様に。
ダーティ:怒りで我を忘れやがったな。勝負ありだ。
ダーティの捉え所の無い声がライトの両側から響いてくる。
円状の空間から生え出した獣の爪はライトの体に触れない内に静止した。
そして、それと同時にライトの体も金縛りに掛かったかのように一切の行動を禁じられた。
その隙にサウザンナイトは立ち上がり、再びロッドを構える。
視線はまだ少女を捕らえた爪の主、ダーティの方を向いている。呆れの混じった不満顔で。
千夜:……あたしを囮にしたって訳?
ダーティ:オレだってあの妖精を仕留めて、そのままこいつにも止め刺せるかと思ってたんだぜ?
ちょっとした計算違いとそれに伴った作戦変更って訳だ。
まさか相棒がやられちまった途端、ここまで暴れ出すとは思わなかったからな。
二人の会話には殆ど緊張感が無い。
まるで悪戯好きな男子を女子が戒めているかのような…
そんな、ライトも普段聞き慣れた極日常的な響きの会話。
それを聞きながらライトは確信する。
「……わたしは負けたんだ」
千夜:…皮肉なものよね。友達想いなあなたが
あたし達みたいなチームワーク最悪な連中に敗れるなんて。
哀れみの感情など一切無い無機質な声で呟き、ロッドの先端を閃かせる。
そして…恐らく最後となるであろう言葉を紡いだ……。
千夜:ディアム・レスアーブ!!
ロッドの先端の“カボチャ”から、強い反動を伴って光弾が放たれた!
ライト:いやあああぁぁぁぁ!!!
光弾は真っ直ぐにライトの体の中心を目掛けて飛び、
そして着弾と同時に悲鳴を掻き消す程の眩い光を撒き散らした!
閃光はそれを放ったサウザンナイト自身の目をも晦ませ、
攻撃を受けたライトの姿を僅かな間見えなくした。
光が収まり、確かな手応えと共に勝敗の行方を確認しようとする。
しかしそれはサウザンナイトの予想とは僅かにずれた…
というか、僅かに不足した状態となっていた。
千夜:…………。
ライト:……………。
“ディアム・レスアーブ”それはサウザンナイトの頭の中では
光弾を撃ち、当たった相手の体を宝石化させる呪文の筈だった。
今、宝石化している。ライトの服が。
服だけが宝石化している。
ライトの表情は若干引きつっている。何が起こったのかよく分かっていないようだ。
体そのものはどうかというと、何の変化もしていない。
触れれば柔らかい感触が返ってきそうな肌色のままだという事がよく分かる。
…もう一度細かく状況を説明しよう。
サウザンナイトの放った光弾によってライトの服は透明な結晶に変えられてしまった。
透明だから中の様子が透けて見える。そして御丁寧に下着までもが結晶化しているようだ。
つまりは彼女の肌の色を遮る物は殆ど無い、裸の状態と言ってもいい。
だが“透明”とは言っても服が消えてしまった訳ではない。
そこに“服の形をした何か”がある事ははっきり分かるし、
それによって少女の体は器用にぼやけて見える。
例えば激しい汗をかいた時、あるいは雨に降られて服が濡れてしまった時、
服が張り付いて中が透けてしまったりするだろう。そんな状態に近い。
…そしてそんな状態だからこそ余計に扇情的なものを感じるという人間が如何ほどいるのだろうか。
しばし呆然としていたライトにも、自分が今どういう状態になっているのかが理解できた。
そして、自分の今の格好が何を意味しているのかという事も…。
ライト:……きゃぁっ?!
ライトは、女性が人前で“裸”という状態にさせられた時に
十中八九以上の確率で取るであろう行動を取ろうとした。……そして出来なかった。
ライト:……ぅぅ………。
今、ライトの体を覆っているのは服ではない。服の形をした宝石だ。
宝石は普通柔らかくない。硬い。
ライトは今、ほぼ全身に密着した拘束具を着けさせられているも同然なのだ。
体を動かす事が出来ない。だから隠す事も出来ない…じゃなくて、
敵二人に囲まれた状況において、一切の反撃の術を封じられてしまったのだ。
ダーティ:世界一硬いコスチュームだ。洒落たもん着てるじゃねぇか。
“宝石天使”ってぇのも伊達じゃねぇな。
へへっ、服を着てんのに裸も同然。動きたくても動けねぇ。
面白ぇ光景じゃねぇか、千夜。
エロオヤジかはたまた悪ガキか、何にせよダーティは楽しそうだ。
それとは逆にサウザンナイトの表情はあまり愉快そうには見えない。
いかに敵とはいえ、自分とほぼ同い年のいたいけな少女があられもない姿にされている。
そしてそれをやったのは(わざとではないにしろ)他でもない自分自身だ。
言っておくが千夜に同性愛趣味は無い。
まして少女を裸同然の格好にして楽しむなど以ての外。
彼女は今苛立っている。
そしてその苛立ちのきっかけを作ってしまったのが自分だというのだから余計にイライラする。
微かに頬を赤らめつつ、サウザンナイトは声を荒げて
ライトの背後から爪を伸ばしたままのダーティに呼び掛けた。
千夜:ダーティ!
いつまでも遊んでないで早く戻って来なさい!
あたしだけじゃもう…力が足りないのよ!
ダーティ:わぁったよ。さっさと止め刺さねぇと呪文の効果が切れて、
宝石の服が壊れちまうかも知れねぇからな。へへっ。
余計なセリフを吐いて、ダーティは音も無く爪を空間の裂け目に戻していく。
爪が完全に引っ込むと同時に、ライトの斜め後ろ左右で渦を巻いていた空間の裂け目は消失し、
サウザンナイトの首に掛けられた水晶玉に粒子の渦が舞い戻った。
千夜:…さぁ、今度こそ終わりよ!
……ディアム・レスアーブ!!
ライト:……ぁ……ぁ…ぁ………。
もはや悲鳴を上げる気力すら無い。
微かに漏れる声も、ピシピシという透明な結晶にヒビが入る音と紛れて聞こえはしない。
恐怖に侵蝕された少女の心に呼応するように、宝石コスチュームの亀裂も激しくなり、そして……
パキーーーーン…!!
粉雪を散らすように透明な拘束具は砕け散り、
次の瞬間にはサウザンナイトの放った光弾が剥き出しになったライトの肌を撃ち捕らえた!
強烈な光が悲鳴のような超高音を伴ってサウザンナイトに突き刺さる。
その横殴りの光のシャワーを浴びながらサウザンナイトは今度こそ戦いの終わりを確信した。
……光が収まり、サウザンナイトの眼に映る光景は今度こそイメージ通りのものだった。
世界一硬い鉱物を材料とした、裸の少女の彫像。
…いや、やっぱりイメージと少し違う。
サウザンナイトの頭の中には服が砕け散るイメージは無かった。
発動が若干遅れたのか、一発目があまりに中途半端な効果しか生み出さなかったのか…。
…だが、そんな事はもうどうでもいい。もう終わったんだ。
見れば、眼の前の宝石像は実に美しい。
傷一つ付いていない少女の体は正に宝石の天使。
透き通る肌をそっと撫でてみる。冷たくて滑らかな感触がした。柔らかくはなかった。
何も身に着けていない体に怯えた表情というのは何やら背徳的な気分にさせてくる。
そして手には、何故かあのステッキが頼りなげな手付きで握られていた。
これがこの宝石像の中で、唯一少女の体とは異なる存在だ。
…さっき、服と一緒に壊れなかったんだ…。
ダーティ:そろそろ送るぜ、千夜。
千夜:…ぁ、そうね…。
胸元の水晶玉から声を掛けられて、サウザンナイトは初めて
自分が少女の裸像を観察していたんだという事に気付いた。
…部屋に籠もって一人反省会を開きたい気分。
サウザンナイトは「フゥッ」と鋭く息を吐き、そしてロッドを体の真正面で垂直に構えると
コツンとロッドの末端で地面を軽く叩いた。
すると宝石像と化したライトの足元から空間の裂け目が生まれ、
ライトはゆっくりと音も無くその中へと沈んでいく。
この儀式がサウザンナイトの勝利の証となるのだ。
宝石像の転送が行われている間、サウザンナイトは暇になったのかふと辺りを見回し始め、
そして地面に置き去りになっていた妖精入りの結晶体を拾い上げた。
千夜:……仲良し同士、ずっと一緒にいさせてあげるわ。
そっと結晶体から手を放す。
緩やかな放物線を描きながら結晶体は宝石像と共に吸い込まれるようにして次元の穴の中に消えていった。
宝石像が完全に穴の中に収まると空間の裂け目は徐々に縮小していき、
そして一分も経たない内に、始めからそこには何も無かったかのようにして全て消滅した。
その一部始終を確認し終えると、サウザンナイトは大きく深呼吸をした。
手にしたロッドがフワリと自我を持ったかのように横一文字になって浮き上がり、
サウザンナイトの身長よりも高くに上昇してそのまま彼女の体を地面から引き剥がした。
サウザンナイトは片手で懸垂するようにロッドにぶら下がっている。
千夜:…何だか疲れたわ。帰るわよ。
ダーティ:ついでにニ、三個宝石がめてくか?
千夜:………バカ。
そのままロッドに身を任せるようにして、サウザンナイトは姿を消した。
暗がりの中、無数の宝石達はここであった出来事を忘れ去ろうとするかのように
無機質な輝きを纏い続けるのだった……。
今、魔法少女達の間で噂になっている者がいる。
どこからともなく現れては勝負を挑み、
圧倒的な力で次々と少女達を倒し続ける悪の魔法少女……。
彼女の名は人呼んで……孤高のサウザンナイト………。
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